怒り

 ――私が『最後』に聞いたのは悲鳴だった。泣き叫ぶ幼い声。それは誰かを罵って。半狂乱で『嫌だ』と叫んでいた。『これはせかいをすくうため。みんなをすくうため』と誰かが言う。そうなんだよ。と言ってあげたかったけれど、何も届かないのが悲しい。皆を救うために要らない私が消えるんだ。何も間違ったことではない。だってそれが幸せな選択だから。だからそこまでなぜ『私の為』に泣くのか私には分からない。なぜ――と聞きたくとも、すべては虚ろで……もはや消えるだけしかない私には如何する事も出来なかった。


 せめて『ごめんなさい』と言えればいい。『泣かないで』と伝えたかった。そうしたら泣き止んでくれるだろうか。忘れてくれるだろうか。それもそれで胸が痛むのはとても矛盾している気がしたが。それでも多分――きっと声の主にとっては幸せだ。


 だから――。


 口を開く。だけれど音にならない声に被せる様に響いたのは幼く甲高い声。しかしどこか凛とした声だった。


 お前らは大人のくせに全員嘘つきだ。――それじゃ。リックは誰が救ってくれるんだよ。





 月明りに照らされた中庭は――まるで戦場のようだ。まるで大きな軍隊が蹂躙したかのように美しかったな庭は荒れ果て、血と埃で染められている。じりじりと残り火は近くの枝を焼き、幾人かの同僚は倒れて動かなかった。生きているのか、死んでいるのか分からない。ぐっと息を飲んでから私は団長やヒュウムの姿を探すと、風を巻き込む様にして戦う団長の姿があった。


 大柄な体格がすばしっこく跳ね、重量級の大剣は片腕で空間ごと切り裂く。その衝撃派は軽く地面を抉る程だ。爛々と輝く双眸。その表情は鬼神のごとし。私はこの団長が負けたところを知らない。傷一つ負ったところも見たことは無い。しかしながらだらりと目を潰すように流れる赤い血と力なく垂れている片腕にどうしようもない不安を覚えていた。


 ――どういう。


 剣戟(ケンゲキ)で舞う砂塵。その中から青年が――どう見てもごく一般的な細身の男だ――が地面を蹴って飛び上がっていた。信じられない、どう考えても一般人ではない跳躍力だ。彼は重力の関係でむ落ちるしかない団長の顔に拳を叩き込もうとしたが、団長は身体をずらし剣を薙ぐ。ただ上手く力が入らなくてバランスを崩したのか背を向けて一気に地面へと叩きつけられた。轟音と共に土埃が舞い上がる。


 あ。死んだな。あれで生きていたとしたら――生きてたわ。人間。人間だろうか。などとバカなことを突っ込んでいる暇はない。ばらばらと巻き上げた埃の中で、団長は剣を杖代わりにして立っていた。ぜえぜぇと息を吐き出し、口からはジワリと血が零れている。


 それでその目だけは爛々と輝いていた。 威嚇する様に。


「団長っ」


 慌てて私は団長の隣に立って、剣を構える。その視線の先には悠然と立っている青年の姿。人懐っこい笑顔が酷く不気味に思えた。


 団長は青年を睨んだままピリリと殺気の籠った声を吐き出した。


「くしょ――おせぇっぞ。何人倒れたと思ってやがるっ。てめぇらは援護を。主体は俺が。ヒュウムにも任せてある。死にたくなければ、奴の矢に当たんな」


 ちらりと視線を奥まった木々に移せば暗がりの中で二人程矢をつがえているのがなんとなく分かった。それを見ながら『了解』と呟く。


「人型か」


 殿下の声。私は顔を顰めていた。


 人型の魔物は滅多に現れないし、『あれ』がそれだとしたら私は初めて――魔王(あのこ)をカウントしなければ――見る。恐らく騎士団の中でも見た人間は少ないのではないだろうか。


 絶対数が少ないうえに人と紛れて生きる魔物。それが人型だ。相容れない人間と生きるのは簡単に言うとそのほうが『楽』だからだ。楽すぎて彼らが糧よりも求めるようになったのは人の悲鳴と力の確保。往々にして冷酷、残忍、無慈悲。そして魔王に近い力を持つといわれている。


