お茶会



 やがて私は消えるでしょう。きっと私はここにいてはいけない存在。あぁ……世界のバグって言うのかな。と彼女は夕焼けを見ながら小さく笑う。その姿は悲しそうで。慰めたくて小さな背に手を伸ばそうとしたけれど思いとどまった。慰めても意味は無いのかも知れない。もはや彼女の存在自体は薄くなりかけていたのだから。




 私のせいで本来あるべきものは歪められた。――それに気づかないなんてなんて愚かで滑稽な事だったのかしら。



 どうか、どうか皆さんに幸せを。それがたとえ私のエゴでも。私はそう願うわ。貴方に幸せを。



 日が沈むころ。十七歳の誕生日を目前にして彼女は消えた。『また、会える?』彼の不安そうな声だけを空間に残して。




 空は青く、雲は綿菓子のようにふわふわ揺れている。風は心地よくて、料理長に手配してもらったおやつは外で食べるには最高だ。我が家自慢の東屋――東方からから、職人を呼び寄せ作らせたとか昔言っていた――で美しく整えられた庭園を眺めている私。……と殿下。そしてニコニコと上機嫌にクッキーを次から次へと口に流し込んでいるイブに、無表情の弟――女装姿――がいる。なぜ女装なのかと問うたら『どうせ俺も、姉上も同じに見えているから』という答え。似てるけれど……私そこまで美人だっただろうか。訝し気に考えながらグイっと湯水のごとく喉に紅茶を流し込んでいた。



 まぁ。もう逃げられる筈もないよね。うん。先触れと共にここへ訪れるのはどう考えてもおかしい気がする。先触れってなんだっけ。


 おかげでイブに宿題を見せて――教えてもらおうとしたのに台無しだと軽い言いがかりを心の中で付けていた。言えるはずもないけれど。



「ええと」



 にしても沈黙怖い。約一名気にしない子供がいるけれど。助けを求める様に服の裾を引っ張ればクッキーを差し出される。違うそうじゃないと心の中で呟きながらクッキーにくらいついてしまうのが悲しい。でも美味しい。



 ……なぜひんやりとした空気が殿下の方から漂ってくるのだろう。



「リック嬢。君は――私が嫌いかい?」



「は? も゛――っく。ああ、もういいよ。むぐっ。」



 イブはなんだう。私に餌付けでもしているのだろうか。飲み込むたびにお菓子を押し込んでくる。愉し気に。もしかして私で遊んでいる疑念が浮かんだが今はそんな事をしている場合ではなく――何しろ目の前の人第一王子だし――私は自身の体格差を利用して無理やり止めた。イブは当然不服そうに口を尖らせる。一瞬だけ殿下を一瞥したような気がしたが気のせいだろうか。



「ケチ」



「……太ったらイブの所為だからね」



「動くからいいんだろう?」



「たしかに」



 じゃあ食べていいかな。なんて思考が切り替わる前に殿下の事を思い出して良かった。小さく喉を鳴らして笑うイブ。その奥のベルだって笑っている。……笑っている――だと。物珍しいものを見る様にしていると目がかち合って『無』に戻る。



 可愛いのにもったいないな。昔は今よりももっと笑っていた気がするんだけど。うーん。今の『私』がいなかった時はどうなんだろうか。可愛い顔を見せていたのなら姉として些か嫉妬を覚えてしまう。私が私に嫉妬を――何とも気味ような気分だな。



 考えていると殿下からさらに強い冷機が流れて来るような気がしてぎこちなく私は殿下に目を向けるしかなかった。



「ええと。――ああ、好きとか、嫌いとかの話でしたっけ?」



「そうだけど?」



 声が剣呑さを増している気がするんだけれど。なぜ怒っているの。というか怒る何かがあったのか考えで弟に助けを求めるが『無』だ。だんまりを決めこむ気だ。女装までしておいて。



「ええと。よくわからないです。でも殿下と私は婚約者なのでそんなこと関係あるんですか?」



 恋愛結婚――は貴族には無い。大抵打算と野望が入り混じった婚姻になるのが一般的。なのでそれを私は昔から言い聞かされてきたのだし現にいるのだし。私はちらりと殿下を見た。今更だ。私だって『そんなもの』があればいいなとは思うけれどよくわからない。



