第35話 領主の真意(前編)
関所を抜け、世界一の大国――スコルティア帝国の領土に足を踏み入れてから数日。
ベンゼルとリディーはアメリオ共和国との国境近くにある街――ナンデールに到着した。
門をくぐって中に入った瞬間、隣から「おおー!」と明るい声が聞こえてくる。
顔を向けると、リディーは楽しくて仕方がないといった様子で目を輝かせていた。
そんな彼女の様子にベンゼルも頬を緩めると、シュライザーを発進させた。
少しして見つけた馬宿でシュライザーを預かってもらい、部屋に荷物を置いたところで。
「さて、前にも言ったが、俺はここの領主に用があってな。これから会いにいかなければならないんだが、お前はどうする? 一人で観光してるか?」
「あっ、いえ、迷惑じゃなかったら私も一緒に!」
「そうか。じゃあ一緒にいこう」
言い終えると同時に、ベンゼルは大きく溜め息を吐いた。
「ど、どうしたんですか?」
「……気が重くてな」
「えっ? ……もしかして領主様って、そんなに嫌な人なんですか?」
「いや、そんなことはない。とてもいい人だ」
「だったらどうして?」
リディーが首を傾げてくる。
ベンゼルはもう一度溜め息を吐くと、理由を話し始めた。
「前にルキウス達と各国への報告と物資の補給を頼みにいった時、そこで家宝の剣を貸してくれてな」
「剣?」
「ああ。込められた魔力により、凄まじい切れ味を持った一級品の剣だ。何でも、先祖が超一流の魔道具士だったようでな。先祖代々、大切に受け継がれてきた品らしい」
「へえ、そんな大切なものを」
「『魔王討伐に役立ててください』と言ってくれてな。魔王を倒したら必ず返すことを条件に、俺達は剣を借りたんだ」
そう言うと、リディーは何かに気付いたかのように「あっ!」と声を上げた。
「用事って、領主様にその剣を返すことだったんですね! ……ん? でも、そんな凄そうな剣、馬車に積まれてなかったような……」
「……剣はもう存在しない」
「えっ?」
「剣を使っていたのはルキウスでな。魔王との戦いの時もその剣を振るっていた。そして、あいつはスーパーノヴァと呼ばれる魔法で自分もろとも……」
「そっか……。剣はお兄ちゃんと一緒に……」
リディーは俯いた。
ルキウスの最期を改めて想像してしまい、辛く思ったのだろう。
沈黙が流れることしばらく。
リディーは顔を上げた。その表情にもう陰りはない。
「じゃあ、もしかして用事って剣を失ったことを謝りに?」
「そうだ」
「なるほど! 気が重いって、そういうことだったんですね!」
「ああ。必ず返すと約束したのに、それを守れなかった。だから合わせる顔がなくてな」
ベンゼルがそう言うと、リディーは笑みを向けてくる。
「大丈夫ですよ! きっと笑って許してくれます!」
「そうだとありがたいが……どうだろうな」
「大丈夫ですって! ほら、早く行きましょう!」
家宝というだけあって、あの時、領主は本当に大切そうに剣を扱っていた。
だから実際、笑って許してもらえるなんて可能性は無きに等しい。
罵詈雑言を浴びせられるだけならまだよく、下手すればショックのあまり気を失われたり、泣きわめかれたりしてしまうかもしれない。
そうなってしまった時、対処できる自信がない。
それ故、ベンゼルは不安でいっぱいだったが、かといって報告しない訳にはいかない。
ベンゼルは心の中で「よし」と呟くと、首を縦に振った。
「……ああ、行こう」
☆
二人は街の北側にある大きな館――領主邸にやってきた。
ベンゼルが入り口に立っていた兵士に自分達の素性を明かすと、男は慌てた様子で館の中に入っていく。
ほどなくして、兵士が爽やかな壮年の男性を連れて入り口に戻ってきた。
この男性がここ、ナンデールの領主である。
名はログスター・ナンデール。
決戦前夜、ルキウスがお礼を言いたい人として名前を挙げていたうちの一人だ。
「べ、ベンゼル様ですか……?」
「ええ。お久しぶりです、ログスター殿。突然お伺いして申し訳ございません」
軽く頭を下げると、ログスターは花が咲いたような笑みを浮かべた。
「目を……目を覚まされたのですね! よかった、本当によかった」
「そのように言って頂き、ありがとうございます。ログスター殿もお元気そうで何より」
「あはは、ありがとうございます。私は相変わらずで。……それでそちらのお嬢さんが、ルキウス様の?」
「初めまして! ルキウスの妹のリディー・スプモーニアと申します!」
「リディー様ですね。私はここら一帯の統治を任されている、ログスター・ナンデールと申します。貴女の兄君には本当に感謝しております。どうぞよろしく」
「あっ、はい! よろしくお願いします!」
ログスターが伸ばした手をリディーが両手で握る。
そうして握手を済ませると、ログスターが館の中に手を向けた。
「ささっ、どうぞ! こちらへ!」
「あっ、はい。失礼いたします」
「お邪魔します!」
それから二人は広々とした客間に通された。
言われるがままソファに腰を下ろしたところで、ログスターから近況について聞かれる。
そこでベンゼルが旅をしている最中であることを話すと、
「それでベンゼル様達はいつまでこの街に?」
そんなことを尋ねられた。
「うーん、そうですね。二~三日といったところでしょうか」
答えると、ログスターは顎に手を当て、「二~三日か……」と呟いた。
どうしたのだろう、とベンゼルは一瞬首を捻るも、今はもっと重要なことがある。
