第51話 手紙
帝都ダルウィンのとある馬宿。
窓から差し込む日差しを受けながら、リディーは一人、部屋で机に向かっていた。
「――これでよしっと!」
満足気に呟くと、リディーは大きく伸びをした。
「んー!」と気持ちが良さそうな声を漏らしてから、今しがた書き終えた紙を手に取る。
これは父と母に宛てた手紙だ。
故郷のカンパーニ村を出る時に言った通り、リディーは街に到着する度、両親に手紙を出していた。
心配しているであろう両親に自分の無事を伝えるため。
それと久しくカンパーニ村を出ていない両親に、少しでも旅行気分を味わわせてあげたいという思いからである。
「この街も楽しかったなぁ」
リディーはポツリと呟くと、自分が書いた手紙を読み直す。
そこには、このダルウィンで過ごした二週間の出来事が綴られていた。
☆
ダルウィン初日。
ドルガンの店を出た後、リディーの要望により、二人はカフェにやってきていた。
「う~ん……」
メニューを前に、リディーが唸り声を漏らす。
本命はチョコレートケーキだが、イチゴパフェも捨てがたい。それに完熟バナナのカスタードクレープも「甘くて美味しいよ!」と自分を誘惑してきている。
「むむむ……」
本音を言えば三個とも注文したいところだが、金額的にさすがにそれは気が引ける。
かといって、どれもとっても美味しそうで、一つになんて決められない。
(よし。こうなったらルゼフさんに決めてもらおっと!)
リディーはメニューを置き、頭を上げる。
すると、ベンゼルは右側を向きながら、ポカンと口を開けていた。
「ん?」とリディーもベンゼルの視線の先に顔を向けると、その瞬間、目を輝かせた。
(何あれ! すっごーい!)
三つ右のテーブルに置かれていたのは、何段も積み重ねられたパンケーキの塔。
一番上には生クリームが大量に盛られており、そこにたっぷりと掛けられた赤色のソースが滝のように流れている。
「――では改めて説明させて頂きます。制限時間は三十分。時間内に全て食べ切れればお代は無料。さらに賞金として金貨一枚を贈呈させて頂きます」
(えっ!?)
聞こえてきた店員の言葉に、リディーはすぐさまメニューを開き、ページをめくっていく。
すると、最後のページに先ほど見たパンケーキの塔の絵と、店員がしたのと同じ内容の説明が記載されていた。
(これだ!)
あれだけのパンケーキをタダで食べられる。
その上、お金までもらえてしまう。
まるで夢のようだと感激し、リディーは笑みをこぼした。
「ルゼフさん! 頼むの決めました!」
「そうか。じゃあ注文するか。……あっ、すまない。注文を――」
パンケーキが運ばれてきてから十五分。
目の前にそびえる糖質の塊にリディーは絶望していた。
胸のあたりが気持ち悪い。
お腹もいっぱいになってきた。
味にも飽きてしまった。
だというのに、まだ三分の一近く残っている。
「うぅ……」
最初はよかった。
ふわっふわのパンケーキにあまーい生クリーム、酸味の効いたベリーのソース。
想像通りの美味しさに、これならいくらでも食べられると思っていた。
しかし、いざ蓋を開けてみればこの有様だ。
リディーは数十分前の自分を強く恨みながら、何とかフォークを口に運んだ。
「……本当に大丈夫か? 無理しなくていいんだぞ?」
うげぇと顔を歪めてしまったからか、ベンゼルが心配そうに声を掛けてくる。
これで三度目だ。
「だ、大丈夫です。余裕です!」
リディーは無理やり笑顔を作り、これまでと同じ言葉を返した。
注文した時、ベンゼルから何度も辞めておけと言われたのに、リディーはそれを『こんなの余裕ですよ〜!』と跳ね除けてしまった。
その手前、やっぱり無理でしたとは口が裂けても言えない。
何より、ギブアップしたら本来の代金である、銀貨三枚を支払わなければならない。
量が量なだけあって、スイーツにしてはかなりの金額で手痛い出費になる。
これから観光や買い物をすることを考えると、それだけは避けたかった。
「よし!」
リディーは気合いを入れ直すと、再び強大な敵に向かっていった。
約一時間後。
「うう……」
あの後、何とか時間内にパンケーキを完食でき、賞金を手にすることができた。
