第33話 激闘

 エヴァリアムスから北西に進むこと数時間。

 激闘を前にして、馬車に緊張感が漂う中――


「あれですね……」


 隣に座っているリディーが沈黙を破った。


「……ああ」


 二人の目に映っているのは、身体が赤く染まった三体のクマ。

 二体が横並びでこちらに向かって駆けてきており、その背中を一歩遅れて残りの一体が追っている。


 この距離で視認できるということは、それだけ身体が大きいという証拠。

 つまり、あの赤いクマは単なるレッドグリズリーではない。


 突然変異を起こし、体長も魔力量も倍以上に膨れ上がった個体――ミュー・レッドグリズリーだ。


「シュライザー、準備はいいか?」

「ブルルっ!」

「フッ、いい返事だ。じゃあ、いくぞ」


 ベンゼルが手綱を動かすと、シュライザーは斜めに方向変換し、同時にスピードを上げた。

 そうしてミュー・レッドグリズリーらを通りすぎたところで、三体の真後ろに回り込む。


「今だ。最後尾のあいつを狙え」


 ベンゼルが指示を出すと、荷台から返事が四つ聞こえてきた。


「「【フリジットブレード】!」」

「「【ダークネスバイト】!」」


 そして四人の兵士は同時に魔法を発動させた。

 氷でできた複数の短剣と、狼の牙を思わせる黒い物体が最後尾を走るクマに向かっていく。


 やがて命中すると、そのクマは立ち止まってこちらに振り返った。

 ようやく自分達に気付いたようで、凄まじい速度で向かってくる。


 それを確認したベンゼルは手綱を操り、反対方向へシュライザーを発進させた。



 迫りくるミュー・レッドグリズリーから逃げることしばらく。

 後ろを確認すると、自分達を追ってきているのは魔法を浴びせた個体だけ。


 前を走っていた二体の姿はない。

 恐らく、そのままエヴァリアムスに向かっているのだろう。


(よし)


