約束
王宮は広い。広すぎて迷子になる。トイレは大広間から抜けて北側。所要を済ませてトイレから出るともはやここはどこだか分からなくなっていた。歩けば歩くほどに人がいなくなる。ヤバイ。これは不法侵入、もしくは秘密保持の観点から即時死刑とかでは――と怯えつつ出口を探して彷徨う。
壺になんて惑わされないし、なんか置いてある鎧なんて着たいと思わないし。あ。この剣かっこいい。
ではなく……以前の反省点を踏まえて前を見据える。
静かな廊下にフワフワと魔術の光が舞う。淡く温かな光。目で追ってつられる様にして足を踏み出していた。
「バカか。本当にバカなのか? 何かにつられて歩くなんて子供じゃないんだからさ」
罵倒。暫く歩いているとなぜか呆れた様に罵倒されているんだけど……。え。なんで。どこか聞き覚えのある甲高い声。その主を探しながら辺りに目を巡らせば柱に凭れ掛かるようにして少年が立っていた。
年の頃は――十才前後。亜麻色の髪と深紅の目が鮮やかに輝く少年に既視感を覚え首を捻る。少年はそんな事を気にせずに私の隣に立って私を見上げていた。可愛らしい顔立ちだ。将来は美人になるのではないだろうか。となんとなく思う。
「道に迷ったの?」
「それはアンタじゃん」
「……ぐ」
冷たい目で言われ言葉に詰まる。確かにそうだけど。どうしてそんなに尊大なんだろうか。そんな私を無視する様に踵を返すと一人かつかつと軽い音を立てて歩き始めた。
「来ないの?」
どうやら連れて行ってくれるらしく小走りで少年に駆け寄る。王宮の使用人か小間使いだろうか。パーティに来たということはないかも知れない。服はごく普通の簡素なものであったからだ。
「え。あ――ありがと。大広間がわかんなくて」
「ふぅん」
大して興味のなさそうに返答する横で私は人形のように整った幼い顔立ちを眺めていた。
「あの、ね。どこかで会ったっけ?」
赤い双眸が一瞥する。視線を戻すと少しだけ不快そうに眉を寄せた。……会ったことがあるらしい。
やばい。思い出せない。記憶を掘り返しても手で来ないとはこれ一体。
「――その傷。痛むか?」
言われて何の事だか分からず目を瞬かせたが――ああ。と小さく息を付いていた。分からないとは思ったけれどやっぱり分かる人には分かるんだと苦笑を浮かべる。
まぁ、誰が何と言おうとどうでもいいことだが。
「いや、もう全然。酷く見えると思うけど大したことではないんだよね」
「そう。治したいとは?」
そんなに傷が気になるだろうか。物珍しいのかも知れない。ままだ子供なのだし。というか――子供にしてはなぜか尊大だけどね。
「あ――ないよ。身体が動けばどうだっていいんで。最悪化粧である程度隠せるわけだし」
「へんなの。俺だったら嫌だな」
確かに。と力強く付け加えればじっとりと睨まれた。何が起きに召さなかったんだろうか。
「ええっと。そうだね。可愛い顔してるし。私みたいになったらもったいない。……じゃあなくて。気にしてみても仕方ないという事だよ。私。騎士団に努めてるからまぁ、怪我は勲章みたいなものだし、箔が付くっていうか」
現に騎士団の同僚は身体にどこかしら傷の痕がある。それを新人研修の時に見せびらかすまでがお約束だ。欠損は仕事にならないので引退か事務方に回る……まぁ大抵引退を選ぶ訳だが。
「ふぅん? そんなものか。へんなの」
「そんなものだよ」
暫く歩いていくと人々のざわめきが聞こえてくる。小さな扉からは溢れるばかりの光。覗いてみれば忙しなく使用人が歩いている姿と、着飾っている老若男女の姿が見て取れた。優雅な音楽すら流れ込んでくる。
「裏口だねえ」
「裏口だな」
扉を開けようとすれば少年はピタリと足を止めた。入らないのだろうか。
「行かないの?」
「俺はアンタを送ってきただけだから。ここまでだな」
「え。美味しいもの食べられるのに? おやつもあるのに?」
今逃したら一生後悔するのに。私はする。絶対する。なぜ食べないのか分からないと心底不思議そうに見れば多少引きつった顔で『間に合っている』と答えられた。
え。それってとっても――お得では?
