呼び出し

 この世界にはごくまれに『聖なるもの』という人間が生まれる。いや、生まれると言うよりは現れると言った方が正しいのかも知れない。彼ら――または彼女――は魔物とは対極の存在。魔物が人を屠る存在に対して人を守る存在であった。一人で千の魔物を消し去ったという記述があるほどにその魔力はすさまじく、どんなに稀代の魔術師で在ろうとその力には到底及ばないと書には記されている。ただし、魔物も黙って屠られる訳ではなく彼らのすべてを凝縮した『魔王』なるものを生み出すといわれている。魔王と聖なるもの。この対決によって世界の運命は決められのだという。


 かつて聖なるものが魔王に負けた試しは一度もない――。伝承にはそう記されていた。



 王宮の片隅。魔術師が詰める『魔術師錬』に私は連れて――半ば拉致だろう――こられていた。引きつった顔を浮かべながら隣に座る先生を横目に見る。『ごめんねぇ――止めたんだけど』という談は絶対嘘だという謎の確証。それ抱きつつ私は執務室の机で書類に埋もれる人影に目を向ける。


 黒い髪と――黒い目。誰かに面差しの似た少年は天使のようににこりと微笑んだ。


 現『王太子』ジィネバ・タイト・エルグラント――。聞けば第二王子その人なんだけれど。……王太子――ってどうしてと聞けば知りたくなかった現実に私は移動中頭を抱えていた。


 兄である殿下は簡単に言うと……私に『褒賞』として与えられたものである。


 うん。


 は?


 ……意味が分からない。それを聞いてなんだろう。単純に死にたくなった。これ、絶対引き取らないといけないやつ。結婚しないとは言っていないけど――なにそれ。もう一度言う。なに、それは。


 ……。


 いやいやいや。


 いやいやいや。一国の王子。あの人。王子だから――。第一王子。


 何度考えてもそんな言葉しか出ないほど混乱した。前の私。何してくれているんだと言いたくなる。殿下はそれでいいのだろうか。あまりにも不遇な気が――。考えすぎて頭痛しかしてこなくなる。


 ……ええと。


 ……。


 前の私が戻ってくればその辺はクリアするのかもしれない。そんな感じで私はそのことについて考えるのを放棄した。考えると今すぐ逃げ出したくなる。ただでさえ、もうイブに泣きつきたくて仕方ないのに。……もはや精神安定剤のようになっている気がするけれど気のせいだ。きっと。


 引きつった顔で私は紅茶を喉にグイっと流し込む。一気に流し込んだことに気づかなかったのは緊張していたためだろう。そんな所に気を回すことなんて出来なかった。


 にしても。第二王子――王太子様は弟と同じ年だったはずだけれど。


「僕は授業過程をすべて終わらせているんだ。だからここでお話している訳。――君はサボりだよね?」


 ……サボりではない。ちょっとした監禁とは弟の名誉のために言えない。ただでさえ変態と――イブ談――と言われているのに。


 まぁ、サボりをするほど学校は嫌いではないし。魔術がだめでもまだデラックスパンという目標がある。あれを卒業までには。いや。『ここにいる間』の目標。ぐっと拳を握りしめていた。


「聞いてる?」


 はっ。いけない。デラックスパンの事を考えていたわ。私は訝し気な王太子を少し見て咳払い一つ。


「う――あ。い、いえ。あの。今日ここへ私が招かれた理由を……」


 正確には公爵同意のうえで拉致られたんだけどね。別館に行ったら逃げられると思ったらしい。まぁ逃げるけれど。


 因みに正式に――?――拉致られてきたから文句も言えずだ。


「僕は天才と褒めてくれてもいいのに。兄上とは違ってね。兄上とは」


「天才って偉いんです?」


 王太子なのだからこれ以上に上の立場はあまりないと思うのだけれど。偉いのだろうか。人間的に。そうすると……。


 私は最底辺……。人間的に。だとすると天才ではない私は。


 すさまじいことに気づいてしまって口をパクパクさせる。ほとんど涙目で――知りたくなかった底辺だなんて――先生を見るとにっこりと綺麗な顔を向けられてしまった。


 慣れているとは言っても、『うわぁ、きれい』と思わず呟くほどには奇麗である。知っているのかいないのか。そう言えばいつもの残念な服は――王太子の前だから置いてきたのだろう。



