才能ゼロ

 ええ。と。どうしよう。と私は汗をだらだら流しながら考えていた。目の前にはものすごい圧で笑顔を浮かべている殿下。その隣にはさすがに呆れたのか無表情で私を見ている弟。庇う気なんてさらさら無いらしい。


 ……私が悪いんだよねぇ。


 顔を引きつらせながら私は隣を見つめた。同じようにソファーで縮こまって座っている少女が一人。ここは自分の『家』でもあるのに可哀そうなくらいに顔を青ざめさせている。


 昨日の今日で屋敷に帰ることなんてできるはずもなく、一泊。いや、イブがここに来てからは大体一週間程で、一度帰省はしているのだけれど。お見舞いと、イブのご両親に頼まれた差し入れをもって昨日神殿に来た。もちろん魔術なんて便利なものは無く、徒歩で他の信者さんたちと一緒に。お年を召した方が多く、飴とかラスクとかいろいろ貰って嬉しかっ――いや。ごめんなさい。脱線しました。殿下の頬が微かに引きつったような気がして姿勢を正す。


 神殿の応接室。それなりにふかふかのソファーなのに堪能できないことがつらいし、何の拷問かお茶にも手を伸ばすことができない――雰囲気的に――のがかなしい。


「どういう事かな? 君。私の婚約者だった気がするのだけれど?」


「……ええ。とはい。ソウデスネ」


 確か『相思相愛』の――。


 けれどそこまで怒らなくてもと思うし。別に減るものではないので――とは言えなかった。青筋が見えるもの。青筋。何か言ったら『殺れる』そんな予感がしてごくりと言葉を飲み込んでいた。


 なぜ殿下が怒っているのかと言えば単純に私がイブにキスをしたからなんだけど。ずっと眠っていて起きないイブ。とても心配したわけで。リリスが――神官なのだし――言うにはキスしたら起きるというのでしてみただけなんだけど。現に起きて結果オーライじゃないかな。それに減るものではなくない?


 ……うん。


 そうかぁ。だめなのかぁ。


 思わず空を仰ぎ見そうになる。


 というか。私たち以外はいなかったはずなのに――ばっちり見張られていたらしい。殿下の護衛に。いや、一応私の為に置いていた護衛というのだけれど要らなくない。それ。一体何から守るんだろう。謎だ。


 まあ、その『報告』で殿下がすっ飛んで来たのだけれど。文字通り『魔術』で。因みに少し遅れて弟が来たのだけれど、その理由は私を迎えに来ただけの事だ。殿下に話を聞いて『処置なし』とか呟かれたんだけどどうしてだろう。


「あの。私、ここにいないといけませんかね?」


 小さく手を上げてリリスがプルプルしている。焚きつけた本人を逃がすはずもなく『はい』と奇麗な笑顔を浮かべられると震えながら私を見てくる。何とかしろと視線が訴えかけるけれど、何とかしてほしいのは私の方である。


「婚約者であることをくれぐれも忘れないようにしてほしいのだけれど?」


「はい……」


「ああ。ついでに言いますが、僕のベッドにももぐりこまないでくださいね」


 どさくさに紛れて何を言い出すんだろう。弟は。いや。だって眠れないときは人肌がいちばん眠りやすいのに。


 大体最近は追い出されているのだし――わざわざ言わなくても……。


 ……。


 冷気。が。寒い。この寒さで平然とお茶をたしなむ弟は凄いなぁ。リリスも顔を青くしてカタカタ震えているのに。


「――はい。ゴメンナサイ」


 まったく。と溜息一つ。かたんとソーサーにカップが置かれる。殿下は黒い双眸をゆるりとリリスに向けた。


「……それで。あの子の『呪い』は解けたと見ていいのかい? 姿は戻ったようだけれど」


 ピリリと下空気からは一転。リリスは細い肩を降ろして口を開いていた。その横顔は少女のものではなく『神官』の横顔に変わっている。


「あ、いえ……神官長様からお聞きでは?」


「聞いているよ――改めてね」


 私に視線を流すと『ああ』と小さくリリスが返答をする。


「え。治ったのでは無いのですか?」


 起きたとは言えどこか体調が芳しくないイブは後二、三日は神殿で療養するらしいし、今も眠っている。


 まぁ体調が戻ってくれば初等部で遊――練習することができる。そう思っていたのだけれど。


「……通常『呪い』は掛けた術者以上の魔力をぶつけて呪い自体を壊してしまうのですが今回ばかりは封じるのがやっとのことで」


 何とも乱暴で豪快な解呪の方法だった。というか思っていたのと違う。少しバツが悪そうにリリスは頬をポリポリと掻いている。


 治ったのでは無く、封じた。


 ……でも。それはずっと閉じ込めて置いたら同じでは無いのだろうか。というか――イブの呪いって大人になる呪いじゃなかったっけ。なんとなく可哀そうだとは思うけれどよく考えればそこまで深刻になるものでも無い気がする。その呪いを全力で掛けた方も如何かしているとは思うけど。本当に何がしたかったのか。バカなのか。


