第52話 散々な一週間(前編)

 完全に日が落ち、すっかり辺りが暗くなった頃。

 マッカに到着したベンゼルとリディーは夕食をとりに、多くの客で賑わう酒場にやってきていた。


 二人のテーブルの上には、さまざまな魚料理が並んでいる。

 ここマッカはスコルティア帝国最大の港町。

 せっかく港町に来たからには、と、二人はさっそく海の幸を満喫していた。


「――あっ、ちょっとお手洗い行ってきますね!」

「ああ」


 リディーがすくっと椅子から立ち上がり、笑顔で店の奥に歩いていく。


(あんな小さな身体によくあれだけ入るものだ)


 その背中にうんうんと感心すると、ベンゼルはリディーの皿にたっぷりと料理を取り分けた。

 自分の皿にも料理をよそい、さあ食べようとフォークを口に運んだ瞬間――


「あー、つまんねえ!!」


 突然大きな声が耳に届いた。

 何気なく声がしたほうに振り返ると、顔を真っ赤にした二十代中盤と思しき大柄な男と小柄な男が目に入った。


 彼らの手には大きなジョッキが握られている。

 二人とも完全に出来上がっているようで、言葉とは裏腹に大層ご機嫌だ。


 先ほどの声の主であろう大柄な男は一気に酒を呷ると、ジョッキを勢いよくテーブルに叩きつけた。


「こんな退屈な世の中になりやがってよお! あーあ! 魔族がいたときゃあよかったなあ!」


(あいつ……なんてことを言うんだ)


 ベンゼルは眉をしかめた。


 さすがにあれは本心ではないだろう。

 連れの男や顔馴染みらしい他の客が「まーた始まったよ!」「よく言うぜ!」などと男を茶化していることからも、それは明らかだ。


 だとしてもルキウス達の奮闘を否定する言葉に、ベンゼルはひどく不快な気分になった。


「まったく……」


 だがまあ、所詮は酔っ払いの戯言たわごと。本気にするだけ精神の無駄だ。

 ベンゼルは大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせると、食事を再開した。


(しかし、リディーがこの場にいなくて本当によかったな)


 最愛の兄が、命と引き換えに取り戻したこの平和な世界を否定する発言。

 リディーが聞いていたら、間違いなく怒り狂い、あの男に突っかかっていた。


 もう、それはそれは面倒なことになっていただろう。

 そんな事態を避けられたことに、ベンゼルはほっと胸を撫で下ろす。


 と、その直後、後ろからバンッと大きな衝撃音が聞こえてきた。

「何だ?」と反射的に振り返る。


「あぁ……」


 思わず声が漏れてしまう。

 男達のテーブルに、銀髪の華奢な少女が両手をついていたのだ。それも怒りを露わにした顔で。


 どうやらばっちり聞かれてしまっていたらしい。

 不運なことに、危惧していたことが現実になってしまった。


「あん? なんだお前」


 きょとんとしている大柄な男をリディーは睨みつける。


「さっきの言葉、取り消してください!」


 すると、男は不思議そうに首を傾げた。


「さっきの言葉ぁ? ……もしかして、魔族がいた時のほうがよかったってやつか?」

「そうです! 取り消してください!!」


 リディーはテーブルに身を乗り出すと、声を張り上げた。

 それを受け、男はニヤリと笑う。


「嫌だね! 俺は思ったことをそのまま言っただけだ。取り消してたまるかってんだ!」

「あー、悪いな嬢ちゃん。こいつ酔っててさ。冗談だから本気にしねえでくれ」


 小柄な男が苦笑しながら間に入る。

 も、リディーは彼には一切目をくれず、大柄な男を睨んだまま。


(仕方ない……)


