鏡の向こう
とんと見覚えのある少女が立っていた。壊れかけた空間。誰もが傷をついて、生き絶え絶え。ただ黙々と『殺し合う』作業をしている何もない絶望しか広がっていない空間に少女は立つ。虚ろな目。進める足に力は無く、まるで人形の用だ。誰もが愕然と突然現れた少女を見守る中、一歩。一歩。彼――魔王に向けて進む。魔王は空間に縫い付けられた肢体を無理に引きはがせば嫌な――耳を塞ぎたくなるような鈍い音と共にぽたりと何かが身体から零れ落ちる。さして気にしていない様子で――痛みなど感じていない様子で魔王はその少女に手を伸ばして静かに抱きすくめていた。
「何が」
掠れた声に答えることはない。冷たい身体。――心臓が停止しているのだということに気づくのはそう時間は掛からなかった。それでもここまで来れたのは残っていた自身の魔力によるものと、誰かが力を貸した所為だろう。
普通は『ある』はずの魂の痕跡すら見えない。
「何が」
もう一度呟いてから少女の後ろにいた『魔術師』に視線を向ける。美貌の青年は軽く顔を顰めていた。その顔は酷く青ざめている。
「中から『干渉』されたわ――ごめんなさい。中からだから対応が遅れたわ」
実際の所心臓が壊れないように幾重にも結界は貼ってあった。外からの攻撃には無論の事――これは本人の実力もあるので用意ではないだろうが――以前のように内側から焼き尽くすのも考慮しての事だ。その結界を破るとなれば相当の力の持ち主か――自分自身が解くしかない。
「そうか」
まさか『核』に抵抗されるとは思っても見なかった。あれに未だ意志があるとは思っていなかった。それは誤算だ。誤算でしかない。
細い肩に力を込めて一度抱きしめると、天も地も無い。足元に少女の身体を横たえた。ゆるりとした動作で聖女に向き直ると『リック』と小さく震える声が聞こえてくる。今にも駆け寄りたいが、その四肢にはほとんど力は残されていないようで、振るえる足で立っているだけの状態であるようだ。その双眸は自身の死と対峙する時よりも酷く狼狽えているように見えた。
「もはや俺に意味はない。――人間よ。俺は消えるだろう。戦う必要もない」
「新しい『魔王』が生まれるのか?」
そう問うたのは聖女レイの隣にいた青年――アーロン。近くにいたもう一人の神官に抱き起こされている。満身創痍。そんな言葉が似合うほど血まみれで、だらりと垂れた左腕はもはや力が入らないようだった。それでも右腕から剣を離さないのは面白いと感じていたが。
――帰ろう。そんな言葉がふと聞こえて魔王は口元を歪め目を閉じた。
――ああ。
心の中でずっと『編んでいた』魔術。それを発動させるために空間に手を翳していた。
「いいや? 何も生まれないさ」
さらさらと変わっていく髪色。溶ける様に双眸は『深紅』へと変わっていく。それは魔王がすべての物、力を失くしていくことを意味していた。
聖女の手に寄らず魔王が死ねば新しい魔王が立つ。きっとこのまま行けばそうなのだろう。だが――そんなことはさせない。させて、たまるか。
ぺろりと血が滲む唇を舐めた。深紅の双眸がチリチリと痛んで視界が掠れる。恐らくは長くは持たない。だが、十分だ。と息を軽く吐いた。
「今から『核』を引きずり出す。……なに。ホントは人間どもが死んで初めて現れる者だったんだが、引きずり出してやる――絶対にだ。おい。そこの魔術師。ほうっと見てないで俺との約束を違えたんだ――手伝えよ」
幾重にも空間に魔法陣が重なった。本来『こんなこと』の為に編んでいた訳ではなかったが――簡単に帰ることはできるだろう。
元々は人間を殺し、核を潰した後に『身体の時間を戻す』為に作っていたものだった。人間たちが傷を負う前に――それをあの子が望んだから。
魔術師は『ああ』と嫌そうに頭を抱える。ただすぐに諦めた様子で溜息一つ吐いたが。
「分かってるわよ。もぅ――ああ。殿下たちはちょっと休んでいてね。ちよっと私たちは死ぬことにになってしまうから。後は頼むわね」
「え。ジャベル?」
なぜここに。というか今、爆弾発言をしなかっただろうか。そんな事を言いたげなアーロンにウィンク一つ。なんでもない。日常の一幕のように。これから死地に向かう人には見えないほど極めて明るかった。
アーロン達にしてみれば理由すら分からない出来事に困惑するしかない。
「え」
「ついでにリオちゃんも取り戻すから」
言いながら魔術師ジャベルはにこりと微笑んで指を空間に這わせると、そこからさらに魔法陣が広がっていく。もはや空間すべてが『それ』で埋め尽くされる程圧巻なものだ。どこからごうごうと吹いている風にパラパラと銀色の髪が舞った。その整った顔は険しく歪んでいる。それは恐らく彼を知りうるすべての者が見たこともない表情だった。
魔王は身体の中から急速に何かが失われていくのを感じていた。流れていく力。命。魂が持っている輝きさえも消えていくようだ。
だが。
「俺のを奪ったんだ。落とし前は付けさせてもらう」
呻くような声と共に世界は収縮していった。
暗い廊下を私は独り歩いていた。これが所謂『天国に続く道』なのだろうか。その割には暗くてじめじめして右も左も分からない。辛うじて空気が、風が流れてくる方向に歩いているだけで。その風も甲高い音を立てているから何かが泣いているように聞こえて不気味だ。
「これ、何か出ない。大丈夫?」