「いいなぁ。あ、お父様が料理人さんとか……私は甘いものが好きなんだよ」
「え? え? は? うん?」
話の筋が理解できなかったのだろう少年は困惑した表情。逃げられるのもまずいと感じた私は強めに小さな手を握りこんだ。
事案ではない。これは決して事案ではない。
いや、だって間に合っているなんて、いつでも美味しいご飯とお菓子。そんな夢のような生活。尚且つ痩せているということは体調管理もばっちり。服はどう見ても平民なので絶対親御さんは料理人に違いないと踏んだのだ。しかもどこぞの貴族に雇われていると見た。ぜひとも。ぜひとも。
お友達に――お菓子込みで。
赤い双眸が私を映しこんで見開かれている。
「お家行きたいで――」
す。と皆迄いうことが出来ずに私の身体はべりっという音が聞こえる様に少年から離された。首根っこ。首根っこ捕まりているおかげで苦しい。
若干涙目で見れば、相変わらず麗しい美女が半眼で立っていた。
「おいこら、姉上(へんたい)。止めなさい」
「ベルっ」
「どこかへ行ったと探してみればこんな小さな子をなん……ぱ」
ぽとりと地面に落とされる。意味が分からなくて見上げれば凍り付いた表情で少年を見つめている。少年は表情無く、淡々と弟を見つめ返していた。
「……しりあい?」
「イブ?」
弟が言うと口元を少年が軽く歪め笑う。
「この間会ったばかりだ。驚くことでもあるまい」
若干口調が。子供から乖離したものになる。こちらが地なのだろう。似合わないとどうでもいい事を思った。
「なぜ、ここに? 姉上に会いに?」
「俺の心臓が元気そうで何よりだ」
ん?
「は?」
心臓――心臓。間抜けな声と共に二人の視線が私に突き刺さる。嫌な予感しかしない。え。嫌だな。ちよっと思い出したくなかった記憶が頭に浮かんだんですけど。
この頬を焼いた『魔王』の姿は初め少年をしていなかっただろうか。亜麻色の髪と――深紅の双眸。整った顔立ち……。
冷たい弟の間視線と呆れたような魔王の視線に泣きたくなる。
「姉上。嘘ですよね? あの町で会ってたって僕は聞いていたんですが」
……思わず目を逸らしてしまう。
「え。いや、もう遠い昔だし。え。昔だよね。というか、なんでここにいるんだよっ。障壁は? 障壁」
むしろ今ここに。と叫んでみても障壁はやってこない。レイすら召喚できないし。少年――魔王には小ばかにしたように、はっと声に出して笑われる。どことなく尊大な理由はそれか。それだったか。とがっくりと肩を落としていた。
「そんなものが俺に効くわけないだろう」
「ですよねぇ。で、ここで決戦をしようと?」
愛用のレイピアは整備中だ。そしてドレスに剣というのはあまりにもである。ということでそんなものは持ってきていない。暗器ならあるが……正々堂々使うものではないし。
「そう言う意味では王都と王宮の障壁は効いているな。聖女もいるし――お望みなら。この命使って壊滅ぐらいはいけるか?」
可愛い顔で何いを言っているのか分からない。
「止めてください。お願いします」
「でしたら何の御用です?」
すっと私の前。護るように立つけど――私の方が強いから。とは言えない。何か心を折ってしまいそうな気がした。
「特に用件はない。本当に心臓を見に来ただけだ」
「え――もしかして人を食べに?」
「なんだ。喰って欲しいのか? 特に美味いものではないが――」
「ははっ。止めてください」
本当にしそうで怖い。いや、言われなくてもしそうで怖い。何しに来たんだろう。こんな時に先生がいないのは非情に腹立たしかった。単なる八つ当たりだけど。
「なら」
帰れ――。弟がそう言う前に魔王は口を開いていた。
すっと伸ばされる少年の華奢な手。意味が分からなくてぱちぱちと目を瞬かせて見せる。
「そうだな。そこの心臓。少し俺に付き合え。なに。勝手に心臓など抉りだしたりはしない――付き合ってくれるだけでいい」
それだけでいい――。
最後に重ねた言葉は本人が言ったのかというほど弱々しい。不安に揺れる双眸。なんとなくだが断っても何も起こらない気がした。きっと平然と去っていくのだろう。何事もなかったように。
でも。なんだろう。今を逃せばきっと会うことは無いのかも知れない。それは――なんとなく嫌だ。そう思った。
溜息一つ。
「いいよ。殺さないでいてくれるのなら」
私は生きたいから――そう付け加えて少年の小さな手を取っていた。
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