第5話 借金90,000,000ゴル
超・高級娼館『紫苑の館』の朝は結構早い。
ついさっき与えられたベッドに倒れ込んだはずが瞬き一つでドアが開けられ驚いて目を開くと見知らぬお婆さんが三人で入って来た。
「おや、あんた誰?」
一人の小柄で痩せたお婆さんが私を見て言う。時間を確かめるともう六時、三時間しか経ってない。
「あなたこそ、誰?」
まだ寝ぼけてハッキリしない頭で問います。私の部屋に勝手に入って来たクセに堂々として偉そうな感じだ。
「そりゃ私らはここの掃除婦さ。ここで寝てるって事は新しい
「こんな痩せポッチ誰も買わないよ」
「髪、ボサボサ」
「新しい下働きかい?だったら早く起きな、時間だよ時間!」
「グズはいらないのよ」
「やめさせる?」
小柄で痩せた婆さんパティを筆頭に、ノッポの婆さんルー、ポッチャリの婆さんノーマと三人とも簡単に自己紹介してくれたがどうやらここの掃除婦らしい。
私はそこで言い渡されていた命令を思い出した。
「そうです、今日から働かせて頂く新人アメリです。宜しくお願い致します」
慌てて起き上がるとペコリと頭を下げた。
「やっぱり新人だった」
「こんな物置で寝るなんて新人しかないわ」
「ほらこれ持って」
婆さん達は直ぐに私を受け入れるとバケツと雑巾を押し付けた。
えっと、もう働くのか。起きて一分でどこキレイにすればいいかな。
紫苑の館は二部構成で営業を行っている。夜の七時の営業開始と共に受け入れるのは所謂ご休憩、最高三時間という制限をつけられ娼婦とお戯れになる事が出来る前半のスタンダード営業と呼ばれるコース。
気軽で割安な代わりに人気がある娼婦はいない。新人やそこまで人気のない者達はここで客あしらいの腕を磨き指名を勝ち取ればスイートへ昇格出来る。
指名が二人以上つけば営業は後半のスイートからのみになる。スイートは十一時から、ひと晩娼婦を独占出来る泊まり指名の客が殆どで、基本は予約制。勿論娼婦に予約がないときはスイートの資格があり指名を決めていない客も受け入れる事が出来るがスタンダードの娼婦よりはお高い。
予約の優先は先に指名を開始した方に権利がある。初めて指名をした客は一番客と呼ばれ娼婦にとっても店側にとってもありがたい金主だ。指名がつけばつくほど娼婦の価値はあがりそれに比例して値段があがる。
ここ紫苑の館で一番人気はシャーリーという黒髪が美しい娼婦だという。
「奥は昼前まで延長の客がいる部屋だから近づかないのよ、特にシャーリーの仕事部屋は昼過ぎまで近づくんじゃない」
先輩掃除婦ルーが一緒に拭き掃除しながらここで働く為の詳しい事情を教えてくれ指導してくれる。
朝イチはまだ泊まりの客がいるから目につくところは後。先ずは庭を掃除し、玄関から入ってすぐの前室(娼婦を選ぶ部屋)の掃除をし、泊まり客が帰ったら直ぐに客室の掃除、終わったら手早く朝食を取り、私はそこから厨房で手伝い開始。三婆はそのまま泊まり延長の客が帰った客室の掃除。掃除の合間に娼婦達の風呂の準備をし食事を厨房横の食堂に運び娼婦達に食べさせ片付ける。
昼食が全員に行き渡り後片付けをして私も忙し過ぎて味がわからないながらも食べ終えると仮眠を取るように言われ、部屋へ帰った記憶もないままに気がつけば夕刻過ぎだった。
連続睡眠四時間……ブラック過ぎない?