 ――大体大人になれば意味が無くなるのだし。


 うん。別にいいやとようやくお茶を口に含んでいた。


「平気そうですね。姉上。この騒ぎを起こして」


「私の所為みたいに言わない……いや。はい。私の所為です。ごめんなさい――じゃなくて。イブの呪いは大したことなさそうだし――命に関わるという事でもなさそうだし」


 若干前面から冷気を感じるが咳払いをして払う。というか心狭すぎではないだろうか。絶対狭すぎる。今度学級新聞に書いてやりたいくらいには狭い。


 大体騒ぎを起こしたのはイブな訳だし。ここに連れてきたのは私だけど、その原因はミオだし。しかもその事を隠せとなぜか先生に言われるわで説明に困難を要したんだけれど。後日報告書にまとめて出してくれと言われている私はどうしたらいいんだろうか。出さなかったら怒られる、よね。


「え? そんな事誰が言ったんですか?」


 そう不思議そうに言ったのはリリスで。


「最大級の呪いですよ。大人になったのはその副作用。呪いを扱うには大人で無ければならなかっただけですしねぇ。呪いを発動させてしまえば、おそらくあの子の魂ともども吹っ飛びます」


 正確にならがあるのか分かりませんが。と神妙な顔つきで付け加えている。


「……え?」


「この国は死の国に変貌するでしょうね――解析上」


「はい?」


 なにそれ。怖い。というか――バカと言ってごめんなさい。凄いけれど、そんな呪いなんて掛けないで欲しい。規模が大きすぎて何を言われているのか理解が追いつかないし。兎も角呪いを解かないとイブともどもいつかこの国滅んじゃうでいいのだろうか。


 ダメ。絶対。


「あの」


 他人事のように遠い目をしながらいうリリスはもはや現実逃避をしているようだ。『神殿は役立たず』と呟いてメモに何かを殿下は笑顔で書き綴っている。なんとなく見たくない。リリスはそれを見て顔を軽く引きつらせたがあえてそのことに触らないようにしている。


 弟は溜息一つ。


「ということは。呪いを掛けた術者を連れてくるか、それ以上の者を連れてこれば呪いは解かれるのですか?」


 ははっと乾いた笑いをリリスは漏らしている。遠い目が『そんな奴はいない』という事を示していた。


「まぁ。前者が分かれば。――後者は無理ですね。ジャベル様以上の魔術師が必要になるでしょうから」


 ……稀代の魔術師はそうそういないから稀代なのである。ので先生を超える魔術師は世界にいない。いないと思う。あまり業界に詳しくないので分からないけれど。うんうと考えていると『あっ』と私は顔を上げていた。


 いるじゃないか。ここに一人。


 稀代の魔術師。先生を超える――国を覆う魔術障壁を作ったといわれた天才が。


 にたぁと顔が曲がるのを不気味に感じたのか殿下が顔を少し引きつらせた。その横で弟が死んだ魚のような目を浮かべている。何。その目。『また何か言い出すぞこいつ』みたいな諦めきった目を止めてほしいのだけれど。


 でも。と私は勢いよく立ち上がった。


「私が協力するわ――こう見えて天才だもの」


 主に『前の私』だけど。何とかなるなる。多分。身体は同じなんだし。イブだつて救えるしこの国だって救えるはずだし。未だ魔術なんて使えないけれどできるはずだ。


 鼻息荒く見回すと冷たい視線が約三名。というか、私以外は絶対納得していないという顔を浮かべていた。


 なに。敵なの?


 称賛を貰えると踏んでいたのだけれど。賛同者ゼロ。悲しい。どうやら賛成はしてもらえないようだ。味方なんていやしない。


 構えていると弟が頭を軽く抱えた。


「姉上。言ってませんでしたが――」


「あの。アース様」


 おずおずとリリスが口を開く。なぜか『可哀いそう者』を見るような視線に私は嫌な予感が隠しきれなかった。リリスの言葉を引き取るように殿下が真っ直ぐに私を捉える。


「?」


「魔術の才も、持っていた魔力も――すっかり消えてなくなっている」


「え?」


 もう一度お願いします。と震える声で言いたかったが言えなかった。ついでに『誰』かに言ったものかも知れないと後ろを確認するがひらひらと窓辺カーテンが揺れているだけだ。


 ……うん? 幻聴だろうか。


 もしかしたら耳掃除を怠ったのかも知れない。うん。きっとそうだ。兎も角ここから去って、と。


「えっと――お見舞いに。イブが待ってる?」


 ふらりと私はまるで幽霊のように――そう言えば最近ミオを見ていない――殿下の横を通り過ぎようとした。


 ぐっと掴まれる手。見下ろした視線の先には殿下の黒い双眸があった。


「君には、魔術の才も、魔力もない」


「……」


 念押し。しかも一字一句噛みしめる様に。


 ――私には、魔術の才も魔力もない。


 ドクンと心臓が一度跳ねた。言葉が脳裏に反芻する。反芻して、圧迫して。瞳孔が収縮し、呼吸がひゅっと音を立ててから止まった。収縮する瞳孔は何も映すことはない。白く染まりつつある視界。遠のく意識の隅で誰かが叫んでいる。誰だろう。けれどもはやどうでもいい気がしてきた。もしかしたら私は消えてしまうかも知れないと心の隅で考えたが――それも正直に言えばどうでもいいし仕方のない事だと思う。それが本来の私なのかも知れないし。


 ……でも。もし。戻れると、もう一度時間をくれるのであれば――あぁ、でも子供の頃は嫌だ。


 嫌だな。


 だって私には誰もいないもの。


 もしこれが夢だというなら。――このまま冷めないで欲しかった。ついでに魔術を使えればなおさらいいと都合のいい事を考えながら私は意識を手放していた。

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