黄金の目

 ――私を愛してくれないのであれば。この世界ごと壊れてしまえばいいのに。必要ない。何もかも。必要なんて、ない。


 この世界に意味は、ない。



 黒い塊は世界の穴のようだった。すべてを飲み込んで急速に成長していく。――が突如として現れた白い光に押される様にしてその成長は止まった。いや、止まったというより格段にその成長が弱まったと言うべきだろう。いつまた成長するかは分からない。


 風が止んだ世界で、私はよろよろと崩れたレイの側迄駆け寄っていた。かたんと音を立てて錫杖が地に落ちる。聖女――レイははっと息をついて私を虚ろな表情で見つめた。


「頑張ったわよ」


「う、ん」


 だけれど、これからどうすれば良いのだろう。やるといったけれどそのやり方が分からない。ここまで頑張ってくれたのだからどうにかしないといけない。それを教えてくれる先生はもう跡形もなくなっていた。消えたのだ。霧のように。私はぐっと口元を結んだ。


 レイは喘ぐように続ける。その目には執念のようなものが宿っている気すらした。


「でも、ここからだわ。――ここから。アーロンさんっ」


「ここに」


 かたんと音がして振り向けば殿下が剣を杖にする様に立つ。それを確認して滑らせるようにイブを見つめた。


「まだ、力は?」


「もう人と同じだ。――ま。低級な魔術師くらいは。ただ、そんなには持たない」


 何がとは言わない。そんな事は簡単だったから。私も同様で常に身体から何かが漏れ出ていくような感覚が襲っていた。


 イブを一瞥しレイは殿下に目を向ける。


「なら、温存を。アーロンさん。剣を貸してください。今から『祝福』をします。神殺しの魔術付与を。それを使ってリオ」


「う、うん。でも」


 不安げな顔に気づいたのだろう。励ます様に笑って見せた。


「それならいけるって、神様が教えてくれたの。あれを消せるって」


 心配しているのではそんな事ではない。そんなことではないのを分かっているはずなのに、そのことは言葉から出てこなかった。


 もう、止められないから。なら、私も頑張るしかない。拳を握りしめて顔を上げる。


「うん。頑張るよ」


「すまない。何とか出来れば――」


 ずるずると身体を動かしながら殿下はレイの前に剣を置くと私を見つめる。悔しそうで、申し訳なさそうで。苦しそうだ。こうなっているのは殿下の所為ではないのに自身がすべて罪であるかのような表情だった。


 どこかで、見たことある。そう考えて思い出す。


 ――あの日、あの時私に『すまない』と言った表情と酷似しているのだ。


「何度も。私たちは君に」


 私は首を軽く振る。それからヘラリと笑って見せた。別にこの笑みが負担を軽くするようなものでは無いけれど、それでも私は殿下に対して恨みも負担も感じていないという事を示したかったから。


「元々はあの魔王さまが悪いんで、殿下の所為ではありません」


 ボロ雑巾のようにしたイブが悪いと思う。まぁそこまで実力差が会ったことも驚きだけど。私はもう一度真っ直ぐに視線を殿下に向けて言葉を紡ぐ。


「殿下は悪くないです」


「だが――」


「うる、さいっ」


 だんっと地面に置いた剣に両手をレイは半ばやけくそ気味にして叩きつけた。魔術を行使しているからなのかぼんやり光る手。それを伝う様に刀身迄輝いてくる。ただ、その顔を見れば歯を食いしばり、目を見開いて。大量の脂汗を浮いているレイがいた。軽く手が震えている。限界だとすべてが告げているそんな気がした。


「れ――」


 声を掛けようとして、殿下に遮られる。


 ――大丈夫。できる。大丈夫。


 何度も呪文のように転がしてレイは息を詰める。微かに喉から小さな呻きが漏れ出でていた。


「神様――神様。お願い。つ……。澪――。澪。力を貸して――お姉ちゃん」


 まるで祈るような呟き。それと共にレイが天を仰ぐと光の塊がパッと弾けた。破片は雨のように降り注ぎ、剣へと吸い込まれていく。と、同時だったか。轟音と共に黒い塊が拡張を始めた。ざぁざあと吹き抜ける風は急速に『吸い込んで』いるからだろう。


 ぱたんと軽い音。ふと見れば、レイの細い体が地面に崩れている。ゆらりと開いた瞼は探すようにして私を見つめた。黒い髪が額に汗で張り付いている。宙に揺らめくとを握りしめれば力なく握り返される。冷たい手だ。


「レイ」


 呼ぶと『やってやったわ』と軽く口の端を歪める。その目は達成感に満ちているそんな気がした。レイは大きく疲れを吐き出すようにして息を付く。その目は気だるそうに黒い塊に移動し、ゆるりと剣に向けられる。その剣は神々しく輝いている。これは私が触っても良いのだろうか、扱っていいのだろうかと微かに悩んでしまうほどには。まぁそんな事は口に出せる筈も無いけれど。


