第2話 建設現場
「これは・・・ダメですね」
黒崎純は書類に目を通した後、パサリとテーブルの上に落として言った。
短く刈り込んだ髪が、横に分けられている。
キリッと整った眉毛の下から、長めの睫毛と鋭い視線を投げつける瞳を見せている。
細身の身体をグレーのスーツで包み込み、アクセントのブルーのネクタイを締めている。
大き目の黒ブチのメガネのレンズを、冷たく反射させている。
「何故です・・・?
あれだけの設計変更を飲んでるんですよ。
こ、これぐらいの・・・減額案を認めてくれても・・・」
今まで何十回となく繰り返されてきた言葉を、安田啓二は搾り出すように言った。
「設計変更ではありません。
現場でのデザイン指示です・・・」
これも同じセリフを機械のように弾き返していく。
二人の会話を、現場のスタッフ達はヤレヤレといった表情で眺めていた。
この文化ホールの建設が始まってから半年も経つというのに、二人は相も変わらず喧嘩越しに打ち合わせをしている。
イギリスの設計事務所「KアンドM」から派遣されてきた男は、時折、流暢な英語を使いながら、この現場を支配していった。
安田は学生時代からの憧れであった黒崎豊とそのパートナーであるロジャー・モリスと共にこの男を紹介された時、黒崎の仕事が出来る事に無上の喜びを感じて、固い握手を交わしたのではあったのだが。
安田の期待に反して、実際の現場を担当するのは息子である、この「純」という一見、女のような若造が担当すると聞いて、失望と共に怒りを感じていたのである。
純は世界的有名な建築家である黒崎豊の一人息子で、イギリスの名門AAスクールを優秀な成績で卒業していた。
多くの名建築家を生み出している大学での卒業製作は、斬新なデザインとアイディアで、専門家の高い評価を受けていた。
今回のホールの設計においても、かなりの部分の設計を担当しているらしい。
工事が進行するにつれ、欧米式のドライで割り切った態度に、日に日に不満が募っていくのであった。
最初から先入観を持って接したため、どうしても嫌な事にばかり目がいってしまう。
(いくら有名大学を出ているからといって、
まだ二十五才の若造じゃねーか・・・。
図面もロクに書けないヒヨッコに、
舐められてたまるか・・・)
まるでライバルに対するように突っかかっていくのだが、若いのに似ず口も達者で日本語で丁寧に応接してくるかと思うと、急に英語でまくし立て、結局は押し切られてしまう。
現場においては設計者の指示は絶対であったのだが、余り変更が多いと赤字になる。
現場の監督は利益が最優先なのだ。
建築会社の利益というものは、現場監督の裁量による所が大きい。
請け負った工事金額の範囲内でメーカーや下請けに払う費用を、如何に安く抑えるかに掛かっている。
要するに安い材料を使ったり、面倒なデザインを省いて建築コストを低くする事が、儲けを出すための一番の早道なのだ。
もっとも、今回の工事は有名建築家の設計とあって、余裕のある工事費で契約されていたので設計者の注文はそれ程、無茶なものでは無かったのであるが・・・。
安田自身もその事は十分承知しているのだが、純の生意気な態度と、会社の上司からの命令でかなりの利益をあげるよう、プレッシャーをかけられて焦っていたのだった。
しかも、今回のケースは仕事を紹介した国会議員への政治献金(注)が会社の予算に盛り込まれていて、実際の工事金額よりもかなり安くしなければ、黒字にならなかったのだ。
※ 注)現在ではこのようなことは、ありません。
バブル崩壊後の当時、
この手のスキャンダルは多かったようですが。
あくまでも推測なので、御容赦願います。
以前、新聞を賑わせていたので御記憶のある方も多いと思うが、ドラマに出てくるように菓子折りに現金を忍ばせる等という賄賂は行われない。
建設会社や政治家も表立った事はしなくなっている。
それではどうするかというと、工事を発注するメーカーや下請け会社に支払う金額に献金分を上乗せして、伝票を偽造するのである。
その金は極秘に政治家の懐に流れる。
(これも推測ですが)
例えば、メーカーの子会社の役員が政治家の秘書であったりするなど、二重三重のルートを介して金が渡っていくのである。
露骨な地元メーカーの代理店等はそれだけで会社を運営していて、粗悪な品を売りつけて尚且つ法外な値段を吹っかけてくる。
バックに大物政治家がついている自信と、半ばヤクザな商売のやり方で強引に取引にやってくる。
安田本人としては建築が好きで、本当は設計者と共に良い物を作っていきたい。
だが、連日訪れてくる業者との板挟みから、仕方なくこうした口論になってしまうのだ。
それでも持ち前の頑張りで何とか設計変更をこなしてくれる安田に対して、最近は純も評価し始めてはいるのだが、その気持ちを顔に表すでなく、相変わらず冷たい口調でやり取りをしている。
安田としては昨夜も炬燵で眠ってしまう程、書類と睨み合いながら作った報告書をこうもあっさりと却下されると、再び怒りが込上げてくるのであった。
「解かりました。
やればいいんでしょう?
