第9話
◆
ユーツの警察署には、闘技場へ潜入する前に何度か足を運んでいた。
しかし取調室には流石に入っていない。ましてや聴取される側としては。
ジューンを取り調べた警官は、明らかに自分にとって都合のいい展開を作ろうとしていて、ジューンの言うことをまともに受け取ろうとしなかった。
名前も知らない警官の視点では、ジューンの立場は、警察官でありながら非公認の賭博に関与し、しかも警察が押収した様々なものを横領していた、となるらしい。横領したもののリストさえ作られていて、押収したスタンドアッパーの部品から始まり、麻薬までリストにあるようだった。
口を噤むこともできたが、ジューンに口を開かせたのは、目の前にいる警官のそっけない一言だった。
「お前の相棒な、ラドゥという腐った警官はもう口を割っているぞ」
まじまじと警官の顔をジューンは見た。
いたぶるような目つきをしているが、ハッタリをかけているようではない。
ラドゥが何をしゃべったというんだ? 自分たちが受けている、あるいは、受けていた命令について喋ったわけではないらしい。では、取り調べをやり過ごすために、ありもしないことを事実と認めたのか?
警官はジューンをいたぶると決めたようだった。
「今なら免職で済むだろうが、あまり粘ると、あんた、困ったことになるよ」
免職。警官ではなくなるということか。困ったことというのは、刑事告発ということだろうか。警察が身内の犯罪を大っぴらにしたがるとは思えないが、この国は特別だった。
グリューン皇国では、正義さえも金で買えるのだ。あるいは他人の破滅を金で用意することもできる。となれば、刑事告発などという段階を踏む必要はない。適当なものに金を渡し、ジューンを始末すればいいのだ。
しかし、とジューンの思考は転がっていく。
どうして自分たちが逮捕されている? 本来の任務は失敗ということになるのか。順調に進んでいたはずだ。なら、失敗させたい奴がいたのかもしれない。ありそうなことだ。
オリーンの言葉が蘇った。武器の密輸には上の階層に位置するものが関与している。
そのどこの誰かも知らない人物が、ジューンたちを破滅させ、武器密売ビジネスを守ったのだ。
ここまで思考して、ジューンは自分の立場が極めて危険であることに思い至った。
あまりにも多くを知りすぎている。ラドゥが事実を歪めたのも、身を守るためだろう。オリーンはどうなった? そうだ、それを知らなくては。
「オリーンという捜査員がいたはずだ」
ジューンがそう言葉にすると、警官はニヤニヤと見ている方が気分の悪くなる笑みを見せた。
「特殊部隊の突入時に抵抗して射殺された、と聞いている。危険だったのでな、仕方あるまい。なんでもショットガンを持っていたそうだ」
ありえない、と掠れるような声がジューンの口から漏れた。
八方塞がりだった。しかもだいぶ追い詰められている。足を踏み出す方向を間違えると、奈落へ落ちるのは確実だ。
「さて、ジューン・ルートくん、何を喋るべきか、分かっているね」
怒りよりも、虚脱感がジューンの中にあった。
誰かの都合で、いいようにされる自分とはなんなのか。失敗したわけでもない、悪を為したわけでもない。それなのにこうして破滅しようとしている。
喋るべきことなど、ない。
そのはずなのに、ジューンは喋っていた。事実とはかけ離れた、警官が促す通りのことを口にした。警官は嬉々としてそれを記録し、ジューンは留置所に放り込まれた。
もはや警官としてのキャリアは終わりだった。恨むべき相手も判然とした。言ってみれば、この国自体がジューンの存在を否定しているのだ。
時間が過ぎていく。静かな、薄暗い房の中で、ジューンはひたすら考えた。考えることだけができることだった。
オリーンを殺した奴を放ってはおけない。しかし、どうやって敵の正体を暴き出す。あまりにも巨大な気配がした。
不意に足音が聞こえ、ジューンは俯かせていた顔を上げた。
房と通路を隔てる鉄格子の向こうに立っている男がいる。
ラドゥだった。今までに見たことのない、のっぺりとした無表情でジューンを見ている。
反射的に立ち上がり、鉄格子に駆け寄っていた。
「ラドゥ! 無事だったか!」
ああ、と男は平板な声で答え、ちょっとだけ笑みを見せた。
