花に託して

雪待びいどろ

第1話

「ふわぁ」

 香原彩人かはらあやとは大きく口を開いて、巨大なあくびを生産する。隣で本を読む三牧巡みまきめぐるは、冷たい視線を向けてきた。

「うるさい」

「えぇ、いいじゃん別に。乗客、俺らの他に誰もいないんだしさ」

 かたんかたん、ごとん。かたんかたん、ごとん。

 一定のリズムを刻む列車の走行音を共有するのは、香原とその相棒である三牧の他には誰もいない。さすがは赤字のローカル路線。平日の昼間というのも理由だろうが、それにしたって少なすぎやしないか。

 東京都心から電車を乗り換えて乗り換えてを繰り返すこと、約一時間半。十両あったはずの列車は、乗り継いでいくごとにだんだん短くなって二両になった。いつの間にか、窓の外には林立するビルの代わりに山の緑で満たされている。

 知らない間にずいぶんと高度が上がったらしい。今走る橋の上から川面まではゆうに五十メートルほどあるのではないだろうか。

「ミマ」

「何だ」

「あとどれくらい?」

「もうすぐだ」

「それ、俺三十分くらい聞いてんだけど」

「もうすぐだ」

 舌打ちして、機械かよ、と呟く。

 実際、三牧には機械のようなことがある。上からの命令にはイエス以外で答えないし、何か進言している様子も見たことがない。受けた仕事は病的にまで徹底的にこなし、一片のミスも許さない。なあなあで済ますことの多い香原は、そのことで何度も拳骨を喰らった。

 俺は犬か何かなのか。

 だが、三牧が犬に暴力をふるうところは見たことがないので。

「何だ?」

 じっと見ていることに気づかれ、不機嫌そうな声で問われる。別に、と返せば、そうか、とまるでプログラミングされたように言う。

 外見で言えば、なかなかイケメンだと思う。背こそ香原の方が高いものの細身だし、ケアでもしてんのかと尋ねたくなるほど肌は白くきめ細かい。童顔なので実年齢よりも下に見られることも多く、またどこか女性的な顔の作りからかファンも多い。別に興味があるわけではないが、三牧とペアを組んでいるからかよく女性職員に尋ねられるのだ。「彼女はいるのか」「好きなタイプはどんななのか」等々。

 三牧と比べて話しかけやすいのかな、そう言う意味で重宝されているのかも。

 対する香原に外見上の特徴はない。日本人の平均を集めてきたらこうなった、というような顔だ。身長は百七十センチ、体重は六十三キロ。肥満を表すBMIは最も病気になりにくいという数値を叩き出している。健康診断で引っかかったこともない健康体。しかし、食事を抜くことはざらにあるし睡眠はめちゃくちゃだしなので、やっぱり健康じゃないかも。

 そんなことをふわふわ思っていると、不意に三牧が本を閉じた。

「行くぞ」

 誰もいない電車に響く、どこか不気味なアナウンス。どうやら目的の駅に着いたらしい。「降りんの?」

「ああ」

 頭上の網棚に置いていた、高校の頃から使っている愛用の黒いリュックサックを手に取る。三牧は膝の上のショルダーバッグに本を仕舞った。

 徐々に減速する電車。

 鬱蒼とした木々の間を抜けた光が、窓越しに二人を照らす。

 急に目の前が拓けた。なんの変哲もない無人駅。どこか寂しく哀愁漂う人気のない場所。きっと利用する人などいないのだろう、ひどく寂れている。

「……嫌だな」

「仕事だ」

「わあってるよ」

 でも、どこかその寂れ方が異常だ。

 この先に行ってはならない。

 香原の第六感が、確かにそう告げていた。




「お前、任務の詳細を聞いているか」

「いんや?」

「……」

 前を行く三牧がどれほど深いため息を吐こうと、お構いなし。知らん。そんなことは。

「そもそも俺を叩き起こしに来たのがお前だろ。官舎から出て装備整えてそのまますぐに」

「ああ、そうだったそうだった」

 ああそうですね僕が悪いですよ。そう言わんばかりの態度だ。ちなみに腹は立たない。こういうことでいちいち腹を立てていたら、先にこっちの身がくたばる。

 ぶっちゃけ、三牧を好む人の気が知れなかった。三牧は、香原の中の「一緒にいたい人」の人物像から離れている方だ。

「タレコミがあった」

「へぇ」

「今から潰しに行く」

「俺らだけ?」

「このあたりには駐在所しかないし専門の職員がいない。あと管轄の署は手が出せない」

「なんで?」

「前も言ったろ。署が動けば公式の、一般人に公表すべき行動になる」

「なるほどね」

 適当に相槌だけ打っておいた。こういう手の話は興味もわかないし、イマイチ理解できない。

パッと行ってズドンが一番楽なのに、なんで上の人たちってこんなに慎重なんだろ。最終兵器って戦うための武器じゃん。温存しておく必要なくない?

「相手の情報だが」

「うん」

「お前」

「うん?」

 くるりと振り向いた三牧。糖分補給ということでチュッパチャプスを口にくわえた香原にむかって、ひと睨みしてから言う。

「今回、ちょっと面倒臭いかもしれない」

「めんどいって?」

「すでに組織みたいになっているんだと」

「ほぉん。数は」

「ざっと見積もって二十はいる」

「わりと多いな」

「村の」

 三牧が目線で指した先に、民家がいくつか見えるのに気づく。

「ほとんどがそうだと」

「うぇ、逃げ道ねぇじゃん」

「ない」

「タレコミの人は」

「まだ、生きているといいな」

「俺らが行ったら殺されたり、しない?」

「わからない」

 その人の安否確認も任務のひとつだから、早く行くぞ。

 三牧がまた歩き出す。その数歩後ろを追う。直後、背後に視線を感じた。

「ミマ」

「なんだ?」

「いる」

「撒いたほうがいいか?」

「いや、変な動きみせたらそれこそ」

 面倒臭い。

 三牧は前を向いたまま、小さく頷いた。

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