第55話 ジルゴ 2

 ◆



 帝都ダルウィンを発ってから十五回目の夜。

 いつものように街道の脇に馬車を停めたベンゼル達は、焚き火を囲んでいた。

 パチパチと心地よい音が鳴り響く中、毛布を羽織っているゼティアがぶるっと身を震わせる。


「うぅ、寒ぅ~!」

「だね。最近急に寒くなってきたから、風邪ひかないように気をつけないと」

「本当にな。よし、じゃあ今晩は身体を温めるためにも鍋にするか」

「おっ、いいですね! お野菜もたくさんありますし」

「うぇ~、野菜はなくていいよぉ」

「もう、好き嫌いはダメですよ。お野菜は身体にいいんですから」

「えー、でも美味しくないし~」


 まるで幼い子と母のような会話にベンゼルは苦笑すると、夕食を作ろうと腰を浮かせた。

 と、その瞬間、背後からザッと土を踏み締めたような音が聞こえ――


「お前達が勇者なる者か?」


 遅れて声が聞こえてきた。

 ベンゼル達は顔をハッとさせると、勢いよく振り返る。


「なっ!?」


 数歩先に立っていたのは、トカゲに似た二足歩行の生き物が七体。

 ベンゼルよりも頭一つ分大きいその身体は、全身が緑色に染まっており、局部を隠すように布が巻かれていた。

 腹側の盛り上がった筋肉は歴戦の戦士のそれ。

 背側は鱗のようなもので覆われており、腰の辺りからは巨大な尾が伸びている。


 さらに先頭に立つ者の両手にはそれぞれ、それ以外は右手に大振りな剣が握られていた。


(いつの間に!)


 街道沿いということもあって、この辺りにモンスターは寄ってこない。

 だから気を抜いてしまってはいたが、それでもこれだけ誰かに接近されたら普段は気配で気付く。

 だというのに、さっきは全く気付けなかった。

 声を掛けられずに襲われていたら、今頃自分の命はなかったかもしれない。


 背中に冷や汗を感じながらベンゼルは後ろに飛び退くと、大剣を構えた。


「モンスター……ではありませんね。ということは」

「うん、あれは……」

「……魔族だ」


 ベンゼルがその目で魔族を見たのは、幼い頃に一度だけ。

 そして記憶にある姿とはまるで異なっていた。


 ルキウス達に至っては、直接魔族を見たことはない。

 それでも目の前にいるのが魔族だと全員が確信できるほど、その姿は異質であった。


 突如として現れた仇を前に、自然と剣を握る手に力が入る。


(……落ち着け、落ち着くんだ)


 それに気付いたベンゼルはそう自分に言い聞かせると、深く深呼吸をした。

 戦いにおいて、もっとも重要なのは平静を保つことだと理解していたからだ。


 そうして心を落ち着けたところで、ゼティアに目を向ける。

 さすがはアイリーシュ王国の軍筆頭魔法使い。

 先ほどの子供じみた姿とは対照的に、両親の仇を前にしても平静を保っている。


 これなら心配はいらない。と、ベンゼルが安堵したところで、リーダーと思しき魔族が一歩前に出てきた。


「もう一度聞く。お前達が勇者なる者か?」

「……そうだ」

「やはりそうか。ならばその力、試させてもらうぞ!」


 リーダーらしき魔族は言うや否や、地面を蹴った。

 それに六体の魔族が続き――


「みんな! 行くよ!」


 そして戦闘が始まった。




 卓越した剣技と、初めて目にする魔法の数々。

 魔族の一団はこれまでに戦ったどのモンスターよりも手強かった。

 特にリーダー格の二刀流剣術は、ベンゼルでもさばくのに苦労するほど。


 それでも勇者一行の力と連携には遠く及ばず、ベンゼル達は魔族を追い詰めていた。


「フッ。その魔力は見せかけではないようだな。それに仲間も強い。お前らなら、難なく前線を突破できるだろう」


 リーダー格の魔族は唐突にそんなことを言うと、両手に握った剣をこちらに放り投げてきた。


 一体何のつもりなのか。

 意図が読めず、ベンゼル達は腰を落として警戒を強める。


「その力を見込んで頼みたいことがある」


 続けられた言葉に、ベンゼルは耳を疑った。


 魔族という異世界の生物は自尊心が強く、人間を心の底から見下している。

 遥か前に人間が捕らえた魔族の発言と、『人間に下げる頭などない』と言って命乞いすらせず、笑いながら死んでいったその様から、そう記録されていた。


 そんな魔族が自分達に頼み事。

 果たして何を言い出すのか、ベンゼルが怪訝な表情を浮かべると、ルキウスが一歩前に出た。


「頼み、だって?」

「お前達はこれから魔王のもとに向かうのだろう?」

「だったらどうする?」

「魔王のもとには俺達の同胞がいる。そいつらだけは殺さないでほしい。そしてすぐにその場から離れ、身を隠すように言ってほしい」


 魔族は自分ら人間とは精神構造が異なっており、愛情や友情といった感情を抱くことはない。

 故に仲間が殺されたとしても一切動じず、その冷徹さこそが魔族の強みである。

 ――ベンゼル達はそう教わっていた。


 そんな情報とは真逆、他者を想うような発言にベンゼル達は驚きを隠せなかった。


「……魔族は『自分さえよければそれでいい』って考えてると聞いたけど」

「他の奴らはそうみたいだな。だが、俺らは違う」


 リーダー格の魔族はそう言うと、深く頭を下げてきた。


「頼む。俺ら一族はヴァルファーゴの野郎に無理やり連れてこられただけで、この世界やお前達人間をどうにかしたいなんて微塵も思っていないんだ。もちろん、ただではとは言わない。知っていることは全て話すし、役に立つ物も渡せる。……だから、どうか頼む」


