魔王と聖女

満月

ぽたりと血が落ちた。ぽたりともう一つ。それはとめどなく止まることを知らない。床に落ちた血は意志を持ったように動くと何かを地面に描き始める。それは文字であったり幾何学模様であったり。いずれにせよ、人間には解読できないものであった。


 その中心にいる小さな背中。暗い中でもありえないほどにその双眸は赤く、爛々と輝いていた。その目から零れ落ちるのは涙――のような血。それは幼い頬を緩やかに伝い再び床を赤く染め上げていく。


 ――。


 表情を無くし、虚空を見上げる双眸はもはや何も見ていないように見える。唇から漏れるのは何かだが、それを誰かが聞くことは無かった。これが空気に響くことは無かったのだから。


 細く折れそうな少年の身体。まるで何かに引っ張り上げられるようにして立ち上がると、初めて意志が乗ったように自身の足元を見つめた。ただ――無感情を張り付けたままで。


 血で描かれているのは――円。彼自身を中心として狭い部屋全体に広がっていた。円陣の仲には様々な模様と文字。細かな円陣がいくつも散らばって一種の芸術かにも見える。――しかしながらこれ芸術として愛でるものではない。むしろ反対だ。忌むべきものの象徴だ。


 ――魔法陣。呪詛の塊と人間の間では言われている物。人では扱えない。昔から魔力を――魔術をもつ魔物だけが扱うものだ。これを媒介にして呪い――魔術ともよばれる――を行使する。それを知る人間は少なく、また魔法陣自体人の身で触れれば塵に還すものだった。


 その中心で少年は歪に口を歪めると手を宙に差し出した。と――同時に血で描かれた魔法陣が燃える様に粟だった。炎のごとく光をまき散らしながら。燃える衣服に少年は身じろぎ一つしない。皮膚にまとわりつく炎は不思議なことに火傷一つ与えず、それどころか吸い込まれる様にして少年の中に消えていった。それを吸い込む都度伸びる背丈。深紅だった双眸は深く暗い紫に。亜麻色だった髪は闇夜を映したかのような黒に毛先から変わっていく。


 炎が消え、静寂だけが残った世界に青年は一人たたずんで窓から見える空を見上げた。紫の双眸に冷たい光が吸い込まれる様に映る。


「ふむ。満月か――」


 呟き一つ。そこに感傷など何も無い。ただ――目からは涙が溢れてくるだけで。その理由をもはや彼が知りうることは無かった。




その日の朝――国ごと包む魔術師擁壁は粟のように消え、各地で悲鳴と怒号。血の海が伝播する様に広がっていった。


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