報告書



 夢ではなかった。



 目を覚ますとそこはいつも通りの景色が広がっていたんだ。




 机に散らばった紙――塵とも言う――を見ながら私は頭を抱えていた。一体何度目だろう。弟に報告書なるものを渡して返却をくらったのは。『読書感想文ては無いんですから』と鼻で笑われた気がする。そんなものも書いたことないしどう書けばいいのか分からないのですが……。おまけに魔術が使えないという現実に倒れただけあって、『療養のため』という名目で外に――初等部にも通えてはいない。弟曰く報告書書き終えたら外に出ていいという事らしいので毎日紙とにらめっこしている訳だけれど。白紙の用紙を眺めようと何も変わるはずもなく。



「ああああああ」



 鬼か。悪魔か。



 発狂したように叫んでから机に突っ伏した。この館――別館だということに最近気づいた――に使用人さんたちは必要最低限しかいないため別に誰かが駆けつけてくることは無い。一緒に暮らしている筈の弟は朝から――女装して――キラキラ笑顔で高等部に登校していった。え。なに。女装する必要が――ああしてみると私にそっくりで怖い。『今日も稼ぎます』とか聞こえた気がしたけれど――公爵家令息だったよね。念のために。



 で。何をして稼ぐのかは聞きたく無いし知りたくない。なんにせよろくなことではない気がした。



「にしても」



 白紙を見ながら溜息一つ。ペンを口元で加えてぶらぶら揺らす。



「無理」



 呟いてから立とうと視線わずらせばベッドにミオが腰を掛けていた。黒い髪と双眸は明るい窓の向こうを眺めている。



「ミオ」



『様子を見に来たわ。というか『様子を見てあげて』とジャベル師が煩くて――なまじ気配も感じ取れるように調整しやがっ……』



 ――なんでもないわ。と咳払い一つ。付け加える。私はミオの横に腰を掛けて近くに置いてあったウサを抱きしめる。



『イブも心配していたわ。あれから一度だって会ってないって――ああ。話してはないけど』



 そう。会いたいんだけど。暇だし。……寂しいし、つまらない。けれど弟は許してくれないし。警備の人からも連絡はない。やっぱり報告書というものを書かないといけないらしい。そう考えて肩を落とした。



「イブは元気?」



『元気よ。今現在はね』



「……そかぁ。今の私に何とかできれば良かったんだけど」



 『現在』という言葉に少し苦虫わ潰してからベッドに倒れこむ。いずれは発現する呪いは――世界をイブを蝕んで行くのだろう。ばふっと小さく音がして自身の身体が沈み込んだ。縋るようにして抱きしめたウサは日干しをしたため太陽のにおいがする。



 ――。



 そう言えばミオって自身が『魔力の残滓』とか言っていなかったっけ。イブの場所を当てて神殿までわたしを運んでくれたのなら――もしかして。



「ミオが解除することは?」



『無理ね』



 デスヨネ。即答に苦笑を浮かべるしかない。先生でダメだったのだし。幽霊のミオではやっぱりだめだろうなとはなんとなく思う。



『諦めるの?』



 言われて小首を傾げていた。



「ううん? できることは頑張るよ」



 要は凄い魔術師を探せばいいのだ。というか。私が――前の私に戻れば一件落着だし。暫くはその方向で行こうと思ってる。国立図書館にでも行けばなんかこう、いい感じの本とかあるはず。伊達にこの国は長く続いて無いのだから。無かったら盛大に焚火でもしようか。


 図書館で。



『貴方が消えても?』



 言われてやっぱり消えてしまうんだなぁ、とどこか他人事のように考えていた。見透かした双眸。苦笑を浮かべながら私は上半身を起こす。



「うーん。私は消えないし。前の私も今の私も一緒なんでしょう? 記憶がないだけで。この記憶は前の私が来たら消えてしまうのかもだけど。それでイブを救えるのなら安い安い」



 私が消えるわけじゃない。と付け加えてみる。それにミオは少しだけ悲しそうに眉を下げた気がした。その意味を『正確』に理解しているのだろう。だって身体は消えないっていう意味だから。



 そういえば魔力がない事で気づいたことがある。『私たち』は確実に別人なのだと。



 通常、魔力と呼ばれるものは身体に付随していない。魂に付随しているものなのだと本で読んだ。なので双子であっても使用の有無が分かれることがあるのだという。つまり前の私と今の私は魂が違う。身体が魔術を練りだそうと頑張ってもそんなもの無いのだからできるはずもなかったのた。



 いいなぁ。魔術師になりたかったなぁ。かっこいいし。そう言えばなぜ魔術師になりたかったんだっけと考えて首を捻る。別にそこまで深い理由なんて無い――私のことだし――はずだから考えるのをすぐに止めたけれど。