「お前のおかげで、俺は助かったよ」
「俺の、おかげ……?」
そうだよ、とラドゥがわずかにうつむき、顔に影が降りる。表情は読み取れなくなった。
「お前とオリーンのおかげでな。まぁ、これから苦労するだろうが、楽しく生きてくれ」
やっと、ジューンの思考が追いついた。鉄格子の隙間から手を伸ばし、ラドゥに掴みかかろうとするがあとわずか、届かない。
「ラドゥ! 俺たちを売ったのはお前か! そうなんだな!」
返事はない。
「ラドゥ! 答えろ!」
やはり、返事はなかった。
相棒とまで思っていた相手は無言でさっと手を振ると、そのまま通路を離れていった。
「待て! ラドゥ! 答えろ! お前が、お前が……!」
裏切り者は、二度と振り返らず、そのまま通路の先の闇に消えた。
ジューンは崩れるように座り込み、歯を噛み締めた。
誰も彼もが裏切り者だった。自分だけおめでたい、間の抜けた人間だったと思い知らされた。
取り調べは翌日も続いたが、ジューンはただ言われることを肯定するだけでよかった。
三日目の取り調べの後、その場で免職に処されることが通知され、警察官としての身分証が没収され、さらに課せられた罰金についての説明があった。罰金の金額は、ほとんどジューンの財産を根こそぎにするような額だった。国外逃亡を防ぐためにパスポートも没収された。
しかし、罪状の大きさに対して、対応は甘い。もちろん、報道されたりもしなかった。
ともかく、夕方にはジューンはユーツの街に放り出された。
まずはゆっくり休もうと、ホテルを探した時、その人物に気づいた。
相手も気づいたようだが、すぐに背中を向けて歩き始める。
直感して、少し離れて相手についていく。相手はジューンを振り返ることなく、軽い足取りでどんどんと進む。大通りを離れ、最終的には路地に踏み込んでいく。人気が絶えたところで、相手はすっとジューンを振り返った。
「無事だったようだな、ジューン」
その言葉に、ジューンはどう答えるべきかわからなかった。ここまで相手を追ってきたのは、半分は復讐が目的だった。八つ当たりだとしても、徹底的に殴りつけてやる、殺しても構わない、という思いさえあった。
だが相手を前にして、悲しみを湛える瞳を前にしてしまえ、そんな思いはどこかへ消えていた。
「チェン、無事だったのか」
そう声にして、ジューンは自分の声がまるで老人のそれのように嗄れているのに気づいた。
まあね、とチェンが頬を指で掻きながら答える。
「俺はあの時、便所に行っていた。どうしても腹が痛くてね。便座に座っているところで、いきなりどんぱちが始まったってわけだ。で、命からがら逃げ出した。オリーンの旦那を探したが、死んだらしい。あんたは何か知っているか?」
「……死んだと聞かされたが、実際はわからない」
ラドゥのことがあった。もしかしたらオリーンも裏切り者で、実は生きているかもしれない。ジューンは、オリーンに生きていて欲しいのか、死んでいて欲しいのか、よくわからなかった。
「あんた、これからどうする」
チェンの言葉に、ジューンはすぐに答えられなかった。
どうするも何も、働かなくてはいけない。もう警官ではないのだ。それに罰金を払えば、おそらく故郷に戻れるだろう。戻りたい、と思っている自分にジューンはショックを受けたが、なんとか平静を保ち、口を閉じた。
答えようとしないジューンの何を察したのか、チェンは「こいつを渡しておく」と一枚の名刺をジューンに差し出した。受け取ってみると、名前や住所などはなく、電話番号だけが書かれていた。
「これは?」
「そこで俺たちと繋ぎが取れる、ということだよ。それだけ。何かあったら、声をかけてくれ」
改めて、ジューンはチェンの様子を見た。チェンは寂しそうな顔をしてから、逃げるように背中を向けると「じゃあな」と離れていった。
追いかけることもできた。
そうしなかったのは、裏切られるのはもうごめんだという思いのせいだった。
それでも名刺を捨てなかったのは、ジューンの中の善意を求める心理がそうさせたのだろう。
名刺をポケットに押し込み、ジューンは歩き出した。
もはやジューンは、何者でもなくなっていた。
(続く)
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