第7話 ジュエルビースト

「ケンタウリ!」

 フォルジナが叫んだのと、ケンタウリの体が糸に絡めとられたのはほぼ同時だった。襲い掛かってきたのはキラースパイダー。大型の好戦的な蜘蛛だ。吐いた糸を前足で持って獲物を巻き取って捕まえてしまう。ケンタウリがやられたのもそれだった。そして恐らく、いなくなった親衛隊の連中も。

 そして鮮度のいいまま保管するために、捕まえた獲物はただちに麻痺効果のあるブレスで麻痺させる。ケンタウリの意識もすぐに喪失し、なす術もなくキラースパイダーに持ち去られてしまう。

「舐めた真似をっ!」

 フォルジナは岩の崖を越えて逃げようとするキラースパイダーに向かって全力で走る。厚底ブーツが岩を蹴りその身を加速させる。

 だが――。

「くっ……?!」

 横から飛び掛かってきた別のキラースパイダーにフォルジナは体勢を崩される。その間にケンタウリを攫ったキラースパイダーはまんまと逃げおおせていく。まるで二匹は連携しているかのようだった。

「邪魔ァ……すんじゃないわよッ! 食刃ナイフッ!」

 右手が外から内側へと水平に空を切る。否、切ったのは前方の空間。キラースパイダーのいる範囲。手の動きに一瞬遅れ空間がずれる。キラースパイダーの八本の足がずれ、体もゆっくりとずれていく。

 キラースパイダーは攻撃を行なおうとしたが、何もできないままに水平に両断されて即死していた。その体がゆっくりと地面に崩れ落ちる。

「ケンタウリは?!」

 キラースパイダーを追ってフォルジナは崖を蹴り上がる。突起に厚底ブーツを引っかけ、出っ張りを掴んで体を引き上げ、見る間に崖を登っていく。一〇ターフ一八m程の高さを登り頂に着くと、その向こう側の渓谷を睨む。そこには深い谷と尾根が連なっており、そこかしこに横穴があった。キラースパイダーの姿はなく、ケンタウリがどこに連れ去られたかを示すものは何も残っていなかった。

「くそ……! ケンタウリが……なんて事なの?!」

 フォルジナは暗い横穴を見つめ、一人歯を噛んだ。

「どうする……どう探す……?」

 気ばかりが焦り、フォルジナの鼓動が早くなる。だが逆に、フォルジナはゆっくりと深い呼吸を始めた。

「鬼追いと同じよ……気を静めれば……」

 フォルジナは旅に出る前の訓練を思い出していた。鬼追いという、特定の魔獣を追跡する訓練だった。魔獣には特有の魔素の反応がある。その痕跡を追い巣穴を見つけたり待ち伏せをする訓練だった。

「大丈夫……あのタイプの蜘蛛はすぐには獲物を殺さない。新鮮なまま保存するからケンタウリもしばらくは無事なはず……」

 自分に強く言い聞かせるようにフォルジナはつぶやいた。そして、今さっき食刃で葬ったキラースパイダーの魔素の特徴を思い出し、渓谷の闇を睨む。魔素が見える。いくつかの動きの痕跡の細い筋が空間に浮かんでいる。見えた! 逃げて行ったキラースパイダーはケンタウリの一匹だけではないらしい。

「よし! 親衛隊も全員やられたって事?! だらしない男たち!」

 言い放ちフォルジナは崖から目的の横穴へと大きく跳躍する。不安定な岩場に着地し、両手で岩肌を掴みながら体を支える。足元を確認しながら、しかし速やかに横穴へと体を滑り込ませる。

「真っ暗ね……当然か」

 ホットパンツのポケットから発光石を取り出し、指で弾いて火を灯す。蝋燭ほどの明るさのその石をベストの胸ポケットにねじ込むと、フォルジナは闇の中へと進んでいく。発光石のおかげで完全な闇ではないが、視界はせいぜい三ターフ五.四m。フォルジナの目は常人よりも闇に強かったが、それでも五ターフ九m程度が限界だった。

 視覚よりも魔素の痕跡に気を配り、どこまでも続くような洞窟をフォルジナは進んでいく。生命の痕跡はそこかしこにあった。蝙蝠、トカゲ、様々な昆虫。水たまりの中にも目の退化した両生類や魚がいた。だが大型の動物となるとキラースパイダー以外には痕跡はない。掴んだ糸を離さないように、フォルジナはケンタウリの下へと急ぐ。

 洞窟は狭かったが、進むにつれ広くなっていく。澱んだ空気が漂い、じめじめと肌に張り付くような湿気を帯びてきた。フォルジナは息を殺しながら痕跡を乱さないようにゆっくりと歩いていく。

