第11話 子猫ちゃん
『ザッツ、ビューティフル・・・。
サンキュウー。
ミスター、ヤスーダ!」
天然パーマの髪をなびかせて、安田の大きな身体を抱きかかえるようにしてロジャーが上機嫌で話している。
この間とは打って変わって愛想の良いロジャーに、戸惑いながら引きつった笑みを浮かべている安田の隣で、純が半ば膨れた表情で通訳をしている。
「この石の配列はどうだい?
ちゃんと目が揃っているよ・・・。
こんなに広くて大きな壁なのにね。
やっぱり日本人は大したものだ・・・」
ロジャーの手放しの褒め様に黒崎豊も苦笑いをしていたが、成る程、精度良く施工されていて、当初のデザインイメージよりも格段に良い出来映えであった。
特に純が現場で手を加えたのか、微妙に組み合わされたコーディネートが印象的で様々な空間が新鮮なイメージで表現されていた。
今日は文化ホールの竣工検査をしている。
勿論、設計者の検査の前に、安田の勤務する建設会社の方で入念なチェックを行い、今年の代表作として相応しい出来映えになっていた。
純も最初の内こそ、安田と衝突しながら取り組んでいった現場であったが、後半からは二人の息もピッタリと合い、イメージが良い方に膨らんで会心の作品になって喜んでいる。
安田は生涯の中で、一番誇らしい気持ちになっていた。
憧れの黒崎豊の設計した文化ホールを、様々な障害に会いながらも何とか竣工にこぎつけ、その間に純と組んで設計変更を繰り返しながら進めた工事は終始、充実していた気がする。
この検査が無事に終了すれば、後は竣工パーティーを開くだけである。
それまで一ヶ月もなく、その後、純はイギリスに帰っていき、安田も新しい現場に移るのだ。
純は妙に安田にベタベタするロジャーにむくれながらも、まもなく別れなければならない事に寂しさを憶えている自分に、今更ながら気付くのであった。
離れたくなかった。
安田に、自分の気持ちを打ち明けたい。
二十六才にして知る、初めての恋であった。
見上げるように高い、安田の身長。
逞しい背中。
優しい眼差し。
何もかもが、純の心を捕らえて放さなかった。
だが、どうすれば良いと言うのだ。
純は、この現場で男として振舞っていた。
安田も当然、そう信じているだろう。
アブ・ノーマルな両親の元で育った純は、女である事に対して無意識に拒否反応を示していたのかもしれない。
幼い頃から男の子の格好が好きで、ママであるロジャーと同じように振舞っていた。
さすがに大人になるに連れ、身体の変化から女である事を意識し始めたのだが、相変わらずスカート等、履いた事がなかった。
父である黒崎豊から日本の保守的な風習を聞いていたので、女である事が知れると侮られると思い、バストもサポーターで覆って、男で通していたのだ。
父もロジャーもその事には賛成で、現場の近くにマンションを借り、東京にあるKアンドMの支社と現場を往復する日々を過ごしていた。
そんな自分が、今更女だと安田に打ち明けても驚きこそすれ、とても恋心までは受け止めてもらえるとは到底思えないのであった。
嬉しい筈の竣工検査も、ロジャーのはしゃぐ表情とは対照的に曇っていく純であった。
※※※※※※※※※※※※※
後一ヶ月もしない内に、純がいなくなる。
手の届かない所にいってしまう。
一年余り共に仕事をしてきて途中、自分のアブ・ノーマルな想いに気が狂いそうになったが、もう今では素直に純の事を好きだと思っている。
純にしか感じないのだから、仕方が無いのだ。
いけないと思いつつも、純の顔を思い浮かべながら自分を慰めていた。
熱いものほとばしらせた後も、繰り返し純の名前を心の中で呼んでいた。
しかし、この想いを打明ける訳にはいかない。
相手は前途ある、エリート建築家なのである。
最近になって優しい眼差しを返してくれるようにはなったが、所詮は男同士なのである。