そう独り言ちるのは怖いからだ。へっぴり腰。獲物でも持っていたら多少は違うのだろうけれど何も持っていない。持たせては貰えなかったらしい。持っていて、ここに出るかも知れないものを考えると役に立つかは微妙だが。信じてはいないけど。いないけどね。
……やはり魔術の一つでも覚えたかったなぁ。
戻るにも――戻る道はすでに暗闇に閉ざされている。戻ったところで迷子になるだろう。だから進ざるを得なかった。
「でも、ほら。私すでに死んでるし? 出たとしても仲間みたいな?」
自分を励ましてみるがそんな仲間聞いたことないと項垂れる。ならせめて――知り合いとか出てきてほしいと切に願う。潰された公爵家にいた使用人は多くはないし、私自身もあまり知らない。それで少なからず言葉を交わした人もいるのだし――。
がんばれ。そう言ってくれる人が居るだけで頑張れる気がする。聞きたい声は今はここにいないけれど。
会いたい。
そう思うと涙が滲む。
守れなかった約束を思い出して思わず足を止めていた。こんな呆気ない幕切れで終わらすつもりなんて無かった。簡単に死ぬつもりなんて無かったのに。
生きて――帰るつもりだった。『あの子』と共に。
帰りたかった。生きたかった。
生きたい――そう初めて思ったのに、こんな幕切れでもう笑うしかない。こうなったら幽霊になってもしがみ付けないだろうか。せめて、あの子の最後まで。
私を必要と言ってくれた『あの子』が寂しく無いように。……まぁ本人は嫌がるだろうけれど。
とは言ってもどうすれば良いんだろうか。幽霊とは時間も空間も超越するものでは……。そう本で呼んだんだけれど、力んで見ても――当然何も出なかった。悲しい。
「帰りたいの?」
ふと声が響いて私は顔を上げていた。暗闇には目を凝らしてもなにも見えない。……今度こそ出てしまったのだろうか。そんな事を考えつつ、身構えてみればフワフワと淡く輝く綿毛が私の前に振ってきた。それは雪のように。辺りを照らしながら天から降ってくる。
思わず手を差し出してみれば掌に乗ったそれは淡く一度だけ輝いて、消えた。
「いいよ。私の願いを叶えてくれたら」
綿毛に浮かび上がるのは『鏡』だった。全身を映し出すほどの姿見は、私の――リック・アースの姿を映し出している。ただ。
その姿は私が知りえないほどに痛々しい。骨と皮。筋が浮き立つ肢体。くぼんだ目は眼球の形がありありと見て取れた。くすんだ皮膚には生々しい傷があり、肉を削いだように抉れている所すらある。手首はひとまとめにされ、鎖に繋がれている。衣服はボロボロで、泥と血がこびりついているようだ。他にも――。震える手で自身の頬を撫で、手首を確認するが当然のように鎖も何も無かった。
怖い。
死を見ることは慣れている。だけれどこれは――この暴力はどう見ても『拷問』だ。誰もが顔をそむけたくなるような有様のそれに私は声を失くすしかない。
なまじ自分自身の顔をしているから恐怖は倍増する。
「……な」
鏡の向こう――その私はにっこりと口元を歪めて見せた。
「大丈夫よ。もう痛くは無いの。死んじゃったから。こう。首をね」
さくっと切られたという仕草だ。……そんな軽く言われても。拷問の上殺されたという事を暗に言っているんだけど。
一体何したんだろう。怖い。鏡の向こうの『私』は。いろんな意味で怖いし痛い。酷い。たかが小娘にここまでしなくてもいいのではないだろうか。
本人はいたって明るいのが救いだけれど。救い……なのだろうか。
「本当は貴方みたいな姿取りたかったんだけど、忘れちゃって。ああ、残念ね。これしか覚えてなくて……」
残念そうにくるりと一度身を翻した。が、痛々しく見えるだけである。倒れないか大丈夫かとはらはらするほどには。
「……あの。私?」
「ええ。リック・アースよ。貴方の未来。その可能性」
はい?
本来の未来と言ったほうが良いのかな。とよくわからない事を言っている。ということは可能性として拷問の上死ぬという……良かった。そんな未来嫌だし。この私には申し訳ないと思う。
そんな痛くて苦しいのは――嫌だ。
「で、私は貴方に願いを叶えに来た貰いに来たの――その代わり、貴方の願いを叶えるよ? 帰してあげる」
願いが何か分からなかったが帰れるならそれは嬉しいと思った。少しの時間だけでもいいのだ。帰ることができるなら。
でも、元来私は魔術が使えない。悲しいことに魂と言うものに紐づけされている物なので鏡の向こうの『私』も使えるはずなんてなかったのだ。胡散臭そうに思わず見てしまう。
鏡の向こう側。『私』はにこりと微笑むと冷たい鏡に傷だらけの手の平を置いた。碧い双眸が真っ直ぐに私を見つめている。
「大丈夫よ。私には魔王が残した残滓があるから。もちろん少しは貴方にも残っているはずで。それを使えれば戻れるの」
そんなものがあるのか。あるのかな。と思わず掌を眺めてみる。が私には何も分かりはしなかった。
――まぁ、いいや。別に失敗したところで死んでいるのだから痛くも痒くもないと思うし。
私は顔を上げて鏡の向こうを見る。
「願いはなに?」
そう言うと、鏡の向こう――『私』は、私とは思えないほど可愛らしく、花がほころぶように笑って見せた。
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