第2話―4
フォルジナはケンタウリの視線を感じながら魔獣へと近づいていった。周囲には他の魔獣の気配もあるが、どれも小物ばかりだ。嗅覚でも、魔素の感知力でも、目の前のロックリザード以上に危険な生き物は感じ取れなかった。
半径一キロの範囲でなら、今ここにいるこの魔獣が一番強い。そして……恐らくは美味。そうでなければ困る。
フォルジナは自分の内臓がうごめくのを感じていた。肉の内側の化け物が空腹だと騒ぎ立て、フォルジナの神経を逆なでするような疼痛を与えてくる。この疼痛にはいつまでも慣れない。だから、自然と歩みは速くなっていく。
乾いた石の匂い。木々の匂い、湿った地衣類の匂い。小さな動物の死体の匂い。あるいは、このロックリザードが食い散らかしたのだろう。ロックリザードからは、仄かな血の臭いがしていた。
「さァ……あなたのお肉はどんな味をしているのかしらァ……!」
ロックリザードとの間合いが近づいていく。見慣れぬ生き物にロックリザードも最初は戸惑っていたが、悠然と近づいてくるその姿に今では怒りを表していた。
短く太い前足で地面を踏みつける。威嚇のフットスタンプだった。それだけで人は戦意を喪失し、並みの魔獣も逃げ出すだろう。ロックリザードにもそれが分かっている。自らが強者であると分かっている。だからこそ怒っていた。一向に逃げるそぶりを見せず、その歩速さえ緩めない異常な存在に。
ロックリザードは口を開け甲高い声で鳴いた。空気が震え近くの木から葉や実が落ちていく。それは離れた位置のケンタウリの体をも震わせていた。死を悟らせるには十分すぎるほどの威圧的な鳴き声だった。
だが――。
「思ったよりかわいい声なのねェ? 暴れて、美味しくなりなさァい!」
ロックリザードの鳴き声に露ほども怯むことなく、フォルジナは一気に間合いを詰めた。
石臼のような歯列を覗かせ、ロックリザードが高く鋭い声を発した。それは怒りの声だった。迸る感情を抑えず、地を踏みしめ尾を跳ね上げ、その先端に付いた突起のある丸い骨球を勢いよく振り下ろす。空気を押しのけ引き裂きながら、無慈悲にも眼前のフォルジナへと骨球が襲い掛かる。
雷鳴のような轟音が鳴り響いた。骨球の衝撃は砂塵を巻き上げ周囲に衝撃波を飛ばした。盛りが一斉にざわめき、ケンタウリも突然体を押されたようになり倒れて尻もちをつく。
死んだ……殺された。ケンタウリの脳裏には無残にも叩き潰されたフォルジナの姿が思い浮かんだ。最早原型は保っていないだろう……ケンタウリはフォルジナをもっと強く止めるべきだったと後悔した。
だが、その後悔は無駄に終わる。
砂塵が晴れロックリザードの姿が現れる。振り下ろされた骨球は地を打たず、フォルジナの頭上で止まっていた。フォルジナは左手を頭上に掲げ、ロックリザードの骨球を手と前腕で受け止めていたのだ。その足元では靴の周りの岩場に亀裂が走り、骨球の衝撃は間違いなく生じていた。だが、山をも崩すかのような一撃は、フォルジナの細い腕一本で受け止められていた。
その状況にロックリザードは戸惑っていた。何故まだこの生き物が立っているのか理解できなかった。これまでの生涯で、この骨球を振るって倒すことのできなかった相手はいなかった。使うならば必勝……それがロックリザードの認識だった。
追撃すべきか、どうすべきか。その判断にロックリザードは迷っていた。
「重いけどそれだけねェ……私の方が力は上、みたいネ?」
小首をかしげ、フォルジナは骨球を跳ね上げてどかし、そして一歩踏み込んで指を伸ばした右手でロックリザードの顔を真横から打った。
「
