我儘
『一緒に帰ろう』その言葉か耳に残っている。鮮やかに。鮮烈に。それは私に向けられたもので。誰でもない確かに『私』へと向けられたものだ。バカな私でもそれくらいは分かる。
私を必要としていてくれる人。世界の為とか。誰かの為とか。誰かの代わりとかではなくて。本心からでも、そうでなくても。
嘘でもいい。
ただの私を必要としていることがとても嬉しい。嬉しかった。
「私は――帰りたい」
リオとしてではなく。私で。――けれどそんな事とできる筈なんてない。私は、私たちは『死ななければならない』のだから。分かってはいる。でも、できるのであれば。
真っ直ぐにリリスを見ればふわりと笑って見せる。
「そこのイブと一緒に帰りたい」
どこにと心の中で問えば、『帰ってきなさい』と優しく言ったおばさんたちの顔が目に浮かんだ。温かい所に帰りたい。そう思うし――願う。
「……俺も?」
不思議そうにイブは言葉を落とす。なぜ不思議そうに言うのかそれが私には分からない。一緒に帰るのは当たり前のことだ。そう思うから。
私たちは『一緒』なのに。コテンと首を傾げれば、僅かに――本当に少しだけだけれど驚いたように見えた気がした。
「え。もしかして、帰りたくないの?」
当たり前だと思っていたけれど――きっと当たり前の事では無いのかも知れない。イブは魔王なのだし。
「ああ。そうか」
仕方ないか。と独り呟いてしまう。仕方がない。でも少し寂しい気がした。私は帰るのにイブはいない。――それでいいのだろうか。
イブは言葉を紡ごうとして薄い唇を開いたが低く『――いや』と紡いで溜息一つ。リリスを見ると生温かな視線に半眼で返している。
「で――。どうすれば良いんだ?」
「……簡単ですよ。人間に勝てばいいんです」
「滅ぼせと? 人間のお前が言うのか?」
剣呑な声に一瞬何の話をしているのか理解できなかった。あまりにもあっさりと。むなんでもない事のように言うから『なるほど』なんて思った自分がいるけれど。
いや――え?
確かに私は生き残る。魔王ともども生き残るけれども。それは違うのでは……。人類滅んで生きるというそんなメンタル持ち合わせていないし、それはちっとも幸せではない。
と言うか。それ、どこにも帰れない。皆いなくなるじゃないか。
「え。は? ちょ。ま、まって」
無視しないでほしい。一人あわあわしている私を片手で制する小さな手。動けない。さすが魔王。では無くて。
「歴代が勝てない理由はご存じですよね?」
「……さぁ? 俺には分からない」
知っている。そんなような口ぶりに聞こえるけれど気のせいだろうか。
「太陽の神様は月の神様が嫌いだったんです」
「……それは聞いたけど」
「同時に愛していたんですよ。いかにも人間みたいですよね。だから神様の中にどこかしらの希望がある。その希望に縋ってしまうんです」
先生。と手を上げて『意味が分かりません』と続けてみる。愛していたのに殺す意味が分からない。希望ってなんだろう。
意味不明だと思う。
「あははは。リオ様。前から思っていましたけれど、情緒が無さすぎますよ。ベル様はどんな育て方をしたんでしょうか?」
「ぐぬ」
ベルに育てられた覚えは無いんですが。むしろ私がベルを育てた気が……その成長は見てないけれど。笑顔で罵るのを止めてほしい。ちなみにイブは『我関せず』。無表情を貫いている。理解しているのかしていないのかは分からないが仲間だと信じたかった。
その幼い横顔をリリスはどこか楽しそうに見つめてる。
「ですが――今回は違います。その気になれば勝てるかもなのです」
「どうして?」
「自身の胸に手を当てて考えてくださいね。リオ様」
……素直に胸を手に当てる。うん。ここに心臓がある。この心臓はイブの物だけれど、ここにあるだけでこれがなんだというのか。と訝し気にリリスを見た。
未だ心臓は正常に一定間隔で鼓動を続けているのが分かった。
「……心臓?」
