何がいけなかったのかと問われれば初めから。と答えることしかできない。



 『』が来る前にすべてを終わらそうとしてしまったのだから。 そうしなければ成らなかった。そうするしかなかった。そうして自分を押し上げるしか道はなかったのだ。世界を壊さないために。誰かを傷付けないために。



 自分が壊れないようにするために。



 私自身が退去すると知っていたなら――もっと別の。もっと。もっと……。



 あぁ。



 一言だけでも伝えておけば何かが変わったのかも知れない。





 貴方に会いたい。






 ええと。



そもそも、どうしてこうなったんだっけ。私は隣でピクリとも動かないイブを眺めながら考えていた。え。イブだよね。イブでいいんだよね。何度も繰り返しながら鼻をつまむと『うん』と苦しそうに喉を鳴らした。



 面白い。



 ――じゃなくて。ここはどこ。



 王宮に連れていかれ、殿下と弟に迎えられた。うん。私を指しおいて――じゃあなんで連れてきたんだよと言いたい――どうするかを話し合っているうち、面倒になったミオが私を『ここ』に落としたと言うわけである。いや、正確にはイブのいた『どこか』からここに落とされた訳だけれど。



 イブのいるところは分かる。ただ場所は知らん。という事らしい。ここに落とされた訳は『そこ』より安全だから。と言う理由だろうことはなんとなく分かった。



 確かに会いたいし助けたかったが無計画もいい所である。送った本人は――当然のようにいない。一報通行らしく私たちを引き戻す気配もなかった。そして声も聞こえないという放置プレイ。助けに来てくれるのか疑問だ。



 いや、助けに来てくれるだろうけれども。先生だっているし。来てくれなかったら呪ってやる。枕元に立ってやるという覚悟だ。



 ま、後で聖水――どこにあるかは不明――を貰ってこないと。魂を浄化すると本で読んだし。と恨みがましく喉を鳴らしてしまう。



 ということで。ここはどこ。というか、どこの森。私街から出たこと無いんだけど。



 因みに言えば――地理の点数は良くない。……勉強をしておけば良かった。いや、何が得意と聞かれても困るのだけれど。



 乾いた笑いしか漏れない。



 ま、まぁ。イブが起きれば頭脳は増えるわけで。成績は私よりはマシだし。抓っても叩いても何をしても起きない横顔に溜息一つ。



 気づけは夜になっていた。ホウホウと鳴く鳥の音。ざぁと駆け抜ける風が枝葉を擦って抜けていく。何とか少し開けた場所を確保したのだけれど、ここまでイブを連れてくるのは死にそうだった。重い。つらい。そして心細くて怖い。私はイブの手を小さく握る。



 兎も角朝にならないとどうにもできないなぁと溜息一つ。幸い月明りが出ているたるそこまで暗くはなかった。魔術で炎でも使えれば良かったのだけれど。寒くはないだろうか。イブの肩に手を寄せると冷たくて小さく摩ってみる。するとなんだか嬉しそうに笑っていたのが……なんとなく腹立った。



 ……。



 ……何度も言うけどこれはイブなのだろうか。



 そう思うのは理由がある。



 どう見ても七歳児ではないからね。これ。どう見ても外見的には私と同じだからね。ほんと。夢か。夢を――いやいやいや私起きてる。大丈夫。



 成長する魔術なんて聞いたこともない。反対に老化を防ぐ魔術は聞いたことあるけれど。



 ふと美貌の教師の顔が浮かんで怪しいと言う結論に行きついた。あの人絶対魔術か何かを使っているはずだ。だって人間離れしているし。


 今度聞いてみよう。



「そう言えば魔術を使うのは人間だけじゃないんだよね」



 独り言ちる。昔本で読んで震えあがったのを思い出していた。なぜなら魔術は『魔物』に対抗するための人間の『術』だ。それが奪われてしまったら人はいとも簡単に蹂躙されてしまうのではないかと不安だったのだ。怖がりすぎて弟のベッドにもぐりこんだのはいつだったか。



 兎も角。一部魔物も魔術を扱う。その数は確認されているだけで数頭――そのどれもが姿形を人に似せて紛れ込んでいると聞いた。贄を簡単に得るために……だと思うが正確には分からないらしい。怖いね。



 で。イブを成長させて何の得が?



 もしかして……熟成させて……いや。大人より子供の肉が美味しいのは常だって誰かが言ってた。料理長かな。柔らかくて蕩けるようなのだ――と。



 ……。



 思考が盛大に逸れた。あ。よだれが。誰も見ていないけれど、盛大に咳払い一つ。おっと。よだれは拭いておかないと。



 兎も角このままでは可哀そうだ。後で自称『なんでも出来る』魔術師に頼まないと。できないことは無いと豪語してこんな所に送り込んだ幽霊。できないとは言わせない。そう決意をしてやはりイブの鼻を摘まむ。



「うーん」



 息苦しそうに呻いてからごろごろと身を捩じらしてピタリと止まった。



 あ。起きるかな。覗き込んでいると長い睫が小さく揺れて、重そうに瞼が開いていく。月の光がくっきりと照らしているためもあるけれど私の記憶補正が重なって鮮やかな深紅がぼんやりと月を眺めていた。キラキラと月の光を映しこんで宝石のように輝いて見えた。



 状況が理解できない。そんな様子でゆらりと視線を流して私を見上げる。



「よだれ……」



 ……。



 拭けてなかったか。高速で雑に掌で拭うと所業に出ていた。ついでにハンカチは掌の中。何事も無いようににっこりと笑うと――そう何も見なかったよねと言う圧――イブは鼻で笑ってくれた。



