第5話 魔術師の家

 翌日は一日かけて荷物の準備をし、必要な調理器具を買いそろえる事が出来た。フォルジナさんの食事を、もっと一度に大量に作れるようにフライパンと鍋を二つずつ買いそろえ、味を引き立てるハーブや香辛料もたくさん買ってきた。

 おかげで荷物は三〇シュデンス一八kgを超えていて、肩にずしりと重みがかかっていた。カケーナの町を出てから一時間も経っていないのに、もう肩が痛い。

「フォルジナさん、その知り合いの人の家ってもう少しですか……?」

 荒い息をつきながら聞いた俺の声に、フォルジナさんは笑みを浮かべ答える。

「もう少しよ。そのうち着くわ」

 三〇分前に聞いた時もそう言っていた。しかし今の所それらしいものは見えない。というかカケーナから離れたこの辺には人は住んでいないはずだ。魔獣の生息地に近くなっている訳なので、住もうと言う人などいないのだ。

 だがフォルジナさんの知り合いなら分からない。ひょっとするとフォルジナさんと同じように強くて魔獣が寄り付かない人という可能性もある。

(それにしても……不思議な人だよな)

 目を奪われるような美貌。スタイルもよく、背も俺より高く、厚底分を差し引いても一ターフ弱一七〇cmはありそうだった。シャツやホットパンツから覗く腕や脚は白く、正しく白磁のような艶めかしさ。街を歩けばみんなが振り返るだろう。

 だがそんな見た目なのに、あのロックリザードの攻撃を受け止めていた。力が強いとか言う以前に、明らかに人間の限界を超えている。

 と言ってもここは異世界だ。俺が住んでいた地球とは根本的に違っているから、見た目以上に力が強かったりするのも普通なのだろう。竜を倒すような強い力を持つ英雄が、この世界には実在するのだ。

「ちょっと、ケンタウリ。それ以上見つめてるとお金取るわよ」

「えっ――あっ、すいません!」

 フォルジナさんのお尻を見つめながらぼうっとしていたが、それに気付いたらしい。俺は慌てて目を背けるが、まだ脳裏に姿が焼きついていた。心臓がドクドクと脈打つ。

 フォルジナさんは歩きながら俺を振り返り言った。

「あなたって意外と大胆不敵なスケベなのね」

「あっ、いや、違うんです考え事をしててちょっと……」

「人のお尻を見ながら考え事するの、あなた?」

「いや違っ、違うというかすいませんあの……!」

 何かうまく言い訳をしようとするが何の言葉も出てこない。しどろもどろになった俺の様子に、フォルジナさんは声をあげて笑った。

「あははは! 別に見られて困るお尻はしてないからいいけどさ。あ、お触りは絶対許さないけど」

「はい、す、すいません……」

「ふふ……ま、いいわ。ちゃんと前見て歩きなさい。そろそろ着くから」

 フォルジナさんはそう言うと足を止め顔を右に向けた。

「この辺から行けるかしら……」

 道はまっすぐ続いていて、見る限り右側には森が広がっているだけだ。特に森の中に続く道などがあるようには見えない。

「森の中にあるんですか?」

「そうそう、森の奥に住んでるのよ。偏屈なおじさんがね。着いてきて」

「はい、分かりました……」

 森の中……過疎の村でもあるのだろうか。それにしたって未知くらいありそうなものだが、フォルジナさんが進んでいくのは獣道さえ見えない藪の中だ。

「しばらくまっすぐ進むわ。遅れないように着いてきて。はぐれたら危ないのよ」

「危ないって、魔獣がいるんですか?」

 俺は耳を澄ませる。虫や鳥の声が聞こえるが、その中に魔獣の声が混ざっていたりはしないかと気が気ではない。またいきなりロックリザードみたいのに出くわさなければいいが。

「魔獣もいるけど、それよりも人払いの結界の方が危険なのよ。下手すると一生森から出られない」

「えっ」

 人払いの結界……何らかの魔術という事だろうか。一生森から出られないなんて……そんな恐ろしい事が?!

「えっ……ちゃんと帰れるんですか? 大丈夫……なんです?」

「大丈夫大丈夫。私は道を知ってるから。もうじきで……ほら、見えてきた」

 フォルジナさんが足を止めて前方を指差す。目を凝らすと、木々の間から家らしきものが見えた。

「あの家……ですか?」

 もっと恐ろしい化け物屋敷みたいなのを想像していたが、三角屋根の普通の家のようだ。

「さて、こっからが長いのよね。遅れないで付いてきなさい、ケンタウリ」

「長いって……すぐそこなんじゃないですか?」

「そうなんだけど、そうじゃないのよ。ここはちょっと時間と空間が歪んでるの。お昼には着くと思う」

「お昼……?」

 街を出たのは九時過ぎ。森に入ったのは十時ごろだろう。昼までとなると二時間ほどあるが、すぐそこにある家に辿り着くのに二時間とはどういう事だろうか?

