誰がために

戦い

 天も地もない。建物は上下し、天は地に。水は真横に湛えられ――もはやこの世界に属さないあべこべな世界だった。世界の狭間にある居城。ただ独り冷たい王座に腰を掛けながら青年――魔王は不敵に笑う。光など湛えない暗い双眸。圧倒手な威圧感を掛ければ、目の前にたたずむ者は恐怖を飲み込む様に息を飲んでいた。それでも真っ直ぐに逸らすことなく、彼女――レイはそれを見つめる。明らかに顔色は悪いというのに。


 さすが腐っても聖女と言ったところだろうか。


「普段とは違うんだね。魔王って感じ。大人だし」


「元より魔王だ。聖女よ――よくぞここまで来た。褒めて遣わそう。汝らも。五体満足でよく来た。正直今代は期待もしていなかったのだが」


 魔王は目下の青年たちに目を向けた。見覚えのある者。ない者。正直どうでもいいかと溜息一つ。ただ、一歩踏み出す音に視線だけを投げる。


聖女と似たような色を持つ黒い髪と黒い目の青年だ。血と泥にまみれ傷だらけの青年も然その目を曇らすことなく、真っ直ぐに魔王を見つめていた。


「それはどうも。――で? 大人しく倒れてくれると私たちも助かるのですが」


 魔王はくっと笑みを漏らす。それが面白いものなのか、バカにしたものなのか、本人にもよく分からない。ただ――そう。場の雰囲気に流されただけなのかも知れない。


「異な事をいう。俺にも事情があってな。本気になれん。そう言うのであれば――蹂躙させてもらうが」


 ゆるりと立ち上げれば辺りに緊張が走るのが分かった。それでも凪いだ双眸でただ一人青年は続ける。どうあっても穏便にという事だろうか。


 くだらない。そう心の中で吐き捨てていた。


「これは生存競争だ」


 それに負ける訳にはいかなかった。正直何もかも。神の話などどうでもいいし興味など一つもない。だが。約束をした。


 ――勝つと。一緒に帰ると。


 だから。負ける訳には行かないのだ。――消えればすべてが無駄になる。考えて自ずと口角が上がる。それはどこか自嘲気味に見えた。


 (正直なんて面倒なことをしてるんだと思うがな)


 心の中で編んでいる魔術に時折意識まで引っ張られるのを感じながら、それでも魔王は不敵に笑って見せる。


 片手間ではできない。それでもやるしかない。


 あの子の為に。


「さぁ。殺し合いと行こうか。人間よ」


 低く呟いた声が空間に響いていた。




 月が浮いていた。闇に紛れる異形の物。その身体を切り裂きながら、私は肩で息をしていた。後ろにあるのは街を護る物理的な壁。魔術障壁などとうに消えて――もはやそのためのリソースが回せない――次々と現れ出る魔物。足元に広がる血はもはや誰のものか分からない。臓物を喰らったままの魔物を切り裂くのは何度目だろうか。もはや嗅覚は意味を成さない。地獄のような世界でただ淡々と剣を振るっていた。


 疲弊をしきった魔術師の攻撃は弱々しい。もはやいても居なくても同じだろうか。魔物に襲い掛かられそうになって腰を抜かす魔術師を無理やり――首根っこを引っ掴んで――下がらせると私は『それ』を事もなく切り裂いていく。


 私が憧れた魔術師はもっと恰好が良いものだったけれど。とどうでも良い事を考えてしまう。その手は魔物の頭に剣を突き刺していても、だ。


「ひ――」


「下がってて。死ぬよ?」


 魔術師は悲鳴を飲み込んでしり込みしながらなぜか逃げていく。なんとなく納得行かなくて『なに、あれ』と呟けば小さく噴き出すような笑いが聞こえてきた。


 この地獄とはもはや異質なもの。まるでその声の周りだけ平和であるかのように。私は眉を顰めてその声に目を向けていた。


 泥も汚れもない。美しい青年。白い髪が月に映える。その光を写し取ったかのように。サファイアを溶かしたような両眼はなぜか夜だというのにありえないほど輝いて見えた。


 まるで人ではないかのように。


 魔術師にはきっとそう言うこともあるのたろう。魔術師って凄いな――かっこいいな、と感嘆している場合ではない。疲れを吐き出すようにしてとわざとらしく息を付く。疲れているのはホントだ。


「ああ。も――忙しいんですから。先生も手伝ってくださいよ」


「あら。失礼ね。してるわよ。これでも。魔術師全員(・・)に回路を繋げて魔術を流しているわ――それこそ今逃げたあの子にだって流してるのに。これでも頑張ってるのよね。私。凄い事だと思わない?」


 本当か嘘なのか私には調べようがない。忘れていたが総括の立場にあるのでそうなのかも知れない。曖昧に『はぁ』と返事をすれば先生は肩を竦めて軽く笑う。その後ろにある魔物が先生を纏う雰囲気に似つかわしくなくて、私は地面を蹴り剣を魔物の頭に叩き込んでいた。