「……えと?」



 なんか変な事を言っただろうか。完全に殿下が固まった。そうしていると置物なのか生きているのか少し不安になる。



 手を伸ばそうとしたがそれを止めたのはいつの間にか私の隣――故に私はベルとイブに挟まれた形になっている――に立っていたベルである。



 うわぁ。



 殿下と対象で至極嬉しそうだ。



「……姉上。『相思相愛』です」



 耳打ちされる言葉に『あっ』と声を上げていた。そう言えば相思相愛だとか何とか。私が言ったことは、まずいことだったのかも知れない。



 けれど、私は殿下の好きな『私』ではないし、嘘は付けない。なにしろ好きでも無いのに好きという方のか失礼だと思うし。難しい。少し首を捻って考える。



「ベル。言っていいかな?」



「ま。良いでしょうね。隠し通すのは無理ですしどうせ」



 妙にあっさりした弟の返事に今までは、今までの努力は何だったのだろうか。と思う。溜息一つ。



「でも姉上。大出を振って外に出られても困りますよ。本当に面倒なんです。下手すれば公爵家の地位が地面に食い込みますので。姉上を護れなかった愚か者としてね。それほど姉上の価値は高くなってるんです……」



 つまりばらしてもいいけどお前は今まで通りな。という事だろうか……信用ない。殿下が言いふらすということは考えないらしい辺りはもしかしたら仲がいいのかも知れない。



 睨まれた。



「あ――平民もそれほど悪くないよ」



 ね。とイブに振られてこくんと頷く。いや、平民の暮らしを知ってる訳じゃないけれど、イブが愉しそうなので何とかなるかな、と。じろりと二人まとめて氷のような目で睨まれてしょげる。私だけだけど。イブは再びお菓子を口に含んで肩を竦める。



「だまってくれませんか? お子様は。僕は蝶よ花よと育てた姉上に何一つ不自由させる気は無いんだ」



「なんだと?」



 とりあえず膨れたイブを抑えながら考える。



 そもそも弟が姉を育ているというのは何か違うような……。でも妙に納得する。両親は私に対してほぼ育児放棄してたからなぁ。



 はっ、じゃあ弟がお母さん?



「姉上。おかしな事を考えてないですか? 僕はお父さんでも、お母さんでも無いですからね。現に両親が居るでしょう?」



 一瞥され、やっぱりなぜわかる。と呟けば顔に出てるからとイブが笑う。先ほどまで膨れていたのにそんな分かりやすかったのだろうか。笑うほど。でも笑ってくれてたほうのがいいので大して気にはならなかった。



「何の話を?」



「あ」



 殿下。復活したらしい明らかに不機嫌と苛立ちの入り混じった顔でこちらを見ている。忘れていた。忘れて和気藹々としてしまった。



「しつれいいたしました」



 すっかり冷めた紅茶を飲み干すと軽くテーブルの上に置いた。溜息一つ。外の景色に視線を殿下は滑らせた。



「……で。私に何を話すべきことがあるんだい?」



「あの。実は私は記憶が無くて。――ええと言いにくいのですが。殿下の顔も名前もすっかり覚えてないんです。貴方を好きだったのかもよく分からないんです。ごめんなさい」



 それどころか名前も――それは公爵令嬢としてどうなんだと言われるので黙っておく。



「それは本気で?」



 表情は無く。ただ黒い双眸が私を見つめる。何かを見極める様に。それがどこか居心地悪くて目をそらしてしまう。



 嘘は吐いていないので堂々と何事も無く離せばいいのだけれど、忘れたことへの罪悪感がジワリと心に滲む。そのために少し挙動不審かも知れなかった。



「因みに言うと魔術なんて残念なことに使えないし、勉強もよく分からないんです。……初等部に通っていた理由なんて読み書きと基本的なものを教わるだけだし」



「あ――ジャベルとは関係無いの?」



「?」



 なぜそこで突然『先生』が出てくるのか分からずに首を捻る。ジャベル先生。イブによると地理の先生で――やる気は一切無いと聞いた。昼休みはいつも保健室で寝ていて起こすと怒られるらしい。首にしてしまえと言いたいが国につながる相当な権力者でできないというのがもっぱらの噂だ。公爵より偉いのかな……よく分からなかった。



 因みに私はまだ会ったこともないが全女子が憧れるくらいには容姿はいいらしい。



 ここに集う人――子供と私を除いて――より容姿が良かったらもはや化け物のような気かする。



 そんなことを考えていると呆れた様に弟が口を開いていた。



「姉上の師匠ですよ、というか。まだ気にしているのですか? 殿下。さすが随分と懐が広くていらっしゃる」



 なんか殿下が盛大に引きつっているけれど無視して私は弟を見た。にっこりと作り笑いは美しいけど怖い。



「師匠? ししょうって、先生の事だよね。何を習ってたの?」



「魔術の」



 ……本当に? と呟けばなんでもなく『はい』と返される。だったらなぜ教えてくれないのという声を飲み込んで私はくるりとイブに視線を向ける。



 話の流れなど無視してお菓子を上機嫌に食べ続けるイブに苛ついているわけではない。断じて苛ついた分けではないけど。私はひょいっと笑顔でイブのお菓子を食べる寸で取り上げるとがちっと強めに歯がぶち当たる音。それと共に抗議の目でイブは私見つめた。