 男に発言を撤回する気がない以上、事態は悪化する一方だ。

 このままではリディーの怒りが爆発して、何かしでかしかねない。


 そうなる前に引きずってでもリディーを店の外に連れ出さなくては。


 その後、喚き散らかす彼女をなだめなければならないことを考えると、とてつもなく気が重いが、やむを得まい。

 ベンゼルはテーブルに金を置くと、自分とリディーの荷物を手に取った。と、同時――


「あー、なんだったらもう一度言ってやろうか!」


 男が何とも余計なことを言ってくれる。

 すぐに連れの男が止めようとしてくれたが、彼はお構いなしに続けた。


「本当にこの世界は退屈だよなぁ! 魔族がいた時のほうがよっぽど――」


 ベンゼルはあちゃーと目を覆った。

 リディーが大柄な男に水差しの中身をぶっかけたのだ。


「これで頭は冷えましたか? だったら早くさっきの言葉取り消してください」


 あ然としている男に、リディーが淡々と告げる。

 ブチギレている証拠だ。

 男は勢いよく立ち上がると、リディーにウンと顔を近づける。


「いい度胸してんじゃねーかクソガキ。覚悟はできてるんだろうな?」

「それはこっちのセリフです」

「おう、ならさっさと表出ろや」

「言われなくても」


 リディーと男がズンズンと出口に向かっていく。

 一歩遅れて男の連れが二人の後を追い、それに釣られるように他の客も店を出ていった。


 一人残されたベンゼルは大きく溜め息を吐く。

 ああなったリディーは自分にも手がつけられない。

 強引にリディーを連れ去ろうにも、男がそれを許してくれないだろう。


(もうあいつの好きなようにやらせるしかないか)

 

 まあ、元はと言えば悪いのはあの男だ。

 冗談でも言っていいことと悪いことがある。

 多少痛い目に遭っても、それは自業自得というもの。


 ベンゼルはそう自分を納得させると、多少の範囲で済ませるために重い腰を上げるのだった。



 ☆



 外に出ると、距離をとって向かい合うリディーと大柄な男、なおも彼を止めようとしている連れの男が目に映った。

 

 そんな三人を囲むように、店にいた客を含め多くの人だかりができている。

 ワクワクと目を輝かせている者から、心配そうにリディーを見つめている者まで、その表情は様々だ。


「おい、リディー」


 止められると思っているのだろう。

 呼びかけると、彼女は露骨に不機嫌そうな顔を向けてきた。


「わかっているとは思うが、やり過ぎるなよ」


 一転して、リディーは凛々しい表情で大きく頷く。

 すると、すぐさまわざとらしい笑い声が聞こえてきた。


「謝るように言うのかと思えば、まさか『やり過ぎるな』と来るとはな! おい、そこのあんた!」

「なんだ」

「そこのガキとどんな関係なのか知らねーが、手ぇ出すんじゃねーぞ! これは合意の上なんだからよ!」

「ああ。お前の魔法が他の人を巻き込んだりしない限りはな」

「あん? 何言ってんだお前。こんな街中で魔法なんざ使うわけねーだろ」


 男が至極不思議そうな顔を向けてくる。

 思っていたよりはまともなようだ。


「そうか。なら俺は手を出さないと約束しよう」

「ハッ! その言葉忘れんなよ! ってわけで、おいクソガキ。さっきはよくも――」

「ああ、御託は結構です。ほら、さっさと来てください」

「……てめえ。どこまでもナメやがって!」


 男はしがみついていた連れを強引に引き剥がすと、地面を蹴った。

 リディーとの距離をグングンと詰め、間合いに入ったところで引いた右腕を大きく振る。


「ほう」


 体重が乗った良いパンチだ。

 どうやら全くの素人という訳ではないらしい。


 だが今回は相手が悪い。

 リディーは後ろに飛び退くと、すかさず一歩踏み込んだ。

 ガラ空きの左脇腹にフックを見舞い、さらに殴打の雨を浴びせる。


「て、てめえ!」


 驚きを隠せない様子の男は、先ほどよりも大振りなパンチを放つ。

 それをリディーはしゃがんで避けると、そのまま男の足目掛けて右足を振るった。


 ベンゼル直伝の足払いである。

 お手本のように綺麗に決まり、男が豪快に尻餅をついた瞬間、ギャラリーから歓声が上がった。


 リディーに危害が及ぶことはないと認識したのだろう。

 先ほどまで心配そうに見ていた者たちも、今ではスポーツの試合を見るかのように楽しんでいる。


(早く終わらせてやってくれ……)