 上手く一体だけ離れたところへ釣り出すことに成功した。

 これでベンゼル達は一体の討伐に集中でき、残りをエヴァリアムス近くで迎え撃つことになっているもう二隊は、場を広く使えて戦いやすくなる。


 計画通りだ。

 後はおびき寄せたミュー・レッドグリズリーを倒すだけ。

 もっとも、それが一番難しいのだが。


「ふぅ」


 緊張を吐き出すようにベンゼルは大きく息を吐く。


 ほどなくしてシュライザーを停止させると、御者台から飛び降りた。

 ひと呼吸おいてリディーも降り立ち、同時に兵士達も荷台から降りてくる。


「……心の準備はいいか?」


 そう問うと、彼らは真剣な顔で頷いた。


「よし。なら……いくぞ!」


 言い終えると同時にベンゼルは走り出した。

 それに他の五人も続く。


 そうしてミュー・レッドグリズリーとある程度近づいたところで、リディーと四人の兵士は立ち止まった。

 後方から魔法で攻撃しつつ、ベンゼルの援護をするためだ。


 一方のベンゼルはそのまま迫ってきているクマとの距離を詰めていく。

 やがて残り数メートルのところまで接近すると、クマは立ち止まって「ヴー」と低く鳴いた。


 次の瞬間、クマを囲むように燃え盛る火炎が発生した。

 二等魔法――フレアサークルだ。

 突然変異を起こした個体を含め、レッドグリズリーは敵に接近されると、自分の身を守るためによくこの魔法を使用する。


 炎に触れればたちまち炎上してしまうため、ベンゼルは立ち止まざるを得ない。

 魔法を使えないベンゼルは近づいて剣を振るうほかないというのに、それをさせてもらえない。


 一人では既に詰みの状況だ。

 だが、今は仲間がいる。


「【ガスティーウインド】!」


 少しの間を置いて、自身の援護を任せている爽やかな青年が突風を発生させる三等魔法を発動させた。

 ベンゼルの正面の炎が強い風に吹き消される。


 これで近づける。

 グッと地面を蹴り、クマとの間合いを詰める。


「【ソーンピアース】!」


 それと同時にリディーが二等魔法を発動。

 複数の茨が絡み合って鋭い槍と化すと、クマの身体に突き刺さる。


「「【フリジットブレード】!」」

「【ダークネスバイト】!」


 少し遅れて、攻撃役である他の三人の兵士が二等魔法を行使する。


 彼らはリディーと異なり一等魔法を習得してはいるものの、強力なだけあって魔力の消費が大きく一度だけしか発動できない。

 それではミュー・レッドグリズリーを倒せないため、威力は落ちてしまうが、二等魔法で継続してダメージを与えることに先の話し合いで決めたのだ。


「ふんっ!」


 彼らの魔法が命中すると同時に、間合いに入ったベンゼルが大剣を振るう。

 直立しているクマの下腹部に真一文字の傷を負わせた。

 傷跡からブワッと血が流れでる。


 しかし、致命傷には到底至っていない。

 それを証明するかのようにうろたえる様子すら見せず、ミュー・レッドグリズリーは太い腕を振り下ろしてきた。


 ベンゼルは横に飛びのく。

 それまで立っていた場所に大きく鋭い爪が突き刺さる。

 クマが腕を上げると、地面が深くえぐれていた。

 まともに食らえば、たとえ鎧を着ていたとしてもひとたまりもない。


 そう、ミュー・レッドグリズリーの強さは魔法だけではない。

 突然変異により手に入れた屈強な肉体を活かした接近戦もまた脅威なのだ。

 炎の壁を突破したからといって、それだけで勝てるような相手ではない。


「はあっ!」


 だが、そんなことはベンゼルもわかっている。

 怯むことなく果敢かかんに攻める。

 後衛攻撃役であるリディーと三人の兵士も魔法で攻撃した。


 それでもクマは余裕綽々しゃくしゃくといった様子。

 再びフレアサークルを発動し、燃え盛る火炎で自身を守る。

 それを確認したベンゼルは一旦距離を取った。


「【ガスティーウインド】!」


 直後、援護役の青年が突風で炎を消してくれた。

 すかさず、ベンゼルは接近して右足目掛けて剣を突き刺す。

 丈夫な皮膚と筋肉にはばまれ、剣が途中で止まってしまう。


「ちっ!」


 ベンゼルは舌打ちしつつ剣を引き抜き、後ろに跳んだ。

 目の前に爪が振り下ろされる。


 間一髪だ。

 他の兵士だったら反応できず、今頃命を落としていただろう。


 はっ。と息を吐くと、ベンゼルは一歩踏み出して大剣を振り払った。

 ほどなく、リディー達の魔法がクマに届く。


(このままいけば勝てる。……頼む、何事もなく終わってくれ)


 そんなことを考えながら、ベンゼルは両手で握った大剣を上段から振り下ろした。



 ☆



 本来であれば、十~十五人で交代しながら注意を引き付けるところを、ベンゼルはたった一人でこなしている。

 その運動量は凄まじく、十分も経つと、人並み外れた体力を持つベンゼルにもさすがに疲労の色が見えてきた。


 だからといって、ここで攻撃の手を緩める訳にはいかない。

 ベンゼルは身体に鞭を打って、剣を振るう。


(ん?)


 その時、ミュー・レッドグリズリーの様子がそれまでとは違うことに気付いた。

 自分が攻撃したらすぐに反撃してきていたというのに、今回はしてこなかったのだ。


 何か企んでいるのか。

 不振に思ったベンゼルは数歩後ろに下がって、ミュー・レッドグリズリーをよく観察する。

 そこでクマは自分ではなく、後ろに立っているリディー達に視線を向けていることがわかった。


(おい、まさか……)


 血の気が引く。


 ミュー・レッドグリズリーはそこまで賢くはない。

 それ故、目の前でちょこまかされた場合、まずはその敵を排除することに夢中になる。

 魔法が厄介だから後ろのやつらを先に倒そう。だなんて、そんなことは考えられない。


 だからベンゼルが最前線で戦っている限り、リディー達に攻撃の矛先が向くことはない。

 そのはずだった。


 それを否定するかのように、クマはリディー達に向けて手を伸ばす。

 直後、手の先に巨大な火球が現れ、後ろの五人に向かっていった。

 数ある二等魔法の中でも特に強力な魔法――インフェルノブレイズだ。


「お前達、逃げろっ!!」


 ベンゼルが血相を変えて叫ぶ。

 も、恐怖で足がすくんでしまっているのか、リディーを含め誰一人としてその場から動こうとしない。

 もう今からでは防御魔法の発動も間に合わない。


 ――終わった。リディーは死ぬ。

 絶望に全身から力が抜け、ベンゼルは膝から崩れ落ちた。


「――【ストーンウォール】!」


 頭が真っ白になる中、ふとリディーの声が耳に届いた。

 ハッと我に返って顔を上げる。


 リディー達の前に大きな岩の壁ができていた。

 やがて火球はその壁にぶつかると、岩の壁と共に消失した。


 無傷で立っているリディー達の姿が目に映る。


 よかった、生きている。

 ベンゼルはほっと胸を撫で下ろす。


 同時にリディーの才能を思い出した。


(……そうだ、リディーはクイックスペラーだったな)


