パブロフの犬

 一度目の魔法は、過去に還ることだった。あなたの為に。


 二度目の魔法は、運命を変えるためだった。私の為に。


 三度目は――あの日、あの時。目が合った『君』に私の運命を託した。


 もはやそれを知るものは誰一人としていない。私ですら――きっと覚えてはいないのだろう。もう時を回してしまってたのだから。




 イブのお家は街の北西。過去から幾度も区分けされているため、入り組んだ区画にあった。レンガの小さな家は密集して並び、見上げれば家と家の隙間に洗濯物がひらひらとはためいている。曲がり角では男が泥酔し、嫁と思われるおばさんに怒鳴られているところが見て取れた。どこかで泣いている赤ん坊の声。走り回る子供たち。何というか――活気に溢れている。そんな地区にあるこじんまりとした小さな家。外から見える出窓には鉢植えがあり、赤い花がブーケのように咲いていた。


 感想としてはとても可愛らしい家だ。物語の魔法使いとか住んでそうそう思ったが、おじさんは魔術師らしいのであながち間違いでもない。


 ついでにリオの家はもう少し広い。一応農家出身で土地だけはあるので。


 私たちはダイニングテーブルの椅子に腰を掛けてお子様宜しくホットミルクを頂いている。どちらも子供ではない気がするのだけれど――いいか。別に。ちなみにベルは蜂蜜が入っているらしい。いいな。と言ったら心底嫌そうに一口飲ませてくれた。ついでに手に持っていたマドレーヌも口に突っ込まれた。


 美味しいから、許す。そんなことを考えながらむぐむぐと咀嚼するのではあるが……それを幸せそうに見ている夫婦の視線が気になる。一挙一動を見逃すまいとしている目がちょっと怖い。そして瞬きの回数がおかしい気がする……。私はなるべく気にしないようにして目を逸らした。


 まぁ。仕方ないとは思う。行方不明になっていたのた約三年ほど。ずっと見ていたい。確認したいと思うのが親心だけれど。


 私まで連れてくる必要はどこに? 親子水入らずを邪魔するつもりは毛頭ないのだけれど。


 まぁ、お菓子が美味しいから――いいか。と息を付いていた。わざわざお菓子屋さんに寄ってくれたのだし。私は文句ない。なんとなく、『お菓子に釣られて付いていくバカがどこにいるんですか』と弟の幻聴が聞こえきがしたが、『そんな人間はここにいる』。と怒られない事をいいことに心の中で堂々返してみる。まあ。私を傷付けられる人間はそれほど多くないので大丈夫だろう。悪い人たちでもなさそうだし。


 それに――『私』の知り合いっぽいし。一切覚えていなくて申し訳とは思う。


 というか。なぜわかったし。まぁ、うん……おじさんが魔術師だからいいのか。そう考えることにした。


 いいのかな。


「あの。お菓子ありがとう。おばさん」


 窓の外を見ればもう夜が更けていた。外から鳴る騒めきは収まる気配などないし、楽しげな声が聞こえる。祭りだ。きっと遅くまで騒ぐのだろうな。


 なんとなく魔術師と治安部隊。騎士団の皆さんの虚ろな表情が簡単に思い浮かんで居たたまれない。ヒュームは最近どうしているだろうか。まぁ死なない程度に相変わらず仕事をしているはずだ。


 いつまでも休んでいる場合ではないなと心の中で転がしていた。護衛の任ももはや関係ないし。


 飲み終わったカップことりと机の上に置く。おばさんは『どうってことないさ』とにっこりと微笑んでくれる。なんならお土産にトンっと置かれたお菓子の袋をくれそうだ。さすがに熱視線を送るのはまずいので視線を逸らすと真意に気づいたらしいイブが『うわぁ』というような顔で見ている。


 美味しいは正義なんだ。


「まぁ。今日は夜も更けだし泊まっていくといいさ。シチューを作っているんだ。味見してくれないかい?」


「いや。でも」


 朝帰り。何か違うが朝帰りはまずい気がする。私的にではなく。弟的に。怒鳴り込んできそうな予感がして怖い。


 よく考えたら他人なのに。何あの子。誰が育てたって――私か。いや、きっと前の私が悪いなどと取り留めない事を考えてみる。


「公子様には連絡入れておくから、そうしなよ。なぁ。イブ」


「うん。アンタがいるなら俺も帰らないけど」


「いや。ここにイブはいようよ。せっかく会えたのに」


 とは言っても中身が違うからなぁ。せめて短時間でも『親子』の夢を見させてあげてもいいのではないだろうか。魔王にはどうでもいいことで、何の関係もない事だけれど。あっさりと再び消えてしまうのだろう。ここにいることが奇跡のようなものだし。


