第3話 ちょっと普通ではない関係。それだけの事

 この温泉宿には大浴場があるけど、私と彼女は内湯うちゆと言うのか、小さめの浴場に二人で入る方がしょうに合っていた。宿泊二日目の早い時間に、私達は二人きりで温泉に入っている。もし誰かが見たら、きっと私が一人で湯に入っているようにしか見えないのだろう。


 しかし私の目には、ちゃんと彼女が私と一緒に入浴してるように見える。彼女が動くたびに、浴槽の中のお湯も動く。幽霊の彼女に寄れば、「錯覚に過ぎないよ」という事らしいけれど。


「実体が無いからね、私。その実体が無い私を貴女の脳は、あたかも本当に存在してるみたいに認識しているの。それにともなって、他の色んな現象も、本当に起きているみたいに脳が誤認してるのよ」


 つまり浴槽から上がった今の彼女が、おけに湯を入れて、その湯を肩から掛けている姿も全て錯覚らしい。彼女の胸や背中を流れる湯の流れも錯覚だし、実際には木桶も置かれたままで誰も動かしていないそうで、もう私は理解をあきらめていた。私に取っては、間違いなく彼女は実在している。それで充分ではないか。


「……生前は長い事、この宿に泊まっていたんでしょ? 大浴場には行った事が無いの?」


「うん、一回も入った事は無いわ。他の人と、あんまり関わりたくなかったからね。思い返すと、何であんなに人付き合いを避けてたのか、自分でも分からないけれど」


 私には、何となく分かる。生前の彼女はマンガ家であり、一種の芸術家だった。そして自分の内面から生み出される作品を大事にしていて、自身の内面を誰にも荒らされたくなかったのだ。もし誰かに心を踏み荒らされて、作品が描けなくなったら食べていけなくなる。彼女に取って作品を描く事は、唯一の生活手段であり、天涯孤独の自身を支える方法だったのだから。


「……凄いよねぇ、貴女って。私より私の事を理解してるみたい」


 私は何も言わなかったけれど、幽霊の彼女には頭も心ものぞかれてて、何だか感心されてしまっていた。何と言って良いか分からなくて黙っていると、裸の彼女が、正面から私を抱き締めてくる。


「私達が将来、どうなるか分からないけどさ。きっと私達が出会ったのって、運命だったのよ。私は本当に理解されるために、貴女が高校生の時、この宿で遭遇したんだわ」


 私も彼女を抱き締め返す。このぬくもりも、彼女への愛も、全ては錯覚に過ぎないと言う人は居るのだろう。それでもいい。どうせ私はおろかな、ぼっち女に過ぎない。目の前の彼女が少しでも孤独をいやせるのなら、いくらでも私の事を利用してほしいと思った。




 今更いまさらだけど、旅行を二泊三日にして良かった。これが一泊二日だったら、ただ姫はじめをおこなうためだけのあわただしい移動でしか無くなっていたんじゃないかなぁ。旅行の日程を決めたのが私だったか彼女だったかは覚えてなくて、私が彼女からあやつられた結果かも知れない。何の不満もないから別に良いんだけど。


 旅行二日目の私達は、お昼頃、一緒に街を散策していた。つまり実質的には私一人で歩いていて、幽霊の彼女とは念話ねんわとでもいうのか、テレパシーみたいな状態で会話をしている。そうしないと私は、一人で誰かと話している頭がおかしな女になってしまうので。否定はしないけどね。


 ちなみに私は土地勘が全く無くて、彼女のナビに従って歩くのみだ。街と言ったけれど、失礼ながら温泉宿の周辺はひなびていて、ちょっと高めのお土産屋みやげやさんくらいしか寄る所が見当たらない。まあ、お土産の食べ物は少し買っておこう。自分で食べるだけだけど、それで彼女も味わう事ができるので。


 宿は関東周辺の地域にあって、雪も降っていないし良く晴れている。一月にしては温かいくらいだ。坂道が多くて、山にも海にも近い場所の空気は気持ちが良かった。


(ねぇ、趣味の小説は、これからも書き続けるの?)


 そんな事を彼女が言ってくる。マンガ好きの私は画力が無くて、だからなのか趣味で小説をウェブ投稿したりしていた。プロのマンガ家だった彼女から、そんな事を言われる私は恥ずかしいったら無い。


(……分かんないよ。就職したら、趣味にける時間も減るだろうし。貴女みたいに、お金を稼げるようになるとも思えないしね)


 そう返しながら、それでも私は、書く事は続けたいと思っていた。何故と尋ねられたら、答えるのが難しいけど、彼女のマンガを読んできたからかも知れない。彼女の作品は、常に内面の動きから生まれていて、内側の感情を表現したがっているように私には見えた。ストーリーよりも、自分の内面の表現を優先していて、だから彼女は独りで描く事にこだわっていたのだろうか。


 プロである彼女の表現力には、遠く及ばない。それでも私は、彼女と同じように、内面から生まれるものを作品にしたく思った。まして幽霊である彼女の存在はじつに刺激的で、表現したい事は増え続ける一方だ。


(なるほど、貴女がこれからも書き続けたがってる事は、良く分かったよ)


 隣を浮かびながら、私と並んで移動している彼女がそう言った。頭の中をのぞいてくれる存在との会話はスムーズに進むから大助おおだすかりだ。


(だけどね。生き方まで、私の真似まねをしちゃ駄目。私はマンガ家のプロではあったけど、生き方は素人しろうと以下だったわ。人との交流は大事なの。それを私は、この旅行で教えてあげる)


 そんな事を彼女が言ってくる。お説教だろうか。何だか大げさに感じられて私は可笑おかしかった。明日には東京へ帰るというのに、どんな教示きょうじを彼女はしてくれるというのだろう。


 教えてあげる、などと言ったくせに、その後の彼女は特別な事を話すでも無かった。何だったんだろうと思いながら、そろそろ散策も切り上げて私達は宿へと戻る。宿への帰り道で、たぶん宿泊客であろう、親子の三人れとちがった。


 両親に連れられている、十代の女子が居る。此処ここで幽霊の彼女と出会った時の自身を思い出して、微笑ほほえましい気持ちになった。その女子と目が合う。何故か電気が流れたような、軽いしびれを感じた。十代女子も同様だったのか、驚いた表情が浮かんでいる。良く分からないまま、私は宿の中へと入った。

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