事の顛末

 その日は花弁が舞っていたと思う。綺麗な花で、とてもいい香りがした。お誕生日に素敵なことがあると浮かれるのは多少仕方のない事。きっとそうだ。私は悪くない。だからあれは事故で。私は花を夢中で追いかけて――庭の池に沈んだ。


 覚えていることと言えば――水底から見える水面はきれいな事だっただけだろう。怖さも、苦しさもそこには存在していなかったように思う。



 それが七歳の誕生日。



 次に記憶があるのは――十七歳の誕生日だった。これまた私の視線は花を凝視していたらしい。なぜだろうか。それまでの記憶が抜けているのでよくわからない。べつに花が好きというわけではないのだけれど。食べても味がしないし。


 ……ともかくとしてそこから視線を流すと見慣れたような、見慣れていないような景色の中、大人たちが談笑しているのが見えた。色とりどりのドレス。豪華な立食式の食事が並んでいる。



 でも――なんだか変だな。なんだろうな。なんて考えている間に気づく。因みに両手には皿で山盛りのお菓子がいる。鎮座しているのだから仕方ない。



 あれ、私の視界高くない? と。なんだか手の感じも違う気がする。ぷにぷに感が無くて何だろう。白いしなんだか長い気がする。こんなのだっけ?


「どうしたんです? なにか憂い事でも?」



「……ふぇ?」



 そこには黒い髪のが立っていた。金と茶色の髪を持つ両親も綺麗だけど、このお兄さんもとても綺麗だと思った。口に含んでいたマフィンを落としそうになったけれど両手がふさがっていたのでなんとか――浮かして食べる――で死守した。



 因みに私は公爵家――すごく遠い王位継承権だってちゃんとある――の令嬢だけれど何か? 現に鳩に豆鉄砲をくらったような顔でお兄さんは私を見つめていた。



「今日はまた――何というか。リック嬢はいつにもまして不思議なことを」



 言いながらマフィンを口からもぎ取られる。優雅に。優雅って何。とんと私の皿を近くのテーブルに置いた。



 じっと見つめられても困る。なんたってコミュニケーション能力が高くない。会話。というか。誰。この人誰。と頭の中で悲鳴を上げてからようやく声を絞り出していた。



「ええと――あの。ええと。どなた様で?」



「姉上っ」



 返答を聞くことができなかったのはなんとなく、なんとなくだけれど見覚えのある少年が駆けて来たからである。けれどなんとなくでしかなく、やはりこれも『誰』と悲鳴を心で上げていた。



 お家帰る。いや、ここ家だ。



「姉上、ここに……って。あ。殿下。いらしたんですか。どうも」



 殿下。でんか。聞きなれない言葉と、知らないお兄さんたちを交互に見る。なんとなく険悪気味。仲が悪いのだろうか。



「君の姉上様は体調が優れないようだよ?」



 殿下と呼ばれたお兄さんは優雅に言う。お兄さんは私が持っていたと思われる皿をちらりとみつめた。体調は――すこぶる良好です。



「お姉さん?」



 見覚えがあるとはなんとなく思っていたけれど、親戚だろうか。お母様によく似ている――と思う。殿下も綺麗だけれどこのお兄さんもふわふわとした顔立ちで愛らしい。ま、目つきは悪い気が。近眼かな。



 でも私が年下なのに姉上様は可笑しいと思う。



 姉と言えば二歳年下の私の弟はどこ行ったんだう。可愛いけど生意気な弟。『いけません、姉上様』が口癖になりつつある。なぜたしなめられるかは分からないし。私悪い事をしていないのに。でも、侍女のアルーノに咎めにれるよりはよっぽといい。だって鞭は痛いもの。