 ただ。そんなものがなぜここにいるのか分からない。人が――ある意味――好きすぎて街から離れたがらないというのに。それはそれで本当に遺憾なのだが。


 団長は吐き捨てる様に言葉を紡ぎ、顔に流れる血を乱暴にふき取った。


「はっ、情けねぇ。見ての通りだ。閣下さんよ。時間稼ぎはしてやる。下手すりゃこの領地取られんぞ? あの化け物に」


 それは――騎士団だけでは、団長では無理という宣言だ。つまりは魔術師も呼べと言う事なのだろう。あの魔術師嫌いの団長が、である。そこまで窮地に立たされているという事を認めるしかない現実が悔しかった。


「ああ。分かっている」


 どこか冷静な殿下に『そうかよ』と馬鹿馬鹿しそうに転がすと片手で再び柄を握りこむ。ぐっと低く腰を屈め、剣を振り抜く体制に入った。


「ちくしょう。こうなったら、やってやらぁ。死に物狂いで行くぞ。てめぇらっ!!」


 唸るような音と共に振り抜く剣。それと共に、ぐっと強く団長は地面を駆る。それに合わせる様にし、私たち(・・・)は別方向にばらけようと地面を蹴った。


 ただし。微動だにせずにこりと笑う青年がやはり気持ち悪い。余裕と言うよりは意に返していない。そんな笑みだ。


 端的に言えば、舐められている。


「話、終わった? というか――女の子がいるんだ。その子」


 鈍い銀色の大剣は風を巻き込んで振りぬかれる。通常指一片でも触れれば叩き折れ、その体ごとふ消し飛ぶ程の威圧。だが青年は一瞥し、何事も無いようにそれを手で受け止めた。まるで落ちてきた紙切れを拾うかのような仕草で。その視線はすでに団長にはなく、後ろを取っていた私に向けられていた。


 な。


「なめんなっ――化け物」


 流れる様に団長は剣の軌道を替えていく。が、やはり当てることはできない。今度はすり抜けて空しく剣が地面に突き刺さった。その機を逃さず、だんっと一歩踏み込むと掌を顎まで振り抜く青年。団長は思わず剣を放して避けるしかなかった。


「ちょっと黙れよ? めんどくせぇなぁ……って。まだいたのか」


 弾けるように団長が退いた後ろから殿下が躍り出る。団長がでかすぎるのか、殿下が小柄なのか。あるいはその両方なのか――団長で死角になっていたらしい殿下に、少しだけ嫌そうに眉を顰める。


「ち」


 小回りの聞く長剣。速さとしては私より劣るが次々に流れる様に繰り出される剣は隙がない。青年は間合いを取ろうとしたが、その間合いを私の剣が詰める。


 挟み撃ちにするような形。だけれどそれを避けるのも大概だ。捉えた。そう思ったのだが。


「ちまちまと……」


 一瞬の隙だったと思う。ぐるりと身を翻すと青年は一歩で私の懐に入り込んだ。息を飲む間もなく、ぐっと頭を掴まれてそのまま殿下に投げつけられた。もちろん『逃げろ』なんて言う暇はない。


「ぐっ――」


 私たちの身体は折り重なるように地面に乱暴に叩きつけられていた。衝撃に息が詰まる。カラカラと小さな音を立てながら私のレイピアは空しく地面を滑り、青年が拾い上げた。態勢を――と身体を起こした目の前に突きつけられたのは細い銀の切っ先。それに思わず息を飲んでいた。


 一寸先は――死だ。


 その双眸に何の色も乗っていない。なまじ表情は人間の少年がするような表情を浮かべているから酷い違和感がある。


 青年は団長、そして殿下を一瞥し溜息一つ。


「どいつも、こいつも。動くなよ? まったく。俺は見に来ただけだっうのに。どうしてこんな事になんだよ」


 風を切る音。放たれた矢を簡単に掴むと叩き折る。どうやら矢は援護にもならないらしい。ヒュウムが来るのが早いか、私たちが殺されるのが早いか。


 埃っぽい空気の中でギリリと唇を噛む。


 いや。来ても対して意味を成さない気がする。むしろ来るなと言いたい。死ぬから。


「見に来た? 何を?」


「あんた。心臓なんだろ? あの糞野郎のにおいがする。あの野郎が助けて、おまけに見逃したとあればどこぞの深窓の令嬢かと思ったけど、なるほどね。野郎は変わったご趣味お持ちのようで――なぜ助けたんだと言いたくなるな。くだらなくて、つまらない小娘だし。まずそう。もっと上手そうだったらいいのに」


「……私」


 言葉を思わず零していた。


 私は視線だけで辺りを見回した。酷い惨状だ。団長はボロボロだし、同僚はピクリとも動かない。使用人の服を来た人は血に濡れていて、足がーーありえない方向に曲がっている人もいる。


 そんなことの為に?