「まぁ、近からず遠からず。で――魔王さま。どうします?」
「元々、勝つのが俺の目的だ。人など知ったことではない――言われるまでもないが」
「なら、そのまま神様を倒してくださいね」
……。
……。
沈黙が落ちる。
「は?」
何とも間抜けな声を発したのは私かイブか。はたまた同時だったか。そんな声に臆することもなくリリスはニコニコしていた。
何を言い出したのか理解できずにいる。
神様を――倒す? ぱちぱちと目を瞬かせるしかない。
「だからですね。一瞬出てきますので倒してください。ああ。安心してくださいジャベル様が手伝ってくれるそうなので」
一体何を言っているんだろう。
「ええと?」
「大丈夫です。出来ますよ。リオ様なら」
あ。それ。私がやるんだ。イブでなく。がっしりと両腕を掴まれてキラキラした目で覗き込まれる。信頼されているように取れるがどこか『逃がさない』と言われているようで些か顔が引きつっていた。
助けて。そう言いたげにイブを見るが――気づいてもらえない。考え込んでいるようで視線は合わなかった。悲しい。
「ええと。私は殴ることしかできないんだけど」
神様なんてとてもとても。というか神様いるの。本当に。
「下手をしたら死ぬな」
ぱっと顔を上げて口を開くイブ。なんでもない事のように言うけれど、それはつまりイブも死ぬんだけど大丈夫なのか。
ああ……大丈夫か。そうかぁ。
「……あの」
私、帰りたいとか言わなかったっけ。言ったよね。それは生きて帰る。そう言うことで別に骨になって帰りたくない。いや、骨になっても帰って来いとか言われているけれども。
「人類が死ぬか、リオ様が死ぬか二択ですね。その雄姿楽しみです」
まって。なぜ喜々として言うのだろう。……もしかして、もはや決定事項なのだろうか。リリスの中で私が神様と戦うことは。ちらりとイブに目をやれば特に止める気はないようだ。
えぇ。
困惑しかない。なぜ。どうしてこうなった。背中に謎の汗が伝う。
「いや、下手したら人類がね。私の所為で世界が――」
「それなら、大丈夫ですよ。成し遂げられます。リオ様なら。まぁ、倒れたらしょうがないです。そう思います。大丈夫です。ジャベル様つるし上げますので」
一体何の自信だろうか。と叫びたい。そして何が大丈夫なのだろうか、と泣きたくなった。
先生の事はどうでもいい――どうせ逃げる予感しかないので気にもしない――けれどどう考えても私が倒れる未来しか見えない。神様なんて魔術も使えない私がどうやって倒せばいいのだろうか。無理。絶対に無理。
私が知らないところで世界が終わるのはいいけれど、私が世界を終わらすのは――当然嫌だ。絶対嫌だった。
だけれど――。ときゅっと唇を噛んでしまう。
これしか帰る方法が無いというならば。これしか変える方法が無いのだろうか。少なくとも私には分からなかった。このまま何もしないままではきっと消えるだけだ。
私はただ、帰りたいと願うんだ。あの温かな世界に。
独りで――? と考えて。否。
イブを見た。きっとそれではダメだ。ダメなんだと思う。それがどういった感情なのか分からなかったが、私は――この(・・)イブと。
「……イブと帰れるなら」
紫の双眸が収縮し、小さく息を飲む音が聞こえた気がした。それでも些細な変化ですぐに元に戻ってしまったが。本当に気のせいだったのかも知れない。
私はイブと帰りたいんだ。
本人が嫌であっても。意地でも二人で帰りたい。そう思った。イブの為ではなく、イブの両親の為でもない。ただ、私の為に。
――これはきっと我儘なのだと思う。
リリスは柔らかく笑って見せた。
「ええ、ええ。帰れます。帰りましょう。リオ様。微力ながらお手伝いいたします」
リオ様であればきっとやり遂げることができるでしょう。静寂が包む部屋。その中で優しく温かな声が響いていた。
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