叩き起こされマダム・ベリンダ部屋へ来るようにユリシーズに言われて後をついて歩く。
「ふらふらするな、これからしっかりマダム・ベリンダのお世話をしろ。全く上手く取り入りやがって、直接マダムのお肌に触れるのだから細心の注意を払えよ。少しでも傷をつければここに来たことを後悔させてやるからな」
廊下を進むユリシーズが振り返り睨みつけながら忠告してくる。
「わかっています。マダムがお辛そうだからマッサージして差し上げたいだけです」
それに後悔なんてとっくにしている。今はまだ娼婦として扱われないだけ
ユリシーズはどうも私が気に入らないらしい。マッサージという聞き慣れない言葉でマダムを惑わせているとでも思っているのだろう。
マダムの部屋へつくと早速ホットタオルを用意し肩を温める。
「本当にマッサージって気持ちいいわね。それに昨夜は何時もよりよく眠れた気がするわ」
昨日よりもほんの少し顔色が
そうだよね、肩こりって本当に辛い。私も借金で奪われた店で働いていた時は一人で出来る範囲のマッサージを自分でして筋トレも少ししてたよ。
「頭痛はどうですか?」
営業開始までは時間があるせいか今はまだ髪を高く結っていないマダムの頭を両手で指を広げ掴むように揉みながら聞いてみる。
「あぁ……まだするわ、でもそれほど痛くない気がする」
マダムほどの稼ぎがあれば頭痛薬も買えるだろうがいちいち飲んでられない気持ちはわかる。ポーションが存在する世界だから傷は大体それで治すし、前世でいうところの漢方みたいなのが高価な薬として出回っている。その為、頭痛薬もあるが肩こりからくる頭痛ならマッサージが一番いい。
マダムは私のマッサージを受けながら仕事を始めた。解している尻からこるようなことをしていては何時までも良くならないだろうけど気持ちはわかる。休みたくったって人に任せられな仕事もある。
マダム・ベリンダに共感しながらマッサージを続けているとドアがノックされた。ユリシーズがそれに応じて招き入れられた男は、挨拶もそこそこに手にした黒い大きな鞄を応接セットのテーブルの上に置いた。
「マダム・ベリンダ、素晴らしい物が手に入りましたよ」
そう言って開かれた鞄の中身は綺羅びやかでゴージャスな装飾品だった。何段にも重ねられたケースを手早くテーブルの上に並べさぁどうぞと営業スマイルを顔に張り付ける男。
「結構よ、マイルズ。それより早く書類を」
マダムはチラリとテーブルの上を見やったが宝石類には興味が無いのかマイルズと呼ばれた男に書類を催促する。
「マダム・ベリンダ、お約束が違いますよ。ひと月に一度はお買い物をして下さるはずです」
マイルズは張り付けた営業スマイルをおどけた顔に切り替える。
「もうそんなに経った?仕方無いわね」
ヨッコラショ、とは勿論口にしないがマダムは億劫そうに立ち上がると応接セットへ移動し、広げられた宝飾品を一つ一つじっくりと眺める。私もついて行って後ろから宝石を見ていた。
「ジョンソンご令息は何を?」
「パパラチアサファイヤのネックレス六十万ゴルを」
「一つだけ?」
「はい、ジョンソンご令息にしては値が張るものだったようでネックレスに決めると直ぐに下がるよう言われました。フルール嬢は揃いのイヤリングも欲しかったようですが」
「何とか我慢したのね。あの娘にしてはいい引き際ね」
マダムは話を続けながら並べられた宝石の中から一点指差した。
「流石お目が高いですね、これがこの中では目玉商品です」
マイルズは嬉しそうに手袋をはめた手でその指輪を手に取るとマダムの右手の中指にそっとはめた。
「最高級のルビーです。二つと無い代物ですよ、マダムにお似合いです」
指に添えられた輝きをマダムは少し冷めた目で見ている。
「台座が変わってるけど、クライスラー侯爵夫人が持っていた物と同じ石ね」
マダム・ベリンダの言葉にマイルズが息を止めたような気がする。
「やっぱりおわかりになります?」
マイルズはふっとため息をつきマダムの手からルビーの指輪を外した。
「侯爵家は噂通り資金繰りに困っているのね」
マイルズは指輪を片付けながら無言でニッコリと笑む。流石に商売人だけあってあからさまに顧客の情報を口にはしないようだ。マダムもそれ以上は追求することなくひと粒ダイヤのイヤリングを選ぶと直ぐに執務机に戻って行った。
「相変わらず素っ気ないですね、買ったからには着けてくださいよ。ダイヤが可哀想ですから」
マイルズはそれを美しい布張りの箱に丁寧に入れ、テーブルに置くと広げていたケースを片付け始めた。ケースの中はいくつかのランクに分けられているようで、鞄にはマダムの前に出さなかった物もある。多分お見せするにはランクが低すぎるのだろう。それをじっと見ているとマイルズが私の視線に気づき営業スマイルを向けて来た。
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