 防御魔法の発動が間に合わないのは、一般的な戦士だったらの話。

 即座に魔法を発動できるクイックスペラーであれば、あのタイミングからでも十分間に合う。


 予期せぬ事態により、リディーがクイックスペラーであることをすっかりと忘れてしまっていた。

 ベンゼルは「ふう」と安堵の溜め息を吐いて、立ち上がった。

 その時――


「ルゼフさん、後ろっ!!」


 リディーの叫び声が聞こえてきた。

「ん?」とベンゼルは顔を後ろに向ける。


 ミュー・レッドグリズリーが腕を振り上げていた。


「しまっ――」


 リディーの安否に気を取られるあまり、敵の存在が頭から抜けてしまっていた。

 今から振り下ろされればもう避けられない。


 ベンゼルが死を覚悟した、その瞬間――


「【ストーンウォール】!」


 リディーが再び魔法を発動させたのが聞こえてきた。

 刹那、ベンゼルの目線がグッと高くなる。

 何やら上昇しているようで、あっという間にミュー・レッドグリズリーの頭よりも高いところにきた。


 不思議に思って下を向くと、ベンゼルは岩の壁の上に立っていた。


(……そうか! リディー、お前ってやつは!)


 リディーの意図に気付くと同時、クマが腕を振り下ろした。

 そうして岩の壁が砕け散る中、ベンゼルは足に力を込めて跳躍。


 ミュー・レッドグリズリーの頭上に来ると、大剣を真下に向けて構えた。

 そのまま落下すること数秒。


 構えていた剣がクマの脳天に根元まで突き刺さった。

 ミュー・レッドグリズリーはふらふらと身体を揺らす。

 ベンゼルは頭を蹴って地面に着地後、クマに顔を向ける。


 その瞬間、クマは後ろにバタンと倒れこんだ。

 数秒経っても動き出す様子は見られない。


 ベンゼルは慎重に近づくと、顔を覗き込む。

 目から光が消えている。


「や、やったんですか?」

「ああ。死んでいる」


 その言葉にリディーと兵士達は顔を明るくさせ、駆け寄ってきた。

 そうして五人が喜び合っている中、ベンゼルはリディーの名を呼んだ。


「……正直、死んだと思った。今生きていられるのはお前のおかげだ。ありがとう」

「はいっ! ルゼフさんが無事で本当によかったです!」


 笑みを向けてくるリディーを見て、ベンゼルも頬を緩める。

 そしてベンゼルは五人と一緒にシュライザーのもとに向かった。


「しかし、まさかストーンウォールをあんな風に使うとはな。感心したぞ。確かにああすれば敵の頭に一撃をくれてやれる」


 歩きながらベンゼルが言うと、リディーは慌てた様子で手を左右に振る。


「あっ、いや、あれはただルゼフさんを助けようとしただけで! ほら、ルゼフさんの前に岩の壁を出しても、それごとやられちゃうじゃないですか? だったら空中に避難させようって思って!」


 大概のモンスターは動物と同じく頭が弱点だ。

 少しでも脳を傷つけることができれば、たとえ死ななくとも動きは鈍くなる。


 しかし、ミュー・レッドグリズリーはその大きさから、頭に攻撃は届かない。

 だからリディーは頭部を攻撃できるよう、自分を高いところにやったのだと考えていたが、どうやら違うらしい。


 だが、それでもそのおかげでトドメを刺せた。


 それにリディーが言う通り、目の前に岩の壁を出しても意味がない。

 岩の壁ごと身体を貫かれてお終いだ。

 戦いの最中にそのことに気付いただけでも素晴らしい。


「そうか。何はともあれ、あれが決め手となったのは事実だ。リディー、お前は本当に凄いやつだ」


 そう言って、ベンゼルが笑みを向ける。

 ほどなくして、兵士達もリディーを褒め称えた。


 するとリディーは照れたように「えへへ」と笑う。

 釣られてベンゼル達も顔を綻ばせた。



 そうして待たせていたシュライザーのもとに戻り、全員が馬車に乗ったところで。


「さあ、エヴァリアムスに戻るぞ」


 リディーと兵士達が元気よく返事をする。

 それを確認したベンゼルは手綱を動かし、シュライザーを発進させた。

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