だが、その代償は大きく、リディーは食べすぎと胸焼けによって行動不能に陥ってしまった。
そんな訳でリディーは一人、馬宿のベッドで横になっていた。
ちなみにベンゼルは側にいてくれようとしたが、あまりの申し訳なさにそれを拒み、一人で観光してもらっている。
「もう甘いものは当分いいや……」
リディーはポツリと呟くと、押し寄せてきた腹痛に対処するため、ふらふらになりながらトイレに向かっていった。
その翌日。
リディーは何事もなかったかのように、幸せそうな顔で出店で買ったクレープを頬張っていたのだった。
☆
ダルウィンに来てから六日目。
この日もリディーとベンゼルは朝から街を見て回っていた。
「次、どこ行きましょうか!」
「そうだな……。あっ、じゃあ――」
「ただいまクーポン配布中でーす! ぜひこの機会にお越しくださーい!」
聞こえてきた大声に、二人は「ん?」と顔を向ける。
すると、大量の紙を抱えている綺麗なお姉さんと目が合った。
「よかったらどうぞ!」
お姉さんが紙を一枚差し出してくる。
それをベンゼルが反射的に受け取ると、お姉さんはニコッと微笑んで、別の人のもとに走っていった。
「水族館……。そういえば、そんな施設があるってフィリンナが言っていたな」
「水族館?」
「うろ覚えだが、魚を鑑賞するための施設のことらしい」
「魚を鑑賞……」
そんな施設が存在することをリディーは不思議に思った。
何せリディーにとって魚はただの食べ物であり、見て楽しむものではないからだ。
「せっかくだし行ってみるか」
「あ、はい。そうですね!」
数十分後。
二人は大きな水槽の前に立っていた。
「わぁ……」
縞々模様の魚。平べったい魚。ボールのように丸い魚。
色も形も大きさも異なる多種多様な魚が、悠々自適に泳いでいる。
その光景はとても美しく、リディーは目を奪われていた。
「――おい! リディー、あれを見てみろ!」
「ん?」
言われるがまま、ベンゼルの指の先に目を向ける。
そこには小さな水槽があり、中で星形の生き物が
「わっ! 何ですか、あれ!?」
「わからん! 近くで見てみよう!」
二人は水槽に駆け寄ると、初めて見る奇妙な生き物に目を輝かせた。
そうしてわいわいとはしゃぐその様子は、まるで小さな子供のようであった。
従業員に閉館だと言われて外に出ると、すっかり暗くなっていた。
「いい体験ができたな」
本当に、とリディーは大きく頷く。
水族館という施設は思っていた何十倍も何百倍も楽しく、素晴らしいところだった。
(お兄ちゃんにも教えてあげなきゃ!)
また一つ思い出話ができた。
リディーは嬉しそうに微笑むと、先を歩くベンゼルの後を追うのだった。
☆
そして十三日目。
リディーは帝都の北側にある競技場、その観客席に座っていた。
視線の先では馬が十頭ほど並んでおり、各馬に人が跨っている。
その中にシュライザーとベンゼルの姿があった。
「ルゼフさーん! シュライザー! 頑張ってー!」
他の観客に負けじと、リディーは声を張り上げる。
声援はしっかりと届いたようで、ベンゼルとシュライザーはこちらに向かって大きく頷いた。
数時間前。
昼食を済ませた二人は路銀を稼ぐべく、依頼仲介所に向かっていた。
明日から旅を再開するので、そのために必要な物資を買い揃えるためである。
「いい依頼あるといいですね」
「ああ。できたら一つの依頼で済ませたいものだ」
「ですねー。いくつも受けるのは大変――」
「一位とれたら金貨七枚だってよ! お前出てみろよ!」
「はぁ? 俺んとこの馬が勝てる訳ねーだろ」
「ん?」
聞こえてきた会話が気になり、リディーは足を止めた。
横を向くと若い男が二人、建物の壁に貼られた大きな紙を眺めていた。
「えー、でもせっかくだしさ。ほら、記念出走ってやつ!」
「いや、無理無理。ただ恥かくだけだっつーの。くだらねえこと言ってねえで行くぞ」
「はいはい」
片方の男が何やら乗り気ではなかったようで、彼らはその場を去っていった。
リディーはすかさず張り紙の前に急ぐ。
紙には今日の夕方、北にある競技場にて
競べ馬とはその名の通り、馬の速度を競う競技のことであり、ここスコルティア帝国の国技の一つだ。