 それを受け、ルキウスは顎に手を当てた。

 頼みを聞くか否か、そもそも魔族の言葉を信じていいものか、色々と考えているのだろう。


 そうしてしばらく沈黙が続いた後、ルキウスが真剣な顔で口を開いた。


「正直に答えてほしい。これまでに人間を殺したことはある?」

「いや。俺達は単なる雑用係だからな。先の戦闘には加わっていない」


 ルキウスは「そっか」と答えると、こちらに向き直った。


「君達の意見を聞きたい」

「……私は申し出を受けるべきだと思います。彼らが持つ情報は、私達にとって大きな助けになるでしょうから。……ただ」


 フィリンナが不安そうな顔で見つめてくる。

 自分とゼティアの心情を思ってのことだろう。


 家族、友達、故郷――魔族は自分の大切なものを奪った。

 目の前にいる彼らがそれに直接関わっていなかったとしても、思うところは多分にある。


 しかし、今は個人的な感情よりも優先しなければならない使命があった。

 魔王を討ち、この世界に平和を取り戻すという大切な使命が。


 それを確実に果たすためには、何より情報が必要だった。


「俺もフィリンナに同意見だ」


 ゼティアも同じことを思ったのだろう。

 少しの間を置いて、ベンゼルの言葉に同意するように小さく頷く。


「……わかった」


 小さな声で「ありがとう」と続けると、ルキウスは魔族に向き直った。


「頼みを聞き入れる。代わりに、知っていることは全部話してもらうけど、それでもいいかな?」

「もちろんだ。えーっと、お前は……」

「ルキウス。それでこっちは」


 ルキウスから目で促され、ベンゼルは仕方なく名乗った。

 それにフィリンナとゼティアも続いたところで、魔族は再び頭を下げた。


「俺はジルゴだ。ルキウス、ベンゼル、フィリンナ、ゼティア。お前達から見て、魔族は憎き敵なのだろう。そんな俺達の頼みを聞き入れてくれて本当に感謝する。同胞のこと、何卒頼む」


 ルキウスが力強く頷く。

 すると、ジルゴと名乗ったリーダー格の魔族は振り返り、背後に広がる森を指差した。


「奥に俺達の隠れ場がある。悪いが、ついてきてもらっていいか? 渡したい物がある」

「ああ、そんなこと言ってたね。それで、その物っていうのは?」

「漏出する魔力を抑えるローブだ」

「魔力を抑える?」

「俺達は生物が持つ魔力を感じ取ることができてな。視力に頼ることなく、遥か遠くから相手の場所や人数を把握できるんだ。だからこの目で見るまで、お前達は三人組だと思っていた」


 ジルゴが顔を向けてくる。


「最初は魔力を隠匿しているのと思ったが、先ほどの戦い方からするに、お前は魔力を持っていないんじゃないか?」

「その通りだ」

「やはりな。なら、ベンゼル。お前はローブがなくても問題ないだろう。だが――」


 今度はルキウスとゼティアに視線を送った。


「お前達は別だ。魔力量が多すぎて目立つ。特にルキウスは森の奥にいても感知できるほどにな」

「……なるほど。そのローブを着れば魔力を隠すことができて、敵に見つかりにくくなると」

「ああ。とはいえ、完全に隠せる訳ではないから、あくまで気休めだがな。それでも、そのまま進むよりかは遥かにマシなはずだ」

「それはありがたい。うん、じゃあついていくよ」

「助かる。俺達もあまりここに留まりたくはなくてな。さあ、こっちだ」


 そう言って、ジルゴは仲間を連れて歩き出した。

 ルキウス達は顔を見合わせると小さく頷き、彼らの背中を馬車で追うのだった。




 隠れ場に向かいながら、ベンゼル達はジルゴにさまざまな話を聞かせてもらった。


 まずは敵の情報を。

 魔族軍の人員と配置。

 扱う武器や魔法。

 魔族の弱点。

 ――いずれも今後の戦いに役立つものだった。


 次に魔族の目的について。

 なぜ魔族は侵攻してくるのか、自分達を襲ってくるのか。

 いかなる答えであっても自分達がすべきことは変わらず、聞いても意味はない。

 だが、それでもベンゼルは聞かずにはいられなかった。


 ――今から数百年前。

 魔族が住む世界――魔界はある問題を抱えていた。


 人口の増加に伴う、慢性的な魔素不足である。

 生活の全てを魔法に依存していた魔族にとって、その源である魔素の枯渇は未曾有の危機であり、問題の解決が急務であった。


 そこで全ての魔族の長――大魔王ベイルトーシャは思いついた。

 魔界以外にも魔素が存在する世界は無数にある。

 その世界に侵略し、我が物にした後、魔界の住民をいくらかそちらに移せばいい、と。


 そして大魔王はその優れた知能を持って、次元を捻じ曲げ、他の世界へと繋がる道を作る魔法を開発。

 素質ある者に発動方法を教え、異世界への侵略を命じた。

 成功した暁には、王としてその世界の統治を認めると言って。


 そうして多くの者が異世界に旅立ち、侵略に成功。

『魔素が濃い』『環境がいい』など、さまざまな理由からその世界に移住する者も多く出た。

 こうして魔界の魔素不足は解決した。

 ――子供の頃からそう教えられていると、ジルゴは語った。


 どこまでも自分勝手な考えに、ベンゼルは怒りの炎をたぎらせた。

 そして改めて決意した。

 たとえ命に代えても、魔王はこの手で打ち倒す――と。

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