心臓

 当たり前の事だけど心臓を取り出してしまえば私は死ぬらしい。当たり前の事ではないのだけれど、私の心臓が止まれば『あの子』も死ぬらしい。あの子――黒い髪と深い紫の両眼を持つ青年は先生によると『魔王』という存在なのだという。


 ……。


 ……いまいちピンと来ないんですが。


 魔王と言えば世界のような闇のような存在で大きな角を持って『ぐはははは』と笑いながら血で出来たワインを飲んでいそうな。しかも筋肉は隆々で指一本で人の首が飛ぶイメージ――を言ったら大爆笑の渦が出来た。当然爆笑しているのは先生――と弟だ。そう弟。なぜここにいるのかと聞けば、単純に先生が連絡したからだった。


 『連絡しないとは言ってないわ』と言う先生の談。……まぁ。連絡するだろうなとは思っていたけど。思っていたけど、早すぎるのではないだろうか。


 まぁ。怪我で――正確には酷いやけど――で一週間ほど寝込んだのだから呼びたくなるのだろうけど。それならヒュウムも呼んでほしかった。一応保護者と言えば保護者ではあるのだから。リオの。


 ……。


 兎も角としていつまで笑っているんだろう。恥ずかしさはすでに通り越して腹が立つ。レイに助けてと視線を送ったが、弟を見つめていてダメだ……。うん。美形だし眼福だとは思う。今はきちんと男性の恰好をしているから……から。


 どちらも似合うってどういうことだよ。


「えっと。……じゃあ、私が心臓突き刺せば世界は救われるのでは?」


 死んでやる気もないけれど。しかしながらやろうと思えばすぐにでもそうできるはずだ。やらないのは『私が不憫』と言う理由ではないだろうなと思う。


 じろりと睨めばはあっと落ち着かせるように息を付く。先ほどまで『面白すぎる』と言って壁を叩いていたためにその手は赤く染まっていた。もう皮が剥けろとひっそりと呪っておくことにした。


「無理よ。別の魔王が立つだけだもの。聖女様だってそうでしょう? ま、ある意味知り合いの私たちの方がやりやすいのよ。リオが『こうなった』そもそもの原因だしねぇ」


 流れるような動作で水差しから水をカップに注いでそれを私に差し出した。喉が少しか沸いていたことを思い出して素直に受け取ると口に含む。視界の隅で微かにレイの顔が青くなったような気がした。『大丈夫?』と問えば『うん』と力なく笑う。まぁあんな戦闘見せられたら思い出しただけで誰だって怖い。頬に火傷を負った私だって少し怖いのだから。


 我ながら頑張ったな。と拍手を送りたい。と言うことで後でレイには飴玉を進呈しておこう。ヒュウムからぱく……貰った飴は沢山だし。今は弟で癒されて置いて欲しいと考えながら口を開く。当の弟は私の何を読んだのか半眼で不審そうに私を眺めていたが。


「――そもそもの原因って? あの魔王(ひと)自ら心臓をくれたんですか?」


 なんで。と目をぱちぱちと瞬かせていた。それにしても『返せ』と言われていた気が。返せというくらいなら埋め込まないで欲しい。切にだ。こんな事に巻き込まれたくも無かった。


 死にたかった訳ではない。でも――特に生きたかったわけでも無いし。私は必要なかったから明け渡しただけで。……それは特に今も同じかも知れないけど。


 『私』は。必要と――。


 少しだけ。そう。少しだけ息がつまりそうになって顔を上げていた。


 視線の先、先生はにっこりと笑っている――ような気がした。正確には分厚い眼鏡に阻まれているので分からない。


 なぜか得意げな声だけが響く。


「あら。簡単よ。貴女が好きだったからに決まっているじゃない――死んで欲しくなんてなかったのよ。あの子は。それができる能力と力があったから迷わず使っただけ。ま、私たちには到底できない芸当よね」


 さすが魔王。などと付け加えているが――いまいちピンと来なかった。当然だけれど記憶の中で私は魔王に会ったことがない。好きになられね要素は皆無で。もちろんリオにしたってと考えて『あ』と声を出していた。


「もしかして、リオと面識が?」


 私はリオの記憶をすべて思い出せる訳ではない。霞がかかっている部分は多いし、時たま思い出せない事柄だっていくつかある。よく考えればリオは第一線で戦う子だし。どこかで合っているんだろうと納得していた。


 リオを救いたかったのか。そうか。


 ……そうか。そう考えるとリオでなくて申し訳ないとは思う。けれどこればかりはどうしようもないかも知れない。ここには『リオ』自体はいない。そしてこの肉体はどうしようもないほど死んでいるし。


「可哀相」


 そう呟けばペチンと軽い音と共に額が叩かれた。音の割には痛くないが――痛い。張本人の弟を見れば『虫』が。と呟いている。嘘だ。ぜったい。


 その様子を見ながら先生は呆れた様に溜息一つ。


「可哀相なのは一体どっちなのかしらね」


 その言葉をかき消すようにして弟がレイに向けて唇を開いていた。少しだけ剣呑とした視線にレイは肩を揺らし、きゅうと真一文字に唇を結ぶ。責められている。そう感じるには十分な視線だったし、実際責めているのかも知れない。


