第12話 待ち伏せ
車のヘッドライトが、砂利道を照らしながらゆっくりと発進していった。
暗闇に戻った駐車場を、現場小屋の明りがボンヤリと浮かび上がらせている。
(あれで、最後ね・・・)
純は駐車場に車が一台になったのを確かめると、通話ボタンを押した。
呼出し音が数回鳴った後、男の声がした。
「もしもし・・・」
純の胸の鼓動が、早鐘のように鳴っている。
喉の奥に詰った言葉を、搾り出すように言う。
「ボ、ボクです。黒崎です・・・」
「えっ・・どうしたんですか、先生・・・?」
意外な人の声に、安田の心臓もドクンと脈打つ。
「あの・・・忘れ物をして・・・。
小さな、バックなんですけど・・・」
安田は打合わせテーブルに目をやると、端の方に黒いセカンドバックを見つけた。
「黒い・・・バックですか?」
「そ、そうです。良かった・・・。
手帳とか入っていて、
明日の仕事に使うので・・・。
今、取りに行っても良いですか?」
「そんな・・・。
私がお届しますよ。
道も暗くて危ないし・・・」
純のマンションは現場の直ぐ近くにあり、丁度、真上から見下ろせるようになっていた。
現場は検査も終わり、後は文化ホールの廻りの一部の工事を残すだけになっている。
残った資材と共にブルドーザーやパワーシャベルが、建物を取り囲むように数台配置されている。
純の白い手が電話を握り締めたまま、汗ばんでくるのが解かった。
「いいんですか・・・?」
ロジャーに励まされて、遂に自分の想いを打明けようと計画をしたのだった。
いつも安田が現場に最後まで残っているのを知っていた純は、わざとバックを忘れて一人になるのを待ってから電話したのだった。
しかし、まさか安田の方から自分のマンションに来てくれるとは思わなかった。
安田も、夜に純のマンションを訪ねるという行為に、今更ながら興奮を覚えるのだった。
「ご、ご迷惑で、なければ・・・」
安田が来てくれる。
ただそれだけなのに、純の心は嬉しさに包まれるのであった。
「有難うございます。
では、お待ちしています。
九階の907号室です・・・」
そう言うと、名残惜しそうに通話を切った。
そして、直ぐに窓辺に寄り、現場を見下ろした。
胸の鼓動が激しく鳴っている。
喉が乾いてくる。
安田が来てくれる。
愛しい男が、マンションまで訪ねてくれる。
もう直ぐ、イギリスに帰る。
その前に、
今日はどうしても打明けなければならないのだ。
自分は・・本当は、女で・・・安田の事を愛していると。
だが初めての恋ゆえ、どうすれば良いのか皆目、見当がつかないのであった。
いきなり安田に抱きつく訳にもいかず、例え上手く打明けられたとしても安田の方から良い返事が貰えるか自信など無かった。
そう考えると胸が締め付けられるようで、冷たい汗が背中を伝うのであった。
現場事務所の明りが消えた。
純は固唾を飲んで見つめていた。
安田であろう男が一人、外に張り出した廊下から階段を降りてくる。
数個だけついている蛍光灯の明りが、男を照らしている。
その時、物陰から三つの影が近づいたかと思うと、男を囲み引きずるように資材置場の方へ連れていった。
「安田さん・・・!」
純は顔に両手を当てて小さく叫んだ。
そして直ぐに部屋を飛出していった。
※※※※※※※※※※※※※
二人がかりで羽交締めされた安田は、ジッと前に立つ男を睨んでいる。
男は腕を組んで、含むような笑いを浮かべている。
暗闇にようやく目が慣れてよく見ると、何時か現場事務所にやってきた坊主頭のヤクザであった。
「お前は・・・?」
他の二人に押さえられながら搾り出すように安田が言うと、坊主頭の男は勝誇ったように喋り出した。
「良い格好だな、所長さんよぉ。
おっと・・・勘違いすんなよな。
もう、別にお前さんに何かしてもらおうとは思わねえからな」
そしてズボンのポケットから皮の手袋を出すと、ゆっくりと手にはめていく。
「この頃、俺達の仕事もやり辛くてよぉ・・・。
おめぇみてーな、
フザケタ野郎が妙に突っ張るもんだから、
シノギが少なくなってなぁ・・・。
まー、今日の所は腕のニ、三本でも折っとけば、
他の現場への見せしめにもならからな・・・」
手袋をはめ終えると、舌なめずりをしている。
「よーく、解からせてやるぜ・・・。
ヤクザを怒らせると、どうなるか・・・な」
「そ、そんな事をして・・・
警察が黙っていると思うのか?」
安田は精一杯平静を保って言った。
純がこちらに来なくて良かったと思う。
何とかこの場は時間を稼いで
逃げる事を考えていた。
「バカヤロウ!
