初等部



 初等部の学び舎は弟がいる中等部からは離れている。ついでに言えば高等部はなぜか隣と言う謎仕様。誰が作ったのか小一時間問いただしたい。なので『本来は高等部在籍(主席)』の私にはちょっとしたアクシデントが起こる訳で。



 果たしてアクシデントなのかな。起こるべきして起こった気も……。頭が痛い。




 初等部へ来て一週間。平和な日々が続いていた。まぁ、平和なのは私だけであって他の子の顔は引き攣っていたし先生の表情は相変わらず青いまま――なぜか手を上げると震えながら私を指名する――だ。で、一人。相変わらず友達なんて作れていない。まぁ、公爵家+外見年齢十七歳+謎の名声を持った女が子供に混じって子供の授業受けているってそりゃあなんか勘ぐりたくもなるよ。私だってそう思う。たまに興味を持って話しかけてくれる子もいないではないけど『ママが言ってた』とかで他の子に阻止される。かなしい。ママ酷い。



 そして今日も今日とて教室に居づらく、私はお昼休みにお抱え料理人が持たせてくれたお弁当を開いていた。食堂はなく、学食販売はある。けれどすぐ売り切れるんだよね。噂に聞くコロッケロールデラックスデミグラスパンとか食べてみたいんだけど。昼休みが始まった五分間は上級生の全力ダッシュが名物だと思ってる。



 因みに言えばこの学園の精神は『平等』だ。平民から王族まで貴賤に関係なく通っているので身分の威光は通用しない。なので学食のコロッケ……コロッケデラックスを手に持てるのは弱肉強食を勝ち抜くための体力が必要になってくると最近の観察で気づいた。



 ……魔術には体力も必須だ。けしてコロッ……デラックスのためではない。ということで体力を付けるには腹筋がいいと思う。弟――幼い頃――の鍛錬で見た。泣きながら『はい』と言って腹筋をしたり木剣を師に振るっていたのを思い出す。ついでにそれを見て一緒にこっそりと鍛錬したのだけど結局見つかってつまみ出された。



 あのままいってたら私凄い人になった気がする。いや――前の私は凄い人だけど。



 うん。と考えながら上着を近くの小枝に掛けて私はパンツスカート(制服)のまま芝生の上に寝っ転がった。確か手を頭の後ろに。身体は一直線にしてからの。



 ふんぬ。



 ……あれ?



 ふんぬぅ……。



 気が付くと両手は宙でバタバタしている。ついでに足も。顔だけが真っ赤になって――どれだけ腹筋が無いんだろうと悲しくなった。



「き、今日はここまでにしておいてあげるわ」



 捨て台詞を吐いて半身を何事もなく起こし、端に寄せていたお弁当を解く。サンドイッチがぎっしりと。そうぎっしりと詰められていた。え。何人分。というか圧縮しすぎてサンドイッチって何だろうと考えたくなる。



 ――質より量と言ってたのはお嬢様では無いでしょうか?



 困惑気味な料理長の談が脳裏に掠める。公爵家で出される料理は兎も角減らしてと懇願して何とか減らしてもらったのだけれど、どうしてお弁当はこんなことになっているのだろう。お嬢様も乙女ですからねぇ、とか言われたけど普通はお弁当の方を少なくしないだろうか。料理長の乙女認定おかしい。そしてクラスメイトにばれたら恥ずかしすぎる。



 美味しいけど。



 口いっぱいに頬張りながらもきゅもきゅと音を立てて食べる。残すのは勿体無い精神がなぜか働く自分が悲しい。



「ま、動いたらいいんだし」



 横に成長することに言い訳しながらもう一枚。



「こんな所で何してんのお前」



「……」



 速攻でお昼を済ませたらしい少年が自身の頭ほどあるボールを抱えながら立っていた。亜麻色のふわふわとした髪と赤い双眸。なかなか可愛らしい容姿を持つこの子を私は知っている。



 一度私に話しかけようとしてくれたクラスメイトだ。



 ……。



 名前なんだっけ?