「そんな事より。これからどうするんですか? 聖女様。我が領に御用と伺いましたが。姉上を巻き込んで何か御用ですか?」


「あ――巻き込まれた訳じゃないよ。私が同行すると……」


 『だまれ』といい笑顔は怖い。嫌ホントの事なんだけど。別にレイが悪いわけではない。私が決定して付いてきたのだし、責めるのはお角違いだ。


「あのね」


 ぐっと身を乗りだそうとしたが、それをレイが『大丈夫』と制止て弟を真っ直ぐに見つめる。負けない強い双眸が輝いていた。


「『ここ』に私の姉がいると聞いて」


「姉?」


 初めて聞いた。と言う様に弟は眉を跳ね先生を見る。先生はそれに対して答えることはなく、忌々し気に視線を戻した。まあ、どう見ても楽しんでいるなぁ。あれ。


 うん。相変わらず正確悪い。


「――レイのお姉さんがレイの力を持っているんだって。それを返してもらえれば本当の力を発揮できるようになるんだって。それでここに」


「ちよっと、まって。力を? そんな事は聞いたことがない。それは本当?」


 私の声を遮るように慌てて弟は声を上げ、レイを見る。レイはぐっと口を一文字に結んでから口を開く。


「はい――それさえ戻れば私は」


「――ジャベル。知ってたのか? 知ってた上で。姉上を利用しようと?」


 やっぱり利用しようととしてんじゃんか。この人――まぁ、それに乗る弟も弟――いや。弟は悪くない。周りが悪い。絶対。


 呪おうかな。


 先生は悪びれもせずに肩を竦めて見せた。もはやどこからどこまでが『本当』なんだろう。この人。半眼で眺めてみる。


「利用。ね。私はどちらかと言えば守ろうとした方なのだけれど」


「ジャベル」


 弟が怒気を含んで低く呻いた。珍しい。ここまで怒りを露にする子では無かったのだけれど。姉思いのいい子だなぁと場違いなことを考えてみる。


「……そう言えば貴方の愛しい『お姉様』は今どこに要るかしら?」


「は?」


 脈絡ないように思える質問だった。


 あ。ここにいます。と反射的に手を上げそうになったところを先生に一瞥される。違うのだろうか。いや、一応姉なんだけど。そう弟も認めているわけで。少し驚いたように弟は目を見開くと質問の意味を考える様に視線を足元に落とした。


 ――え。私じゃないのか。


 すすっと下げた手が寂しい。と言うか私以外にも姉がいたとは初耳だった。妹。妹だろうか。昔から妹欲しかったんだよね。弟も可愛いけどやっぱ時代は妹を求めている。そんな気がする。期待ら満ち溢れた目で弟を見れば睨まれた。


 まぁ現実的に考えればそんな存在いないだろう。いたら――公爵家のお姫様として可愛がられているはずだし。


 ……だったらあれか。街にいる妹的――って頭叩かなくてもいいと思う。なんでさ。思わず睨むとにっこりと圧を掛けられた。


 目が笑ってないです。はい。


「なんとなく、僕に対して失礼な考えをお持ちのようでしたので」


「別におかしいことでは無いと――同僚はみんな……」


「は?」


 笑みを深くして私は『ひいっ』と声を上げて先生を見た。『何も言っていないのに墓穴掘るから』なんて笑っているけど助けてくれると有難い。無理だろうけど。


「先生っ。つ、続きおねがいしますっ」


 え。イヤだと言いかけたが『仕方ない』と溜息一つ。


「うーん。もし、リオは自分の身体に戻れたらどう思う?」


 ……質問の意味が分からない。と言うか別に戻りたくもない。私は小首を傾げた。


「別に戻りたくないしなぁ。私はリオだし」


 どこかのタイミングで朽ちてしまうのだろうけれど。私はリオの身体を借りている。本来、死んでしまうはずの身体。それを無理やり動かすという冒涜を犯してまで生きているのだ。そこまでしているのに、あっさり戻る気なんて無かった。


 というか。戻るところなんてないのにこの質問は不毛だと思うのだけど。起きたら死体だったってシャレにもならない気が。その場合秒で消えるのだろうか。


「だって。如何する?」


 先生は弟に問いかける。弟は『そんなことわかっている』そう吐き捨てそうなくらいには苛立しそうに返した。


「それが何の関係が? 質問の意味が分からないのですが?」


「分かってないのね。貴方のお姉様を満たす力はなんだと思っていたの?」


「……なんの?」


 声が震える。『何か』と問われてそれに答えはすでに行きついている様子だった。ただ認めたくは無いとその双眸が揺れ悲しみに彩られている。ついには苦し気に破綻してしまった顔。それは弟にとって都合の悪い事なのだろう。けれど、手放したくなどない。そんな表情。


 理由はよくわからないけれど、それはとても不憫に思えた。きゅうと励ますようにして手を握ると異様な程冷たい。


 大丈夫だよ。そう言う様に力を込めてやる。伝わったかどうかわからないけれど。


 お姉ちゃんはここにいるから。


「……いずれは終わらせないとねぇ」


 静かに先生は私たちを見下ろしながらそう呟いていた。

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