第10話 星空

「まー、先生。

グーと、やって下さい・・・」


石材屋社長の兼松が、しきりに酒を進める。


「お前等もホラ・・・。

ドンドン、お注ぎせんか・・・」


香水の匂いをプンプンさせた、ボディコンのネエサン達が純や安田の両脇からビールやウイスキーを注いでいく。


淳は白い頬を赤く染めながら、少しずつ口をつけている。

安田はその様子をハラハラしながら見つめているのだが、次から次へと作られる水割りに自分も酔っていってしまう。


「遠慮せんで下さい。

この子らは今夜、一晩中付き合いますよって、

可愛がってやって欲しいんですわぁ・・・。


ほらー、ユミ。

所長さんのグラスが、空やどぉー・・・」


安田と純は、岐阜にある石材工場に製品の検査に来ている。

建設中のロビーにふんだんに使用される大理石や御影石は、総額10億円にものぼるのだった。


この不況下で苦しんでいた石材屋も、久しぶりの大口注文にホクホク顔で接待をするのである。

ただ、何せ一代で会社を大きくしただけあって接待も余り品が良いものではなく、工事関係者と言えば酒と女をあてがえば良いと思いこんでいた。


《実際、自分が好きなんですな・・・(笑)》


コンパニオンの女達も自分の趣味でケバイのばかりで、何の事はない、いきつけの店のホステスを呼んでいるだけなのである。


「ホラ、先生も触って、触って・・・」

「キャー、もう、社長のスケベー・・・」


薄暗いテーブル席で、兼松がコンパニオンのお尻を触るのを純は目を点にして見ている。

女達はキャーキャー騒いでいる。


「ホンマこいつら、

こういう事しか役にたたへんのやから。

ドーゾ、遠慮のぉー・・・。

ほら、センセ・・触らんと損やでぇ・・・」


安田はステージでカラオケを歌っていたのであるが、純の事が気になっていた。

一行は2次会として、コンパニオン達が普段勤めているスナックに流れてきていた。

日本式の接待を初めて経験した純は、香水とタバコのむせ返るような匂いの中、呆然と座っていた。


「ヨーヨー大将。

最高、最高だぎゃー・・・」


大阪出身の兼松は、岐阜弁も交えて怪しい方言を使って騒いでいる。

どうせ歌など全然聴かずに、女の尻ばかり触っていたくせにと思いながらも、安田は頭を下げて戻ってきた。

すかさず熱いオシボリを差出す女が、しだれかかるように言った。


「イヤー、素敵やわー・・・。

この人、背も高いし、渋い声でアズサ、

惚れてもぉーたわー・・・」


そして安田の頬に、真赤な口紅の跡をつけた。

純はその様子に目を丸くしている。

安田は慌てて女を払いのけると、オシボリで頬を拭いている。


「イヤー・・・。好かーん・・・」


女は悔しそうに安田のオシボリを取り上げると、尚も体を押付けるようにしてくる。


「所長も冷たいなー。

アズサ、可哀想にのぉー・・・。

こっちゃ来い。

ワシが可愛がったる・・・」


「エーのよ。

このニヒルなとこが好きなんやから・・・。

それに、社長はスケベやから嫌いやもん・・・」


女がそう言うと、廻りの女たちがゲラゲラ笑って、はやし立てている。


「何言うか。

スケベで何が悪いんや?

ワシャ、可愛い女が大好きなんじゃ・・・。


先生、スンマセンなー・・・。

ワシ、下品やからぁ・・・」


真赤に酔った顔で言う男に、純は引きつった笑みを浮かべている。


「おやー・・・?

先生の手えも、白おて綺麗やなー・・・。

ユミの手えなんぞより、よっぽど美しいわ・・・」


兼松が純の細い手をムンズと掴み、隣の女の手と比べて嬉しそうに喋っている。

安田の胸にズキンと衝撃が走り、食い入るように見つめている。


「ホンマや、綺麗な手ぇ・・・」

ユミも社長に合わせている。


「そーやろー?

