神官

 清浄な空気が漂っていた。通された部屋は質素で小さくけれど壁は白くて染み一つない。置いてある家具も古びているが埃なくとても整えられていた。本棚には何とも難しそうな――しかも偏っている――『神と悪魔』『魔術と方向性』『救いの道』などが置かれている。一生読むことはないだろうな。と考えつつ、目の前で座っている少女――リリスと名乗った――に目を向けた。


 灰色の髪と目。薄い唇に柔らかそうな頬。瞳は大きく零れ落ちそうだ。年の頃は私と同じ――外見――くらい。ふわふわとした雰囲気のリリスはニコニコと微笑みを浮かべている。


 誰もが可愛らしいそう思うだろう。うん。私もそう思う。


 心の中で『かわいい』と何度叫んだことか。小さくイブに同意を求めたのだが『バーカ』と力いっぱい言われてなぜか膨れた。


 なんかイブが難しくなっている気がする……。まぁ今は出されたクッキーを味わい深く食べながらご満悦なのだけれど。


 反省しているのだろうか。何も変わっていない気がするんだけど。


 なんとなく憎たらしくなって、絶対後で怒られてしまえ。弁護なんてしてやらない。と心の中で付け加えてみる。


 そんなことを考えながら私はリリスに改めて向き直り少しだけ頭を垂れた。


「――あの。改めて、ありがとうございます。助けてくれて」


 そう。私たちはリリスに助けられた。あの時リリスが魔術を打ってくれなければ確実に私たち――主に私――が死んでいただろう。感謝だ。感謝しかない。知らない人だから抱きついてはだめと弟に言われているので抱きつかないが抱きつきたいくらいには感謝している。


「あの――えと」


 困ったようなリリスの声。


 私たちが飛ばされていた森はどうやら『神殿の森』と言われる所だったらしい。その名の通り神殿の関係者のみ許される森で異物に反応して見回りに来ていたのだという。神殿の森だけあって殺生は禁止らしく少し叩きつけられたのみで獣は寂しそうに帰っていった。その背中が何というか――『ごめんなさい』というしかないほど落ち込んでいるように見えたけれど、食べられる訳にもいかない何とも後味が悪かった。


 因みに神殿の森はイブによると街からそれほど遠くない。大体半日ほど歩けばたどり着けるらしい。


 そう言えば私、一度も神殿に来たことないなぁ。


 神殿の森というからには神殿もあるわけで、冠婚葬祭様々な儀式が神殿で執り行われるのがこの国の通例だ。そして貧富、貴賤の差別なく十歳で『祝福』を受けるものも多い。


 前の私は来たんだろうけれど。と口の中で独り言ちた。――両親が連れてきたのかは怪しい。あの人たちは私をいない者として扱っているから。


 ……ま。そんなことはどうでもいいか。


 リリスを見ると困ったように眉尻を下げた。


「……いえ。私はまた何かの修行をなさっているのだと――しかし。森での修業は止めていただきたく、差し出がましい事をしてしまいました。アース様」


「え」


 割と真面目に――恐怖で顔を引きつらせながら走っていたような。もしかして少しだけ観察されていたのだろうか。


 ……。


 早く助けてくれると有難かったんですが。とは言えず私は自身が名乗っていないことに気づいた。


「名前を?」


「もちろんですよ。有名ですし。魔術師なら皆さん知っているでしょう? 私だって神官です。神官は魔術師の端くれなんで知ってますよ。素敵な王子様の婚約者ということも」


 あ。そうだったな。と心の中で呟いた。今更ながら私は有名人たった。と気づく。そして自身が憧れの対象であることにリリスの表情を見て今知った。


 なんだか不思議な気分。成し遂げたのは私ではないのに私がそんな目で見られるのは違うのだけれど。それどころか申し訳なくて罪悪感が生まれてしまう。いっそのこと『本当』が言えたらいいのかもしれないが――そうしたらその羨望は消えてしまうのだろうか。


 優越感に浸っていたい訳でもなんでもなく――むしろ罪悪感しかない――ただそれが消えると同時に前の私も消えてしまうかのような不安感に襲われる。


 『戻ってきたとき』に笑顔で皆に迎えられなければならない。それを壊すのは違う気がした。


 ……。


 とりあえず頭の中にある『公爵令嬢』を総動員させて優雅に、優雅にと呪文のように唱えつつティーカップを口に付ける。静かに置いてからの。


「そう。ありがとう」


 にっこりと口だけを孤の字に描く。これていいんだよね。いいよね。ってイブに言っても仕方ないか。内心冷や汗たらたら。でもリリスが軽く頬を染めたので間違ってはいないのだろうと息を付く。私とは対照的にごくりと気前よくお茶を一気飲みして男らしく音を立ててカップを置いたリリスは『おちつけ』と呟いてから口を開いていた。


「でもどうしてここにいたのですか? アース様。――神殿の森は」


 と。視線をずらしてイブにたどり着く。イブと目がかち合って『ああ』と小さく残念そうに声を上げていた。イブが残念な子みたいになっているけれど、本人は気づいていないらしい。不思議そうに首を傾げクッキーを私の口に突っ込んだ。だから――なんで嬉しそうなんだろう。この子。いや素直に食べる私も私なんだけど。


