街歩き

 そう言えば、弟のお話ってなんだったんだろ。そんなことを考えながら私は空を仰いでいた。


 よく考えればここにいるの魔王じゃん。よく考えなくても魔王じゃないか。とあまりにも重大な事実に頭を抱えすぎていて忘れていたけれど。


 おかげで八時間しか眠れなかったわ――寝てるじゃないか。という弟の突っ込みはさておき。帰ったら聞かなければと決意する。


 悩み事だろうか。とは言っても弟が姉に相談するなんて……天地がひっくり返るような気がするが。いや――私も姉の威厳というものが出てきた頃なのかも知れないと真面目に考えていた。


 単純に。頼られて嬉しいのもある。


 中央通りを流れる川。その上にある石橋の手すりに腰を掛けて足をぶらぶらさせてみる。行き交う人は皆幸せそうだ。その手には駄菓子や可愛らしいおもちゃ。小さな子供は嬉しそうに父親に抱っこを強請っていた。


 父親というものはああしてくれるものだろうか。リオの父親も大層優しかった記憶があるけれど。自身の記憶に、思い出すことは何もない。もはや声も、顔すらもおぼろげだった。


 うん。どうでもいいか。


 息を軽く吐くとポケットから飴を取り出す。それを口に含んで転がしていた。視界をずらして川の中を覗き込めば淡い色の魚が見える。


 いくら何でも狩らないよな。と訝し気なヒュウムの声が聞こえたような気がして顔を引きつらせた。そこまで野生児ではない。そんなことを心の中で否定して顔を上げれば一人の少年が目に入る。


 亜麻色の髪が風にふわりと舞い、赤い深紅の双眸が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。生命の輝きを映したかのように。


 いや――誰が信じるんだ。これが魔王だって……。生命を刈り取る側なんですけど。思わず顔を引きつらす。


 ちなみに年の頃は十歳前後で以前見た時と変わらず可愛らしい面差しをしていた。


「待った?」


 少年。魔王はあどけない笑みを浮かべた。まるでどこにでもいる少年のように。この演技をしてくれるのだろうか。尊大な雰囲気は無いのでこちらの方がいいと心底思うが――怖い。若干頬が引きつるのを必死に抑えた。


「そんなには待ってないよ――えっと。なんてよべば? まおう……くん。はさすがに……」


 ……まずい気がする。


 痛い。気のせいだろうか。確実に痛い。人前で言うのは憚れる名前だ。いや、間違ってはいないんだけど……だって正しく魔王だから。そう言えば歴史の中で魔王としか出てこないけど名前あるのだろうか。


 考えながら口を開く。


「無ければ適当に――」


「これの名前は『イブ』だ」


 少し食い気味に。そして力強くきっぱりと言われて、私は目を瞬かせた。勢いに驚いたこともあるけれど、どこかで聞いたような名前だなとぼんやり思ったのだ。ありふれた名前と言えばそうなのだけれど。


「ん……イブ――。うん。宜しく。飴食べる?」


 私は手すりから滑るように降りて持っていた飴を手渡した。少し固まった後、再起動したのはなぜなのか。もしかして飴が嫌い――とか。


 魔王なのに。


 甘いのに。美味しいのに。


「嫌いなの?」


 声に咳払い一つ。視線をずらして飴を口に投げると『甘い』と独り言ちる。それから視線を少し考える様に天に投げ、私にそれを向けた。


「――な。あの……さ。俺もリオって呼んでいいか?」


「え。あ、うん? はい」


 そんな事に許可を求められるとは思っていなかったし、勝手に呼ぶばかりだと思っていた私は少し驚いていた。やはりここでは『純朴な少年』を演じることにしたのだろうか。と疑念の視線を送れば少し照れたような笑みが見える。口調もなんだか若々しいし。


 ……うわぁ。が正直な感想。


 怖いわ。何を企んでるんだと言いたくなる。なぜか満面の笑み――何あれ悪魔か――で私の獲物は先生に私の獲物は取り上げられているし、暗器だけでは心もとないというか倒せない。


 ……考えることを放棄した。


「それで。どこに付き合えばいい? イブ?」


「そうだな。リオの行きたいところに行こうぜ。今日も祭りなんだろ?」


「そうだけど」


 どこかに付き合ってほしいから呼んだんではないんだろうか。もしかして……遊びたかったとか――友達いなくて。人間のそれと同じか同化は知らないけれど。それでも。


 可哀相。勝手に同情すれば半眼で見上げられた。


「なんかその顔むかつく。やっぱ燃やそうか?」


 パンっとその声をかき消すように私は掌を叩いていた。聞かなかったことにしよう。そうしよう。


「あぁ。私、ちょうど行きたいところあったんだ」


 胡散臭そうに見て『どこ』と低く尋ねられた。




 ――祭りと言えば、『大食い大会』。リックの時は祭りにさえ行けなかったけれど、リオは小さな祭りから大きな祭りまで大好きだった。なぜなら、ただ飯ができるから。


 そう。大食い大会という名のただ飯が。何せ勝てば食べ放題の上に賞金迄付いてくるという豪華おまけつき。太らない体質って憧れると思ったが、なんてことはなく鬼の鍛錬でカロリーを消費しているだけだった。


 大通りから抜けた広間。特設会場にいい匂いが漂っている。この世界でこれから怒ることとは裏腹に、何とも平和な光景だった。


「リオっ。てめえ、今回も出るか」


「負けん。今回こそは、大食い王の何掛けて」


「つぅか、殿堂入りだろう? そっちのちっこい坊主が挑戦すんのか」


 いずれも話しかけてくるのは巨漢の男たち。なかなか若々しく、もはや年齢が分からないが、子供の頃から見知った男もいる。それに私は「うっす」と軽々しく答えていた。もはやある意味戦友といっていい。