 ざわりと心の中で『何か』が沸き立つ。冷静だった感情を侵食していく。心臓は脈打ち、目の前が赤く黒く染まって行くようだった。


 そんなことのためにみんなが。


 怒るのはお門違いだし、意味はない。人とは違う概念。心。器が似ているだけで――別の生き物なのだ。分かっている。


 リオは今まで、大好きだった故郷が潰れても、初恋の人が殺されたって魔物に対しては怒らなかった。意味がないから。その代わりにこの仕事を持って人を救える事を誇りにしていた。


 でも。私はリオではない。


 呼応する様にドクンと心臓が鳴った。


「なら。見ただろう?」


 帰れとでも言わんばかりに響く殿下の声。これ以上は持たない。そう私たちが。この場所が。殿下言葉ににっこりと相変わらず人のいい笑顔を浮かべる。


「え――せっかく来たんだから貰うよ? その心臓。肉はまずくても魔王の力が乗ったものなら美味いだろうし」


「その魔王は死ぬ、が。お前たちにとっても大切なものなのだろう?」


 さりげなく私の肩を退いて身体を間に滑り込ませようとする殿下。それが分かったのか、私の頬を軽くレイピアが切り裂いていく。


 痛い。でも痛くなんてなかった。痛くなんてない。私は青年を睨むと不思議そうに眉を跳ねる。反対に痛そうな顔をして殿下は眉を顰めた。その顔に視線だけで『大丈夫』と返す。


「今代が死ぬだけだろう? どうでもいい――ま、血肉食ったら俺も魔王になれるかもだし」


「なれない」


 私はぴしゃりという。


「は?」


「ならせて、たまるか。お前みたいな奴に」


 ――私は怒っている。震えるほど。くだらないことで『こんなこと』をする魔物にも。こんな事になった元凶である私にも。


 何より――私を……『くだらない』と言ったことに憤っている自分に驚いていた。


 心臓が明らかな熱を持つのが分かる。目が焼け付く様に熱い。


 許さない。


「くだらないなんて――『あの子』が命をかけたものをくだらないなんて。許されない――許さない」


「な? お前」


 ぽたりと頬から地面に血が落ちて、炎が灯る。その炎はまるで意志を持っているようにうねうねと動くと青年の足にからもうとする。ただ踏みつぶされて終わったが。


 はっと青年は軽く笑った。


「――魔術か? こんな物で俺に」


「勝てるわけがない。知ってる――でも」


 私は突きつけられているレイピアに視線をずらす。そこにはもちろん私の皮膚。血が乗っていて。


 刹那――ぽんっとあまりにも呆気なく、軽い音と共に炎が青年の元に広がった。それは全身を包むどこまでも白くて青い炎だった。


「消えて」


 悲鳴さえもなく。骨の一片すら残らずすべてを燃やしつくしたそれは何事もなかったように消え去っていた。


 きっと私の言葉は届いていないだろう。もっと――恐怖をあげたかったと思うのはもはや私が人ではないからなのだろうと、ふと思う。


 けれど、べつにいい。いいよね。私はもとより人ではない。人で在るつもりではいるけれど。


 私は最後まで私として生きるだけだから。


 そうしたら――許してくれるかな。


 ああ。誰かは分からないけれど。


 私はぱたりと倒れて天を仰いだ。柔らかな月の光にゆっくりと目を閉じる。ポロリと涙が一滴零れたのはなぜだろうか。


 微かに私の名前が――『リック』とうれしそうに、楽しそうに――愛おしそうに呼ばれたような気がしたけれど、私はそれを確認する事も出来ずに意識を泥の沼に沈めていく。


 深く、意識の底。


 どこか。懐かしくて苦しい。くすぐったくて、嬉しい。


 そんな記憶に触れたような気がした。

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