 潰れる頭。飛び散る血潮。それを微動だにせず、顔色一つ変えずに先生は眺めていた。


「次から次へと――ほんっと。どこから湧いてくるのか」


 今更ながら、こんなに居たのかと辟易してはいるが。


 頬に付いた血を乱暴にふき取りながら私は地面へと剣を振る。同時にぴしゃりと血が地面に落ちた。


「必死なのよ。下手したら消えるからその前に人間を食べておこうと本能が働いているんだわ――それももうすぐ終わるけれど」


 一歩進んでからハンカチで私の頬を拭う。そのハンカチはすぐ黒く染まってしまったが。私はそれに視線を落とす。


「どうしたの?」


「もう始まっているだんなって」


 最初、イブに連れて行ってほしいそう言ったのだけれど、私が行っても意味が無いと言われた。その後でここに辿りつけるようになっているからと。確かにただの騎士。何ができるわけでもない。どっちつかずで、誰を助けていいのか分からないままいてもいい所ではない。


 勝ってほしいそう願うのは事実だけれど。


 溜息一つ。


「私にできることはここで鬱憤を晴らす事だけですかね」


「鬱憤って――楽しめとは言わないわ。貴方たちの団長さんみたいに」


 ついでに騎士団一人一人持ち場は広い。物陰で影が動くのを感じて私は流れる様にその陰を切り裂いていた。――とこのように動く者を切り裂くため視界に入らない程度に離れてはいる。後方支援で魔術師が居るのだけれど……逃げたし。


「私、レイたちに死んでほしくなくて」


「そ?」


「でもイブにも死んでほしくないんですよ」


「今更ね」


 その言葉に苦笑を浮かべるしかない。何も。結局何一ついい案なんて思いつかなかった。リリス見たいに『仕方ないわよね』などとあっさり切り捨てる事が出来れば良かったのだけれど。


 落とした視線に握りしめた血だらけの手が映る。


「私ね。ハッピーエンドが好きなの」


「は?」


 唐突な話に私は顔を上げる。現在そんな事は話していなかったのだけれど、私の話を聞いていたのだろうか。先生は。にっこりと笑って先生は空を見た。


 思わず間抜けな声が出たのは悪くないと思う。


「けれど見てきた世界はそれとは程遠くて。ホント嫌になるわ」


 言葉を切りながら鋭利な魔術が何かを切り裂き、力なく何かは崩れ落ちる。視線さえ寄越していないのだから凄い。


「でもきっと今回はハッピーエンドになると思うのよ。私の勘だけれど」


「ええと?」


 何を言っているんだろう。


 ついに狂ったのかな。――いや、前からおかしかったっけ。どうしよう。何か動いたら刺されるような気がして思考を巡らせながら返答をしてみる。


 そんな私を先生は笑い飛ばしていた。


「失礼ね。狂ってないわよぅ」


「お酒でも?」


 ならば酔っ払いだろうか。まだ飲めないけれど、飲んでも飲まれるな。そう心に言い聞かせている。同僚はいろいろやらかしているのだし――ではなくて。


「飲んでない。魔術師って繊細なの。飲むわけないでしょう? そして私は教師だし」


 なんの誇りだろうか。聖職的な何かだろうか。と首を捻る。……特に働いては居なかった記憶があるような、ない様な。よく考えれば私は『先生』と言っているけれど、教えを乞うたことは一度もない事に気づく。……もう今更感だ。


 先生は薄い唇を不敵に歪めて見せた。


「兎も角何とかなると言いたいのよ。――掛けてもいいわ」


 何とかなる。とても説得力に掛ける希望的観測だ。それでほいほい『そうですね』と元気に慣れるほどおめでたく出来ては居なかった。半眼で見れば先生は肩を竦める。


「何を?」


「命を掛けようじゃない」


 その命で私にどうしろと。食べないよ。心臓を持ってはいるとは言え。困惑をあからさまに浮かべると先生は軽く笑う。


「それだけ本気って事よ。負けると思ってる? この私が」


「いえ――で、も。だったら私は。なにを……かけ……れ――」


 刹那――ドクン。と心臓が一度跳ねた。同時心臓を鷲掴みされるような感覚に、視界が滲んで、私は思わず崩れる様にして膝を付く。


 苦しい。


 痛い。


 なんで。


 額にジワリと滲む汗。息することもままならず思わずそこにうずくまっていた。生理的な涙がぽろぽろと溢れ出てくる。


 これは――一瞬何かが過ったが考える間もなく、喉から何かがこみ上げて私は血を吐き出していた。


 空気が喉から抜けていくようにひゅうと甲高い音が響く。


「リオちゃ――」


 待ってて。と意識の奥で声がする。視界いっぱいに広がる緑の光。何かの魔術を行使したのだろうか。それが何かどんなものなのか、分かるはずもない。どこか厳しい表情を浮かべた先生の双眸に映る私はどう見ても死にかけの人間としか映って居なかった。


 あぁ――死ぬんだ。


「ご、めん、――なさい。ごめ……」


 掠れた唇から音が漏れることはない。だけれど私は意識が途切れる迄、何度も謝り続けていた。

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