第10話

       ◆


 皇都グリゴンでの生活拠点は警察の寮だったので、ジューンはまず住まいを探す必要があった。

 どうにか集合住宅に部屋を借り、次は仕事を探した。格闘技に関しては自信があることを強みに、警備会社にまずはパートとして潜り込んだ。

 警備員の仕事をして三日目、唐突に解雇された。理由ははっきりしない。

 ジューンは詰め寄りたい気持ちをグッと堪えた。

 すでに事情を察しつつあったからだ。

 次には縁もゆかりもない事務仕事をする職に就いた。やはり三日で解雇された。

 スーパーの店員も、工事現場の交通整理も、タクシー会社でさえ、示し合わせたようにジューンを三日で解雇した。

 その時には、集合住宅からの退去を求められさえした。荷物はだいぶ減らしていたが、もはや家財道具どころか、最低限の持ち物以外は確保できない様相になっていた。

 それでも次の住まいを見つけ、仕事を探す。罰金の納付期限が迫っていた。手元の金は減ることはあっても増えることがない。

 ボーリング場の係員、ショッピングモールの清掃員、引越し業者、全て三日で解雇された。

 食堂で食事を取る余地もなく、安く売られている少量のパンで食いつなぐしかない。

 やがて罰金の納付期限が来た。ここで納付しなければ、滞納によって罰金の額は上がっていく。ここで収めるのが最も出血が少ない選択肢だった。

 ジューンは本当の無一文になった。

 しかし、パスポートは返却されなかった。ジューンの汚職についてはまだ捜査が続いている、というのだ。しかしこの一ヶ月、ジューンは警察から何の話も聞かれていない。実態がある捜査とは思えない。

 どうやらグリューン皇国は、ジューンをこのままどこかで処分するつもりらしい。食うものに困って犯罪を起こせばそれでいいし、苛立って揉め事を起こせばそれでもいい。もちろん、路上でくたばっても問題ない。

 ジューンが選べるのは、逃げ出すことだった。だがそのための金がない。

 金が必要だった。しかし正当な手段では手に入らない。犯罪で手に入れるわけにもいかない。

 どうするか、ジューンは考えていた。考えて、考えて、しかし妙案は浮かばなかった。

 ポケットの中にチェンの名刺があるのは覚えていた。ただ、チェンの仲間がどういう連中かは、判然としない。ジューンに反感を覚えていて、私刑にかけられるかもしれない。

 その日、ジューンは最後の手持ちの金でパンを買いに出た。住まいはもうなく、路上で生活していた。

 通りを歩くジューンを誰もが避けて通るようだった。それから目を逸らすように、ジューンは斜め下を見て歩いていた。

「落ちぶれたな」

 不意な声に顔を上げると、ふてぶてしい表情の男が立っている。

 服装も以前と何ら変わらないストリートギャング風でまとめられている。

「アーネスト……」

「飯くらい奢ってやるよ。腕一本分の借りがあるからな」

 腕一本。イスカンダルの腕のことらしい。はるか昔の出来事に思えた。

 ついて来な、と歩き出すアーネストの背中をぼんやりと見て、ジューンは自然とその背中を追った。

 背中を追ってばかりいるじゃないか。そのくせ、何にも辿り着かない。

 アーネストが入ったのは、裏通りにある食堂だった。特にこれといって変わったところのない食堂で、十名ほどがめいめいに食事をしている。

 席について、アーネストは「好きに頼め」とメニューを差し出す。

 逡巡した後、ジューンは食べたいものを頼んだ。アーネストの方から借りがあるというのだ、文句はないだろう。何より、腹が減っていた。アーネストも料理を注文し、店員は明るい声で返事をして厨房の方へ戻っていく。

「お前、警官だったんだな」

 グラスの水を飲みながら、アーネストが嬉しそうに言う。

「しかも特別機動隊のスタンドアッパー乗りとは、操縦がうまいわけだ。正規の教育を受けているんだからな」

「あんたの喧嘩殺法も凄かったよ」

 皮肉ではなく本音だったが、アーネストは笑みを深くした。

「機体の差があったからな。で、警察をクビになって、今は路上生活者か。これからどうするつもりだ」

「どうするもこうするも、死ぬしかないんじゃないか」

 今度は、本音だった。ジューンは全てを諦めかけていた。もう未来はない。この国という監獄から出ることはできず、片隅で誰に知られることもなく朽ちていく。それ以外は思い描けなかった。

 ふぅん、とアーネストはまだ笑っている。何が楽しいのか、ジューンには見当がつかなかった。

「ジューン、戦う気はあるか」

「戦う? 何と?」

「何とって、お前」

 堪え切れないように笑い出しながら、アーネストは身を乗り出して囁いた。

「スタンドアッパーだよ。権力と戦うより、よほど簡単だ」

「スタンドアッパー……」

「そう、ユーツではまた賭博が再開されている。あそこで金を稼げ」

 バカな、と思わずジューンは漏らしていた。

「俺があそこへ戻ったら、殺される」

「どうせ死ぬなら、もがいてみろ」

「あんたと俺は違う」

 咄嗟に出た言葉に、ギラリとアーネストの瞳が殺気立った。

「確かに違う。俺はくたばるわけにはいかない。やることがあるからだ」

「やること? アーネスト、あんたのやることってなんだ」

「落とし前をつけさせることだ。俺を利用した間抜けのな」

 利用した、という表現でピンときた。

「お前が使っていた調達係か? 名前は、クォーター?」

「よく知っているな。あのくそったれを追い詰めるまで、俺は戦う。仲間のためだ。死んだ奴には顔向けできんが、生きている奴もいるからな」

「殺すつもりか」

 さてね、とアーネストが答えたところで、店員が料理を運んできた。テーブルが皿でいっぱいになる。特に言葉を交わさずに、二人がそれぞれ料理に手をつけ始める。ジューンにとっては久しぶりのまともな食事だった。いくらでも食べられそうだったし、こんな普通の料理がここまで美味いと感じたことはなかった。

 食事が終わるまで、二人はもう言葉を交わさなかった。

 最後に平城国の名産の緑茶を飲んでいるところで、アーネストが不意に「密輸を追っていただろう」と言い出した。ジューンにとっては苦い、苦すぎる話だったので、無視した。無視したが、アーネストが言葉を重ねる。

「この国からいくつかの途上国に資金援助がなされているが、同時に都合のいい政府、都合のいい権力者を求めている節がある。つまり、密輸というのは建前なんだ。要は内政干渉、国家ぐるみの犯罪だ。俺はそう理解している」

「つまり、俺たちは国の建前を暴きそうになったから、処理された?」

「かもな。お前についても調べさせてもらったが、カガズ国にもこの国は表に裏に、物資で援助している。どこかの政治家や、有力者を暗殺することもある」

 体の芯が冷えた気がした。

 アーネストが言いたいことはこういうことか。

 ジューンの家族を爆殺した爆薬の出処は、グリューン皇国。

 あり得ないことではない。信じたくないことだが、あり得るのだ。

 言葉を失ったジューンの前で、伝票を手にとってアーネストが立ち上がる。

「俺は落とし前をつけさせる。お前はお前で勝手にしろ。じゃあな」

 ただ視線で追うことしかできず、ジューンはアーネストを見送った。

 一人になり、目の前にあるお茶の入った器を見た。

 うっすらと一人の男が映っている。見たことのない男だった。痩せこけて、薄汚れて、澱んだ目をしている。

 誰だ?

 俺だ。

 ジューンは一度、目をつむり、そして席を立った。

 戦いはまだ終わっていない。



(続く)

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