 ……。


 おや。さすが神殿。美味しい。少し素朴なところがまたいい。後でレシピを……。


「そうですか。急ぎだったのですね。まったくもって気づかずに申し訳ありませんでした。あまりにも巧妙で……」


「え?」


 なにが。かたんとリリスは立ち上がる。その目は意を決したように燃え上っていた。え。だから何が。


「呪いの治療ですよね? 呪いの解呪は私たちにしか出来ませんから」


「のろ、い?」


 ちらりとイブを見て『なるほど』と独り言ちる。つまり今の状況は魔術による呪いらしい。何を呪われてどうなったか知らないが、まぁそうだよね。すぐに成長するなんて通常はありえないことだ。


 けれど……イブを呪って何の得があるのか分からなかった。


 イブはイブで『呪い』と呟いて渋く顔を歪めている。ただ、クッキーは手放さない。


「……俺、呪われてるの?」


 呪いなんてよくないものの象徴だ


 簡単にいうと――というかそれしか私は知らない――人の憎悪が魔術を伴って形になったものらしい。呪われた人大体は不幸になると本で読んだ。それ以外にも何かはあるのかもしれない。


 そんなことを理解しているのだろうイブの目は少しだけ不安に揺れた。


 『失礼します』医者の検診のようにリリスはイブの脈拍を図り、熱を見る。ぱちぱちと額を叩くと小気味いい音がした。


「大丈夫だよ。神官って回復の専門家って聞いたし。治るよ。良かったねっ」


「え。あ……うん」


 励まそうとしたのだけれど。不発のようだ。


 心ここにあらずと言う返事だった。それとは対照的にリリスが嬉しそうに頬を染める。信用されていることが嬉しかったのかもしれない。


「ええ。ええ。もちろん。私はまだ見習い程度ですが――神官長様ならきっと。あ。ちょっと魔術を身体に流します。気持ち悪かったら言ってくださいね」


「――うん」


 神官は魔術師の一種ではあるけれど一方通行に使える魔術は振り切れている。回復術だ。その魔術は難しく繊細。寄って専門的に習う必要があると魔術師について調べた時に書いてあった。姉上では無理ですね。と大真面目に弟に言われた思い出。ま。悔しくはない。実際無理かな。と思うし。


 というか炎出したりする方がかっこいいし。やっぱり花形は炎系だよね。


「魔物によるものですね。やはり――魔力の流れ方が……神官長と相談してきますのでそこで」


 お待ち――と言いかけたところで乱暴に扉が開いていた。


「姉上」


「リック!」


 同時に転がり込んでくる人影二つ。聞き覚えのある声。誰かを確認しようと立ち上がる刹那。抱きすくめられていた。


 え。


 ふわりと香る柑橘系の香り。耳に押し付けられた胸の鼓動がとくとくと響く。ゆるゆると顔を上げると私の頬を撫でる様にして長い指が伝っていく。まるで――そう。私が『ここ』にいることを確かめるように。


 殿下の黒い双眸が揺れていた。心配してくれていたのだろうことを申し訳なく思う。


「あの。ごめんなさい」


「良かった。無事で。いきなり消えるので……ここにいると聞いたときは驚きました」


 抱きすくめたままで髪を弄ばれている。――なぜか幸せそうに。


 ……。


 もしかして髪結いが密かな趣味なのかも知れない。自分の髪を結っても仕方ないから困っているのかもしれない。


 考えながら周りに視線を向けると『不快』をあからさまに顔に出している弟。何だろう。こちらを見ながら表情を失くしているイブ。そのイブを楽しそうに見ている後からやって来た先生。私たちをキラキラした目で見ているリリス。三者三様だ。殿下は何だろう。誰もが倒れそうな至上の笑みとでも言うのだろうか。……そんなに髪結いしたいのかな。可哀そうに。王宮てはさせてくれないんだと結論付けた。


 こほんと、空気を変える様に咳払いが一つ。同時、私の身体はグイっと後方に力強く引っ張られた。


 思わず倒れそうになり、来るべき痛みに備えたけれど――背中に柔らかいものが。ぱちぱちと目を瞬かせれ殿下は底知れない鮮やかな笑顔を作り上げた。


 ――ひぃ。と心の中で悲鳴を上げる。


 と、とにかく。とにかくこの状況が良くないのは分かる。首に回された腕をとんとんと――放せと抗議する様に――叩き、見上げるといつか見た挑むような表情で殿下を見つめている。


 それ。第一王子だから。王子――って言ったから知っているはずなんだけど。何。人生縮めたいとか――じゃなくて。何とかしないと。


 殿下の負のオーラが増していくようで怖い。ただ、イブはその増すオーラに反する様に腕の力が増すのだけれど。何だろう。手放したら逃げていくとでも思っているのようだ。


「い、イブ? あの。大丈夫だよ?」


 深紅の双眸と目が合って。イブは大きく目を見開いた。『え?』って漏れる言葉は私が言いたいくらいである。もう一度状況を頭の中で整理しているのか固まると、無言で私を近くの椅子に座らせて隅っこに退場した。膝を抱えながら何かぶつぶつ――大丈夫だろうか。なんかカビが生えそう……。