「頑張ったわ」


「うん」


「――無駄にしないで」


 さぁ。とレイの冷たい掌が私の手からするりと抜け落ちて指を指した。取れと言う事なのだろう。弾かれないが不安だったが――思ったよりも容易に取れて微かに安堵する。光っている割には熱も何もない。ただの剣だ。ただ、よくある鋼で作られた長剣の筈なのに私が扱うレイピアよりも軽い気がするのはやっぱり魔術の力なのだろう。と納得する。


 確認する様に一振りすれば、キラキラと星の軌跡が落ちる。綺麗だなあ。と鑑賞している場合ではない。


 私は視線を黒い塊を一瞥し、レイに目を向けた。


「分かった」


「宜しく」


 もう――見えないのよ。と力なく笑って目を閉じるレイ。死んではないだろうが酷く弱っている。そのレイを殿下に託して私は顔を上げ、黒い塊を見据える。


 消さないと。あれを。


 人類の為とか――そんな事よりも。好きな人たちを守りたい。ここにいるすべての想いと願いに答えたかった。


 たとえ力が及ばずとも、絶対に。死んでも成し遂げる。まぁ最も死んでいるんだけど――という茶化しは無しにして。


 なら、持っているものすべてをかければいい。


 顔を上げてぐっと口を真一文字に結ぶ。


「いける? イブ」


 というか静かすぎて――存在感を消しすぎて生きているか若干不安だったが『ああ』という低い声に少し安堵する。


 私はすっと剣を構えて見せた。


「アレを消す。バックアップをお願い」


「――ああ。けれど……いや、いい――走れ」


「ありがとう」


 ぐっと足元に力を入れて私は風の中を走る。引っ張られないのは目の前に結界が貼られているから。だんっと踏み込んで飛べば、足元に魔術で足場が作られる。その足場を駆けあがりながら私は黒い塊の前にたどり着き剣を振りかざしていた。


 星の軌道は中心にたどり着かない。何か縦のようなもので塞がれ、私の身体ごと弾かれる。ぐるりと身体を回転させて足を付くとそこには案の定足場が出来ていた。


『人間?』


「しゃべ……」


 ざわりと皮膚に張り付くような、どこか気持ち悪い声に二度ほど瞬いてしまう。


『人間――混じる。魔と』


 人間でないと倒せない事を思い出した。まぁほぼ人間なのだし良いかな。なんて思ってたんだけど。


 あ。……これ純粋な人ではないことがバレたら詰む感じたろうか。


「え。いや、人間です」


 ともかく即答してみる。


『――ならば人間よ。なんのためにここにいる?』


 人間認定に内心喜んでいたが質問の意図が分からなかった。よく考えなくても倒すためということは明白な筈で。


 私はたんっと剣を振り上げ、捻り上げる様にして薙ぎ払うが――今度は幻影のように感覚がない。ぐらりと崩れた身体を立て直して後ろに飛んだ。


「あなたを倒すためです」


『なぜ?』


「この世界に好きな人がいるから」


『好きな人間。お前もあれと同じことを申すか――ならばこんな世界は要らぬな』


思わず顔を顰めるしかない。


 なぜそうなる。『あれ』って誰とも聞けないし、意味が分からない。というかなぜ語尾が強くなって切れ散らかしているのか理解に苦しむ。さらに拡大し始めた黒い塊はまるで手のように変化して私を掴もうとする。その指を丁寧に切り落とすけれど――なにこれ。気持ち悪い。切り落とした所から手が生える……えぇ。困惑気味に空間を飛び回る。その視線だけは塊の中心を凝視しながら。


「まぁ、でも」


 凝視してれば少しはいいことがあるのかも知れない。そしてリオの目の良さにとても感謝していた。黒い塊のその奥に『目』のようなものが見えたから。黄金の炎を纏ったかのような目だ。何度も何度も手のような何かを切り刻みながら私は前に進む。もちろん魔術の援護もあるが――時間が経つごとにその効力が弱まってする様に思えた。腕に触れる手は嫌な音を立てて肉を溶かす。酷い痛みのはずだ。だけれど痛みが一向に来ないのは魔術で中和している為だろうか。


 見えた目が本当に潰すべきものなのかは知らないがきっとアレを潰せば何かある。『手』を足場にして私は宙に飛んだ。くるっと身体を半回転し、再び『足場』を蹴る。真っ直ぐに剣を黒い塊に向ける。まるで針になったかの如く。それは盾を小さく貫いて、星の光は現在の位置を固定する。私はその手も身体もすべて切っ先に乗せて自身が剣と一体になったかのようだった。


 持てるすべてを、ここに。


「いっけぇ――」


 鈍く響き渡る音と共に、手に酷い痛みが走った。最後の抵抗とでも言えばいいのだろうか。何もかも、痛みすら飲み込んで私はぐっと柄に全体重を乗せた。


 ぱんっ。最後に聞いたのはとても軽くてあっけない。何かが破裂するような音。


 それと同時――世界は光に包まれた。

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