淹れてくれた紅茶を飲み、大きく深呼吸してから本題を切り出す。
「――ログスター殿。実は今日こちらにお邪魔したのは、前にお借りした剣のことで」
「剣? ああ、マンオーソードのことですね!」
「ええ。そのマンオーソードですが……」
そこまで言ってベンゼルは立ち上がると、深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございません! お借りした大切な剣は、戦いの最中に消失してしまいました。必ず返すとお約束したのにもかかわらず、本当に申し訳ございません」
「……そう、ですか」
ひと呼吸おいて、弱弱しい声が返ってくる。
少しして恐る恐る頭を上げると、ログスターは再び顎に手を当てていた。
何か考えているようだ。
怒っていたり、悲しんでいたりしている様子は見られない。
予想外の反応に、ベンゼルは一層緊張を強くする。
そのままログスターの言葉を待っていると、しばらくして彼は「よし」と頷いた。
「わかりました。それは仕方ありませんね。……その代わりといってはなんですが、一つ頼まれ事を引き受けてもらえないでしょうか?」
「頼まれ事?」
「ええ。このナンデールから北西にある森の中に、私が管理している遺跡がございます。そこにいる者からある品を二つ受け取り、ここまで持ってきてほしいのです」
(なんだ、そんなことか)
要はただのお使いだ。
たったそれだけのことで剣の件を許してもらえるのであれば、喜んで引き受ける。
もっとも、断れる立場ではないのだが。
「はい、それはもちろん」
「よかった! ではお願いいたします。遺跡は――」
ログスターから遺跡の場所を詳しく聞いたベンゼル達は館を後にした。
「さあ、まずはシュライザーを引き取りに馬宿へ行こう」
「…………」
リディーからの返事がない。
不思議に思って顔を向けると、リディーはふくれっ面をしていた。
「……どうした?」
「納得いかないんです……」
「納得?」
「はい! だってお兄ちゃん達は命を犠牲に世界を救ってくれたんですよ! だから剣の一本や二本くらい、笑って許してくれてもいいのに! 私、あの人嫌いです!」
そう言うと、リディーは「ふんっ!」と顔を背けた。
まあ、リディーの気持ちはわからないでもない。
だが、それはそれ、これはこれだ。
ベンゼルは「まあまあ」とリディーを
☆
襲い掛かってきたモンスターを撃退しながら進むことおよそ二時間。
「あれだな」
前に小さな遺跡が見えてきた。
入り口の前には鎧を着た兵士が二人立っている。
そのまま近づいていくと彼らもこちらに気付いたようで――
「何者だ、貴様! 遺跡に何の用だ!」
怒声を上げながら剣を向けてきた。
だが、ベンゼルに慌てる様子はない。
「私達はログスター殿から使いを頼まれ、ここにあるという品を受け取りにやってきました。こちらを」
平然とそう言うと、ログスターから預かった血判状を差し出す。
それを見た兵士達は少しして、顔を見つめてきた。
「なるほど。あなたが」
「……あの、何か?」
「ああ、いえ。お気になさらず。それよりも剣を向けたこと、誠に申し訳ございません。ログスター様の使いの方だとは露知らず」
「いえいえ。それでその品とやらは?」
「遺跡の中にございます。どうぞ、こちらへ」
ベンゼルとリディーは馬車から降りると、兵士の後を追う。
入り口には古びた外壁とは対照的に真新しい重厚な扉があった。
兵士が鍵を使って押し開ける。
遺跡の中に入ると、またしても扉が立ちはだかった。
中々厳重な警備だ。一体何があるんだろうか。
そんなことを考えながら、歩くことしばらく。
ベンゼル達は大きな部屋に出た。
中央にぽつんと台が置かれており、その上に青く光る手のひら大の石のような物がいくつかある。
兵士がその物体を二つ手に取って、自分とリディーに一つずつ手渡してきた。
よく見ると、ボタンらしきものがついている。
「何でしょう、これ?」
「何だろうな。ただの光る石ではないようだが」
「それはログスター様のご先祖様が作られた魔道具の一種です。詳しい説明はログスター様がしてくださるかと」
「えっ? あっ、そうですか。とにかく、こちらは確かに受け取りました」
「はい。ログスター様からも言われるかと思いますが、この遺跡とお渡しした物のことは他言無用でお願いします」
どうやらこの得体の知れない物体はかなり貴重な品らしい。
ベンゼルとリディーはしっかり返事をすると、案内してくれた兵士と一緒に外に出る。
そうして兵士達に別れを告げると、馬車に乗り、シュライザーを発進させた。
「ベンゼル様―! 世界を救ってくださり、本当にありがとうございましたー!」
「ありがとうございまーす! どうか、お元気でー!」
後ろから聞こえてきた大声に「ん?」とベンゼルは首を捻る。
「あれ? ルゼフさん、本名言いましたっけ?」
「いや?」
名乗っていないし、ログスターの血判状にも自分の素性などは書かれていなかった。
それなのに、なぜ彼らは自分の正体に気付いたのか。
ベンゼルは不思議に思うも、まあ知られたところで大きな問題はない。
「どういたしましてー! そちらもお元気でー!」
シュライザーを走らせながら、ベンゼルもまた彼らに大声で言葉を返した。
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