 うーんと考えている間に少年は私のお弁当を覗き込んだ。隠そうとしたが遅し。



「すげぇ量だな。なぁ、食べても?」



 すでに食べてますが。美味いと呟き一つ。私の隣に小さな身体を折りたたむともう一枚所望された。所詮はパンだ。水が無ければ食べにくいだろうと私が持っていたジュース――学食販売――を差し出せば『助かる』と嬉しそうに飲み干した。



「ご飯食べたのに入るの?」



「ん――今日飯作ってもらえなかったし。俺のかーちゃん忙しくて」



 なんと。食べ終えたのでは無くて食べてなかった。なら、もっとと進めると嬉しそうに顔が輝いた。



「美味いな。さすが貴族だなぁ。もっといい?」



「私には食べきれないし」



 これだけあればいいと二、三枚ペラペラ――圧縮――サンドイッチを手に取った。さすがというべきか美味しいから入らないわけではないのだけれど。やっぱり成長するのは嫌だ。主に横へ。



「助かる。ありがとう」



 ぺろりと完食した少年はあははと笑う。可愛らしくあどけない。



「そういや、エレナが言ってたけど、アンタすげぇ人だってほんと?」



 凄いひと。随分漠然としてるな。私自身はそのすごさ一つ微塵として分からないんだけれども。ここで『私って凄いの』とか言い出した方がいいのだろうか。いや実際凄かったらしいし。



「……公爵家なのでまぁ」



 うん。そんなバカな勇気は無かった。無難な所の凄さを言ってみる。いや、これは私が凄いのではなく家系が凄いだけなのだけど。



「俺が言いたいのはもっと――こう? なんかすげぇの。よくは知らないけどそう言ってたし――だから近寄ったらいけないって。無礼に当たるってたぞ?」



 なんだか目がキラキラ輝いてますが。一体少年の心の中でどんな『凄い人』になっているのだろうか。それこそ子供用小説の主人公みたいになってそうな気がする。冒険小説の英雄……胸躍らせながらかつて読んだそれに私が重ねせれているかと思うと顔が引きつる。



 私、初等部で初等教育受けているんですけれど。



「えと、あの」



 でも――無礼というのは嫌だなぁ。どう返そうか悩んでいると少年は『あ』と我に帰ったようにして小さく声を上げていた。多少興奮してしまったことが恥ずかしたったのかも知れない。ポリポリと頬を赤くして頭を掻いている。



「――な、わけないよなぁ。だってこないだの問題全問不正解だったし――走らせたら転ぶし。大人なのに、初等部にいることがおかしいし」



「……」



 勉強はしてます。ちゃんと。たまたま。緊張してただけで。予習復習抜かりなし。しないとベルにおやつ抜かれるから。でも転ぶのは由々しき事態だよ。体力と魔術を身につけなければいけないのに。デラックスの為に。



「そして、きっと俺の名前も覚えて無くない?」



 物覚え悪そうだし。と付け加えられた言葉に米神が引きつる。



 グリ……ロン……アレリ……ジャスティス……だめだ名前と顔が一致しない。悔しくて呻いているとぽすっとボールを投げられ、反射的に受け止めていた。真意が分からなくてボールと少年を見比べる。



 少年は軽く笑った。



「俺はイブだよ。ただのイブ。宜しくな。リック。俺らは友達だ」



 友達。友達という言葉に頬がじわりと温かくなる気がした。人生七年。ほぼ家に引く籠っていた――正確には部屋に――私には当然友達はいない。話すのは二つ年下のベルとかなり歳の離れた大人たちばかりだった。



 しかも名前まで覚えてくれるなんて感無量で泣きそうだ。



「う、うんっ。うんっ。宜しくね」



 ポンポンとボールが手元から落ちると同時に、イブの小さな手を握りこむ。その赤い双眸を覗き込めば一瞬にして頬がゆで上がった。慌ててリックの落としたボールを拾う。



「ま、まだ時間はあるんだ。これで遊ばね?」



「ボール?」



 ボールで遊んだことはない。ぺちぺちとイブ持っているボールを叩く。どうやって遊ぶんだろうか。



「他に何かあればいいけどさぁ。二人でボール遊びはさすがに面白くないよな」



 うーんと考えながら空を仰ぐ。そもそも私は外での遊びをあまり知らない。家の中で食堂から物を盗んだり、壁に落書きしてみたりとか――それはそもそも遊びなのだろうか。外でするのは良くないとさすがに分かる。事実見つかって鞭を打たれたりとかしたしな。



