憂鬱な午後にバクラヴァを

 早朝に、戦闘があった。

 戦士の数がそれなりに集まり、軍を名乗っても恥ずかしくない規模となった解放軍にとっては、取るに足らない寡兵の賊だった。だが、敵の一人一人が戦慣れしていて、全滅させるまでに、こちらも無傷とはいかなかったのだ。

 傷ついた仲間に応急処置を施し、何とか落ち着いて休息を取れる街まで辿り着いたものの、深傷を負った者が一人、本格的な治療を待たずして息を引き取った。

『エステル王女の為に戦えるなら、いつ死んでも本望です!』

 志願の際に、きらきらと瞳を輝かせてエステルの前で意気込み、当の王女がわずかに寂しそうな表情を見せたのにも気づかない、十三、四歳の少年だった。

 クレテスもまだ十七歳だ。世の中の事など何を知る訳でもない。加えてこの年齢まで、北国の辺境村で育ったのだ。大陸事情も政治も戦も、人の心もわかりきっていない、青二才に過ぎない。

 だが、幼馴染が今どういう気持ちでいるか。子供の頃からずっと見届けてきた身としては、把握しているつもりだ。

 だから、自分にできる事をやろう。

 そう思い立ったクレテスは、通りで買い物をし、王女が滞在する街長まちおさの館へ向かうと、厨房を貸して欲しいと申し出た。解放軍、ひいてはグランディア王家に好意的な街長は、「どうぞ、お好きなだけお使いください。足りない物があれば、使用人に申し出ていただければ、すぐにご用意いたします」と、自分の孫くらいの年齢の少年に、恭しくこうべを垂れた。

 幸い材料は買った物で足りた。着やせする服の下に筋肉を隠す、いかにも戦士という少年が、慣れた手つきで菓子を焼くのが物珍しかったらしい。厨房中の料理人やメイドの注目を浴びたのは、そうなるだろうと予想していたとはいえ、いささか居心地の悪いものがあったが。

 焼き上がった菓子を切り分け、エルダーフラワーのソーダを添えて、盆に載せる。

「残りは皆さんで食べてください」

 クレテスの調理に興味津々だった使用人達が歓声をあげて礼を述べるのに、軽く会釈を返して、少年は幼馴染がいる部屋へ向かった。

 扉を軽くノックすれば、か細いいらえが訪れる。

(やっぱりな)

 軽い溜息をついて、「おれだ。入るぞ」と扉を開けた。

 王女エステルは、部屋の窓際に佇んで、ぼんやりと外を眺めていた。昼下がりの太陽に照らされる翠の瞳に水分が滲んでいるのは、気のせいではないだろう。

「昼飯食ってないだろ。とりあえず、入るだけ食えよ」

 声をかけると、少女は何故わかったのか、とばかりにぱちぱちと瞬きをし、「はい……」と小さな声を返して、テーブルについた。その前に盆を静かに置く。

「これは、何ですか?」

 食べ物を前にして少し元気が出たのか、エステルが不思議そうに、目の前の皿を見つめる。クレテスは皿の上の菓子を示し、それの名を呼んだ。

「バクラヴァ。南の大陸マルディアスの伝統菓子なんだとさ」

 幾層にも重ねた生地の間に、砕いた木の実やクリームを挟むのは、クレテスがこの少女の為に村でよく作っていた胡桃と栗のパイに似通っている。だが、この菓子は、そこにたっぷりの蜂蜜を注ぐのだ。一片ひとかけでも満足できるし、脳にも血が通うだろう。

 エステルが「いただきます」と両手を合わせ、生地をフォークで小さく切り分ける。口に運んでよく咀嚼し、飲み込めば、ぱっと笑顔が弾けた。

「美味しいです!」

「そりゃ良かった」

 素直な賛辞に、こちらもほっと息をつく。やっと笑ってくれた。だが、安堵感は、すぐに少女が笑みを消して沈んだ表情を見せた事で、霧散してしまう。

「味方が死んだのに、のうのうと食事をして喜んでいる私は、指揮官失格ですかね」

 やはりあの少年の事を気に病んでいるのだ。クレテスは深々と長息を吐くと、「あのな」と少女の片頬をつまんだ。「ぷふう」と変な声が洩れるのは、聞かなかった振りをする。

「誰かが死ぬ度にくよくよして何にも食べずにいたら、あっという間に栄養失調でお前が死ぬぞ。それこそ指揮官失格だ」

 翠の瞳が見開かれてこちらを見上げる。その瞳をしっかりと見返しながら、クレテスは先を続けた。

「戦うって決めた以上、犠牲は避けられない。知ってる奴だから気にするとか、知らない奴だから気にしないとか。言い方は悪いけど、死んだ奴一人一人を悼んでる暇なんて、人の上に立つ奴には無いんだ」

 そう言ったところで、自分が起こした戦争に巻き込んだ十万人近い死者を数えていた、奇特な将軍の武勇伝を読んだ事を思い出し、その話は今はあっち行け、と、記憶の奥へ押しやる。

「振り返るくらいなら、前を見ろ。お前の為に力を尽くした連中も、お前が立ち止まる事を望んじゃあいない」

 頬から手を離すと、エステルはゆっくりと視線をバクラヴァに戻し。

「そう、ですね」

 ゆるりと微笑を唇の端に浮かべた。

「私は、帝国を打ち破るという使命を負っているのですから」

 これからも、沢山殺すでしょう。

 小さく、しかしはっきりと紡ぎ出された台詞に、彼女の覚悟を感じ取って、少年は一瞬身を固くする。しかし、次の瞬間には、エステルはごく自然な笑みを顔に満たして、こちらを見つめていた。

「私がくじけそうになったら、またこのバクラヴァを作ってくれますか? クレテスが作ってくれる物を食べたら、すぐに元気が出るような気がします」

(……なんつう殺し文句だよ)

 こちらの想いも知らないで、こういう言葉を他意無く放つのだから、まったく、目の前の幼馴染はたちが悪い。

「……お前がそう言うなら、いつでも」

 笑いたいのか落ち込みたいのかわからずに引きつる口元を手で隠しながら、クレテスは何とか肯定の返事をするのだった。


「何やってんだよ」

 女剣士テュアンは、王女が滞在する部屋の扉の横で、腕組みして壁に寄りかかり、ぼんやりと床を見つめる聖剣士の姿をみとめて、声をかけた。ゆるゆると顔を上げた王女の叔父は、えらく中途半端な苦笑いを向けて、ぼそりと呟く。

「僕が言いたい事を全部持っていかれたから、もうお役御免かなと思っている」

 言われて扉の向こうに耳を澄ませば、部屋の中から聞こえてくる会話と笑声で、テュアンは全てを察し、「引退は十年早い」と、親友の額を小突くのであった。

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