エピローグのその先で

 『姉上』そんな声がして私は目を覚ましていた。青い空にピンクの花弁が舞っている。庭先のベンチ。それに凭れ掛かるように眠っていた私は向こうから駆けてくる青年に手を軽く振った。


 なんだかとても長い夢を見ているようなそんな気がした。とても楽しくて悲しい様な。何かを失ったような。――何一つ覚えていないのにとても変な感覚だ。


 まぁ。覚えていないので仕方ないか。独り言ちてぐっと手伸ばすとべきべきと身体の何かが鳴った。運動不足なのかも知れない。元来運動は好きなのだけれど、いかんせん音痴で。走ったら倒れる。飛んだら見事に足を捻って骨にひびが入るというミラクル。なんでさ。そんなことで弟には運動禁止を言い渡されている。


 まぁ。素直に守るなんてそんな事はするはずないけど、あの弟。私の思考を読んだかのように先回りを。スパイがいる。絶対に私の周りにスパイがいる。が、あぶりだせない自分が悲しいわ。


 ……まぁ。そんな事は置いておいて。


 私は背筋を伸ばして弟を見上げた。整った顔立ちだ。金髪碧眼。スラリとした体格は王子様風味でとてもおモテになる。そして私は同じ顔なのになぜモテない……。なんか聞いた噂によると私は金の亡者だとか言われているんですけど。え。私仮にも公爵令嬢。お金に困っていたらおかしくないですか……いや。予算私に回ってこないから実際は困っているんだけど。


 こっそりお針子の内職に出るくらいには困ってる。


 ……。


 ハハハハ。あの両親め。子供の頃から苦節二十年。良く生きてるなぁ。私。自分で言うのはなんだけど真っ直ぐに育ってえらいと自身に言いたくなる。


 でも金の亡者は違うと……。何をしたというんだ。


「弟よ。姉の勉強を邪魔するとは何用か?」


「はははは。涎垂らして寝てましたよね」


 それにと本を私の手からするりと奪って見せる。見事な奪いようだわ。伝説の盗賊になれるんじゃないかと思ったのは本の内容が冒険ものだからだった。


 そう。勉強。なにそれ美味しいの。状態である。冷たい視線をさらりと空へと流す。わざとらしい息使いがに届く。


「変なロールはしないでください。で。ここに来た理由ですが」


「あぁ。殿下の婚姻が決まったんだって?」


「……」


 そう言えば婚約してたな。と今では何一つ思い出せない殿下を思い出す。まぁ。内内な婚約で両親が押し付けたようなものだからどうでもいいけど。――現に会っても無いし。奇麗な顔はしてたんだよね。確か。


「良いのですか?」


「何が?」


「好きだったのでは?」


「は?」


 なんで。どうしたらその結論に行きつくのか小一時間悩んで最終的に『いいや』と首を振った。大体知らないしなぁと呟きながら弟から本を取り返す。


「じゃあ姉上の嫁の貰い手が――」


 なぜそこで絶望したような顔になるんだよ。人の失恋を気にしていた以上に絶望的でなんか嫌だ。弟に似て、顔だけは良いはずだから嫁の貰い手ぐらいはある。


 あるはず。……あるっと拳を握りしめた。


「姉としては貴方の奥さんになる方が心配よね。性格知ったら裸足で逃げそうよ」


「ご心配なく。――もう、見つけましたから」


 ……。


 ……思考停止。見つけたって何を。え。人間なの。それ。妄想の女の子じゃないよね。と考えていたら殺意の塊のような視線が飛んできて愛想笑いを浮かべる。昔からなぜか思ったことが顔に出るらしく考えていることが筒抜けで困る。


 なのに『すきだった』という勘違いはどこからあったのか謎だけど。


「じ、冗談よ。紹介してくれる?」


 優しい人だったらいいなぁ。私をいじらなくて、料理が美味しい人。私に友達いなかったから話しやすい人希望。


「姉上の希望は知りませんが。紹介は出来かねます」


「やっぱり妄想の……」


「今日はブロッコリーが美味しいって料理長が」


 嫌いなもの。ブロッコリー。前に弟に楯突いたらブロッコリーのフルコースが私の前に並んだという悪夢。そう。朝から晩まで。ブロッコリーを練りこんだパンから始まって、ブロッコリーのスープで締められるという嫌がらせが。


 馬鹿なの?


 笑顔で言う弟はする。絶対にする。


「彼女は遠い国にいるんです。だから紹介はできないんです」


「そうなんだ異国の」


 言いながら頭の中で世界地図を広げるが悲しいことにうっすらしている。どこの国と言われても正直分からない。心底殿下と結婚しなくてよかったなと乾いた笑みが漏れる。


「まぁ……」


 苦笑して弟は私のとなのに座って空を仰いだ。その横顔はどこか寂しそうだ。


「だから今度迎えに行こうかと――もしかしたら、帰ってこられないかもですが」


「……うーん。そうなんだ。じゃあ。帰ってくるまでお姉ちゃんは待ってるよ」


 どうせ行くところもないし。ここで自炊してひっそり端っこで生きるくらいであれば許してくれると思うし。まぁ。少しならお針子で蓄えあるし、何とかなるなる。気楽に笑うと弟は顔を顰めた。よほど姉を置いていくのが心配なのだろうか。先ほど『行く』といったのは誰なのかと息を付く。


「は? 帰ってこられないかもですよ? なのに」


「待ってる」


 だから帰ってきなさいと肩を叩いた。


 ベルは多分――行くなと言ってほしかったのだろうと思う。そう言われれば行かないから。いけないから。行かないことに言い訳ができるから。諦める事ができるから。逆に言えば――それほどまでしないと諦めることができないという想い。


 そんな事くらいバカな私でも分かるんだけれど。伊達に姉をしている訳ではない。


 後悔しないように生きてほしい。そう思う。


 大切な家族だから。


「つ――姉上」


「そう言うことで、誰か紹介しなさい。弟よ。――私、一人で待つなんて言ってないわ」


 一人や二人、というか外面だけは異様に良いんだから顔のいい、経済力と包容力のある男性を紹介してくれても良いだろうと暗に言えば弟は笑顔――満面の笑顔――を浮かべて見せた。軽蔑しきった笑顔を止めようか。止めて。いや、だってこのままだと本当に独身。背中でだらだらと汗を掻く。


「な、何か言おうか?」


「……分かりました」


 こわっ。


 人生一番の爽やかな笑顔が怖い。泣きそうなんですが。それは。




 数週間後のことだった。すっかり会話の内容を忘れたころ。というかあんな笑顔向けられたらトラウマすぎて忘れるしかないよね。普通。


 姉上には――このちびっこがお似合いですっ。そう投げ捨てられたのは――酷い――十も年下の少年だった。ここは学校ではない。と叫んだのはいうまでもないが――逃げるように去った弟に何も言うことは出来なかった。


 亜麻色の髪と深い紫の目を持つ少年は天使のごとく笑う。名を――イブと言った。




 晴天。花の舞う美しい世界での出来事だった。

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