「あ。じゃあ、あのね。私、今体力つけてるんだ」



「は?」



 いきなり何を言い出すんだろう。と小首を傾げられた。



「魔術を使うための体力。その練習を付き合ってくれると嬉しいわ」



「へ?」



 魔術。不思議そうに呟いてから少しだけ考えて『わかった』と呟いたイブににっこりと笑ってませれば顔を赤くして視線を逸らされた。





「俺、調べてみたんだけどさ」



 うーんと呻きながら腕立てをしている私の横で私のお弁当を食べながらイブが言う。本日は大量の圧縮されたパスタが詰められている。べったりとした赤いトマトソースにチーズがふんだんに入っている。あれをすべて食べたら絶対横に成長する。確信しかない。ので本日もイブに手伝ってもらっていた。であるので最近――ここ二日ほどはイブも食べ物を用意しなくなっている。



 私の倍食べてるのに太らないということが凄いよね。と考えながらぐしゃっと地面に私は潰れて楽しそうに笑うのが聞こえた。



「――一回もできない」



 俺はできると食べる前に見本を見せられたのを思い出す。腹筋も腕立ても普通に――五回ほど――出来て羨ましい。将来はデラックスパンを絶対に手に入れられそうだ。



 私は身を起こして残ったパスタを受け取った。因みにフォークだけは二つしっかりと入れてもらう様にしてある。何やら嬉しそうな目で見られたけど。



「そのうちできるんじゃね? 腕立てなら、さ。――でね。リック。俺。調べたっうか、父ちゃんに聞いたんだけど」



「?」



 なぜお父さんの話が出るのか分からず首を傾げると慌てて付け加える。



「ああ。父ちゃん魔術師なんだよ。――でさ。聞いたら魔術には筋力ってほぼ必要な言って言ってたんだけど。父ちゃんだって近所のおっさんに比べても細いし」



 魔術師。その言葉に私の目が見開いて、若干怯えた表情のイブ。逃げはしないだろうけれど、逃げないようにかっちりと細い両手首を私は握っていた。



「魔術師なの?」



 興奮気味に問えば顔を引きつらせたまま、薄く頬が染まる。怖いらしい。顔が。私は目つきが悪いから。



「……え? あ、うん?」



「教えて戴けないかな? イブのお父さんに」



 鼻息荒くじりじりと詰めよれば逃げ腰で後ずさる。困惑気味の声が耳に届くがそんなものどうでも良かった。



 だって。魔術師が私の周りにいない。ベルは使えないし。屋敷の皆さんももちろん――というか使えたら屋敷で働かない――両親もだ。ベルが言うには魔術師団に頼もうがほぼ魔術師の頂点に立ちかけていた私に誰が教えるんだと言っていた。確かに。



 なので現状。妄想で魔術の練習をするだけだ。医者を呼ばれるから夜中にこっそり。成果――はちょっと魔術師的なポーズが煮詰まっただけ。



「いや。父ちゃん忙しいし……」



 と弱々しく聞こえたと思ったら息を飲んで私を見た。いや、正確には私の後ろだろうか。



 何事――と考える間もなく、べりっと猫宜しく私の身体は引き上げられる。なんにって――そりゃあ愛しの王子様に……。



 ……え?



 小脇に抱えられたまま優美な顔を見上げる。



「殿下?」



 名前。名前――っ。殿下は殿下なんだからそれでいいだろう。ばれない。ばれない。と心の中で言い訳をしてみる。大体露にも興味が無かったので今まで忘れていたのだし。



「子供を襲っているようにしか見えないんだけれど……。大丈夫かい? 君」



 イブに目を向ければまん丸の目で殿下を見つめ、一度こくりと頷いた。まぁ奇麗な顔をしているし。見惚れるのも無理は無い。殿下は良かったと笑ってから私を立たせる。ポンポンと制服を叩く姿はお母さんかなと思ってしまった。



「初等部で何をしているの? ベルに熱を出して寝込んでいるから近づかないでと言われたのだけれど、元気そうだね? 何度かお見舞いの品を届けさせたのだけれど――」



 あれから二週間近くになる。私はあの日から寝込んでいることになっていた。感染したら厄介と言う理由で面会謝絶。故に学校――高等部――にもいけない。障壁の確認もしない。出歩いている筈はない。そんな私が出歩いているんだから驚きだよね。と愛想笑いを浮かべてみる。