 私はちらりとイブを見、おばさんに目を向けた。幸せそうな顔だとは思うけれど、その双眸には不安が見え隠れしている。


 どこかでこの関係は脆いということに気づいているのかも知れない。それはとても悲しい事のような気がした。


 でもなんだろう。何か悔しい。イブがそう言うなら……断れないし。私はテーブルに手を月ながら立ち上がるとぐっと頭を上げた。


「……つ。分かりましたよ。不肖このリオ。シチューの味見をさせて戴きますっ」




 事件が起きたのは夕食を取ってのんびりしている時だった。人様の家でのんびり。もはや馴染んでいるとはどういう事だろう。と自分でも思ったけれど。イブは私の隣でうつらうつらと船を漕ぎ――え。魔王って寝るの? ――おじさんは私と魔術について談笑。いや。使えないけれど知っておくの大事。騎士団は毛嫌いしているしこんな機会はよく考えればまたとない。おばさんはそれを聞きながら楽しそうにしている。


 え。何。この幸せ空間。私が家族の一員みたいになってる。リオの家族を見て思っていたけれど、本来家族っていうのは温かいものなんだと改めて思った。それは嫌なものではなく、心地よく気持ちいい。美味しい食べ物を食べた時の感覚とよく似ているので、これも幸せと言う事なのだろうか。


 そんな折り。どんどんと扉が乱暴に叩かれ、おばさんが対応に出る。仕事柄なんとなく『嫌な予感』というものはある。残念ながら獲物はないけれど、箒で対応できるだろう。人間くらいなら。くるくると箒を回してから玄関を伺うと男が転がるように入ってきた。その顔は真っ青。――恐怖に引きつっている。


 おばさんは形のいい眉を跳ねる。そ


「なんだい? トマスじゃないか。血相変えて慌てて――」


 言葉尻も終わらないうちに男はおばさんの腕を強く掴む。それにおばさんは少しだけ嫌な表情を見せたものの特に慌てる様子はないようだった。


 場慣れしている。そう思う。


「なぁ。治安隊の人間だよな。き、今日は――ああ。違う。違うんだ」


 すっとおじさんが庇う様におばさんの横に立つ。ただ、治安隊と言うからにはおばさんもそこそこ強いわけで。恐らくだけど――体術の部分ではおじさん役に立たないな。と思ったのは内緒だ。


「落ち着け。トマス、何があったんだい?」


「いや。――俺の子、知ってんだろ? ユミィだ」


 混乱。錯乱。兎も角男の視点は定まっていない。ただ言葉におばさんは初めて顔を険しくした・


「どうした?」


「消えてよ……めっ。目の前で。あとに、は。うっ、腕が――血が」


 ドクンっ一つ心臓が鳴る。


 魔物だ。そう思った。だけれど、夜でも障壁が機能している今日に『外』から入るのは多分無理だ。ならば『内』だろうが。だが内にいる魔物は本来、派手な行動は好まない。狡猾で残忍。見つかることもなくのうのうと人を狩る。


 目の前で――腕を落とした。その意味が分からない。


「――イブっ」


 未だ押し問答している男とおばさんたちを無視して、私は叫んでいた。切羽詰まった声。それにも関わらずイブは緩やかに目を開く――少しだけ気だるそうに。ただ、私の言いたい事が分かったのか面倒そうに小さく欠伸をする。


「その子はどこにいるの?」


「――なぜ俺が?」


 イブにしてみれば手伝う道理も、教える通りもない。だが何とか場所だけは教えてくれないだろうかと口を開く。


「場所だけで、いい」


「なぜ――アンタが?」


「おああ。あんた。あんた。確か――騎士団の人間だよな? 治安隊の人間は忙しくて……なぁ、なぁ、助けてくれよ」


 イブの声をかき消したのは男の声。男はおばさんたちが止めるのも聞かずにずかずかと家に入って、今度は私の手をぐっと引っ掴んだ。


 いや、もはや人に物を頼む態度では――とは思ったが『騎士』でいる以上民を守るのが役目だ。殴りかかることを諦めて男を見据える。


 というか。私がそれであるとなぜ分かったんだろう。


 なぁ。助けて。筆しすぎる形相にその考えはすぐに霧散したけれど。


「とりあえず落ち着きなって。離れなって」


 べりべりと私から引き離される男は『頼むよぉ』と未だ叫び、おばさんは『落ち着きなよっ』と一括している。おじさんは困ったように眉尻を垂らしていた。


 収集がどんどん付かなくなって行ってないだろうか。


「ええと。――イブ。場所を」


 兎も角。助けたいのはやまやまだが、私はある意味戦う専門。場所と相手が居なければ手を貸すことも出来やしない。困ったままにイブを見れば、少年は軽く『へぇ?』と楽しそうに口を歪めていた。