実際に見たことはないが、学校の授業で習ったのでリディーも概要くらいは知っていた。
「どうした、突然……ほう、競べ馬か。すまんが、今日は遊んでいる時間は――」
「ここ! ここ見てください!」
リディーは紙の下部分を指差す。
そこには『欠員が出たため、出場者を募集する』という旨と得られる賞金額が書き足されていた。
「なるほど、そういうことか」
「はい! シュライザーなら優勝できそうじゃないですか!?」
「いや、さすがに優勝は無理だろう。何せ出てくる馬は競べ馬に特化した、その道のプロばかりなのだからな」
「あっ……」
言われてみれば確かにそうだ。
出場する馬は間違いなく、この日のために特別な訓練を積んできている。
その点、競べ馬においてはシュライザーは素人同然、普通に考えれば優勝なんてできるはずがない。
「だがまあ、入賞くらいなら狙えるかもしれん」
「えっ?」
「総合的な能力でいえば、あいつの右に出る馬はいないからな」
「そ、そうですよね! 優勝は無理でも五位くらいなら!」
「ああ。よし、じゃあ一度頼みにいってみるか」
その後、リディー達は馬宿に戻り、シュライザーに事情を話した。
すると、シュライザーは快く応じてくれ、その上で『優勝できたらあの飼葉を食べさせてほしい』と言ってきた。
健康面を考えると、あの見るからに身体に悪そうな飼葉はあまり与えたくはない。
ただまあ、前に与えた時も身体に不調は全く見られなかったし、今日一日くらいなら問題はないだろう。
それにそもそも、さすがのシュライザーでも優勝は現実的ではないしな、とリディー達はその要求を了承したのだった。
「――それではただいまより、第9レース目の出走を開始いたします!」
司会の男が白い旗を振り上げる。
少しの間を置いて、勢いよく旗が降ろされたと同時、各馬が一斉に走り出した。
好調なスタートを切った芦毛の馬と栗毛の馬が、我先にと先頭を奪い合う。
その横をスーッと黒鹿毛の立派な馬が通り過ぎていった。
そうして先頭に立ったシュライザーは、さらにスピードを上げ、後続馬との距離を離していく。
「何だ、あの飛び入り参加は。暴走してんじゃねーか」
「ったく、レースを無茶苦茶にしやがって」
どこからか聞こえてきた声にリディーはムッと顔をしかめると、他の声をかき消すかのように大声で声援を送った。
そして迎えた最後の長い直線。
依然として、シュライザーは先頭を独走していた。
勝負はここからだ。
そろそろシュライザーのスタミナも尽きてくる頃。
後はどれだけ粘れるかにかかっている。
「……あれ?」
予想とは反して、シュライザーの勢いは全く衰えない。
後続馬との差は縮まるどころか、さらに開いていき――
「あっ」
そのままゴールした。
ぶっちぎりの一位だ。
「えっと……」
リディーは不安になりながら周囲を見回す。
案の定、競技場にはなんとも言えない微妙な空気が流れていた。
それもそうだ。
競べ馬の一番の魅力は、抜いて抜かれての大接戦。
それがなかった上に、圧勝したのは飛び入り参加の無名の馬、しかも他国の馬となれば白けるのも無理はない。
「あ、あはは……」
リディーは苦笑しながら、ベンゼルとシュライザーに視線を戻す。
すると、シュライザーは嬉しそうに小躍りしていた。
きっと、あの飼葉を食べられるからだろう。
そんな愛馬に対して、馬上のベンゼルはそれはもう気まずそうな顔をしていた。
「……ぷふっ」
そのギャップが何だかとってもおかしくて、リディーは思わず笑ってしまったのだった。
☆
手紙には書ききれなかったが、思い出は他にもたくさんある。
それを一つずつなぞるように思い返していると、ギギギっと扉が開く音がした。
「あっ、ルゼフさん、お帰りなさい!」
「ああ、遅くなってすまない。それで手紙はもう書けたのか?」
「はい! おかげさまで!」
「そうか。じゃあそれを出したら行くか」
リディーはピョンっと椅子から立ち上がると、明るく返事をした。
次の目的地はここから北東にある街――マッカだ。
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