第7話 所長
腹の底から搾り出すような声で、男が歌う。
若い部下達が、テーブルの上の料理をつまみながら喋っている。
「オイ、所長・・・
これで十曲目だぜ・・・」
所長のオゴリであるので帰る訳にもいかず、いい加減な拍手をしながら酒を飲んでいる。
ここ数日、安田はカラオケボックスに通いっぱなしであった。
何かしていないと、気が狂いそうだった。
夢中で歌っていると何もかも忘れられて、何とか精神のバランスが保てる気がした。
いつもは一人でこもって歌いまくるのであるが、今夜は現場のコミニュケーションを兼ねて、所員達を連れて来ている。
「所長も、この頃変だよなー・・・」
一人が、から揚げを毟り取りながら言った。
「そー、そー・・・。
黒崎先生の事、妙に意識しすぎだよなー・・・」
もう一人が飛びつくように答えている。
「あっ、お前もそう思う・・・?
あんなにケンカ越しで打合わせしといてさー。
その後は先生の指示以上に図面を直させるんだぜ。
俺、よく解かんねーよ・・・」
最後の一人が、待ってましたとばかりに言う。
「もしかして所長、先生の事・・・」
そこまで言うと、三人は吹き出してしまった。
「ギャハハハハ・・・。
ま、まさか・・ア、アハハハ・・・
じ、冗談キツイよぉ・・・。
あー、腹イテー・・・」
「で、でもさー・・・クックック・・・。
黒崎先生って・・何か、こう・・・
ナヨッとしてて・・可愛くないか?」
「お前、その気あんじゃねーの・・・?
ア、アブネー・・・」
「うん、俺大丈夫。
両方、いけそぉー・・・」
再び爆笑が起こり、三人はゲラゲラ笑っている。
「でも所長、クソ真面目な所あるから・・・
案外その気はあるのかも・・・?」
「まー冗談はそのくらいにして本気で心配だよな。
何かこの頃、頬もこけちゃってるし、
かなりヤバイ業者も来てるみたいだし・・・」
それぞれが急に真面目な顔に戻っている。
「この間もヤクザみたいなのが来て、
変な商品を売りつけてたもんなー・・・」
「所長、何でも受けて立っちゃうから・・・」
三人は、いつの間にかシンミリと飲んでいた。
何だかんだと言っても、安田の事を慕っているのであった。
安田は信条として、一つだけは守っていた。
それは自分に嘘をつかない事であった。
裏返して言えば、他人に対しても誤魔化しや嘘を言わない事である。
部下達にも分け隔てなく接し、自分に出来ない事等を決して押付けたりはしなかった。
建築現場というところは、色々な人達が働いている。
黒崎みたいなエリート先生や設備業者、はたまた出稼ぎの職人さん達まで、多種多様な人間を取りまとめていかなければならない。
大袈裟の言えば小さな組の親分みたいな度量を所長は要求される。
そういった状況で、面倒な事を部下達に押付けて逃げるのは簡単ではあったが、安田は決してそうはしなかった。
一つ一つ真正面からぶつかっていくので、部下達も男気を感じて、ついていくのである。
職人達も特殊で面倒なデザインに不平はあるものの、いつも遅くまで現場に残って、丁寧に指示する安田に一目置くようになっていた。
現場内では、安田と純とのやり取りをオモシロ半分に茶化したりするのだが、内心ではスタッフ達のために真剣に思ってくれている事に感謝しているのであった。
歌い終わって戻ってきた安田は拍手と歓声で迎えられると、ソファーにドカッと座った。
「あー、歌った歌ったぁ・・・。
オイ、お前達も何か歌えよ・・・」
そう言うと、グビリと水割りを飲んだ。
「じゃあ村山、いってきます・・・」
「待ってましたー・・・」
村山が歌うのをボンヤリ眺めながら安田は思った。
(別にコイツラには何も感じないんだよな。
完璧にホモって、訳でもないんだけど・・・)
「所長、どうしたんすか?
ボーとして・・・」
部下の一人が、水割りを作り直して言った。
「高瀬・・・
お前、黒崎先生の事どう思う?」
さっき、みんなで話していた事を聞かれて、少しうろたえながら答えた。
「えっ、い、いやー。
どうって・・・その、
大人しい割には鋭いなー、なんて・・・」
安田が真剣な目で聞いている。
「でも結構俺、この現場好きっすよ・・・。
設計変更が多くて施工図を書くのは大変だけど、
ヤリガイがあるし・・・。
変な手戻りは少ないし・・・。
段々形が出来てくるとヤッパ、カッコイイなと思うし・・・」
高瀬の言葉に安心したような顔で、安田は言った。
「そーか、お前等にも残業ばかりさせて悪いと思っていたんだ。
でも確かに面白いよな・・・。
色々面倒な事は言ってくるけど、
細かい所なんか、こっちに任せてくれるし、
結構、現場を立ててくれるもんな・・・。
あっ、こんな事言うなよな、先生に・・・」
高瀬は所長の言葉を聞いて可笑しかった。
何だかんだと言っても、やはり所長は仕事が好きなのである。
建築は面倒な事が多いが造っていて喜びを感じる。
自分が独身で気楽なせいもあるが、今の現場は何かの合宿みたいで、しょうにあっていた。
村山が歌い終わると、次々に後に続いた。
喋って飲んで、笑って・・・。
それなりに、楽しい夜がふけていく。
安田のストレスも、少しは和らいでいくようであった。
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