 ……怖い。子供にしては邪悪すぎる笑み。不釣り合いな均衡が怖すぎる。しかも、ちょっと怒っている気もするのは思い違いだろうか。


 ひっと声を上げなかった自分は偉い。そう思うが――おばさんたちは気づいていないようだ。なんとなくそれだけは救いだ。いや。男、除く。


 元々青かった顔が蒼白に。え。いや。そこまで……。


「な、ガキ?」


 口をパクパクとさせた後でようやく声を絞り出した。語彙力がさらに低下したらしい。実を知らなければただの子供にそう怯えることって無いと思うけれど。


「『母さん(・・・)』――ユミィって?」


「ああ。こいつ。トマスの妹だよ。今年で――七つか。昔はお前も可愛がっていたんだがねぇ――でも」


 どうしようと考え込む様にして黙り込む。その横でおじさんが宥めるように口を開いた。


「はっきり言って、ここに来たのは間違いだよ。トマス。私たちとてすぐに何かできるわけではないし、いろんな所に連絡を取って、捜索して――。それなりに時間のロスなんだ。言いたくはないけれど」


「俺だって――」


 トマスは弾けるように顔を上げた。それと同時にイブはソファから降りていた。胸のあたり、空気を持ち上げる様にして手を上げている。その上にはよく見る夜を照らす小さな灯り。その明かりに照らされているイブの双眸は溶ける様にして赤から紫に変わっていった。


 亜麻色の髪も、滲む様にして黒へと変貌する。


 ただ、息を飲んだのは男だけで。おじさんとおばさんは『知っている』ように悲し気に見つめていた。そんな事を気にも止めずにイブは口を開く。やはりどこか楽し気に見えるのがやっぱり怖い。もうその笑み止めてくれと言えばさらに深めそうで黙っているしかないのだろう。嫌がらせだけは好きそうだから。


「話している時間が惜しいなぁ。――だな。いいよ。リオ。連れて行ってあげる。そのユミィとやらのの所に」


「いいのっ?」


「救いたいんだろ?」


 だって。七歳は酷い。たとえ生きていなくてもその躯だけは引き取ってあげたい。家族の元にと思うから。


「ありがとう」


 嬉しそうに言うと、若干反応が予想外だつたのか目を見開き、『あ、ああ』と口ごもった。どことなく生暖かい笑みを向けられている気がする。


 ただ、そんな事を気にせずに踵を逃げる様に返すのは男で。恐らくイブの姿に怯えたのだろう。まぁ、色が変わるなどありえない。包む雰囲気も人の子でない。と言えば魔物であるのだし。


「俺は」


「逃がさないよ」


 そう言って両脇をご夫婦に固められる。借りてきた猫みたいに大人しくなった。『やめ、魔物ごときに』などとぶつぶつ何か言っている男におばさんがイブそっくりのにっこりとした笑顔を向ける。


「私たちに助けを求めたんだろう? なら『協力』させてもらおうか」


 『協力(たすけてやる)するから言いふらすなよ。と言うか息子の事を一言でも魔物と言ってみろまじで叩き殺すぞ』とか幻聴が聞こえる。美人から幻聴が聞こえる。え。治安――。おじさんが乙女のような顔でおばさんを見ているからいいのか。いいのかな。


 何も聞かなかった。


 怯え切っている男をよそにあきれ顔で溜息一つ。


「つたく。胡散臭いんだよ。三文芝居かっての。――イブ。『行く』のはいい。帰ってくるんだよ。死体になっても帰ってくんだよ? リックちゃんも連れてな。ここはアンタたちの家だ。それができないなら、骨の一本でも寄越しな。あたしらが死んでもアンタたちを迎えに行ってやるから」


 非常に無茶苦茶な事をいい笑顔で言っている気がするが。死んだら無理だろう。帰ってくるのは。できるのか。できるのかな。……魔術のちからって凄い。


 と横で冷たい視線が降り注がれる。


「あほだろ。まじで」


 なぜなにもしていないのに貶められているのか謎だ。でも――。帰ってきてほしい。そう言う事だけは伝わる。


 それだけでいいから。と祈りにも近い願い。それがとても嬉しかった。


 『私』を待っていてくれる人がいる。心配してくれる人がいる。――ああ。と少しこんな時だけど思った。




 リオでもなくて、リックでもなくて――私はここで生きてもいいのかも知れない。



 はじめて、そう思った。

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