『寂しくは無いの?』



 言われて天井を仰ぐ。



 寂しい。嫌だ。怖い。一人にしないで――。そんな言葉を遠い昔紡いだ気もするけれど『そういう』寂しさはどこかに置いてきたように『空』になっている気がした。だから消えることには悲壮感は無い。もともとこの人生は私の物ではないのだし。



 ここまで歩んできた誰かの物。



「ん――? 特には。ああ、でもイブと別れるときに何も言ってくれないのは悲しくなるかなぁ――友達なのにって」



『……その他は?』



 その他。弟や殿下の事だろうか。少し首を捻った。



「前の私が戻ってくれば元通り。悲しむことなんて無いでしょ? 私が消えるのは問題ないよ」



 むしろ『皆』泣いて喜ぶはずだ。弟ですら。



 なんだか私って凄いいい子みたいに思えてきた。そんなにいい子ではないのにと苦笑を浮かべてしまう。



『何も持っていないから、何も執着なく――去れる。か』



 ぽつりと呟く言葉の意味が分からない。



 ま、いいか。いつまでもこんな暗い――私はそう思ってないけどミオの雰囲気がそうさせている――会話はしたくない。



 私は気分を変えるように立ち上がって、パンっと掌を叩いた。 



 視線をミオに流すと一瞬何かを言いたそうに口を開いて――閉じた。これ以上無駄だと悟ったのだろうか。まぁ私もこのことに関して協力以外話すことは無い――それはミオ以外にも。



「ま。そう言う事。――あ。ミオ。報告書書ける?」



 ――報告書と呟いてミオは渋い顔をして見せる。



『ア――殿下に出すものよね?』



「うん。こないだの事をね」



 ミオは立ち上がって机の上に散らばるものを覗き込んだ。持てないので視線だけで辺りの文字を拾っていく。



『あの。多分なんだけど。ベルがこれ――貴方の感想……感想文よね? ――を報告書としてまとめて送っていると思うのだど』



 指さす大量の塵とミオを交互に見てしまう。一瞬何を言われたのか分からなかった。



「……う。え?」



『そう言う人だと思う』



 言われて『確かに』と思ってしまう自分がいる。なぜミオが自信ありげにいうのかは分からないけれど。



 私はうんと呟いてからこめかみを抑えていた。



 ――弟は弟が気が済むまで私によくわからない報告書というものを書かせる気だ。多分――心配しすぎた反動なのだと思う。ああ見えて凄く心配症で昔から何かあれば私の傍から離れない弟だったし。それに思い至れば何も言えなくなるわけで。


 だからと言って、これはないし。あの笑顔を思い出して苛立つ。



 まぁ報告書を書かせていれば素直に家から出ない。そう思っただけなのだろう。素直に言ってくれれば……と考えていや無理。家にいるのつまらないし。それを見越してこうなったのだろうな。



 悪いとは思っている。



 なんて捻くれているの? 育てた誰。と考えて前の私かと頭を抱える。これは自業自得とかそんな感じなのだろうか。何か違う気がする。



「あんなに可愛かったのにっ」



『……報告書止める?』




「止めないよ――鼻を明かしてやるんだ。姉上として。姉上としてね」



 いやそれは無理だろみたいな視線を無視する。まぁ正直投げ出しても良かったのだけどそんな負け試合嫌だ。私は白紙の用紙を引っ掴みミオの前に勢いよく置いた。



「だから手伝ってくれる?」



 手伝いを呼んではいけないなんて聞いてない。ミオの胡散臭そうな顔。鼻を明かすのであれば一人の方が――を丸っと無視する。一人でやったら終わらないし遊べないじゃないか。イブとも会えないし。私だって本当は元気そうなの確認したいし。



 ミオはついに頭を抱えていた。幽霊――本人曰く魔力の残照――なので痛くも痒くもないのに。



『あの、なぜ私が手伝うと勝手に決めただけでそんな勝ち誇った表情を?』



「ミオ賢そうだしすぐ終わると確信して」



 早く終わったらどんな顔をするのか楽しみだ。私は握り拳を作っていた。



 私を崇めるといいわ。弟よ。ふふふと不敵に笑ってしまう。



『ああ。かくしん、したんだ』



 なぜ顔が引きつっているのか分からない。もしかしてダメなのかも知れないということにようやく気づいたのだけれど、何か私が声を掛けようとした刹那にノックが響き渡った。



「お嬢様。お客様がお見えでございます」



 久しぶりに聞く侍女頭――本館の方――の声。相変わらず無機質で冷たい。嫌な思い出が頭によぎって私は顔を顰めた。



 ……まったく。



 ということは『本館』に出向かなければならないのか。気を利かせてこちらに連れてきてくれればいいものをと私は溜息一つ。重い腰を浮かせていた。



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