小部屋

 死ぬ。死ぬ。死ぬぅ。本日。そんな言葉を何度吐いただろか。まぁそれを言えると言うことは死ぬはずなんて無いと分かるんだけれど、それでも言いたくなる。


 予備運動にもなりゃしねぇ。やる気あんのか。


 そう言って凄まれた日には久しぶりすぎたせいで泣きたくなったわ。その後で怒り狂った団長に扱かれる――ヒュウムは喜々としていた――こと半日。心地よい昼の風が夜の冷たく感じられる風に変化していた。終了の合図なんて呆気ないもので。


 寝る。


 だった。その場で目を閉じ――大体三秒くらいで――いびきをかいている団長の寝首を掻きたかったが、みしみしと悲鳴を上げる身体に耐えきれず諦めた。当然の話だけれどヒュウム――以下同僚も同じなので労わってもらえるはずもない。部屋に帰る途中で『人を呼んできます』と赤髪のお姉さん――マイルさんが去っていったが何をしているのか一向に戻ってくる気配はない。私が気絶させた護衛でも起こしているのだろうか。……まだ気絶している方のが驚きだけれど。どれだけ耐性が無いんだろう。


 というか。この邸。アース家の伝統なのか何なのか使用人が規模の割には少ない。ここまで来て誰にも会わないとはどいう事だ。


 兎も角として。マイルが戻ってくるまでに身体が溶けてしまいそうで近くの使えそうな部屋で眠ることにしたのだ。


 辛いし。


 出来ればベッドがあるところがいい。ソファーでも可だけれど。埃が溜まっていなければなおいい。と考えながら近くの扉を開けるが、ベッドはない。倉庫のようだ。いろんなものが押し込まれている。乱雑に置かれた絵画に目を向けると――見覚えのある家族が微笑んでいた。


 これが『絵にかいた幸せ』などと心の中で苦笑を漏らす。こんなシーンを私は知らない。家族で揃ったことなど記憶になんてなかったし、きっと別々にかかせたものなのだろう。あの人たち、虚栄心だけは強かったからなぁ。


 ま……どうでもいいけど。今更何も感じないし。


 弟の成長記録等があればもって帰っても許されるだろうか。姉の特権だし。別に変態ではないし。


 みしみし痛む身体に鞭を打ちつつ辺りを漁ると小難しい本が積み上げられている。パラパラとめくって気が遠のくのを感じた。眠れない夜などにいいかもしれない。が。不要だ。頭をぶんぶんと振ってから辺りを見回していると、古びたごく一般的な扉が目に入った。ただ、辺りとは違ってどこかドアノブには埃が付いていない。


「……」


 お宝。金庫室。成長記録。弱みを握れる成績表でもないだろうか。そうしたら姉としてこう――威厳のようなものが生まれるかも知れない。


 お髭を伸ばせたら完璧だったのに。ここばかりは仕方ないと溜息一つ。


 手を伸ばして冷たいドアノブに触れると、力を入れるまでもなく蝶番が軋んで開いた。


 あ。ウサだ。


 開いてすぐ発した感想がそれである。妙に見覚えのある兎の赤い目と、私の視線がぶつかり立ったのだ。奴はこちらの部屋を監視する様に椅子の上に置かれていた。


 可愛いのにこうしていると怖いのは気のせいだろうか。考えながら懐かしいそのお腹に顔を埋めてしまう。久しぶりだし。


 ……。


 ……埃っぽさが増した気がする。洗わないと。


 ウサの事は後で弟に頼むとして。と私は『お宝』を探すために辺りを見回した。


 広くて暗い部屋だ。窓には分厚いカーテン。年代物の机にはこれまた年代物の燭台が置かれている。真新しい蝋燭だが――種火が無くて諦める。魔術もできないので暗いままなのが悲しかった。そのまま視線をずらすと一つのベッドに目が留まる。


 大きなベッドだ。ちょうどマットレスも敷いてある。そしてなぜかお布団もある。そしてふわふわに見えるのは気のせいではないだろう。


 ……。


 ……これは。


 ダイブだ。ダイブするしかない。ここは公爵家。ふわふわのベッド……。かつて令嬢だったころそんな機会なんて無かったし。無駄に硬かったベッドの上で飛び跳ねて怒られたことは――あるけど。ダイブなんて痛そうで嫌だったんだよね。でも。


 できる。


 やれる。


 私の天国がそこに。


「だ――」


「まて、まてっ」


 刹那。ぐっと思いっきり私の首がしまった。そう。服の襟で。息が詰まる一瞬に私は『ギブアップ』と言う様に手をひらひらさせる。だからといって『あ、すまない』と対してそんな事を思ってもない声音で突然手を放さないで欲しい。バランスを崩した私の身体はいとも簡単にバランスを崩して床に頭を叩きつけていた。