「何を考えているか知らないけど、真に受けない方がいいわよ? 勉強できる――馬鹿というでしょう?」


「……馬鹿……」


 空気がぴしりと音を立てて凍った気がした。私だけに聞こえれば良かったのだろうけれどここは執務室。狭くて音がやたら反芻する。小声で言ったつもりでも聞こえたのは間違いないだろう。


「……」


 なんだか凄く冷たい空気が流れてくる気がする。怖い。怖くて視たくない気もしたけれど、どんな表情をしているのか気になった私の負けだ。


 ――ひっ。


 小さく悲鳴を上げる。にっこりと塗り固められた笑顔の奥で笑っていない目が怖い。いや――殿下と同じですね――などと笑って過ごせる筈もなく、静かに悟られないようにゆっくりと視線をずらしていく。


「こんなくらいで罪に問うとか。心狭くないでしょう?」


 なぜ火に油を――とは思ったが聞き覚えのある台詞に若干顔を引きつらせてしまう。いや、いったっけ。本人に。言っていない気がするのでセーフな気もしないでも無い。


「そうだねぇ」


 あははははは。


 これはもう一緒に笑うしかないのだろうか。乾いた笑いがやけに耳に響いた。正直逃げたかったけれど逃げ場が無いのでここにいるしかないことに落ち込む。


 ……。


 逃げる方法はただ一つ。『用事』を終わらせて帰ることだろうか。私は意を決して顔を上げていた。


「あのっ……ええと。そんな事より」


 王太子は少し驚いたように私を身小さく息を吐き恨めし気に先生に目を止める。先生はにこりと笑って肩を悪戯っぽくすくめた。


「――そうだね。子供じゃないんだから。……そうそう。君を呼んだのはほかでも無いんだ。僕の役職を?」


 王太子――以外何かあるんだろうか。と考えてここが魔術試練にある執務室だった事を思い出す。埋もれた書類――私が見ても何が書いてあるかは分からない――と大量の本。何かの道具で応接セットの周りは乱雑に埋め尽くされていた。


「魔術師のトップ……とか?」


「そ。ジャベルの補佐官」


 言いながら書類を宙にばら撒く。気でも触れたかのように笑顔だ。すがすがしいくらい。


 確か先生は魔術師の統括をしていたから……王太子がその補佐で。先生は学校で寝てばかりだから。――そしてこの書類の山である。


 どうして王太子が先生の下についているかは追々聞くとして。


「……うわぁ」


 思わず同情心溢れる声を出していた。その声によくわからないといった表情を浮かべるのでさらに同情するしかない。頭痛がと呟いてから米神を抑えている。


「でも事務は優秀だし。任せた方が早いのよ? ほら、本人曰く天才なのだし」


「……で。魔術統括補佐件『王太子』の名で呼んだわけ。王太子名が無いと統括(・・)が来ないから。というかそれが無いとサボるだろ? まさかわざわざ迎えに行くなんて考えてもなかったけど?」


「あら、来いと言われれば来るのに」


 嘘だろうな。それ。きょとんと小首を傾げる先生に半眼を送る。それは王太子も同じだ。それを平然と笑って返す先生も先生だと思うけど。


 疲れたような溜息一つ。


「でだ。君をここに呼んだ訳は――魔術障壁が弱く。正確に言えば規模が縮小しているからなんだ」


「……」


 ――魔術障壁。と呟いてから私は顔を引きつらせ、背中にだらだら汗を掻いていた。ヤバイ。まずい。如何するべきか。というか魔術障壁に関しては『暫く』大丈夫って弟が言っていた気がするのに。私は作った本人だけれど――本人出来ないし。あまつさえ魔力もない。これ。大騒ぎになるやつなのでは――とぐるぐると頭が混乱する。


 まさかつるし上げられれて処刑の流れに……。最悪の流れに私は顔を白黒させていた。


 ……。


 よし。窓から飛び降りれば楽になるかも知れない。幸いここは四階で。あら、鳥さんが窓辺に。今行くからね。


 あはははは。


「まちなさい」


 ……。


 あ。気づかないうちに窓に足を掛けていたらしい。現実逃避って怖い。私は抱えられてソファーに戻されていた。紅茶を淹れてくれる先生は柔らかく笑う。


「大丈夫よ。今、魔術が扱えないなんて知っているから――それを断じる為に呼んだのではないわ」


 『ねぇ』と目くばせすれば強く頷く殿下。先生は知っていても王太子はなぜ知っているのだろうか。


「無論だよ。そんな重要な事トップが知らないわけがない。報告は兄上と公子から来ているのさ。君の中身が七つの時点で止まっていることもね」


「……」


 ああ――そう。となんとなく脱力して私はソファに深く腰を落としていた。知っているのならもはや令嬢らしさも要らないと思う。それはそれで助かるのだけれど。疲れるし舌噛みそうだし。まぁ『できる範囲』で令嬢ぽくしておけばいいか。


