第2話―2

 ぐううう。

 地面から這い出てきた怪物が巨人の手で締め上げられた時に出すような音だった。いびきじゃない。歯ぎしりでもない。これは、腹の音だ。

「ん……何かの匂いがァ……するわねェ……」

 そう言い、彼女はハンモックの上で体を伸ばした。そして顔の上の帽子を腹の方へとずらす。

「何かしら……あら、起きてたのね。おはよう」

「おはようございます……」

「何か作ってるの? 食べ物の匂いがするわァ……」

 彼女はハンモックから降りて立ち上がる。そして両腕を頭上で組んで思い切り伸びをする。

「……朝食? そうだ。あなたを料理人として雇ったんだったわね。ちょうどいいわ。何か作ってくださらない?」

 そう言って彼女は、口を手で隠しながら大きな欠伸をした。

「はい。ただ材料がなくて……」

「あら。討伐隊で持ってきたものがあるんじゃなくて?」

「向こうにはまだあると思うんですけど、昨日は持ってくる余裕がなくて……」

 何せ死体を運んだ直後だ。次の日の朝食のことまで頭が回るわけがない。

「そう……今からあっちに行って死体漁りみたいなことをするのもねェ……わかったわ。で、何作ったの?」

 彼女が鍋を見る。

「はい。もうすぐ粥が煮えます……味は自信がないですけど。非常食なので」

「二人分あるの?」

「作ればあります。それに俺は乾パンもあるので、これは食べてもらっていいです」

「ふうん……じゃあそれが出来たらいただこうかしら」

「はい、分かりました」

 粥はもう数分で出来るだろう。俺が鍋をかき混ぜている様子を彼女は見ていた。じっと見られると何だかやりにくい。しかし俺はこの人に料理人として雇われたんだし、腕前を見られているわけか。しかしこんな粥ではな……手を抜くわけではないが、腕を振るうようなものではない。

 麦を匙でつぶすと程よい弾力があって潰れる。このくらいでいいだろう。柔らかいのが好きならもっと煮てもいいが、普通の食感ならこのくらいでいい。

「出来ました」

 俺が粥を椀によそおうとすると、

「いいわ、そのままで」

 彼女がそういうので、匙と一緒に鍋を渡す。

「熱いので気を付けてください」

「ええ、分かったわ」

 鍋の柄を左手で持ち、右手の匙で粥をすくう。二、三度吹いてから口に運ぶ。

「……中々美味しいわ……ただ」

「何か……変でした?」

「そんなに見つめられてると食べにくいわァ」

 そう言われ、俺は気付いた。彼女を凝視してしまっていたのだ。

「すいません!」

 恥ずかしいやら何やら、変な汗が出る。俺は湯を沸かすためにもう一つの鍋を出す。食後の茶を淹れるためだ。あと俺が乾パンを食べる時の水分でもある。口がパサパサになるから、何か液体がないと食べにくい。

「これ、入ってるの何? 人参?」

「はい、人参です。非常食で、一度茹でたものを干した奴です」

「ふうん」

 ふうふうと、彼女はもう一匙を食べる。味は自信がなかったが、一応満足してもらえたようだ。討伐隊の連中なら俺に投げつけているかもしれない。

 しかし……そんなことをする奴も、もう死んでしまったのだ。どちらかといえば嫌いな連中だったが、しかしあの最期はあまりにもひどい。リザードマンが大したことないなんて誰が言ったんだ? それに襲ってきた人数も多分二十人じゃきかないだろう。もっといたはずだ。

 本当に命があってよかった。彼女は俺にとって二人目の恩人というわけだ。こっちの世界に来て以来、何だか命を救われてばかりの様な気がする。

「何だか久しぶりだわ、こういう食事……」

 彼女がぼそりと呟くように言った。

「こういうって?」

 俺は鍋に水を入れて火にかけながら聞く。

「こういう……普通の食事。誰かに作ってもらった、当たり前の食事」

「いつもは……自分で作るんですか?」

 見たところ彼女の荷物は非常に少ない。小さなポシェットとリュックがあるだけだ。それもハンモックとかを入れたらそれだけで一杯になってしまいそうだ。鍋の一個も入りそうにはない。近隣に住んでいる人なのだろうか?

「いつもは……まあ自分で何とかしてるわァ……他の人に頼めないし。だからこういう普通のおかゆとか、懐かしくてね。子供の頃を思い出す」

「そうなんですね。もし何か食べたいものがあったら言ってください。材料さえあれば、何でも作りますよ」

「何でも?」

 その言葉に、彼女は笑った。その微笑みはどこか悲しげに見えた。

「その時が来たらお願いするわ」

「はい」

 その後俺は乾パンを食べ、彼女と一緒にお茶を飲んだ。コップはないのでお椀で飲んでもらった。

 彼女は特に気にする風もなく受け取りお椀で飲んでいた。気難しい人でなくて良かった。俺は見た目からして転移者っぽいから、それだけで毛嫌いされることもあるのだ。

 俺は食器類を軽く洗って片付け、彼女も荷物をまとめ終えた。

「じゃあ行きましょうか。カケーナでいいのよね?」

「はい。そこまでお願いします、アクリアスさん」

「フォルジナでいいわ。私もあなたの事はケンタウリと呼ぶから」

「あ、はい。分かりましたフォルジナさん」

 ここからカケーナまでは二十キロ程離れている。歩き通しなら昼過ぎには付くだろう。

 カケーナまでならほぼ一本道なので迷うことはないが、今いるのは東寄りの二番街道だ。魔獣が多く住んでいるハインエア山脈に近いため、魔獣に遭遇する危険性が高い。俺だけでは移動するのが躊躇われる街道だ。端的に言って、死ぬ可能性が高い。

 安全に進むなら森を抜けて西に進んで一番街道を進むしかない。その中間の森は魔獣除けの香草、イトゥマが植えられているので、魔獣が寄り付くことはほぼなく、かなり安全性が高いのだ。

 しかし今は彼女と一緒だ。よく分からないが滅法腕っぷしが強いようなので、魔獣が出てきても平気そうだ。それでも昨日のリザードマンの群れに遭遇したらどうなるか分かったものではないが、日中の移動をリザードマンを始めとするドラゴン系の種族は好まない。多分大丈夫だろう。完全に人任せだが、開き直るしかない。俺は弱いから戦力にはならない。





・誤字等があればこちらにお願いします。

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