 痛い……酷い。そして傷口が抉れた気すらするわ。


「何するのよっ」


 少し涙目で額を撫でながら見上げるとそこには殿下が立っていた。殿下だ。王太子ではないほうの。少し戸惑ったような顔をしているけど、困っているのは私だからね。痛いんだよ。これ。まぁ、団長が見たら大爆笑間違いなしだけど。ヒュウムも味方はしてくれないだろうなぁ。結論として二人とも鍛え方が足りねぇととか言いそう。


 ぶつぶつ心の中で呪いを吐いておく。


「ええと、なぜここにいるんです?」


 伸ばされたしなやかな手……に捕まれる筈もなく――反発起こすからね――。私は殿下をよそ眼に立ち上がった。少しだけ残念そうに見られたのは申し訳ないと思う。


「道に迷って。ここ殿――閣下のお部屋だったんですか?」


 にしては何もない殺伐とした部屋だ。客間にしても何かこう『足りない』感じがする。何か――なんだろう。客をもてなす豪華さだろうか。私はそんなものよりベッドがあればいいタイプだけれど。


「――え。いや。ああ。道に迷ったのなら私が君の部屋に案内しよう」


 困ったように視線をずらす。


 なんだう。怪しい。先ほどの慌てぶりと言い――私はちらりと視線をベッドに移した。誰か寝ているのだろうか。そう思えば何かがいる気もしないでもない。少し考えてから『あ』と小さく声に出していた。


 もしや。


 浮気現場……とか。どこからどう見ても殿下は容姿端麗だ。腹立つくらいには。女性が言い寄ってこないはずは無いのだ。


 弟はほら、あんな顔でも男性だし。――よく分からないけど物足りない部分はあるのだろう。


 弟の冷たい氷のような表情が目に浮かぶ。修羅場見たくないし。決してちょっと面白そうだなんて考えていない。


 よし。


 ここは一肌脱がないといけないだろう。


「夫婦は円満がいいですよ?」


「は?」


 私の弟の旦那――え。嫁かな――に手を出すなんてどこの泥棒猫なの。と、どこかの小説でなにか夫人が言っていた台詞だ。どうしよう……なんか面白いかも知れない。内心ウキウキしながら私は顔を作って踵を返す。殿下が私を止める為に手を伸ばしたがそんなもの気づいていれば意味はない。するりとすり抜けてベッドに向かう。


「いや――まっ」


「『起きなさいよっ。この泥棒猫っ』」


 これも小説に会ったセリフだ。ついでに言えば私たちが好んで読む小説ではなく、同僚――女性――が目をキラキラさせながら読んていたのを借りた。何が楽しいのか分からなかったがこう台詞に起こすと楽しい。私はべりっと布団を引っぺがしていた。


 ――え。


「え」


 感想がそれしか出てこない。目を擦って殿下を見――頭を軽く抱えている――そしてまた『その人』に視線を戻す。


 数秒固まった後でぱちぱちと何度瞬きしても消えはしない。消えないよなぁ。実在している。どう見ても。


 よく手入れされた金の流れるような長い髪。闇夜に浮き立つ白い肌。整った顔立ちと薄い唇。閉じられた長い睫の奥は見えないが容易に想像は付いた。


 弟と同じ面差しの――。


 ドクン。嫌な予感に心臓が一度跳ねる。それを押し殺して私は口元を紡いでいた。


「え。ベル?」


 なんで寝ているんだろう。強張った顔で述べる。分かってはいるそんな訳が無いということは。でも――いや、でも。もしかしたら。という思いで胸に触れてみるが詰め物などしていなかった。


 ……。


「ついに性転換を」


 現実逃避しかない。顔を引きつらせて再び殿下を見つめると軽く横に振っている。どこか呆れたようでもあった。


「数日でできる技術を教えてほしいな」


「いや。でも――」


 できるのでは。なんとなく。愛の力的な何かで。そうであって欲しいと思った。だってこっちの方が変だ。


 気持ち悪い。


ありえない。


「気づいているんでしょう?」


 ……なにを、と言いかけたが口から出たものは違う言葉だった。


「つ――『酷い。弟を愛して無かったのねっ』」


 冷たい。凍てつくような視線が落ちる。いや、でも。弟と婚姻したのは殿下なのに。などと別の事を考えながら逃避するがそんな事上手く行くはずも無かった。


 茶化したと思われたらしい。


「……それが感想ですか?」


 デスヨネ。


 嫌だな。


 すうっと息を吐き出す。もう嫌だ。ちょっといろいろ限界だ。私はにっこりと笑顔を作って見せると殿下は怪訝な顔を浮かべた。


「とりあえず」


「とりあえず?」


 ――寝る。


 案外気を失うということは簡単なものだと薄れゆく意識の中で感じていた。ぐらりと崩れ行く身体。次にくる叩きつけられる痛み――はどれだけ待とうが来ることは無かった。


 その代わり、鈍い……痺れるような、反発するような痛みが私の背にじりじりと広がっていた。深く深く沈んでいく意識の中で私は思う。



 なんで『私』が生きてるの。

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