伸ばされた左手の指がロックリザードの頭部を真横から貫く。指の先端がロックリザードの体表に当たり、さらにその先端から撃ち出された衝撃波が頭部を貫通していた。石を砕くような重く鋭い音が響き、ロックリザードは口から涎を垂らしながら左に一歩よろけた。フォルジナの指が貫いた箇所からは赤い血が滴る。
ロックリザードが感じたのは痛みだった。顔面を貫かれ左に弾かれ、傾いた体を足の踏ん張りで何とか支える。感じていたのは生まれて初めての衝撃だった。小さい脳が揺れ、目の前の視界までが揺れている。
未知の事象。並の魔獣なら耐える事すらできない一撃。だがロックリザードは恐れを知らず、これまでと同じように感情を奮い立たせた。
ロックリザードは吠えた。そして自らの身に宿る力を行使する。
何の前触れもなく地面が弾けた。地が裂け牙が飛び出したかのように鋭い岩の塊がいくつも隆起して来る。ロックグレイブ……人が扱うならそう名付けられる魔術だった。
だがそれは巨大な顎で噛み砕くようにフォルジナを包囲するが、岩の先端が届くより速く、フォルジナは跳躍して攻撃から逃れた。
まだ脳の揺れるロックリザードだったが、攻撃が回避されたことは理解していた。これも今までの生涯に例のない事だったが、最早冷静な判断が下せる状況ではなかった。是が非でも、否が応でも、この小さな生き物を殺す。ただその衝動だけがロックリザードの小さい脳を支配していた。
続けざまにロックリザードの生体魔術回路が起動する。今度はロックショット、無数の岩塊を撃ち出す魔術だった。
跳躍したフォルジナは足元に立ち並ぶロックグレイブの一つに着地し、ロックリザードを見据える。
「つまみ食い、しちゃおうかしら?」
眼前に展開される魔術を、フォルジナは理解していた。その身に受ければただでは済まない事も。
ロックショットが起動し、空中に岩塊が形成されていく。そして運動エネルギーを与えられ、十を超える数の岩塊が一斉に発射される。
その速度は矢のように速い。フォルジナまでの距離は僅か
フォルジナは笑みを浮かべた。そして襲いくる岩のつぶてを迎えるようにその口を開いた。
岩塊はフォルジナを吹き飛ばそうとする瞬間、その岩塊の全てが砕かれ魔素の欠片となって散った。
後には何も残らない。ロックリザードの背には魔術発動の残滓の熱があったが、フォルジナはロックグレイブのとげの上に立ったままだった。
フォルジナのスキル、
フォルジナは自身の口腔につながる魔術的な顎を生み出し、それによってあらゆるものを食らう事が出来る。魔素が凝結した物質も、形の無い魔素自身も食らう事が出来る。
そして当然ながら、獲物の肉を食らう事も――。
「いただくわよォ!」
岩のとげから身を翻し、帽子を押さえながらフォルジナはロックリザードの顔に向かって落下していく。ロックリザードは再び尻尾を振り骨球での攻撃を試みるが、全ては遅かった。
ロックリザードの頭部があった空間が、砕かれ、一気に消失する。骨を砕く音。肉をつぶす音。血が迸る音。姿はなく音だけが残り、ロックリザードの頭部はこの世界から消失していた。残るのは首の断面を見せるロックリザードの死体のみ。
食らうのは魔術ばかりでない。当然のように物質をも食らう。咬撃のスキルで食い千切り、噛み裂き、引き砕いたものは、通常の食事と同じようにフォルジナの腹に収まり血肉となる。定期的な魔素の補給を兼ねた一石二鳥の攻撃法だった。
「さて……終わったわよォ、ケンタウリ!」
ロックリザードは足から力が抜けゆっくりと腹をつく。首の断面からは清水のように血が溢れていた。凄惨な状況と言えたが、当のフォルジナは笑みを浮かべケンタウリに手を振っていた。
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