閑話 在りえたはずの未来1


 荘厳な王宮前には大きな広場がある。民の為に解放された憩いの広場にはいつものんびりとした空気が流れているはずだった。


 だが――。


 まだ年若い、門を守る青年はごくりと喉を鳴らしていた。押し寄せている民衆は数えきれない程多い。その誰もが期待を浮かべながら『それ』を見つめていた。民衆の中心にあるのは『舞台』だ。木で作られた簡素なもの。その上には数人の兵が顔にベールを掛けながら立っていた。その手に持つのは――剣ではない。斧である。随分大きな、そう。木こりが持つようなものだ。銀色はもはや無く、くすんでどころどころ錆びついているように見えた。



 ――あんなもので。



 整った眉を顰めて青年――イブは小さく毒づいた。赤い視線を舞台に戻すとちょうど一人の女が兵士に連れられて舞台に上がってきていた。足取りは重く手には重い枷がついている。その腕の皮膚は赤く爛れていた。灰色の粗末な囚人服。



 くすんだ金の髪。顔が隠れる程伸びていて表情をうかがい知ることはできない。



 薄汚れた白い肌。骨と皮しか無い身体は歩くのも一苦労で時折兵士に引きずらられるようでもあった。もう、長く少年が大人になるくらいには長く閉じ込められていた女だ。たとえ自業自得とはいえ、やはり『可哀そうに』と思うのはイブが善良だったためかも知れない。



 女は――リック・アースは大罪人である。と高らかに処刑遂行人の一人は述べる。それはあたりに響き渡り人々はそれをよく聞くために沈黙した。



 魔物と契約し、前国王を弑し、現王妃――我らが聖女様を毒牙に掛けようとした罪は万死に値する。現国王 アローン・タイト・エルグランドの名に置いてここに汝の処刑を行う。



 刹那――民衆が期待するような声を上げた。まるでそう波のようにそれは波及していくように見えどこか異様だ。



 女は強めに背中を押されるといとも容易くその身体は崩れ落ちた。ここから、それほど遠くない舞台の上。少しだけ開いた唇は何かを言いたそうに開いて、閉じた。震える手。頬には涙が伝っているのが見える。



 ――最後に何か言いたいことはあるか?



 女はフルフルと首を振った。



 アース公爵家は十年以上前の事件の際に取り潰しになった。責を負い当主とその妻は処刑。次期当主は国外追放になっている。一説によれば姉の無実を証明するために国を出たとされている。しかしながら数年前に物を言わぬ遺体となって帰ってきた。これにより――噂程度である――が女の罪は確定し『公開処刑』などと趣味の悪いことになっている。そんなものここ数十年間なかったはずなのに。



 溜息一つ。イブは近くにいた子供を呼び止めると『帰りなさい』と促すが子供は『ばぁか』などと人ごみに走って行ってしまった。まったく親の神経が疑われる。自身の子供など未だ想像もできないが……例えば自分ならこんな所には連れてきたりはしない。自分の両親だって然だと思う。



「あの公爵姉弟は若い頃とても綺麗だったんだとよ。この世のものでは無い、妖精と疑われるくらいにはさぁ。俺も一度は拝みたかったぜ」



 そう言ったのは持ち場を離れた同僚だ。帰れと言わんばかりに視線を送るが気にしないように――やっていられるかと毒ついて――舞台を見つめている。



 たしかに。溜息一つ。



 今は昔の美しさなど見る影も無いと思っていた。どこをどう見ても骨と皮だけのみすぼらしい女。公爵令嬢などと誰が信じるだろうか。



 あれは、ただの罪人だ。



 けれど。ふわりと風が吹き抜けて悪寒の顔が露になる。美しい宝石のような青い目だけは輝いていたのだ。くすむことなく。それはどうしてかイブ自身を捉えてすぐにずらされた。



 その一瞬。誰も気づくことない刹那の表情にイブは息を飲んでいた。かつてのみずみずしさが垣間見れる表情はどこか嬉しそうで。どこか悲しそうで。



 それはとても懐かしかった。ただ、イブにはその意味が分からない。



 ――何か。したのか。



 独り言ちるがそんな気配どこにもない様な気がした。女は魔術を使う。ただ、それを封じているのはあの手枷。使うことはできないはずだ。



「どうしたんだ?」



「いや――今」



 説明しようとして歓声にかき消される。ふわりと黒い布が女の頭に被せられ、小さな身体がぶるりと震えた。小刻みに震える身体はもはや隠すことはできない。それでも縋り付くことも無ければ叫ぶことなく女は座っていた。



