第2話

 村というには小さいし、集落というにはやや大きい。そんな場所だった。山から流れてきたらしい小川にメダカ、サワガニ、アユなどなど、懐かしいものを見つける。ふと顔を上げると、鹿の親子がこちらをじっと見ていた。

「きれいだな」

「環境はな」

「もうちょっと感傷に浸らせてくれてもいいじゃん?」

「うるさい」

 田畑が広がり、青空を遮るものは何もない。そんな、絵にかいたような素晴らしい田舎。日本の故郷。誰もが思い描くホームタウン。

「妙だな」

「何が?」

「人がいない」

 三牧に言われて気づく。歩いている人も畑仕事をしている人もいなければ、家から物音もしないし気配もない。異様な雰囲気の理由はそれか。

「偶然?」

「確かめるぞ」

「ん」

 三牧は斜面の上、赤い円筒形のポストの側にある民家を指す。




「はい」

 インターフォンが見当たらなかったので玄関と思わしき扉を叩くと、ひとりの男が顔を出した。グレーのトレーナーにジーパン、角刈りの髪、無精ひげ。たれ目の奥の瞳が鈍い光を纏っている。五十代くらいの、日ごろの畑仕事のためと思われる浅黒い肌とがっちりした体格が印象的だ。

 警察手帳を出そうとすると、三牧の手で止められる。

「どなたですか」

「警察の者です」

 男は訝しげにこちらを観察する。

「本当に?」

「はい」

 ビジネススマイルで対応する三牧。

 一応二人ともスーツ姿ではあるものの、一般人の想像の刑事と比べると若すぎるのだろう。実際、香原と三牧の年齢を足して二で割ると二十代だ。

「この村で、良からぬ動きがあると聞きましたので参りました」

「はあ……」

 変に刺激すると、タレコミをくれた情報提供者が危険にさらされる恐れがある。どこまで喋るのかと一抹の不安がよぎるけれど、三牧の選択が間違っていたことはない。

 そこに関しては自分の管轄外だ。考えるのをやめて、民家を観察する。

 古びた平屋の木造家屋。ガラスは全てすりガラスなのか、中をうかがうことはできない。男の背後に見える内部は、不気味に薄暗かった。かすかにカビのにおいもする。果たしてそれは、住んでいるが手入れをしていないからか、それとも住んでいないのか。床に綿埃が落ちているわけではないので、結論を出すには証拠が足りないな。

「……ということでありまして」

「ああ、そういえば、立ち話もなんですから。中へどうぞ」

 三牧に小さな声で呼ばれて我に返る。上手く言いくるめたらしい。振り向いた当の本人は喜怒哀楽の感情を欠片も見せず、いつもの仏頂面だった。

「気配は」

「何の?」

「追手」

「あ、いるよ」

「数は」

「減った。正確には分かんないけど」

 小さく三牧は頷く。

 家の主人(?)に招かれるまま、家の中へ。玄関からむかって左に六畳の和室が二部屋と右側に台所があるだけの、小さな空間だった。

 きょろきょろと見回しながら進む。

 部屋の隅のホコリはなかった。天井のクモの巣もない。通された部屋の畳は多少痛んではいるけれど、きっとそれは時のせいだろう。物が少なくこざっぱりとしているが、障子に所々穴が開いている。不自然だ。

 生活しているなら、障子の破れなんかはすぐに修理するはず。部屋の隅のホコリよりも優先順位は高いはずだ。

 結論。

 こいつは、ここに住んでいない。

「こちらにはお一人で?」

「いいえ、娘とです」

 その声と同時に、ひとりの女性がお盆に三つの茶を載せてやって来た。

「自己紹介がまだでしたね、私が小沢匡宏おざわまさひろで、娘の結花ゆいかです」

 年は十五、六くらいで、まっすぐな黒髪と男と似たたれ目。だが、その奥に光る瞳は比べ物にならないほど美しい。男のを河原の石とすれば、女のは黒真珠。小柄で、しかし病弱な印象はない。やはり畑仕事で鍛えられたのだろうか、肌は浅黒い。