 目をぱちぱちしたように言うと私の背中を少年が押して、いともたやすく方向転換をさせられた。



「……少し部屋で休ませます。殿下。向こうでザイール様が探しておりましたが? 侍従の目を盗んで行動するのは如何かと思います――そもそも」



 この流れ知ってる。お説教だ。私もよくやられる。殿下は顔を引きつらせ、たじろいでいた。妙な迫力に私もなんか怒られているような気分になって一歩下がる。



「ああ。――いや、いい。分かった。戻るとも。ただ、リック嬢が落ち着いたら知らせてくれると嬉しい」



 ったく。これだから……。と呟いて踵を返すのを私たちは見送っていた。なんだかわからないままの私と、にっこりと満面の笑みを浮かべた少年は本当に嬉しそうだ。



「お兄さんは、あの人嫌いなの?」



「はい」



 いい笑顔で即答。



 まぁ、聞いてみたもののどちらも知らない人なのでさして興味もない。勝手にしてほしい。私は『へぇ』とだけ呟いて視線を私の手元から去ったお皿たちに向けた。



 ……なんで身体で隠すの。意地悪するのっ。弟に言いつけるからと内心毒づく――いや、その弟五歳なんだけど。うん。さすがに情けなくなったので言わない。



「ですので姉上、関わらないで頂けると嬉しく思います。僕の精神衛生上の為に」



 さあああ。と風が金髪を巻き上げる。柔らかな頬。にっこりと完璧な笑顔は多分誰もが見惚れるようなものだと思う。



 でもなぜだろう。カタカタと小刻みに肩が震えるのは。



 え。なに。この人。ヤダ。怖い。笑顔で怒るお母様を彷彿とさせる。何か一言でも発すればきついお仕置きがあるような気がしてならない。



 知らない人なのに。



 なんだかよくわからないが――促されるまま半べそで『はい』というしかなかった。





 そして、そこから知った衝撃の事実に私は固まって、知恵熱を出してしまった。いや出さずにはいられない。



 なんか知らん間に十年経ってたってどういう事なんだろう。それはそれは悪夢を見た気がして三日三晩魘された。……何を見たか。ってそんなの覚えてないけれど。起きたら夢だったなんてことは無く、現実が広がっていたと言う絶望に打ちひしがれる。



 まず最初に知ったのはあの金髪碧眼のお兄さんは……私の可愛い弟ベル・アースだ。ぺちぺちと擬音――幻聴――を鳴らして歩くような可愛らしい子供だったのに。今は面影があるだけ。実に寂しい。だけれどそこは置いておいて。



 私と瓜二つというのはどういう事なんだろう。そう。鏡に映った自分を見て驚いた。成長していた自分のこともあるけれど、ベルにそっくりだった。何ならベルの方が可愛い気がする。



 ……ベルが殿下の婚約者でいいんじゃ。と思った。いや、男性だけど。それは間違いない。



 そう。あの時――私の誕生日パーティ――で出会った殿下と呼ばれたお兄さんはアーロン・タイト・エルグ。この国の第一王子。



 我が家は公爵家だったなぁ。と遠い目になる。婚約破棄したいと言うにはどうしたらいいんだろう。召使さん達口を揃えて――以前は喋ってくれなかったんだけどやたらフレンドリーに話しかけてくる――愛されてますね。とか意味の分からないことを言うし。


 怖いし。


 そもそも私は喋ったことも無い。



「――か? 聞いてますか? 姉上」



「へいっ」



 鋭い言葉に私は肩を揺らして我に返っていた。クローゼットの奥から引っ張り出した友達の『ウサ』を抱きしめながらベッドから仁王立ちしているベルを見る。なぜ可愛い顔をして不機嫌オーラを纏っているのか。怖い。いや目つきが悪いのでそう見えるだけかもだけれど。



 ……当然私も目つきが悪い……。



「本当に何も覚えてないんですか?」



「うん。何も。ええと、ベル? だから、実感が無いんだよ。『私』いったいどんな人だったの?」



 この部屋は大して装飾されていない――というかあまり私の時と変わっていない。何もなくて質素。少しだけ見たことの無いアクセサリーとか、初めて見る映し鏡とかがおいてある。机には大量に置かれた難しい本と、書き込まれたノート。それだけで随分勉強家なんだろうなということが分かった。私には難しくて分からない。文字だって大半が読めなかった。