 普通なら泣いて叫んで醜態をさらすはずだというのに。最もそんな体力もはや無いのかも知れないのだが。



 専用の固定台に首を押し付けられて、誰もが息を飲んでいた。もちろん――イブもである。ぐっと握りしめた掌にはジワリと汗が滲んだ。脳裏を掠める先ほどの表情。美しい双眸。それを思うとなぜか叫びたい衝動に駆られる。助けたいと思う感情に蓋を閉める。



 なぜそう思うのか自分でも分からない。



 奥歯を噛んでからイブは斧が青い空に掲げられ――そのまま落ちるのを眺めていた。






 ――王子様はお姫様のキスで目覚めるのですよ



 一体何の話だろう。ぼんやりと覚醒してくる意識の向こうで声が響いていた。



「え。本当に? キスしたら起きるの?」



「ええ、ええ。起きますとも。絶対」



 聞き覚えのある声とバカな会話の主を思い浮かべて心の中で苦笑を浮かべるしかない。何を騙されているんだろうか。そんな事で起きるはずはないし、もう自分は起きているのだから必要ない。そう思ったが、身体はピクリとも動いてくれなかった。まるで自身の身体ではないように。



「ぜったい? じゃあ――」



 まって。まて。と心間中で叫ぶけれどやはり声は出ない。大体それはお姫様の話で――。内心だらだらと汗を流すしか無いがそんな事など分かるはずもなく近くに寄ってくる気配を感じる。



 ……つ。



「口ですよ。口――」



「わかってるっばっ」



 なんでっ。と叫びそうになったが声は出ないのが悲しかった。



 一体何を、けしかけているんだよ。というかどうしてと混乱する。もう七歳だ。『そんなこと』を知らない訳ではない。それはとても大切だと母が嬉しそうに言っていたのを覚えている。因みに相手は父だ。生温い空気でちょっと消えたくなったのは余談だけど。



 兎も角平然と大してなんでもない事のように答える声の主にも驚愕するし……なんだか悲しくなってくる。これはだって。だって。



 ――なんだろう。



 ふわりと鼻を掠める髪がくすぐったい。



「イブ。起きて」



 至極優しい蕩けるような声だった。脳まで響くような声と頬を撫でる優しい手つき。まるで自分がお姫様になったような気分になってしまうのは気のせいだろうか。いや――断じてそんな趣味はない。あの変態とは違うのだし。



 口に触れる微かで柔らかい感覚。離れていく温もりが少しだけ寂しい。けれど不思議なことに体中のすべての感覚が返って来るような気がした。



「……リック?」



 視界いっぱいに青い色。キラキラ光る宝石は嬉しそうに輝いていた。そのことに何かがすとんと心に落ちた気がする。



「良かった。起きなかったらどうしようと。――ええと。大丈夫?」



 ぺちぺちと確認する様に頬に触れる手が恥ずかしくてぱちんと弾いた。



「――つ。お、俺がいなくなったら困るのはリックだろ?」



 思わず突き放したように言い、顔を小さくそむけた。少しだけ赤くなっているのが分かっただろうから。目の前の美しい少女――自身より十ほど上――は少しむくれた様にベッドに座り直した。その後ろでなぜかあの――リリスと名乗った女がキラキラした目でこちらを見てくるのが気になったのだけれど。



「だから困ったんだってば。癒しはいないし、一緒に練習してくれる人いないでしょう? あ。あの幽霊のことまだ話してなかったよね?」



 ああ。それともお腹空いてないと言いつつベッドから立とうとしたので思わず手を掴む。自身の細い手を見て――戻ったのだと感じていた。それが少しだけ残念のように思える。



「あ。――ええと。心配した?」



「当たり前だよ」



 えへんと胸を張る。ただ、なんだろう。怪しさを感じてリリスを見るとリリスは小さく笑って口を開く。



「その割には魔術で出来た光を負いまわして遊んでいましたけどね」



 見てたのか――と落ち込んでからリリスを一瞥。もはや公爵令嬢然とするのは諦めたらしい。というか面倒になったのだろう。あれは気持ち悪くて自身も苦手だ。



「う、ぐ。あれは遊んでいたのではなくて、不思議だなっと。……兎も角無事で良かった。うん」



 遊んでたんだ。と呟けば顔を引きつらせている。反応が何とも分かりやすい。でも心配していたのも本当なのだと思うから怒る気もならない。というかこうして怒るふりをしていれば何とも面白く顔を白黒させるから遊び甲斐がある。それを気づいてもいないようだけれど。



 ああ――好きだな。



 そう思う。心底。きっと王子様の婚約者である彼女は自身の元には降りてこないだろう。父の懸念もようやく分かった。でもそれを素直に受け入れられるほど大人でもない。



 傷つくだろうなとぼんやり思う。



 けれど。一緒に要られるならそれでもいい。彼女の為に自身ができることを――一生この想いは告げられることは無くても。



 それでいいと笑う。



 いつか貴方の助けになりたい。そう心底思うのだ。

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