第1話―3

 鳥の羽がついた鍔広帽を被っている。シャツの上に赤いベストを身に着け、ホットパンツみたいなほとんど丈のないズボンを履いている。靴に至っては厚底だ。白い肌が月明かりで照らされている。金色の髪は胸のあたりまで伸び、月の光を吸い込んだみたいに美しく輝いていた。

 場違いな……余りにも場違いな姿だった。街で見かけても、きっと目を奪われるだろう。悪目立ちしそうな格好。それに月の精のように美しい顔と、髪。それが何故こんなところに?

 ここは今や戦場だ。そうでなくても、ハインエア山脈が近くにあって危険度の高い地域だ。それもこんな夜中に、何故こんな所に? そして何と言った? トカゲを……片付ける?

 トカゲが素早く首を振り女性の方を向いた。ガラスの様な目玉が瞬きを繰り返す。トカゲも突然の闖入者に困惑しているようだった。

 しかしその逡巡は短い。トカゲは右手の剣を振り上げ、女性に襲い掛かった。

「危ない!」

 言わずもがなの事を俺は叫んでいた。そしてその叫びは、何の助けにもならない。

 白刃が月明かりを照り返す。リザードマンの剣が、振り降ろされ――。

 細く華奢な腕が伸び、その拳がリザードマンを真正面から殴り倒した。リザードマンの巨体が、楽々と後方に吹き飛んでいく。

 その女性は拳を突き出したままの姿勢で動きを止め、そしてゆっくりと体を戻した。リザードマンが剣を振り下ろすよりも速く、彼女の拳が放たれたのだ。

「リザードマン……トカゲを探してはいるけど、あなた達じゃないのよね。もっと大物じゃないと」

 女性はそう呟いて右の拳を握り直す。そして、俺に近づいてくる。

「そのエプロン……もしかしてあなた、料理人?」

 何とも間の抜けた質問……そう思った。こんな生きるか死ぬかの時に聞かれるような事じゃない。

「はい……討伐隊の……料理人です……」

 だが、俺は尻餅をついたまま答えた。俺は……夢でも見ているのか? この人がリザードマンを殴り倒した……そうとしか見えなかった。戦士たちを殺した狂暴なリザードマンが、こんな体の小さな女性に殴り倒せるわけがない。なのに、そのあり得ないことが起きた。

 この人は一体誰なんだ。冒険者や戦士とは違う格好。防具を身につけていないし、見る限り剣のような武器もない。それに言っていることも奇妙だ。トカゲを探している?

 リザードマンの咆哮が聞こえた。さっき殴られた奴は地面に倒れてぐったりとしていた。そいつは首が変な方向に曲がっていて、どうやら死んでいるようだった。吠えているのは他のリザードマンだ。

 その死んだリザードマンに他のリザードマンが駆け寄り、その死を確認して吠えているようだった。悲しみなのか、怒りなのか。分かるのは、その感情はそのまま殺意となってこちらに向いてくるという事だ。

 リザードマンの咆哮がそこかしこであがる。犬の遠吠えのように、仲間に合わせて吠えているようだった。そして一斉にリザードマンがこちらに走ってくる。剣と狂気を携え、緑色の殺意が殺到する。自分の顔から血の気が引くのが分かった。頭が真っ白になる。

「蟻がいくら集まったって、私は殺せないわよ。それとも、私に食われたいの?」

 女の人は微笑を浮かべていた。まるで聞き分けのない子供をあやすように、そして、足を踏み出した。

 リザードマンに殺される。

 そう思った。それ以外の結末なんてあり得ない。だって、ただの女の人が魔獣の群れを相手に何ができるっていうんだ?