「三牧です」

「香原です」

 二人の自己紹介が終わると、三牧が流暢に村のことを聞き始める。聞き取りの作法にのっとって、まずは世間話から。そこから徐々に、触れていく。

 村のことと、彼のこと。

「少し、気になっていたのですが」

「はい?」

「小沢さんは、ここに住んでいらっしゃるのですか?」

 三牧も同じところを見ていたらしい。

「ええ、そうですよ」

「どのくらい」

「ずっとですよ。この村で生まれ育っているもので。引っ越す理由もありませんし」

「娘さんと二人暮らし、にしても狭い気がしますが……物も少ないような……」

「田舎だとこれでも広いくらいですよ。仕事道具……ああ、農具はみんな納屋にありますし、一日のほとんどを外の田畑で過ごしているので、快適です」

「そうですか、いいですね、田舎暮らし。憧れます」

 よくそんな思ってもいないことを。

 三牧の百面相っぷりに小さなため息を吐く。そうやって芝居をしているときには表情をころころ変えるくせに、通常のときはどうしてあんなに無表情なんだ。

 出された湯呑を手に取り、口元へ。

 あ。

 不意に手を止めたが、三牧が机の下で人差し指をまっすぐ立てる。

「……どうかしましたか」

「いえ、何も」

 男に尋ねられたが、首を振る。

 信用しろ。隣の笑顔からそんな脅迫が聞こえてくるようだ。

 信じる、しかない。

 湯呑の茶を飲む。

 茶にあるまじき苦さだった。吐き出したい欲求を押し殺して、喉を動かす。しばらくしてから、三牧も湯呑に手をつけた。

 芝居をしている表情筋は、ぴくりとも動かなかった。

 何の変化も気取らせず男と言葉を交わす三牧。

次第に、むかいに座る男と、すぐ側にいるそいつの姿がぼんやりしてくる。頭がゆらゆら揺れているようで、抗おうとしても勝手にまぶたが降りてきて。

あ、やべ。

頬に感じたのは、畳の感触。

そこで、意識が終わった。




「……ら、おい」

「んぁ……」

「起きろ、香原」

 はっと目が覚める。起き上がると、側に三牧がいた。

「ずいぶん寝てたな」

「朝が早かったからな」

 場所は男と話していた畳の部屋だった。縛られたりしていたかと思ったが、そうではならしい。むくりと起き上がって、手をゆっくりと動かす。よし、正常だ。

「睡眠薬?」

「だな」

「いつ気づいたんだ?」

「出された直後」

「指摘しなかったんだな」

「俺たちを殺すことはないだろうし」

「ギャンブルだなぁ」

 窓の外は暗い。腕時計を見ると、午後十一時を指している。

「何時間くらい寝てたんだろ」

「ざっと十二時間」

「おぉ。道理で頭がすっきりしているわけだ」

 三牧は呆れた様子でため息を吐く。本当にため息で幸せが逃げていくならば、こいつの幸せはとうの昔に底をついているだろうな。

月明かりが窓の外から入ってきているので、灯りが無くてもある程度室内が見渡せた。一枚の紙が、三牧の手の中にあることに気づく。

「それは」

「俺の目が覚めたとき、机にあった」

 チラシの裏に書かれた、マッキーでの殴り書き。

『真実は真鳴山まなりやまに』

「……真鳴山?」

「村の南側にある小さい山だ。ほら、あそこの」

 月の下にある、黒い山を三牧は指差す。

「真実が、そこに?」

「あるってことだろ」

 三牧は立ち上がってぼそりと呟いた。

「小沢結花」

「……あの男の娘?」

「今回の情報提供者だ。情報によると、村人たちが指導者とあがめる人がいるらしい。そしてそいつが、テロを計画しているとのことだ」

「指導者の、本名と能力は」

「本名はわからん。異能者ではあるらしいな」

「へぇ。村人全員が心酔してるってことは、さぞかし強いんだろうな」

「村一体が指導者を中心としたひとつの組織みたいなものになっている。だから、裏切者は」

 そこで言葉を切るが、三牧はすぐに続きを言った。

「すぐに殺されるだろうな」

 側にあったリュックの中からペットボトルの水を取り出す。中を漁ると、持ってきた装備類は根こそぎ取られていた。小さく舌打ちをして、ペットボトルに入っていた水を飲み干し喉の渇きを潤す。

「情報提供者を助けようとした警察官も殺されたなら、そっちの方が面倒くさいんじゃないのか?」

「何回言わせるんだ。俺たちは警察官ではあるが、俺たちのために警察の組織が動くことはあり得ない」

 三牧は呆れたように答える。

「一般人に公表しないといけないから?」

「警察は国民に仕える公務員だからな」

「なるほどねぇ」

 やっぱり、よくわからない。情報を公開しないことが誰かを守ることなのか。元を叩かない限り、被害者は増え続けるというのに。

「事なかれ主義なんだよ、結局な」

 三牧がショルダーバッグを担ぐ。

「持っていく?」

「山に入る前にどこかに置いておく」

「了解」

 リュックを背負う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る