 ま。二週間。そろそろ厳しいかなって思っていた。だけれどこんな所で顔合わせするとは思わなかった。私は令嬢としての知識――そんなにない――をフル回転しながら口を開く。



「殿下。申し訳ありません。私は寝込んでいましたので確認をしておりませんでした。お礼の手紙も書けず――」



「貰ったよ?」



 うぐ。誰だろう。気を利かせて送った奴は。『確認してない』って言っちゃったじゃないか。謎の汗が背中に伝う。笑顔が怖いのは気のせいかな。気のせいだと思いたい。



「まぁいいや。そんなことより、もう一度聞くね。ここで何をしているのかな?」



「勉強だよ。というか、何? アンタ。俺の友達に何の用? アンタこそここで何を? 変態?」



 我が心の友よ。と感激した私は盛大に言いたい。私の目。前に庇う様に立ったイブは真っ直ぐに殿下の顔を見上げていた。



 けど変態はない。は王子です。所謂我が国の王子様。一番偉い人の次に偉い人。内心悲鳴を上げて私は思わずイブを引っ張ると小さな体が胸元にすぽりと収まる。


 見開いた双眸。固まった表情。イブの口元は何か紡ごうとしているが音を発することはない。ごめんねとかるく口元に乗せてから殿下を見た。内心子犬のようにプルプル震えながら。


 とりあえず『私は大人』なんて心の中で暗示しておく。


「……ま、まさか。子供の言う事を間に受けないですよね?」


 無表情。というかなんとなく不機嫌。殿下はイブに一瞥をして私に目を向ける。ここで何かしたら言いふらしてやる。この国の王子は度量がせまいんだと。



 溜息一つ。



「まさか。――で。君は『初等部』へ何を勉強に?」



「う。ぐ」



 私は口ごもっていた。まさか読み書きとは言えない……。



 面倒なことになるから。隠そうと決めたのはベルだ。いや、隠しているのも相当面倒だと思うのとは言ったんだけれど。現に面倒じゃないか。



 それになんかだましているようで心苦しい。



「君が好奇心旺盛なのは知っている。なんだか知らないがそれは病気の身体を推してでも――」



 はっと何かに気づいたように顔を上げて『まさか』と呟いている。私には『え』としか言えない事だった。



 なに。



「まさか、ジャベルに会いに来たのか?」



「?」



 だれ。それ。が正直な感想である。目をぱちぱちさせている私とちょっと顔が青くなりかけた殿下。その間で不思議そうに口を開いたのはイブだ。



「あ、なんだ。アンタ、ジャベル先生の知り合いか? だったらここにいても仕方ないのか」



「せんせ……」



 え。先生? うんとイブは頷いてするりと私から身体を離した。どこか真っ直ぐに、挑む様に殿下を見据える。一方で私はそんな人いたっけなと考えるけれど、名前覚えられないし仕方ないとあきらめた。



「この時間帯なら保健室にいるんじゃねぇ? 寝るのが大好きな人だから寝てると思うけど。起こしたら怒るけど大丈夫か?」



「そう言う事ではなく――」



 殿下の言葉を遮るようにしてイブは口を開いていた。それと同時に小さな手が私の掌を握る。子供の体温故なのか温かい。



「それに……アンタ高等部だろ? 昼。もうすぐ終わりだし行かなくていいの? ええと、デンカだっけ? なんか知らねぇけど。俺たちはもう行くから」



 よく見れば殿下も制服を着ている。シンプルな黒ブレザー。胸ポケットには学園の紋章があしらわれていた。私だって覚えた。高等部の制服だ。



 よく考えればこんなところで何しているんだろう。先生に会いに来たのだろうか。



「あ、ああ」



 ぐっと引っ張られる手。その手に引きずられる様に私は駆け出していた。案外力が強いなあ。あ。お弁当箱片づけないととは思ったがなんとなく戻りづらいので後でいいかと考える。



 ではなくて、呆然としている殿下に私は見える様に手を上げる。



「あの、ごめんなさい。殿下。また後ほど――」



 忘れてくれれば有難い。けれどそんなことはないのだろうなぁと目が死んでいく自分がいる。ともかく弟に相談しないとと考えながら私は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしていた。



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