 なにせ王太子なのだし。


「因みに世間は知らないわよ」


 大変なことになるしと先生は付け加えた。大変なこと――が何か具体的には分からないが以前弟が言ったように公爵家の地位が地面にめり込む事だろうと理解する。


 正直そんなものどうだっていいけれど弟に怒られることよりも――迷惑を掛けるのは嫌だった。


 まぁ。お姉ちゃんだしね。


「でも。なら、なおさら私が呼ばれた意味が分からないのですが。あの。当然だけれど魔術障壁の修復なんて無理ですよ?」


「まぁ。そうだね。それは我々で何とかするしかない。というかこのままでは元の形に戻るしか無いとは思う。『君』が残したものはあまりにも難解で――この世界には属さないものだから。解明作業にはあと数百年掛かってもおかしくはないだろう」


 王太子は大きく溜息をついていた。さらりと黒い髪が頬に落ちる。その薄い唇は微かに『なんてものをのこしてくれたんだよ』と紡いだ気がするがそれは私も大いに同感だった。人に役立つものは自分だけが扱えても意味が無いというのに。


「魔術障壁が縮小されれば辺境の民にも再び大きな被害が及ぶだろう。魔術師も兵士も無尽蔵ではない」


「そこで考えたのよ」


 先生が私の肩に手を置いて柔らかな笑顔を浮かべていた。どこか励ますように。どこか私を憐れむ様に。なぜかそれがとてもむずがゆかったし、不安を覚えて『どうしたんですか』そう聞く前に、王太子は苦々しく口を開いていた。


「また『元』に戻ってもらえればいいのだと。恐らく以前の君は――」


 王太子は口を噤んで私の表情を伺う。それから意を決したように口元を開いた。


「君には悪いけれど――今の君は必要としていなくて」


「……」


 なぜだろう。それは私が平然と『代わってもらう』と豪語していた事なのに。別に何とも思わないはずなのに。誰かを皆が笑顔になると思って目指していた筈なのに。


 ――なぜこんなに傷をついているのか分からなかった。


 イブも救える。殿下も笑う。弟だって元に戻ったら幸せなはずだし――時折つらそうに見ていたこと知っている――きっと私ではだめなのだろう。


 それが叶うというのに。こんなにあっさりと私が何かを成すことも無く叶うというのに。


 なのに。悲しいというのはなぜだろう。消えることが――と考えて。否。と思う。だったらと唇を噛んでいた。その先は考えたくもない。


 笑え。


 笑え。と私は心の中で独り言ちる。軋んで潰れそうな心を鼓舞する。大丈夫だと何度も何度も繰り返しながら私はようやく大きく息をついていた。


 大丈夫。


 『言い方っ』――と叱る先生の声に顔をあげていた。明るく笑ってるだろうか。引きつってないだろうか。大げさにパンっと両手を叩いて見せる。それがどう映ったのかまでは考える余裕が無かった。


「あぁ――ええと。できるんですか? 私もちょうどイブの呪いを解きたいと思ってて。ならいいですね。前の私が戻れば何もかも決着か付くんですね?」


「……そうだな。以前の君は聖女と呼ばれてもおかしく無い人だったから。きっと――」


「良かった。うんうん。私も会ってみたかったけれど。こればっかりは」


「リック――」


 私は困ったように笑って見せた。――そう、見せた。もはや自身が何を喋っているのか理解していない。ただ、口と表情だけが自然に動く。


「今もそうなんだけれど、私って昔からなにもできなくて弟や両親を困らせていて。覚えも悪くて。良かった。ようやく人の役に立てるなんて有難いんです。本当は一人で方法を探そうと……」


「リック」


 突然、言葉を遮られて身体を揺らされた。先生の覗き込む双眸はとても悲しそうで。何が悲しいのか私には分からない。


 分かりたくも無い。それはきっと自分自身がみじめになるだけだろうことは分かっていたから。


 『大丈夫』というそんな労わりの言葉の意味も分からない。だから私はにっこりと笑って見せた。その視線だけ縋るように何かを探しながら。



 かといっても――誰一人見つけることはできなかった。

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