 私は唯一の友達であった『うさ』をクローゼットから引っ張り出してぎゅうと抱きしめていた。若干埃っぽい。皺の付いた長い耳を伸ばしてみる。



「どんな人、ねぇ」



 顔を軽く顰めて本の山に視線を移す。



「あぁ。あの人は、基本なんでもできる人ですかね?」



「なんでも?」



「ええ。学問から何からなんでもできる人でね、その上明るくて優しい。男女問わず人気があって。密かに『愛でる会』などと会員クラブまで出来ていたそうですから。ああ、そのグッズの提供元は僕です」



 後半は知りたくなかった。儲かるのでと付け加えたことも聞きたくなかった。私はわざとらしく音を立ててベッドに寝そべる。ふかふかで温かかった。そしていい匂いがする。



「なんだか凄い人なんだなぁ」



「あとは。そうですね。一人でこの国を覆う魔術障壁を作り上げました」



「……は?」



 魔術障壁。この世界には人を糧にして生きる『魔獣』というものがいる。食物連鎖を外れた人間を憂い神が遣わしたものと言われているが大きなお世話で――ではなく。それらから町を護るための壁である。物理的なそれではなく、魔術――魔獣に対抗する不思議な力――で空間ごと遮断して創られるとか何とか。ただ。魔術を扱えるものはごくわずかでこの国にも数えるほどしかおらず、ほとんどは町単位、村単位の小規模な物。私だって実際見たことないし、寝物語に侍女に聞いたくらいだ。



 とりあえず。そんなことができるのはすごいらしい。ものすごく凄いらしい。



 思わず自身の手を眺めてからもう一度『は?』と返してみたりする。嘘でしょと暗に告げればベルの目は死んだ魚のような目をして『本当です』と小さく答えた。



 ……少し考えてみる。



 魔術師の多くが子供の頃に何らかの才能を発揮するという。とりあえず言えることはその何らかに私は入っていなくて、特別な物は何もなかった。魔術が在ればそれは楽しいだろうな。いいな。と妄想で『ファイヤー』と叫んでその瞬間を弟に見られたことすらある。おかしくなったと大泣きしたベルは侍女に泣きついて医者を呼ばれ恥ずかしい思いしかしていない。医者の生温かい憐れむような笑顔は今思い出しても恥ずかしすぎる。



 けれど、うん。



 今回は叫んでも様になるかも知れないと心が浮き立ってベルを見た。顔は嬉しさでいっぱいだろうな。隠す気は無い。



「……私、魔術使えるの?」



「突っ込むところそこですか? 嬉しそうにしないでくださいよ。僕では教えられませんし」



「頑張ったら何とかなる?」



 呆れた様にいうベルを無視して集中してみるが当然のように音沙汰はなく、むしろベルの苛立ちが横顔に当たって痛かった。



 そう言えば私は姉のような気がしたが違っただろうか。『ごめんなさい』と呟いて謝っておいた。あからさまな溜息一つ。



「兎も角完璧な人で在るのは確かです。姉上の真逆と言って良いでしょうね」



 なんとなく貶められている。そんな気がしたが黙っておく。確かに私は完璧ではないしなと考えつつ天井に視線を向けた。



「明日から、寝込むのは?」



「どうして?」



「うーん。皆、今までの私が好きなんだし。何もできないし、覚えてないとなればきっとがっかりするし。記憶が無くなりましたで通じればいいんだけどさぁ」



 何より、存在しているだろう『学園』に行きたくなかった。クローゼット覗いたときに見えたよ。制服が。



 無理。



 いや。勉強なんて無理。無理だから。机の上の本もノートも意味不明。単語も難しくて、ただの絵にしかもはや見れない。大体私は学校なんて通ったこともないし。文字は簡単な物しか読めないし。というか知らない人の中――私から見たら知らない年上の人――に入るのは苦痛でしかない。昔は学校を楽しみにしていたんだけどな。