警察が恐くてヤクザがやれるかってんだ。
それに・・よ・・・。
俺達の後ろにはエラーイ議員先生がついてるんだ。
あんまり言う事を聞かないんで、
お前の会社を脅す意味も込めて、俺達ぁ依頼されてるんだ。
少々の事は示談にして、
揉消してくれるって寸法さ・・・」
安田の額に汗が流れてくる。
どうも、こいつらの言う事は本当のようだ。
余り悪質な業者は現場から締出していたのだが、そいつ等が政治家に働きかけてるらしい。
以前にも何度か、いやがらせの電話があった。
「なーに、本当にケガをさせるだけさ・・・。
命までは取らねー。
俺達もヤバイからな。
でもよー、この間恥をかかされた礼に、
タップリと恐怖を味あわせてやるぜぇ・・・」
そして背中にさしていた金属バットを、まるで時代劇の剣豪気取りで取出すと、サデスティックな笑みを浮かべている。
安田の喉が微かに上下した。
純の顔が頭を過った。
※※※※※※※※※※※※※
純は、懸命に走っている。
暗闇の中、歩道の街灯を頼りに一直線に現場に向かっていた。
思ってたよりも現場が遠く感じ、もどかしかった。
心臓が爆発しそうになっている。
頭の中は真っ白で、ただ安田の事だけを想い浮かべている。
(安田さん、安田さんっ・・・)
※※※※※※※※※※※※※※※
「おいっ、どうしたんだよ・・・?」
急ブレーキをかけられた助手席の男が、目を剥いて怒鳴っている。
後の三人も首を押さえながら、口々に文句を言っている。
「スマン、スマン・・・。
なーんか、設計のセンセイに似た人が、
走っていったように見えてなー・・・」
どれどれと全員が後を見たが、暗くてよく解からない。
「なーに、言ってんだー?
親方、頭おかしーんじゃねーかぁ・・・?
こーんな、夜中にセンセイがいる訳、
なかっぺー・・・・。
そんなの、どうでもよかっぺェ・・・。
それより早くいこーぜー。
今日は、落とせそうな気ぃが、
するんだぁー・・・」
「まーた、アケミかー?
おめー、騙されてるんだっぺー・・・」
どっと男達が笑うと、親方と呼ばれていた男はアクセルを踏み、ゆっくりと車を発進させた。
※※※※※※※※※※※※※※※
積込まれた型枠材の上に、うつ伏せの格好で安田は押さえられている。
左手を後に捻られ、右手を板からはみ出すように伸ばされている。
坊主頭が、楽しそうに素振りをしている。
ブンブンと風を切る音が、暗闇に響いている。
わざと、時間をかけることで、安田の恐怖をあおっているのだ。
安田の背中に冷たい汗が流れる。
「へっへっへ・・・。
さーて、そろそろ、いくかぁ・・・」
坊主頭が舌なめずりしながら近づく。
安田の頭をバットでゴリゴリと擦る。
金属バットの冷たい感触が、これから起こる恐怖を増幅していく。
「どーだ、気分は・・・?」
男はこのシュチエーションに酔っていた。
映画の主人公気取りである。
サデスティックな快感が湧きあがる。
坊主頭の声に顔を上げた安田は、刺すような視線を投げつけた。
「ほー、まだ強気じゃねーか。
やっぱテメー・・・なめてんな、ヤクザを?」
男が思い切り振りかぶった瞬間、安田は渾身の力を振り絞って腕を解くと、後の男に長い足で強烈な蹴りをいれた。
すかさず坊主頭に走り寄り、バットが振り下ろされる前にがら空きのボディーに重いパンチを見舞った。
不意をつかれた坊主頭は、顔をゆがめてバットを落としてしまった。
安田はバットを拾うと坊主頭の後に立ち、大きな声を出した。
「動くな・・・。
動くとコイツの頭をかち割るぞ」
坊主頭は余程ミゾに入ったのか、まだ苦しそうにもがいている。
蹴りを入れられた男もヨロヨロと立ち上がったのだが、どうして良いか戸惑っている。
安田がポケットから携帯電話を取り出して警察に連絡しようとすると、か細い悲鳴が聞こえた。
暗闇に目を凝らすと、もう一人の男に押さえられた純が現れた。
「せ,先生・・・?」
安田は電話する事も忘れ、呆然としていた。
その隙を逃さず立ち上がった坊主頭の膝蹴りが、安田のミゾ落ちに痛烈に入った。
「はうっ・・・」
腹を押さえてかがみ込む安田の髪を鷲掴みにすると、手袋をはめたゴツイ手で何度も何度も顔面にパンチを送り込んでいる。
見る見る内に安田の顔は腫れ上がり、鼻から大量の血を流している。
「安田さん・・・。
ヤメテ、ヤメテ下さい!」
尚もサデスティックな表情で、砂利道に倒れ込んだ安田の身体に蹴りを入れていく。
「テンメー・・・。
フザケタまねしやがってよー・・・」
安田が動けなくなるまで蹴り続けると、純の方に汗を滝のように流した顔を向けた。
「へー、こいつか、先生って・・・。
よく捕まえたな、お前・・・」
「アニキ達がヤバそうなんで、
どうしようかと思ってたら
コイツを見つけたんでさ・・・」
子分の男は得意そうに喋っている。
純は安田の元に駆寄りたいのだが、身体を押さえられて動けなかった。
安田は苦しそうに顔を上げると、腫れ上がった目で純を探した。
「安田さん・・・」
「せ、せん・・せい・・・」
坊主頭は安田の頭を靴で踏みつけると、砂利道にゴリゴリと擦りつけた。
「へっへっへっ・・・。
先生・・・か。
なーんか、ナヨッとして女みてーな野郎だなー。
そーだな、コイツの始末は後にして、
この先生って奴から可愛がってやるか・・・」
そう言うと、ニヤニヤ笑いながら純に近づいていく。
「ヤ、ヤメロ。
先生に・・・手を出すな!」
坊主頭はジャンパーのポケットから何か取出すと、子分の一人に渡した。
「おう、これで縛っておけ。
さっきみたいに暴れられたら、かなわんからな・・・」
それはビニールテープであった。
これで何重にも巻きつけられると、どんな力のある男でも決して解けない。
純は恐怖に引きつった顔で、安田の両手が縛られるのを見つめている。
「へー、顔も結構可愛いじゃねーか・・・。
本当に、女みてーだなぁ・・・」
黒い皮手袋が、純の白い顎を持ち上げる。
「おらー、両刀なんだよ。
これくらい可愛いけりゃ上等だ・・・。
ちょっとばかし寒みーけど、
今、興奮してっからな。
へっへっ・・・」
その言葉に安田が身体を動かすと、子分の一人が思いきり押さえつけた。
「ヤメロー。
そ、そんな事してみろ。
お前等を、ぶっ殺してやるぞー・・・」
気も狂わんばかりに暴れ出す安田に、子分も押さえつけているのがやっとであった。
坊主頭は舌打ちをすると、安田のボディーに強烈な蹴りをいれた。
「うぎゃっ・・・」
安田はモロに利いたのか、咳込むようにして苦しんでいる。
純は恐怖よりも安田の事が心配で、大きく目を開いて見つめている。
「うるせーんだよ、テメーは・・・。
黙って、みてろって・・・」
そして、興奮して赤くなった顔を純に向けて近づいていった。
「へっへっへ・・・。
何か、映画みてーだな。
だがよ、顔を見られた以上、絶対に訴えられない位、
恥ずかしい経験を味あわせてやるぜ・・・」
男の靴音が、砂利道をならしている。
純の身体を押さえている子分も、興奮から息が荒くなっている。
坊主頭の目は血走って、野獣のようになっている。
両手を縛られた安田は、もがく事も出来ず子分に押さえつけられている。
「せ、せん・・せい・・・ 」
一瞬、閃光が光った。
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