ホンマ男にしとくの、勿体無いわ」


そして純の指を、節くれだった手で撫でまわしていく。


「や、やめろ。

バカヤロー・・・!」


安田が思わず立ち上がって怒鳴った。

一瞬、テーブルの廻りがシーンとなったが、ユミが機転を利かせておどけるように言った。


「もうっ、社長・・・。

安田さん、怒ってるでしょう。


先生は社長と違ってぇ・・・上品なんやから。


でも所長・・・。

目ぇがマジよー。

ひょっとして、その気・・・あるの?」


これにはみんなが受けて、ギャーという悲鳴に近い笑いが巻き起こった。

兼松も安田の余りの剣幕に酔いが覚めたが、ユミに助けられて、ほっとした様子であった。

そして脂ぎった額に手をやりながら、頭を下げて言った。


「いやースンマヘン・・・所長。

ちょっと調子にのり過ぎましたわ・・・。

お願いやからウチを外すなんて

言わんといて下さい・・・。

この仕事、のーなったら、首括らなあかん」


おどけた目で女達を見ると、どっと受けてはしゃいでいる。


「さー、機嫌直して唄でも歌って下さい。

ホラ、ユミ・・・。

お前、センセーとデュエットせいや」


「キャー、うれしいー。

私、センセイみたいな人タイプやのー・・・。

アイドルみたいに可愛いんやもん」


ユミが手を取ろうとすると、純はヤンワリと断りながら言った。


「スミマセン。

すこし・・疲れたみたいなので

ホテルに帰りたいのですが・・・」


「そんなー、夜はこれからやないですか。

お願いしますわ、一曲だけでも・・・」


拝むように言う兼松に、安田がソファーの後から有無を言わせぬ口調で囁いた。


「オイッ、いい加減にしろ。

先生はこういう所に慣れてねーんだ・・・。

あんまりシツコイと本当に、

他のメーカーに変えるぞ」


安田の真剣な表情に青くなってしまった。

ユミがすかさず機転を利かして、肩を落としている兼松の腕を取ってステージに向かった。


「ねえ社長、私とデュエットしよ・・・」


そして後を振り返り、安田にウィンクをした。

安田は他の女達に伝言を残して、純と一緒に店を後にした。


「スイマセン、先生。

疲れたでしょう・・・?

ホテルまで、お送りしますよ・・・」


そう言うと、安田はタクシーを停めようと手をあげた。


「あっ・・いいですよ、安田さん。

僕・・・歩きたいんです。

酔いも覚ましたいから・・・」


「そうですか。

じゃあ、私もお付き合いしますよ。

ホテルまで歩いてもスグだし・・・」


大通りを1km程行った所に、ホテルのサインが光っている。

車が少なくなった通りは歩道も広くて、街路樹に切り取られて夜空が満天の星をたたえていた。


「綺麗・・・」


白い息と共に吐き出された言葉は、その瞳の輝きと同時に、安田の胸にキューピットの矢のように突き刺さってしまった。


愛している、と思った。


今の一言で、純に対する想いに抵抗する事を止める決心をしたのだ。

安田の眼差しはハッキリとした意思を持ち、優しい光を宿して純に注がれるのであった。


その視線を純もくすぐったく、そして暖かく感じながら受けとめるのである。

コツコツと、二人の靴音が夜の街に響いている。


時折通り過ぎる車のヘッドライトが、二人の影を歩道に落としていく。

重なった影に一瞬二人は顔を赤くして、視線を合わせた。


その時、二人は時間の襞を頬に感じた気がした。


【あの・・・】


同時に出された言葉が、二人の顔を綻ばせた。

安田が笑顔で促すと、純がオズオズと話す。


「もう、一年・・・経ちますね?」

二人は靴音を合わせるように、歩き出している。


「そうですね、早いな・・・。

もう一年になるのか・・・」


次の言葉を捜すように、二人は歩いていく。

ホテルの明りが近くなってきた。


「今まで・・・」


純が言葉をつなごうとした時、安田が立ち止まり食い入るように見つめてきた。

純は言葉を続ける事が出来ずに、ポーと男の顔を見上げている。


ホテルの前の噴水が、様々な形と色を光と共に変化させて水音を立てている。

二人のシルエットが、イルミネーション越しにグレーに落ちていく。


純はフト我に帰ると顔を赤らめて目を伏せ、白い歯をこぼして囁くように言った。


「ありがとう・・・オヤスミナサイ」


そしてホテルの中に駆けるように入っていった。

安田は後ろ姿を見送りながら水音を聞いていた。


噴水に反射された細かい光のシャワーが男を包んでいる。

寒い夜の筈なのに男は暖かさを感じていた。

その場にじっと立ち尽くしたまま呟いた。


「オヤスミ・・なさい・・・」


星の瞬きが、月の光を消していく。

風が、男の襟元を通り過ぎていく。


冬も終わり間近の、夜の事であった。


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