 お菓子を食べている暇じゃないの。



「よし。イブ明日保健室に行こう」



「は? なんでさ」



 食い気味に覗き込めはイブはたじろぎ赤い双眸は困惑したように揺れる。頬が微かに赤いが食べすぎだろうと結論付けた。



「聞いてなかったの? 魔術のせんせいだって。イブのおじさまの手を煩わすことは無いよ」



 ほくほくする。これで私も魔術師だ。私の師匠ならきっと教えてくれるはずだし。ニコニコと上機嫌に笑う私を半眼で睨んでからイブは軽く音を立てて私の手を振りほどいた。



「べっ、別にそんなことはいいし。父ちゃんだってリックに会うの楽しみにしているって言ってたし――」



「……うん。その会話はぜひ他で、むしろ私がいないところでしてくれると有難いよ。私ってそんなに存在感が薄いかい?」



「……」



 その通りです。と言いずらく、ぐっと堪えて向き直る。引きっつている顔。表立って怒らないのは王族だからか大人だからか。私が子供みたいな感じだからか。どちらにしてもさすがに二度も忘れていたのは申し訳ないとは思う。因みににイブは罪悪感なんて感じることはなく自身でティーポットを引っ掴み雑な仕草で紅茶を淹れていた。ついでに私のも淹れてくれるのでありがとうと言うと小さく鼻を鳴らして視線を逸らす。少し照れているみたいだ。



「ごめん――申し訳ございません」



 何度目かの溜息が薄い唇から零れ視線を逸らした。ゆっくりと両眼が私を見つめる。



「あ――君は魔術が好きなの? ジャベルではなく?」



 だからなんで。と突っ込みたかった。



「魔術は使えたらいいなと……先生に関しては、顔も知らないんですが?」



「……そう。ベル。このことは他に誰が? ジャベルは知ってるの?」



 考え込みながら弟に視線が流れる。ベルは無表情。あくまで事務的に口を開いていた。淡々とした静かな声が響く。



「まぁ、屋敷の使用人はうすうす。どう見ても言動は別人レベルですから。――公爵夫妻には話してません。どうせ気づきませんし。あとは。そうですね……ジャベル師はおそらく大方把握してます。でおそらくそこから各方面に根回しを。あと姉上が初等部にいる間の保護と監視もお願いしてます」



「かんし?」



 物騒な言葉を聞いた気がする。……聞かなかったことにしよう。そうしよう。



「はい。何か。因みに姉上のお昼の奇行は爆笑交じりで報告受けてますよ」



 奇行じゃないもん。魔術の練習だもん。と私は小さく呟いた。そして見てるなら教えてくれてもいいのではないだろうか。あざ笑うなんて――そこまで言っていないが――師匠は性格が悪いらしいと確信する。



 悔しい。



「イブ。やっぱり、おじさまに……」



 教えてもらわないと。



「とりあえず、そこからは逸れてくれないかい?」



 圧。笑顔の圧に黙るしかない。これが王族の威厳。とか思ったが存外弟が良くするものだと思い出した。それで耐性が出来ているかと言えばできていないのが悲しい所だ。ぐぅと情けない声を出してしまう。



「ともかく。本当に忘れているのであれば――このまま様子を見たほうがいいのかも知れないね。思い出す可能性は?」



 殿下の言葉にベルは初めて顔を曇らせた。どこか苦しそうに見えるのは気のせいだろうか。こうなってしまってもやっぱり可愛い弟だ。姉として慰めても遣りたいと思うが、そんなことはきっと拒否するのだろう。現に『なにもなかった』かのように無表情に戻っている。



「ベル……」



「もしかしたらこのままかも。殿下はこのままでは不服ですか? 姉上ではないと? 殿下も(・)――」



 その後の言葉は続かなかった。ただ挑む様にベルは殿下を見つめるだけだ。それをまっすぐに見つめ返す殿下。はたから見ればなんて素敵な男女なのかしらと言われそうな光景だ。けれどどこか殺伐とした雰囲気に私は顔を引きつらせるしかない。そしてイブが羨ましい。



 私はすっと息を吸った。やってられるかと。



「あ、あのっ。ですね。別に気を使わなくてもいいんです。ああ、ほら、私も殿下好きなわけではないですし。殿下が嫌なら――」



 婚約破棄をと思ったところでふと我に返ってみる。前の私が戻ったときに殿下がいないとか可哀そうではと。仮にも相思相愛だったのだし。



「私は」



 殿下が困り切った顔で何かを言おうとしたが私はそれを遮るように立ち上がって宣言する。



「前の私が戻ってくるまでこのままの関係でいてくれると嬉しいです」



 きっと前の私は戻って来るよね。満足げに言う私に殿下はさらに困惑を深く――どこか申し訳なさそうに見て、イブは『ふざけんな』と抗議している。うん。意味は分からない。弟は相変わらず無表情だったがその双眸は悲しみに彩られている気がした。



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