でも、これからの設計変更は絶対に受けつけませんからね」
小さな目をこじ開けるようにして言う安田に純はクスリと笑うと、これも又同じセリフを返すのであった。
「設計変更・・・ではありません。
現場でのデザイン指示です・・・よ」
長い睫毛の下の瞳がキラリと光る。
安田はその一瞬の輝きにドキリとし、思わず俯いてしまった。
耳の付根まで真っ赤になっている。
それを気付かれぬよう急いでヘルメットを被ると、一言残して出ていった。
「現場の見廻りに行ってきます・・・」
冷たい風が、火照った顔にあたる。
身体全体が風邪でもひいたように熱い。
(ダ、ダメ・・だ・・・。
何で・・・何でなんだ?
こ、こんな・・・)
安田は自分が信じられなかった。
情けなくて、涙が出てきそうであった。
自分はノーマルな男である筈だ。
大手建設会社に就職して、順調に出世した。
まだ三十二才の若さで、現場を任されている。
世間の人は意外と知らないのだが、ゼネコンの施工者は名門大学出身者が少なくない。
かくいう、安田もT大の工学部出身で、そこらの銀行マン等、吹っ飛ぶほどの学歴だ。
たまたま設計の道を進まず施工者を選んだのだが、頭の切れは抜群である。
だから、建築への情熱は設計者よりも強い。
しかも世界的に有名な建築家である黒崎豊の設計なのだ。
会社の役員からも、代表作となるように強い励ましを受けている。
なのに・・・である。
安田は鉄筋が無数に伸びている建築現場に足を踏みいれると、ため息をついて辺りを眺めた。
まだ構造体は出来あがっていないが、完成後の形態が容易に想像出来る位には組みあがっている。
複雑な形は、施工者泣かせのデザインである。
安田は足場の途中に落ちている工具を拾い上げると、大声で叫んだ。
「こらー、ここに工具を置きっぱなしにした奴はだれだー?」
声が裏返っている。
職人の一人が慌てて駆けつけて、頭を下げている。
仲間の所へ戻ってくると、おどけるように言った。
「おー、恐えー・・・。
みんな気ぃつけろ。
今日は所長、機嫌が悪いぞぉ・・・」
直ぐに別の一人が、強い地方なまりでやり返す。
「設計のセンセーが、来てるんだっぺぇー・・・。
まーた、ケンカしたんだべぇー・・・。
普段は、やさすぃ人なんだがなぁー・・・」
現場の中ではもう、有名になっている。
設計者がイギリス在住のエリートで、しかも女と見間違える程の美青年なのだ。
男ばかりの殺伐とした現場では黒崎純が見廻りする時などは、知らず知らずの内に注目されているのだった。
「あーの、センセー。
本当に、男なんかなぁー・・・?」
職人の一人がにやついて言った。
「バーカ。
お前も相当たまってんなー・・・。
どだ?
今日は一発、くりだすかー・・・」
ゲラゲラと、野卑た笑いをあげている。
安田は職人達の笑声を、苦々しく聞いていた。
(本当・・溜まってんのかなー、俺・・・。
何で、あんな夢を見なきゃあいかんのだ?)
安田はこのままでは、気が狂いそうだった。
(今日は俺も・・繰り出すか・・・)
足場の手摺にもたれながら、一人呟くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます