伝承
その昔。この世界には太陽と月の神様が存在していました。
二人の神様は何もかも正反対。何をするにも、話すにしても意見が合うことはありませんでした。
ある日神様はいつものように喧嘩をしました。
いつものこと。そのように皆は思っていました。
でもその日は違ったのです。太陽の神様はいじわるで月の神様を地に落として二度と天に上がれないようにしました。
月の神様は嘆き悲しみましたが、ある日一人の人間と出会いました。人間は神様の心を癒して神様はその人間とこの地上を愛する様になりました。神様の力によって人々の世界は幸せになりましたが、それを許さなかったのが太陽の神様でした。月の神様が幸せであることが何より許せなかったのです。太陽の神様は人間をだまして月の神様を殺させ、その躯を食べてしまいました。そして、その人間も食べてしまいました。
死ぬ間際に、嘆き悲しんた月の神様の血は地面を濡らして底から一つの生物が現れます。
人間を食べる生物。魔物が生まれた瞬間でした。
一方で天の神様は月の神様を食べたことにより天に帰れなくなりました。人間を食べたことにより人に近くなった神様は魔物に食べられてしまいました。
その最後。太陽の神様は月の神様の声を聞きます。それは月の神様の最後の魔法。人間を護るために使った最後の魔法でした。
こうして太陽の神様を直接食べた魔物は『魔王』へ。最後の魔法は『聖なる者』となり永遠に敵対することになりました。
おしまい。
ぱたんと本が閉じる音がしてほとんど意識をどこかに失いかけていた私ははっと『起きてます』と言う顔で姿勢を正していた。よだれなんて垂らしてないぞ。
相変わらず何もない部屋に持ってこられた些末な椅子に座っているのはリリス。彼女は幼子に本を読み聞かせするかのような――そう。慈母の塊。そう言うような表情で地べたで――何なら体育座り――の私たちを見つめていた。え。私たちは子供だったかな。傍から見れば異様な光景の気もしないでも無かった。
「寝てましたか?」
笑顔が付き刺さる。怖い。ぶんぶんと無言で頭を勢いよく振った。ちらりとイブを見れば……寝てる……え。寝てる。二度も見たが寝ている。
「この話は、魔物と聖なる者の成り立ちです。神殿に来る小さな子供の為に書かれた物ですね。もうちょっと大きくなると具体的な描写とか……」
少しだけ嬉しそうに読みますか。と問われたら『いいえ』と答えるしかない。読書なんて――いや。勉強が嫌いだし、眠くなる。リリスは『面白いのに』と残念そうに呟いていた。
「にしてもどうして突然、そんな話を?」
――私が幸せになる条件とか謎の提案をしてきたと思ったら、突然本を読み聞かせられるという謎の行動。そもそもなぜ私が幸せになる条件を提示されているのだろうか。考えられているのかも謎だった。私は不幸ではないから幸せなのだと思うのだけど。
生きているから幸せだ。これリオの座右の銘。素敵だと思う。だから余計に分からなかった。
うーんと小首を捻る。
……もしかして不幸を背負っているように見えるのだろうか。何が不幸っていまいち思いつかないことが不幸なのかも知れない。
「不幸なのはその頭じゃないか?」
……。
飴を差し出しながら言われる。真顔で。起きたのか。この魔王。いや、飴は貰うけれども。そしてやはりなぜか考えていることが突き抜けで、怖い。考えないようにしようと飴を口に転がした。目の前でリリスが上品にくすくす笑う。
「分かりやすすぎるんですよ。リオ様は。前から」
「えぇ。何か魔術使ってるとかでは無くて?」
「魔王さまも分かりやすいですよ。存外」
「え――」
励ますように言われても。そうだろうか。