「ああ、あれは『大したことの無い病気』だからほっとけばいいのよ」


「え。病気なんですか?」


 呪いに加えて病気って。……神殿で二つとも治るだろうか。真面目に悩んでいると先生は声をだして笑う。それでも絵になるから凄い。

 

「誰もが掛かるのよぅ――はぁ。若いって羨ましいわ」


 ……先生は外見年齢二十歳前後。若い人を羨ましがる年ではないだろうと思う。ということは。絶対何か工作している。そんな確信を持ってしまった。後で聞き出して使用人の皆に教えれば喜んでくれるかも知れない。


「そんなことより、姉上。――これはもしかしてあのガ……件の子供ですか?」


 溜息一つ。いい加減にしろよとでも言いたげな表情を浮かべて弟がイブの背中を一瞥した。殿下は笑顔を浮かべたままなんだけど――見ないでおこう。隣で『おとなげないわー』と先生が呟いている。


「え。ああ。そうなの。イブよ。なんか『成長する呪い』に掛かっているんだって」


 とリリスを見る。リリスは恐縮したように身を少し縮こまらせた。


「あ――はい。ちょっと違いますがまぁ、そんな感じで。そしてそれは魔物によるものかと。神官長様。馴染む前に一刻も早く除去が必要かと存じます」


 ようやく気づいたのだけれど、殿下の後ろには数人のローブを目深に被った人たちが立っている。その一人は鷹揚に頷いた。その言葉を聞きながら『魔物』と小さく殿下が呟く。考える様に。


「私もそう思います。リリス。処置室に連れて行きなさい」


「処置」


「しょち――ちよっと。まって」


 なんか処置という言葉に不安しか覚えないんですが。それは。イブも感じたようでちょっと青くなった顔で言葉を吐く。


「大丈夫ですよ。失敗したら、ちよっと感情欠損とか、記憶欠損とか。寿命が縮まるだけですから。すぐに死ぬわけではないですよ。あ、アース様も見学なさいますか?」


 あ。イブが固まった。反対に嬉しそうなリリス。治療できることが嬉しいのだろうか……それはそれでなんとなく怖い。私がぶんぶん首を振ると『そうですか』と残念そうにイブの腕を引っ張って立ち上がらせる。逃がすまいと神官たちに囲まれている。


 もはや拉致現場か何かかな。ほとんど涙目で見るイブに私は顔を引きつらせながら笑いかけた。だからって『止めろ』いう選択肢は私には無い。


 このままでいたら何があるか分からないのだし。下手したら死んでしまうかも知れない。だから心を鬼にしなければ。


 鬼に……。


「だ、大丈夫だと思う……よ?」


 鬼は無理でした。


 なんとなく後ろめたくて視線をずらすとぽんっと後ろから肩に手を置かれた。先生の手だ。先生はどこか楽しそうにイブを見ると青かった顔から一瞬だけ表情が抜け落ちる。


 ――? 気のせいかな。


「そうよ。大丈夫。神官たちはプロなんだから。ねぇ。神官長様?」


「善処はしますよ」


 面倒そうに一人の神官が答える。それに先生は肩を竦めていた。


「そこは最善を尽くしてほしいわ。ここから面白くなるのに――ねぇ。弟君?」


「なぜ僕に振るんです?」


「おもしろいから。ああ。殿下の方が面白いか」


「相変わらず人がお悪いですね」


 ……。怖い。なに。ここの空気。だから、笑顔が怖いんだってば。イブは引きずられていくわ。空気は怖いわ。……やはりついていけば良かっただろうか。


 今からでも――とリリスについていこうとするが割と強めに肩を捕まれる。弟の笑顔が怖いなぁ。目、笑ってないし、逃がさないという意志しか感じられない。


「姉上には聞きたいことしか無いんですが? 僕たちがここから連絡を受けるまでどれだけ心配したと? で、どうやってここに来たのです?」


 本日二回目。弟ににっこりと――相変わらず目だけ笑っていない――詰め寄られて悲鳴を上げそうになった。怖いっ。


 ――っいやし。


 癒しはどこ。どこにもいないと絶望する。ぱたんと最後の神官が去った後の扉が閉まる。それに手を伸ばしたところで届かない。当然イブもリリスも居なかった。


 ですよね。


 身に染みる友人の大切さ。あとで補充は十二分にさせてもらおう――逃がしはしない――と考えながら宙を仰いだ。


「えっと」


 幽霊がしでかしたなんて信じるだろうか。そんな不安定で目に見えないものを。おそらくというか確実に先生は信じる――多分私がここにいる理由も分かってると思う――だろうけれども。と考えながらゆるりと辺りを見回す。


 ――そう言えばミオがいない。見えなくなったのかいないのか分からなかったが、なんだか『この場』にいないことがとても羨ましく思えた。

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