「どこまで行ったのかしらァ……相当深くまで続いてるわね、こりゃ……」

 しばらく進むと、魔素の痕跡が乱れていた。空中で縮れたように絡まって見えている。

「ここで止まった……横穴に入ったのかしらァ……?」

 足を止め息を吸うと、そうではないと本能がフォルジナに告げていた。微かな臭い……泥や苔の間に挟まった別の臭い……それは何らかの生物の臭いだった。何かがここで動いたのだ。

 フォルジナは発光石の明かりを頼りに目を凝らす。足元にも左右にもいない。もちろん背後にも。だが確かに存在を感じる……それは――。

 顔を沈めフォルジナは宙返りを打つ。すんでの所で顔に触れようとした何かを回避した。ぬかるみに着地すると、自分に触れようとしたものの正体が分かった。

 ヌタヒトデ……五本の長い足を持った軟体動物。普通は沼の底などに沈み泥などを漉しとって食料にしているが、動物の死骸などにも喜んでかぶりつく。中央にある丸い胴体には鋭い嘴のような口があり、硬い骨でも削って食べる事が出来る。そんな生き物が天井から垂れさがりフォルジナを狙ったのだ。

「何でこいつがここにいるのよ……!」

 ぬるりとした雰囲気が周囲を包む。ヌタヒトデの攻撃意思をフォルジナは感じ取っていた。しかも一体ではない。少なくとも三体が姿を現している。

「構ってられないわね……!」

 急いでケンタウリを探さなければならない。その思いでフォルジナはヌタヒトデを無視しようとしたが、ヌタヒトデにとっては千載一遇の好機。折角の大きな獲物を逃がすまいとフォルジナの進行方向に立ちはだかる。

 三体のうちの一体が長い脚をさらに細く長く伸ばし、洞窟の端から端まで広がる。まるで通せんぼだった。そして残る二体はフォルジナを絡めとろうとその背後からぬるりと近づいていく。

 フォルジナは大きく跳んで避けようとしていたが、前方に広がっているヌタヒトデが邪魔で動くことが出来なかった。そうこうしている間にもヌタヒトデの足がフォルジナの厚底ブーツに触れる。

「このっ!」

 フォルジナは拳を握りしめ足元のヌタヒトデに攻撃を叩き込む。だが表面のぬめりのせいで芯を外される。

「くうっ!」

 フォルジナは更に拳を叩き込むが、そのいずれもがぬめりのせいで十分な効果を発揮していなかった。

 ヌタヒトデが蠕動し一気にフォルジナへと距離を詰める。厚底ブーツのヒールに絡みつき、そして一気にふくらはぎまでヌタヒトデの足が絡んでいく。

「ひぃっ! 気持ち悪っ!」

 フォルジナは身をよじるがヌタヒトデは離れない。そして瞬く間にもう一体のヌタヒトデもフォルジナの右手を掴み一気にその足を絡めていく。

「ああんっ! もう、こいつら!」

 ヌタヒトデの足による拘束が強まっていく。肘や膝の関節を締め上げ、胸や尻をきつく絞る様に足が動く。身につけたベストの対魔術効果も物理的な足攻撃には無力だった。

 そしてフォルジナの体を、痒みが襲い始める。それはヌタヒトデの足の無数の突起から分泌される麻痺成分だった。痒みとして始まり、痺れ、そして感覚が無くなり動けなくなる。

「なんていやらしい攻撃なの、こいつはっ!」

 自身の体を包む痒み。それは甘い痺れへと変わっていく。フォルジナは完全食撃のスキルの影響で全般的に常人よりも高い耐性を持っているが、このヌタヒトデの毒はそれを超えるものだった。次第に手足の末端の感覚が鈍くなっていくのをフォルジナは感じ取っていた。

「こ、このままじゃ……?!」

 足を起点にフォルジナははりつけにされるようにヌタヒトデにその体を絡めとられていた。その力は強く、そして麻痺の毒の力で容易には振りほどけない。危機だった。そしてヌタヒトデの足が蠢き、さらにフォルジナの服の間から内部に滑り込もうとする。

 そしてようやく、フォルジナは決意した。

「調子に、乗るなァッ! 食刃ナイフッ!」

 フォルジナの右腕が力任せに振られる。その右手の指先は鋭く揃えられ、先端からの衝撃波が右半身を拘束するヌタヒトデを両断する。

「お前もだッ!」

 返す手刀で今度は左のヌタヒトデを両断する。ぬめぬめした粘液でその体は守られていたが、食刃の鋭い攻撃には無力だった。長い足ごとヌタヒトデの胴体が真っ二つにされる。

 前方の道を通せんぼしていたヌタヒトデは異常事態に気付いたのか、足を戻してぬかるみに戻ろうとする。しかし、それはフォルジナが許さなかった。

「逃げてんじゃ、ないわよッ! 食叉フォークッ!」

 左手の貫き手がぬかるみに戻ろうと身を沈めたヌタヒトデの胴体を貫通する。衝撃で引き裂かれるようにしてヌタヒトデはバラバラになってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る