盗み見る横顔は無表情。これのどこが分かりやすいのか分からない。ついでに何を考えているのかも分からない。もしかしたら何も考えてないかも知れない。いや、そう思いたい。そんな事を考えていれば目がかち合い『バカ』と口元だけを動かす。――子供かな。どこか苛正しく思えて、小気味いい音で飴をかみ砕いていた。
ぎりぎりと殺気を流す私を宥める様に咳払いするとリリスは口を開く。まぁ、殺気を流そうが何だろうが涼しい顔をして飴を差し出されるのでさらに悔しいのだけれど。飴一つで何とか舐めと思わている気が……実際何とかなるのだけれど。
食べ物をくれる人は基本良い人です。真顔で弟に昔言ったら本気で頭を抱えられた思い出。
「私がこの話を読んだのは、魔王さまに眠る『核』が恐らく太陽の神様の力で出来ているものだからです。最も神話のお話なので、確証あることは言えませんが」
は。と思いっきり言った私は悪くないと思う。多分鳩が豆鉄砲を喰らった顔をしていたと思うのだけれど、そんな私に苦笑を一つ落としてリリスは続けた。
「そして聖なる者――レイ様の『核』には月の女神さまの力で出来ているはずです」
……なる。ほど。と私は小首を傾げていた。
「えと、つまり月の神様は人の味方で太陽の神様は魔物の味方? あれ? でも――普通反対」
月の神様が魔物を生み出したのだから基本魔物側では。と思う。その魔物に太陽の神様は食べられたのだから人間側ではないだろうか。悔しくないのかお前はと団長がいたら殴られ――励まされそうな感じだ。なんだか想像できて、うっとおしい。
「そうですね。でも、そこまで太陽の神様は月の神様が嫌いだったんです。自分を食べた魔物に力を与えるほどに。一方で月の神様は血から生まれたそれらを――自身が好きな人間を呪いながら食むそれらを嫌いでした。だから願ったのです。消したいと。魔法を使って自分の残った力をすべて聖なるものに与えたと言われています」
ちらりイブに目を向ければ無表情でリリスを見つめていた。
「それで? 俺たちを呼び出したことと、何の関係が?」
「……リオ様。死にたいですか?」
「え?」
まさか突然質問を振られると思ってもみなかった。それは唐突で何の前触れもない。ほとんど反射的に慌てて『いいえ』と答えてから――『違う』と訂正する。よく考えれば、そんなことを言っても詮無い事だったからだ。意味がない。死ぬことは確定しているのだから。
近い未来。私は死ぬ。そんな事分かっているはずなのに。どうしてそんな事を聞くのだろうか。よく分からなかった。
「では、生きたいですか?」
「なん――」
緩やかに伸ばされる手が私の掌を包んだ。いつの間にか拳を作っていたらしい。それを解すように開いて指を絡めとっていく。真摯な視線を外せるわけでもなく、私はリリスを見つめ返していた。
ふと、思う。
言っても良いのだろうか。と。言っても許されるだろうかと。言ったこともないけれど。かたんと心の枷が一つ落ちて、どこかに溶ける。それと当時に一筋の涙が頬に伝うのを感じていた。
「私、は」
「うん」
「生きた、かった。――ひつようと、されたかった。……しなないで。ほしい。そう、いわれ――」
誰かの代わりに死んでほしいとか、世界の為にとか。そんなことは分かっている。仕方のない事だし、喜んで死ぬから。でも。ただ一人でもよかったんだ。
誰かに。『生きて』と言われたかった。
必要だと手を――。
「誰か」
声が引きつる。気づきたくなかった心の底が酷く乾く。苦しいと泣く。記憶の中での両親は手を伸ばしても届かない。弟は護らなければならなかった、。弟が立ち上がれるように姉として庇護対象として――。知らない誰かの婚約者。知らない自分自身。
私はいつだって一人だった。
「そんな、せかい。から。逃げられると思ったのに――」
結局ここにいる。と自嘲気味に笑ってしまう。
「ああ――『私』は
リオではなく。私は――。と底ので考えたところでひたりと冷たい何かが両頬に当たった。鮮やかな赤が視界に広がり、ふわりとした亜麻色の髪が舞う。