こんな事が表沙汰にでもなったら、それこそ純も自分の人生もどうなるかわからない。
ここは、日本なのである。
この手の事に寛容な欧米でさえ差別的な目で見られている。
まあ、自分の恋が実る事はありえないにしても、この想い出は壊さずに大切にしていたかった。
純と安田はそれぞれ自分の想いを胸に秘め、切ないため息を繰り返すのであった。
※※※※※※※※※※※※※
「とても素敵だったわ・・・」
ロジャーは身体を投出すようにソファーに座ると、後を振向いて豊に笑顔を見せた。
豊は満足そうに近づくと、ロジャーの肩に手を廻しながら座った。
純は向いの席に力無く俯いたまま、ため息をついている。
「どうしたんだい純、元気ないじゃないか。
あんなに良いデザインだったのに・・・」
心配気な豊に、ロジャーは含むような笑いを浮かべて囁いた。
「妬いているのよ、ジュンは・・・。
私が安田にベタベタしたから・・・」
純はハッと顔を上げると、ムキになって言った。
「そ、そんな事・・・・・・。
何で僕が、安田さんにヤキモチ妬かなけりゃ、いけないのさっ・・・。
ロジャーじゃあるまいし・・・」
「ママ・・・でしょ?」
ロジャーは純の隣に座ると、肩を抱いて囁いた。
「素直じゃないんだから、ジュンは・・・」
豊はジッと二人を見つめている。
「ママは、何でもお見通しよ。
今日は挑発するようで悪かったと思うけど。
ああでもしないと・・・
ジュンは・・・
自分の気持ちに正直になれなかったでしょう?」
ロジャーの言葉が図星だったのか、純は急に顔を赤らめてしまった。
ロジャーは純の頭を引寄せて自分の肩に乗せると、髪を優しく撫上げながら続けた。
「ゴメンね、ジュン・・・。
私が豊の奥様からアナタ達を奪ったから・・・。
ジュンも普通の女の子のように、
なりにくかったのね?」
純が顔を上げようとすると、ロジャーの大きな手で押さえられてしまった。
「聞いて欲しいの・・・。
ジュンは可愛いわ。
どんな女の子にも負けないくらい・・・。
でも女は恋をしなきゃダメ・・・。
私も豊も、日本に来て驚いたわ。
見違える位、ジュンは綺麗になっていた・・・。
格好は男の子みたいでも、
すごくセクシーだったわ・・・」
ロジャーの腕に力がこもる。
「だから・・ね・・・。
恐がっちゃあダメなの。
待ってても、
恋は向こうからやって来ないわ・・・。
安田は良い男よ。
豊の次に、ね・・・?」
ロジャーと目が合うと、豊は微笑んだ。
純はロジャーの広い胸に、顔を埋めるようにして聞いている。
目から涙が滲んでいる。
(ママ・・・)
《う、うーん・・・(笑)》
※注:作者の声です
「イギリスに帰るまであと一ヶ月もないわ・・・。
豊と私は直ぐに出発して国際コンペの仕事に取組まなくちゃいけないし、
ジュンの力にはなれないのよ・・・」
そして、ジュンの顔を両手で包むようにして瞳を見つめている。
「自分に正直になりなさい・・・。
欲しいと思ったら自分で奪い取るのよ」
純の大きな瞳が潤んでいる。
「逃げちゃダメよ。
安田の事・・・
好きなんでしょ・・・?」
純はコクンと頷いた。
涙が溢れてきている。
「あのホールを見てて解かったわ。
アナタ達二人はとても良い仕事をしたのよ。
自信を持って・・・。
私と豊が惹かれ合ったのも、
お互いのセンスに感じたからなの・・・」
「ママ・・・」
そして父の顔を見た。
豊は照れくさそうに笑っている。
純は再びロジャーの広い胸に飛び込んだ。
ロジャーは黒髪を被せるように、純の頭に頬を寄せている。
「おお、ジュン・・・。
私の可愛い・・・子猫ちゃん・・・」
三人の愛がリビングに溢れている。
世の中のどんな愛よりも、清らかで美しい。
《・・・と、思う(笑)》
※注:作者の声です(くどい?)
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