第53話 散々な一週間(後編)
店に戻ったベンゼルとリディーは、男と一緒にテーブルについていた。
ベンゼルと男の手にはジョッキが、リディーの手には紫色の液体が入ったグラスが握られている。
「――んじゃ、かんぱーい!」
「ああ」
「か、乾杯!」
三人はグラスを打ちつけると、それぞれ口元へ運んだ。
「おぉ、これがお酒……!」
生まれて初めて飲む酒に、リディーから感激の声が漏れる。
ベンゼルも初耳だったのだが、男によるとマッカを含め、帝国の北側に位置する街は十八歳から飲酒が許されているらしい。
それなら十八のリディーが飲んでも問題ないと、ベンゼルは酒を飲む許可を与えたのだ。
「かぁー、美味え。で、どうだ嬢ちゃん、人生初の酒の味は?」
「美味しいです! お酒ってなんか苦い? イメージがあったんですけど、これは甘くて飲みやすくて!」
「そいつぁよかった! ここの蜂蜜葡萄酒は人気でな。これを飲みに、わざわざ帝都から来る奴もいるくらいらしいぜ」
「へえ、そうなんですか!」
はしゃぐリディーにベンゼルは頬を緩めると、周囲を見回した。
店内には、自分達の後を追うように入店してきた多くのギャラリーの姿がある。
先ほどと同様、皆、一様にこちらを見ているが、未だ声を掛けてくる者は現れない。
やはり、気を遣ってくれているようだ。
そのことをありがたく思っていると、
「わ、わかった、飲むから少し、ちょ!」
慌てた様子の男の声が聞こえてきた。
テーブルに向き直ると、リディーが男の口に向かってジョッキを傾けていた。
何とか無事エールを飲み干せた男は、「はぁはぁ」と荒い呼吸を繰り返す。
リディーはうんうんと頷くと、くるりとこちらに向き直った。
その顔は真っ赤に染まっていて、目が据わっていた。
手元には、中身が半分ほど減ったグラスが置かれている。
(嘘だろ……?)
まさかたったあれだけの量で、あの一瞬で酔っぱらったとでもいうのか。
いやいや、そんな馬鹿な。
「あるぇ~? るじぇふさぁん、じぇーんじぇん飲んでないじゃないですかぁ~!」
ベンゼルは頭を抱えた。
リディーは完全に酔っぱらっていた。
しかも面倒くさいタイプの酔っぱらい方だった。
「ほらぁ、グビッと! グビッといきましょおよ~!」
「お、おい!」
先ほど男にしたように、リディーはグっとジョッキを口に押し付けてきた。
そのまま勢いよく傾けてくる。
飲まなければ服はびちょびちょ・ベタベタになるし、床にこぼれれば店に迷惑を掛ける。
仕方なくベンゼルは喉を動かし、溺れそうになりながらもジョッキを空にした。
満足したのか、リディーは「ふへへ」と笑みをこぼすと、手を挙げた。
「おねえしゃーん! エール二ちゅ追加で~!」
「はーい!」
店員からの返事に「よし」と頷くと、リディーは再び男に向き直った。
「それでぇ、しゃっきの戦いなんですけどぉ~、パンチはこう、こうやってですねぇ~」
そして突拍子もなく、男に先ほどの戦いについてのダメ出しを始めた。
そんなリディーを見て、ベンゼルは固く決心した。
こいつには二度と酒を飲ませないようにしよう、と。
☆
翌日。
長旅の疲れもあって、ベンゼルとリディーは昼過ぎに起床した。
ちなみにリディーは酒には弱いが、後には引きずらない体質だったようで、今はピンピンしている。
案の定、酔っぱらっていた時の暴挙の数々は記憶になかったが、覚えていないことを責めても意味がないとベンゼルは触れずにいておいた。
そうしてさっそくマッカの街を見て回ろうと宿を出た瞬間――
「「……えっ?」」
目の前に広がった光景に二人は目を丸くした。
何十もの人がそこに立っており、全員が自分達を見つめてきているのだ。
中には昨晩、リディーと男の喧嘩を眺めていた者達の姿もある。
その中央に立っていた、細身の青年が恐る恐る近づいてくる。
「あの、ベンゼル様とリディー様でお間違いありませんか?」
「あ、えー……はい。そうですが……」
反射的にベンゼルが答えた瞬間、その場から一斉に歓声が上がった。
青年は目を輝かせると、興奮した様子でベンゼルの手を両手で握った。
「は、初めまして! 私はここマッカの統治を任されている者です! 昨夜、民からお二人がこちらにいらっしゃっているとお聞きしまして! 快復されたようで本当によかったです!」
「あっ、領主殿でしたか。お気遣いいただきありがとうございます。……その、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」
「いえいえ、そんなとんでもありません! むしろこちらこそ気付けず、何のおもてなしも出来ず大変申し訳ありませんでした!!」
おもてなしは必要ない。
むしろおもてなしを受けないために、自分達は正体を隠していたのだ。
だが、そんなことを領主が知る由もなく。
「遅くなってしまいましたが、お食事とお酒をご用意させて頂きました! さあ、どうぞ我が邸宅へ!」
若い領主はこちらの都合も聞かずに歩き始める。
最後の英雄ベンゼルと、勇者の妹リディーが自分の街に来ているという衝撃の事実から、舞い上がってしまっているらしい。
まあ、食事くらいならそんなに時間は掛からないだろう。
ベンゼルはリディーに頷くと、領主の後を追って歩き始めた。
それと同時――
「ベンゼル様―!」
「魔族を追っ払ってくれてありがとうございましたー!」
などと、昨日とは打って変わってあちこちから称賛の声が飛んでくる。
それを聞いて、ベンゼルは気付いた。
昨晩、彼らが話し掛けてこなかったのは気を遣ってくれた訳ではなく、単純に緊張やら何やらで話し掛けられなかっただけなんだな、と。
それが解消された今、これからどうなるかは想像に難くない。
やはりこうなるか。今後起きることを頭に浮かべたベンゼルは、心の中で大きく溜め息を吐いた。
☆
一週間後。
多くの人々に見送られながらマッカを後にした二人の表情には、疲れが滲んでいた。
二日目。領主は英雄譚の類が大の好物だったようで、「話を聞かせてくれ」と夜まで解放してくれなかった。
三日目。領主によって街を挙げての宴が開かれ、二人は一日中、特等席から動けなかった。
四~六日目。ようやく観光を始めたのはいいものの、行く先々で声を掛けられ、その度に足を止めざるを得なかった。
この一週間、人の対応に追われっぱなしで気疲れしてしまった。
それに観光もろくに出来ていない。
「あの、本当にすみませんでした」
その原因が自分にあるとわかっているからだろう。
リディーが何度目になるかわからない謝罪の言葉を口にした。
ベンゼルはフッと笑うと、リディーの頭に手を置いた。
「気にするな。観光ならまた帰りにすればいい」
「えっ? でもマッカは帰り道に寄らないはずじゃ」
「予定変更だ。何、数日程度なら全く問題ない。今回見て回れなかった分、次は隅々まで見て回ろう」
リディーの顔がぱぁっと明るくなる。
「はい!」
「よし。さて、急いで帝都に戻るぞ。ドルガンを待たせているからな」
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