「え?」
邪気一つない――いわば子供らしい笑顔に私は思わず目を見張っていた。笑う少年の表情はとても鮮やかな色に満ちている。先ほどまでの表情が嘘のように――光に満ち溢れている気がした。
「俺を見て」
「イブ?」
名を呼ぶと嬉しそうに顔を破綻させる。それはどこかで見た光景で――しかしながら私の記憶には確かに無くて困惑するしかなかった。
けれど。その深紅の目が私の心を引き上げる。笑顔が何かを満たしていく。それはとても不思議な感覚だった。
悲しみも苦しみも。今まで何を考えていたのかと言うことが吹き飛んでいく。
「母ちゃん(・・・・)が言ってたんだ。迎えに行くなら絶対に連れて来いって。友達を一人になんてさせるなって。良かった――。俺は間に合ったんだ。リック」
一緒に帰ろ――と最後まで少年が口にすることはない。さぁつと再び色を吸い込む様にして現れた色彩はどことなく不機嫌そうだ。
それは一瞬の出来事。でも、明らかに何かが違う。元に――魔王に戻ってしまったのだということはすぐに気づける程に。
「驚いた」
溜息一つ。落ち着いた声音で低く呟く。特には驚いていないように見えるが気のせいだろうか。触れていた手を放して溜息一つ。じっとりと説明を求める様にリリスを見た。当のリリスは知らないと肩を竦めるしかないようだ。
「さっきのは?」
「……イブ君です。魔王さまの依り代人格ですね。こう見ると天使が消えて残念です」
それには同意する――ではなく。いや。魔王様。凍るような目で見るのは止めてほしい。その通りなんだから仕方ないと思うんだよ。ちなみにリリスは逃げる様にして視線を外す。誤魔化す様に咳払い一つ。
「まぁ。ですね。リオ様が心配すぎて、魔王さまが役立たずだから出てきたんでしょう?」
「私を?」
どうしてと言葉を言う前にリリスが言葉を紡ぐ。柔らかくて温かな微笑みを浮かべていた。
「リオ様の友達ですから当然です。貴方が。紛れもなくリック様であったリオ様が手に入れたものですよ。ご自身の力で」
友達。友達――と反芻して近くの魔王に目を向けた。友達……に年齢は関係ないのだろう。どうして友達になったのかまったく覚えていない。その記憶すらない。
けれど、その言葉がとてもくすぐったくて嬉しかったし申し訳なく思えた。
そうであったのならば、きっと私をこの子が助けてくれたんだと、ようやく思い至った。――友達だから。大切だから。ただそれだけの理由で。勘違いをしていた自分がさらに情けなくて、申し訳なさが募る。
ありがとう。そう言える相手は、もういない。
私はきゅっと口元を結んで視線を足元に落としていた。
「私、何も覚えていなくて――助けて、くれたのに」
リオ様。そう声を掛けられて私は顔を上げる。
「大丈夫ですよ。忘れても、きっちりと私たちが覚えてます。それはもう。仲良しのお二人でした。イブ君は助けたことを嬉しく思っても、覚えてない事を恨むようなそんな残念な子ではないですよ。魔王さまでは無いんですから」
「ここを燃やしても良いんだが?」
はははは。と乾いた笑いを浮かべて『冗談を』と嘯くリリス。冗談――だろうか。真顔すぎてどこまでが冗談か分からないが、なんとなく燃やさないだろうことは分かった。恐らくだけれどやるならとっくにしていると思う。
リリスは溜息一つ零してから私に目を移す。どこか申し訳なさそうな顔で。
「すみません。リオ様。私は別に追い詰めるつもりは無かったんです。本当にどうしたいのか聞きたくて。リオ様がこのままを望めば仕方ない事なので――」
それで。と小さく呟いてから顔を上げた。
このまま。つまりは
私は。
「どうされますか?」
その言葉にこくりと息を飲んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます