第11話

       ◆


 ジューンはチェンと連絡を取った。

 名刺に書かれている番号に連絡すると、受話器の向こうで知らない相手が出た。チェンの知り合いだ、と告げると、住所を告げられた。それで通話は切れた。

 めったに見なくなった公衆電話を離れ、ジューンは尾行や監視を意識しながら、言われた住所を目指した。

 場所は皇都の片隅にある雑居ビルだった。人気がないので、尾行がないことはほぼ確実だった。すでに個人用の携帯端末も売ってしまったので、その筋から追跡されることはない。

 雑居ビルに入る。一階は空きスペース、二階に「人材トレードセンター」という看板が出ていたが、そこが目的地だ。階段を上がり、扉をノックする。

 入ってくれ、と小さな声がした。

 慎重に扉を開く。部屋の中は明かりがついていないが、表に面したガラスからの光で見通しはいい。

 事務机が並んでいるが、使われている痕跡はない。

 人の姿を探すと、壁際で見知らぬ男が椅子に座って悠然と足を組んでいた。

「あんたがジューンか」

 少しイントネーションに訛りがある。外国人か。

「そうだ」

 歩み寄るジューンに気にした様子もなく、男が続ける。

「何が欲しい? もちろん、金は必要だが、まずは話を聞こう」

「スタンドアッパーが欲しい。それと、整備士と、幾つかの部品」

 引きつるような声で男が笑う。

「そんな財産があんたにあるようには見えないが、どこから金を用意する? 俺たちは食いっぱぐれないようにするぜ」

「ユーツで稼ぐ。経験があるんだ」

 そうかい、と男は何でもないように言うと、ポケットに手を突っ込んだ。

 拳銃でも出るか、と覚悟したが、出てきたのは折りたたみナイフだった。刃を出すと、彼はそれで爪を整え始めた。

 沈黙。

「都合がつかないなら、帰る」

 ジューンがそう言った時も男は手元を見たまま「考えている」と答えただけだ。

 長い時間、ジューンは待った。しかし男が何を待っているのか、何故、この場を引き延ばしているのか、理解できなかった。

 不意に背後でドアが開き、スキンヘッドの男が顔を覗かせる。

「監視には対処しました」

 スキンヘッドのその一言で、ジューンはやっと理解が追いついた。待たされたのは、ジューンを監視しているものへの対処のための時間だったのだ。しかし、対処とはどうしたのか。

「殺したのか」

 スキンヘッドが扉を閉めて去ってから、ジューンは音を立ててナイフを畳んだ男に向き直った。

「殺すわけがない。警告する程度だ」

 男はそう言ってからポケットにナイフを戻し、席を立った。

「いきなり大規模な投資は出来ないが、ジューン、あんたの腕前は知っている。やや過信している傾向もあるが、使えなくはない。スタンドアッパーを都合しよう。整備士も、部品もだ。しかし金で返済してもらうぜ」

 いいだろう、とジューンは頷いた。

 それからはとんとん拍子だった。ジューンはチェンと再会し、他に二人、整備士が用意された。スタンドアッパーは交換用の部品とともにユーツに用意されているという。四人で皇都を離れ、ユーツに向かう道中で、チェンがジューンに訊ねてきた。

「あんた、抜け出せない沼に踏み込んでいる自覚はあるか?」

「あるさ」

 短く答えたが、ジューンが歩いてきた道のりは、ひたすら沼に踏み込むようなものだったのだ。

 ユーツに潜入したことも、特別機動隊に入ったことも、そもそも警官になったこと、グリューン皇国へ来たことも、おそらく全てが間違いだった。

「チェン、あんたには自覚があるのか」

 逆にやり返すと、チェンはバンを運転しながら、短く笑った。やりきれない、という感じの笑い方だ。

「俺はグリューン皇国に留学生としてやってきたが、それは間違いだった。この国は海外に情報網があって、これはという人材を引っ張るんだ。様々なものを引き合いにな。俺の両親も、今頃、いい生活をしているだろう。俺が失踪したこともすっかり忘れただろうな」

 どきりとしたが、納得もするジューンだった。

 カガズ国に生まれた自分がグリューン皇国へやってきたのは、何も自分の能力や、父親の財力だけではなかったのだ。ただ利用されたのだ。都合のいい人間として。

 全てが仕組まれている。

「あんたはどうして生きている?」

 そうチェンに問いかけるジューンは、自分が生きている理由を見失いかけていた。理由があるとすれば、自分たちを罠にはめた奴に報復することだけだ。しかし実際に誰に報いを受けさせるべきかは、わかっていない。

 問いかけられたチェンは、すぐには答えなかった。

「スタンドアッパーを弄るのが楽しい、というだけじゃダメか」

 答える言葉がなかった。

 それに続けられた言葉にもジューンは答えられなかった。

「あんたも、スタンドアッパーに乗るのが楽しい、というだけで生きてみてもいいんじゃないか?」

 どう答えることができただろう。ジューンは何も言えないまま、車窓の向こうを見ていた。

 自分を支える生きる意義は、必要だ。

 そのはずなのに、多くを失い、大勢に裏切られ、手元には何もない。

 どうにかなるさ、とチェンが囁くように言った。

 やがて前方にユーツの街が見えてくる。荒野の真ん中に出現する、みすぼらしい建物の群れと、古代の遺跡郡。

 まだ日が暮れるに早いが、明かりがすでに灯されている。

 懐かしい匂いが、ジューンの鼻先をかすめて言った。



(続く)

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