 その女の人は地面に突き刺さっていた一本の槍を手にした。そして無造作に振りかぶり、投げた。

 音が、遅れて聞こえた。空気が爆ぜる音。そして彼女の正面にいたリザードマンの体が後ろに吹っ飛ぶ。腹から槍が生え、そして後ろにいたリザードマンをさらに二匹貫き、まるで串焼きのようになっていた。

 今の投擲だけで、三匹のリザードマンが死んだ。信じられなかったが、事実だ。しかし、リザードマンの群れは止まらない。

 彼女の左右からリザードマンが襲い掛かる。片方は剣。片方は槍。それを前にして、その女の人は――笑った。そう見えた。

 彼女の右の手刀が槍を叩き折った。そして右足を踏み込み、左の拳で剣を持ったリザードマンの顔面を打つ。打ったところは見えなかった。恐ろしく速い突きだ。攻撃そのものは見えず、その直後の姿勢と吹き飛んだリザードマンの姿からそう判断できるだけだ。

 槍を叩き折られたリザードマンは槍を捨て、鋭い爪の生えた手を大きく振り上げる。当たればただでは済まない。

 その爪に対し、彼女は逆に間合いを詰めた。上体はそのままの姿勢で足さばきだけで接近し、爪の攻撃を掻い潜り、そして右の正拳。肉を突き破る音が響く。

 リザードマンは吹き飛ばなかった。代わりに、拳が前腕の中ほどまでリザードマンの胸にめり込み、内側から押し出されるようにリザードマンの口から血が飛び出た。彼女が拳を引くと、リザードマンは力無く地面に倒れ込んだ。

 一撃、だった。それも素手で、殴っただけでリザードマンが死んでいる。あり得なかった。そのあり得ないことが、さらに俺の目の前で繰り広げられる。

 波のように襲い掛かるリザードマン達。剣、斧、槍、棍棒。おそよあらゆる武器がその女の人を襲った。そのどれもが空を切り、弾かれ、叩き落とされる。

 間隙を縫って拳や手刀が叩き込まれる。速く、強力な打撃。リザードマンたちはまるで示し合わせたかのように攻撃を食らい、そして倒れ込む。

 ある時は鋭く動き、ある時は緩やかに。厚底のブーツがステップを踏む。両手が次々と攻撃を叩き込み、同時に身を守る動きとなっていた。

 彼女は数歩の範囲でしか動いていなかった。その周囲に次々とリザードマンが折り重なっていく。骨を砕かれ、内臓をつぶされ、血を吐いて絶命している。いつしか立っているリザードマンは、三匹だけになっていた。

 リザードマンたちは互いに顔を見合わせていた。どれほどの知能があるのか知らないが、目の前の人間がただものではないことをやっと理解したのだろう。

「で、どうするの? 死にたいの? 殺されたいの?」

 彼女はしゃがんで足元の剣を拾った。

「古い剣ね……錆びてるし。年季が入ってるっていうか、どっかから拾ってきたの?」

 言い終わると、彼女は剣を放り投げた。

 彼女の正面に立っていたリザードマンの首を剣が刺し貫く。そしてリザードマンは膝をつき、前に倒れ込んだ。これで残るは二匹。

「逃げるか死ぬか、どっちがいい?」

 その言葉を理解したのか、リザードマンは踵を返し走り出した。選んだのは逃走。しかし彼女は剣と斧を拾い、逃げるリザードマンに向かってさっきと同じように投擲した。空を切って剣と斧が飛んでいき、背中から貫かれた二匹のリザードマンはばたりと倒れた。

 そして、静かになった。

 四十人の戦士の死体。そして二十匹ほどのリザードマンの死体。それらがバタバタとその辺に転がっている。ついさっきまで討伐隊の戦士は生きていた。罵声や怒号をありありと思い出せる。特に仲のいい連中だったわけではないが、一応は共にここまで来た仲間だ。そして一週間を共に過ごすはずだった。なのに……皆、死んだ。

「結局みんな死んじゃったのね? 来るのがちょっと遅かったわね。可哀そうに……」

 彼女は両手を払い、帽子のずれを直した。





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