 ま、うん。魔術という遊び――勉強道具を得たので家から出なくても良くないかと思う。



「勉強は教えますよ」



 なぜ考えていることが分かるのか不思議だなぁ。覗き込む顔に喉を小さく鳴らして、上半身を起こす。



「だ、大丈夫。家庭教師を雇うし」



「今更姉上に付けてくれると? よしんば雇ってくれても、家庭教師がこないんじゃ」



 確かに。言われてみれば。一体誰が魔術障壁を作り上げた令嬢に教えようというのだろうか。むしろ何を教えろと。という声が聞こえてきそうだ。



 文字や算数など教えを乞えば、バカにしているのかと切れそうな気さえする。



 体のいい言い訳をあっさり否定されて私は悔しかった。ぐぬぬと喉を鳴らすとベルは笑う。



「大丈夫だと思います。姉上は姉上なので。誰もがっかりはしないと思いますし。ああ、でも――そうですね。あの糞王子には盛大に嫌われていただきたいです」



「……ほんとうに嫌いなんだ」



 何が在ったんだろう。一体。人当たりはよさそうだったけれど。



 私のしみじみいう言葉に、笑顔が刺々しい。『はい』とかさわやかに言われても。あの人王子様だったよね。家よりも格上。いいんだろうか。



「あの人は姉上が好きなのではないですから」



「……へぇ」



 なんだろうな。『愛されている』とか『仲がよろしい』とか言われたのは気のせいだったのかなぁ。まぁ。なんでもいいかと考える。興味はない。



「で。今から教材を持ってきますので」



「いや、まって――」



「勉強はしてもらいますよ?」



 ……ぐ。圧が。圧が。知ってる。字を読めない公爵令嬢なんて聞いたことが無い。この国の歴史を知らないなど持っての他。経済、数学は領地のみならず会社経営を担うことが多い貴族には必須。できないものは塵同然。



 けど。勉強は嫌いだ。嫌いなのよ。昔から本の虫と呼ばれたベルと違ってね。



 そして魔術を試したい。



 そんな心の声など無視だ。意気揚々と部屋を出ていき、本の山――子供用――を楽しそうに持ってきたベル。今からなのかと問えば当たり前ですとさも当然に返す。



「いや、でもベルも勉強が」



 椅子に座らされて散乱した難しそうな本を片づけるとベルは薄い唇を歪めてにっこりと笑う。さも『にがさないよ』と言っているように見えたのは気のせいだろうか。なんか弟が怖い。何とか逃げられないだろうかと思考が必死に回る。



「僕は大丈夫です」



「だめだよ。ベルだって学校あるでしょう? 忙しいし。ほら、私は自主的に……」



 学園は休む。成績だっていいんだろうから休んでも文句は言われない気がする。付け加えれば凄い人だし。ベルにそんなことさせられないと近くの本を引っ張り出した。もちろんベルが持ってきてくれた子供用。



「学校を休んで日がな一日楽しそうに魔術の練習を喜々としていそうな姉上の未来しか見えませんが? なら、そうですね。今の学園が姉上に相応しくないというのなら――」



 ……なぜ未来が見えるんだろう。いや、そのつもりだったけれど。顔が引きつるのを感じる。それをベルが見て邪悪気な笑顔を浮かべた。



 何か企んでる。絶対何か企んでいる。七歳――精神年齢――に向けていい笑顔ではない。



「相応しい所を用意すればいいんです」





 ――で、現在に戻る。



 ああ。相応しいね。相応しいよ。私に。『初等部』って。まるで保育所に預ける様に私をここに置き去りにした弟が憎い。そして早く迎えに来てと願うばかりだった。

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