 ……そう言う気遣いはしない方向らしいな。よし。その話は無視の方向で。



 別に深く突っ込むこともなくイブはゆるりと上半身を起こす。さらりと亜麻色の髪が頬に掛かった。



 おばさん似なのでどこか女性っぽい。いいことなのか悪い事なのか。本人に告げたほうがいいのか。無駄なことを悩んでいた。



 まぁ美人には違いない。殿下といい勝負だろうか。どちらかというとイブの方が『硬い』だろうか。殿下は『柔らかい』という印象だけれど。子供っぽく見えるのは仕草が子供だからだろう。いや、子供だったわ。



 ……。



 あれ。子供ってなんだっけ。



 イブは不思議そうに喉を撫でてから辺りを見回している。



「声が変なんだけど。俺。なんで? というか。ここ――森?」



 だろうね。成長して声が低くなっているんだから。イメージよりも低い。おかしいのは我が弟の声はこれほど変わっていない気が……。



 男の子だったよね。あの子。確か十五歳。鏡かと思うくらいそっくりな弟――。



 じゃなくて。ここは説教せねばならない。と立ち上がった。私はお姉さん。誰が何と言おうとお姉さんなのだから。



 イブは不審そうに小首を傾げたまま私を見ている。



「まぁ、声が変なのはおいおいとして。イブ。夜に家から飛び出してはいけないって習わなかったの?」



「……え?」



 少し考えて――あ――うん。と曖昧に、しかも視線をずらして答えている。思い立ったのだろう。自分の所業を。うん。と考えて私を申し訳なさそうに見た。



「もしかして、俺。あ――拐かれてたり?」



「覚えてないの?」



 そうだと言わんばかりに見下ろすと『うぅ』とくぐもった声。申し訳なさそうに声を紡いだ。



「――家出たところまでは……母ちゃんたちとちょっと……喧嘩して」



「なんでまた」



 相談に乗ろうと再び腰を隣に降ろすと少し逃げる様に間を開けた。まぁなんとなく悔しくなって肩が触れるくらい近くに座ってやったのだけれど。



 小さく身体が強張ったのは怒られると思ったのだろうか。



「か……関係ないし」



「え――? 友達に壁、宜しくない」



「そんな事より。助けに?」



 膨れっ面で言った言葉の答えは無視された。まぁ。うん。友達にもあるよね。言えないことの一つや二つ。



 私はペラペラとイブに喋っている気がするけれど。そして弟に大目玉を喰らったけれど。悲しい。そしてこれからも隠さずにペラペラ話す気満々の私が憎い。



「来た様に見える?」



 沈黙の後『うわぁ』と力なくイブの声が響く。しかも二度見って。落胆は酷いと思う。助けたのは事実なのだし――いや、私ではないけど――。



 頭を抱えたと思ったら何かぶつぶつ言い始めた。え。無視は止めようか。完全に戦力外だよね。思考の中で。



「と、とりあえず朝までここにいないと。月の位置からして今は――」



 長い――と小さく叫んで頭を抱えている。どうやら混乱ているようだ。



 そもそもイブが消えなければこんな事にはと考えながら冷めた目で見つめていた。人が混乱しているとなんか自分は落ち着いていくなぁとぼんやりと考える。



「とりあえず落ち着こうよ? 多分魔物とかはいないと思うけど」



 国の中だとは思うし。魔術障壁効いているはず。多分。と付け加えると涙交じりで睨まれた。ええ。どれだけ混乱を……。



「魔物が居なくても普通に野生動物とかいるんだけど? 俺じゃ――って。あれ?」



 ぴたりと止まってイブと視線がかち合う。一拍置いた後視線を恐る恐る自身の手足に滑らしてからまた一拍。今度は少し長いだろうか。気絶してんじゃないかと一瞬心配になったが、すうっと大きくイブは息を吸い込んでいた。



「なんで手足長くなってんだよおおお」



 混乱ここに極まれり。だ。イブの絶叫は辺りに響いていた。





「イブってバカだよね」



「リックよりはマシだ」



 私たちは走っていた。それはもう。夜の森を疾走する。なぜって――後ろから大きなネコ科の獣が


走ってくるからだよ。よだれと牙が凄いことに。眼光血走っているし。こわいよぅ。獣初めて見た。怖い。



 何とか逃げきれてるのは森だからという理由だろうか。木々が邪魔して大きな図体が上手く避け切れない。それはもうあの広場で見た時は死を覚悟してしまったよ。我に返ったイブに慌てて腕を引かれ逃げ出したのだけれど。



 大体イブが大声を出すのが悪いのだと私は思う。あれは『ここにいますよ』とでも言っているものではないか――まぁ私も気づかなかったのだからしょうがない。混乱していたのだし。



 にしても、ヤバイ。体力が死ぬ。いや立ち止まったら物理的に死ぬ。



 足が棒のようだ。確実に距離は縮まっている。酸素が足りなくて何も考えられなくなってきているのは確実だ。視界に靄が掛かっている気がするし。



「死にたいのかよ。さっさと――」



 喘ぐように言うと、イブは私の腕を強く引っ張る。だけれどそれに足がついていくことは出来なかった。絡まる足、ぐらりと揺れる身体。一瞬獣と目が合った気がする。



 うわぁ。喜々としている。そんな感想が出る自分に苦笑を浮かべるしかなかった。それ以外の感想なんて『あ、死ぬんだ』としか思わない。ちらりと視線をあげてイブを見れば蒼白でこちらを見つめている。伸ばしなおした手に『間に合わない』そう告げた。だって間に合わない。だってもう無理だ。私の足は動かない。



 イブの顔が悲痛に顔が歪む。



 そんな顔を最後に見たくは無いんたけど。



「リッ――」



 『ぐるる』そんな声と共に大きな図体が私に飛び掛かろうとして――。





 鈍い音を立てて地面に倒れこんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る