 公衆の面前で、己より一回りも二回りも小柄な少女に手玉に取られる。

 その羞恥感しゅうちかんは相当なものだろう。

 自業自得とはいえ、ベンゼルは男のことを気の毒に思わずにはいられなかった。


「くそがっ!」


 男がリディーに殴りかかる。

 リディーは身を翻して躱すと、そのまま後ろ回し蹴りを放った。


「うおっ!」


 見事大きな背中に命中し、衝撃で男は前に押し出される。

 ひと呼吸おいて振り返った男は、驚きの表情を浮かべていた。


「……てめえ、何者だ」


 リディーはフンと鼻を鳴らすと、腰に両手を当てた。


「私はリディー・スプモーニア」

「あ、おい!」


 ベンゼルは慌てて止めに入るが、リディーにその声は届かなかった。


「この世界を守るため、必死になって……命を犠牲にしてまで戦ってくれた勇者ルキウス・スプモーニア。私はその妹です」

「……は?」


 男が素っ頓狂な声を上げる。

 同時にギャラリーがざわめき始めた。


「……はぁ」


 ベンゼルは大きく溜め息を吐く。

 これから一週間、マッカの街並みをゆっくり見て回るつもりだったが、リディーが素性を明かした今、それは難しいだろう。


「そしてあそこにいるのが、ルゼフさ、じゃなくてベンゼルさん。お兄ちゃんと一緒に戦ってくれた、勇者の仲間にして親友のベンゼル・アルディランさんです」


 ベンゼルに数十の視線が集まる。

 周囲のざわめきはさらに強くなり、あちこちから驚きの声が上がった。


「マジで言ってんのか?」


 大柄な男が怪訝な顔で尋ねてきた。


 そう考えるとリディーの強さに説明がつくからか、それともそうあってほしいという期待からか。

 理由はわからないが、観客達はリディーの言葉を鵜呑みにしているように見える。


 この状況で嘘をつくのは気が引けるし、何よりリディーが言った言葉を否定したくなかった。


(まったく……)


 ベンゼルはもう一つ溜め息を吐くと、革袋から丸めた紙を取り出し、男に向けて広げた。


「ああ。彼女が言ったことは全て本当だ」

「……それは?」

「俺達の素性を示した物だ」


 男が恐る恐る近づいてくる。

 書状に目を向けてほどなく、赤みがかっていた顔が一瞬で真っ青になった。

 男はリディーのもとまで駆け寄ると、その場に両手両膝を突き、地面に頭をこすりつけた。


「すまねえ! さっきのは全部冗談だったんだ。場を盛り上げようとつい悪ふざけしちまった。……本当にすまねえ!」

「……じゃあさっきの言葉取り消してくれますか?」

「取り消す! あんなこと本当は微塵も思っちゃいねえ!」

「リディー」


 ベンゼルがリディーの肩に手を置く。

 少しの間をおいてリディーは頷くと、男に向かって手を差し出した。


「わかりました。取り消してくれるならもういいです。……あと、私のほうこそごめんなさい。怪我とかありませんか?」

「おう、大丈夫だ。その、本当に悪かったな。それと」


 男はリディーの手を取って立ち上がると、ベンゼルに向かって深く頭を下げた。


「ベンゼル様、本当にすまなかった。冗談だったとは言え、俺はあんたや仲間が成し得てくれたことを否定しちまった。すまねえ」

「ああ。俺はともかく、仲間の奮闘を否定されたのは正直腹が立ったが、こうして謝ってくれたことだ。水に流そう。ただ、今後冗談を言う時は――」

「おう。よく考えてから口にすることにするよ」


 男がバツが悪そうに頭を掻いた。

 これでリディーと男の喧嘩については一件落着だ。


(さて……)


 問題はここから。

 大勢の人の前で、自分とリディーは素性を晒してしまった。


 男とのやり取りが一段落した今、すぐにでも自分達は取り囲まれる。

 そうして寄せられる感謝や賞賛の声に、一つずつ応えていかなければならない。


 こんなこと本来思うべきではないと思いつつも、ベンゼルは億劫に思ってしまった。


(……おや?)


 しかし、意外なことに声を掛けてくる者はいなかった。

 皆、自分達を興味深そうにチラチラと見たり、こそこそと話し合ったりしているだけだ。


 もしやこちらの気持ちを察して、気を遣ってくれているのだろうか。

 予想外の展開にベンゼルがそんなことを思った瞬間、「グウウゥゥ」と誰かの腹が鳴った。


「嬢ちゃん、腹減ってんのか?」

「あ、えっと……はい。身体を動かしたせいか、また少しお腹が」

「そうか! なら俺に飯奢らせてくれ! さっきの詫びだ!」

「え、でも、そんな――」

「頼む! この通りだ! なっ?」


 リディーが判断を仰ぐようにこちらを見てくる。


 夕食はまだ途中だったので、どのみち食事は再開するつもりだった。

 その代金が浮くことに越したことはないし、それで男の罪悪感が晴れるというなら断る理由はない。

 何より、この男なら気を遣わなくて済む。


「わかった。ならお言葉に甘えさせてもらうことにしよう」

「よし! じゃあ行こうぜ!」

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