 今日の大食いメニューは……。チキンドリアらしい。見るたびに大きくなっていく鍋に誰もが引き気味だ。見つめる観客は『え。まじで』とか囁き合っている。想像以上らしい。


 それはイブだって過言ではないらしかった。


「……え。リオ?」


 困惑をまともに出した顔に私は肩を竦めてみせた。


「出る気は無かったんだけど、行きたいところにいっていいって言うから? イブも出る?」


「いや――」


「食わねえと大きくなれねぇぞ。まだちんまいんだからよ」


 貴方たちみたいに横は大きくならんでいい。と言う前に深紅の双眸がうっすら暗く、深くなった気がして私はひゅうと息を飲んでいた。


「喰って、いいのか?」


 ……ひぃ。


 絶対意味が違うよね。それ。微かに声音も魔王モードになっている気がする。いろいろまずい。私はバッと小さなイブの手首を掴んで身を翻した。やばい。ここから一刻も早く立ち去らなければ、おじさんたちが早食い大会の餌食に……。


 祭りが血祭りに――ってそんな場合か。兎も角そうなってしまえば私に止めることは不可だ。


「おいっ。エントリーは……」


 そんな場合ではない。私は手を上げた。


「また今度っ――次は負けないから」


 戦った覚えはないけど、次回は負けない。というより私のチキンドリア。チキンドリア食べ放題が。後ろ髪惹かれる思いで立ち去るしかなかった。




 ……なんだろう。この疲労感は。とりあえず自身が行きたいところに回ってみて充実しているはずなのに、無駄な疲労感に私は中央広場のベンチでぐったりとしていた。空を仰げば茜色に変わっている。


 何したんだっけ。とりあえず食べ歩いて、武踏会に出ようとして『騎士団』は不可という謎の門前払い。腹いせに腕相撲をしてまぁいい所まで行ったんだけど負けた。やっぱり筋肉ゴリラには勝てないね。うん。鍛錬で何とかなるだろうか。そう考えながら友達のパン屋に寄って話し込んで。主に愚痴とか、悪口とか――。


 ……えぇ。


 魔王様にとって何が面白いんだろう。これ。聞いたことは聞いた。一応。『楽しいのか』と。帰った答えなんて無表情で首を傾げて『楽しいんだと思う』だ。


 いいのかな。ほんと。


 溜息一つ。私はちらりと話し込む一家族に目を向けた。家族。そう家族だ。どう見ても。突然縋りつかれて泣き始めたのでどうしようとは思ったけれど。どうやらイブを探していたらしい。消えてからずっと――。


 イブを取り囲む男女の姿。イブと良く似通った面差しの女。目も髪もイブと同じ色をしている魔術師然としたローブを羽織った男。女は号泣しながらイブを抱きしめて、男はその女を護るように肩を抱いていた。


 魔王にも家族が――とは思ったが、よく考えれば魔王は『発生』するもので生まれる者ではない。元々の身体。あの子供の両親なのだろう。イブ――魔王自身はよくわからないまま、目を瞬かせいてる。


 あ。こっちに来た。


「リックちゃん。ありがとね」


「……はい?」


 開口一番言われた言葉に私は目を瞬かせる。リック。なぜその名前が出てくるのかも分からなったし、その名で呼ばれる理由も分からない。


 ニコニコと上機嫌に笑う母親は私の隣に座るときゅうと手を握って祈るように額に押し当てた。掠れたような声は些か震えて響く。


「また(・・)この子を見つけてくれてありがとうね――あんたは私たちの恩人だよ」


 震える細い肩。ぽたりと手の甲に温かいものが流れ落ちていく。もう一つ。


「――?」


 誰かと間違えてないだろうか。とは言えなかった。


 間違えているはずだ。その――リックと……いやいやリックも私だし。知らないし。なら違うリックさんだろうか。こう見えても私の顔はどこにでもある顔なので。


 困惑したまま答えを探すように旦那さんの方を見るとにっこりと微笑まれてしまった。微かに目元が赤い。


 兎も角として否定はないようだ。


 ――もしかしたら息子が消えたことで夫婦揃って心を壊していたらどうしよう。そんな疑念が過る。


 軽い修羅場――いやいや。心に塩を塗るような事はしたくなかったし、なんだか先ほどの幸せそうな家族の姿が忘れることが出来なかったからだ。


 家族。ね。そう呟けば、なんだか弟に会いたくなった。血筋ではもはや家族ですら無いんだろうけれど。それでも大切な弟だ。


「さすがだね。イブにはもったいないよ」


「もった――は?」


 鷹揚に笑ってますが、何の話ですか。一体。私は魔王と何の関係も――ああ。心臓持っていた。と項垂れる。半ば混乱しながら半べそ交じりでイブに助けを求めるしかない。何とかしてくれる。そんな事は微塵も思っていないが、何とかしてくれたら株が上がる。


 だからと言って何もないが弟に言って語り継ぐ位はする。きっとする。何をって……良い魔王とか――。


「あの。イブ。どうしよう」


 小さく耳打ちすれば目を細める。どこか楽し気に見えたのは気のせいだろうか。いや――楽しんでやがると次の瞬間思った。なぜなら『面白そうだよな』と口の動きだけで知らせてきたからだ。つまり静観するという事で。


 おのれ。



 ……元々地の底に這いずっていた株だがさらに大暴落した瞬間だった。


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