 だが歩き始めて違和感に気付いた。前に進んでいるはずなのに、何だか全然進んでいない。それに森の様子もおかしい。さっきまでうるさいほど聞こえていた虫や鳥の声が全く聞こえない。上を見れば木々の間に青空が見えていたが、今は真っ暗だ。しかし森の中はちゃんと明るく見えている。何かがおかしかった。

「……これ、本当に大丈夫なんですか?」

 俺は前を歩いているフォルジナさんの背中に問いかける。

「大丈夫よ、心配しないで。私は術の効果を制御できるお守りを持っているから、私についてくれば問題ない」

「フォルジナさんから……はぐれたら……」

「過去と未来の時間をねじって繋がってる空間だから、延々とループしてどこにも辿り着けない。そのうち餓死して死んじゃうでしょうね。なんて……悲観的なこと考えてないでしっかり歩きなさい!」

「はい、分かりました……」

 俺は不安になりながらもフォルジナさんを追いかけるように歩き続け、約二時間が経過した。森から開けた場所にようやく出る事ができ、そしてずっと見えていた家が目の前にあった。空を見上げると普通の青空。鳥の声も聞こえる。日の高さからして、フォルジナさんの予想通りお昼ごろのようだった。

「あー良かった。ほら、ちゃんとついたでしょ?」

「はい、ここがフォルジナさんの知り合いの家……」

 森の隙間から見えていたのは一部分で、こうして見ると普通の家とは違っていた。手前にある部分は平屋の普通の家なのだが、その背後に三階建てくらいの歪な形の家が立っている。壁や柱が微妙に曲がっていて垂直ではなく、どう考えても設計ミスにしか見えなかった。その二つの建物は階段でつながっているらしく、手前の家の後ろから渡り廊下のようなものが伸びていた。あとから増築して無理矢理繋げた……そんな感じの家だった。

「ライオネル、フォルジナ・アクリアスよ! 中に入れて頂戴!」

 フォルジナさんが家に向かって大声で呼びかける。何の返事もなかったが、手前の家の玄関のドアがギギギとゆっくり開き始める。

 開いたドアから中から出てきたのは、眼鏡をかけた禿頭の男の人だった。年齢は五十代くらいだろうか。頭の左右に毛が残っているが、白髪交じりで老けて見える。だが目には異様な光があり、鋭い視線で俺達を見つめていた。

「そろそろ来る頃だと思っていた」

「ええ、来たわ。いつも通り服を強化してもらいに」

「ふむ……しかしそっちの奴は初めて見るな。また仲間を作るようになったのか」

「……そんな所よ。彼はケンタウリ。魔獣料理を作れる料理人よ。私にぴったりの旅のパートナーってところかしら」

「魔獣料理だと……?!」

 ライオネルと呼ばれた男は眼鏡を直し俺を睨む。

「異世界転生者か。また珍しいのと知り合ったもんだな」

 異世界転生者だと見抜かれ、俺はぎょっとする。見た目は日本人でこの世界の人と確かに違うが、一目で看破されることはない。それよりも外国の人と思われる確率が高い。やはり魔術師というだけあって感覚が鋭いのかもしれない。

「ええ、彼と出会えて幸運だったわ。家に入っても……いいかしらァ?」

「うむ……よかろう。二人とも入れ。靴の泥はちゃんと落としてから入れよ」

 そう言い、ライオネルさんは家の中に戻っていった。

「じゃ、行くわよケンタウリ」

「はい……えっ?!」

 俺はフォルジナさんに続いて家に入ろうとしたが、ドアの脇に奇妙なものが立っていることに気付いた。

「何……人形……?」

 木で出来た体、細長い首に丸い頭。顔は子供の落書きのように二つの丸い目と、明太子のような分厚い唇が書いてある。しかもそれは……動いている。俺を見つめ、ドアが閉まらないように押さえているのだ。

「どうかした……あァ、この子ね。この子はマーガレット。ライオネルが作った生き人形よ」

「生き人形?」

「魔素で動く人形……身の回りの世話をしたり料理したりとかァ……家政婦みたいなものよ」

 フォルジナさんはマーガレットを気にも留めずに家に入っていく。俺はマーガレットを見上げるが、向こうもこちらを見ていた。マーガレットの目はペンキか何かで書いてあるようでガラスでもなんでもない。しかし確実にこちらを見ているという不思議な感覚があった。

「お、お邪魔します……」

 俺があいさつするとマーガレットは小さく目礼するように頭を下げた。この世界に魔法があるのは分かっているし俺自身も使えるけど、こういう動く人形みたいなものまでいるなんて。ちょっと驚きだった。





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