第14話

       ◆


 試合会場のコートはやはり地肌がむき出しだった。

 ところどころにある染みは前に戦ったスタンドアッパーから漏れたオイルか冷却液で、白い痕跡は試合後に振りまかれた消火剤だ。

 イスカンダルが進み出てくる。機敏な動きで、わずかな姿勢の乱れもない。ソフトウェアは最新版だろう。それはこちらも同じだが、機体の性能には差がある。

 試合開始は信号機を流用したランプが告げる。

 今は赤いライト。それが黄色に変わる。

 そして緑へ。

 すでにボクサーのような構えをとっていた二機のスタンドアッパーが進み出る。

 間合いを図るか、と思いきや、イスカンダルがまっすぐに踏み込んでくる。

 打ち合いに持ち込まれるのは本意ではないジューンは機体を横にステップさせる。地面のわずかな凹凸で操縦席が不規則に揺れる。

 イスカンダルが後を追う、と見せかけて、低い姿勢で突っ込んでくる。

 低空タックル。

 蹴りを合わせようとしたジューンは危険と判断、本能のままにペダルを踏んでいた。

 プリーストⅡ型が跳ねて、イスカンダルをやり過ごす。イスカンダルは転倒寸前の姿勢から、見事に直立した上で、ひらりと旋回してプリーストⅡ型を正面に置いている。

 もしジューンが蹴りを合わせに行けば、逆に足を絡め取られて倒されていただろう。このスタンドアッパーの格闘試合では、倒れても試合は終了にならないが、マウントを取られれば回復する目はほとんどない。

 再び向かい合い、二機が呼吸を読む。

 どちらからともなく右へ移動し、両者が円を描く形になる。

 がくり、とプリーストⅡ型が膝をついた時、観客席からは悲鳴のような声が上がった。

 ジューンは冷静に地面にマニュピレーターをついて転倒を防いだが、その不利を見逃すアーネストではない。

 跳ねるように間合いを詰め、斜めに打ちおろすような蹴りがプリーストⅡ型を襲う。

 飛燕と化した爪先をプリーストⅡ型が両腕で受け止める。

 鈍い音、甲高い音、粉砕と断裂の音が重なり合う。

 地面に転がったプリーストⅡ型はそれでも機敏な動きで素早く立ち上がった。

 しかし右肘は完全に粉砕され、ぶら下がっているだけになっている。

 ジューンは操縦席で激しく呼吸しながら、メインモニターに映る敵機を見ていた。

 イスカンダルがトドメを刺すために歩み寄ろうとする。

 その左足が、引きずられる。

 ここだった。

 チェンが示した作戦。

 それはイスカンダルが装甲を外している部分へ、無理やりに土を押し込めという無茶なものだった。

 片腕を犠牲にしたが、敵の片足を機能不全に追い込んだ。

 あとは打撃力が勝つか、機動力が勝つかだ。

 ジューンがペダルを踏み、プリーストⅡ型の最大出力で間合いを詰める。

 アーネストは、左足の不具合にまだ対応できないようだった。

 瞬きする間にプリーストⅡ型がイスカンダルの左側面に踏み込む。イスカンダルは振り向こうとするが、左足が地面をえぐり、ままならない。

 プリーストⅡ型の左拳が渾身の力でイスカンダルのメインセンサーが集中している頭部を殴りつける。

 一発、二発、三発でマニュピレーターが破損するのと引き換えに、イスカンダルのメインセンサーはほぼ完全に破損した。

 あとは一方的だ。

 逃れようとするイスカンダルに追いすがり、ジューンはトドメを刺そうとした。

 何かが視界の端を横切った気がした。

 何だ?

 ジューンがそちらへ目をやった時、操縦室に警告音が響く。

 姿勢が乱れていること、オートバランサーでは復帰不可能だ、そう管制用の人工知能が警告している。

 何故、姿勢が乱れる?

 プリーストⅡ型が転倒しようとしている。足を送ろうとジューンはペダルを踏む。

 エラーが続く。

 ハッとした。

 サブカメラの映像をチェック。

 プリーストⅡ型の足元に、イスカンダルの機能不全の左足が差し込まれている。イスカンダルが不自然な姿勢を取っているのを、ジューンは苦し紛れの逃げだと思っていた。

 違う。

 アーネストは最初から足元を、メインカメラの死角を狙っていたのだ。

 古典的な足払い。

 イスカンダルが素早く足を引き抜き、極端な前傾姿勢になっていたプリーストⅡ型のうなじを渾身の力で打ちのめした。

 操縦席ではジューンの体が激しくシェイクされ、かろうじてハンドルとペダルに力を込めて耐えていたが、一番強い衝撃はプリーストⅡ型がうつぶせに倒れたことを示している。

 次の瞬間に、メインスクリーンの映像がブラックアウトし、そこには「シグナル消失」の表示が出た。

 無線機からざらついた声で「試合終了でーす」という間延びした声が聞こえた。

 呼吸を乱しながら、ジューンはシートからパッドのほうへずり落ち、やっと全身の力を抜いた。

 油断した。

 アーネストの巧妙さは、舌を巻くほどだ。

 完敗だった。

 プリーストⅡ型が動かないからだろう、無線機から心配そうな声が聞こえる。

 もう出る、と返事をしてから、やっとジューンは背面ハッチを開くレバーに手を伸ばした。



(続く)

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