第32話 芸術の国の異変(後編)

 ベンゼルには敵のもとへ素早く自分達を運んでくれる駿馬――シュライザーがいる。

 それ故、ベンゼルが率いる少数精鋭の隊は、一足先にエヴァリアムスを出発することに話し合いで決まった。


 そんな訳で作戦会議を終えたベンゼルは四人の兵士と共に大統領府を出た。

 入り口で待たせていたシュライザー、そして彼と並ぶように立っているリディーの姿が目に入る。


 ベンゼルは兵士達に荷台へ乗り込むよう指示を出すと、リディーに声を掛けることなく御者台にあがった。


「……おい、どうした?」


 手綱を動かすも、シュライザーは根が生えたように動かない。

 首を傾げつつもう一度手綱を操ってみるが、やはりシュライザーは走り出さない。


「シュライザーなら動きませんよ。私がそうお願いしましたから」

「なに?」


 ベンゼルは鋭い視線をリディーに向ける。


 こいつは今の状況がわかっているのだろうか。怒りがふつふつと湧いてくる。

 素直に言うことを聞いているシュライザーもシュライザーだが、本当に悪いのはそこの馬鹿だ。


 ベンゼルはキツく言うことにし、御者台から降りるとリディーの側に歩み寄る。

 そうして口を開こうとした瞬間、先にリディーが話し始めた。


「ルゼフさん、傷つかないので正直に答えてください。……私は足手まといですか? もしそうなら、もちろん大人しく待ってます」


 いつにもなく真剣な顔で尋ねてくる。

 そんなリディーをないがしろにする訳にもいかず、ベンゼルもまた真剣に答えた。


「足手まといなんかではない。今のお前はそこらの兵士よりも強い。むしろ大きな助けになる」

「だったらどうして……?」

「……お前を死なせたくないからだ」


 ルキウスやゼティアとは違い、単身でミュー・レッドグリズリーを倒せるだけの力はベンゼルにはない。

 だから大将に四十名の隊を二つ組ませた上で余った四人を貸してもらったが、それでもまだ戦力としてはやや厳しい。

 倒すこと自体はできるだろうが、少なくとも最前線で戦う自分は無傷では済まない。


 その点、リディーが加われば戦力は十分。

 それでも常に死の危険はあるものの、ずっと楽に戦えるようになるだろう。

 本来なら同行を拒むどころか、自分からリディーに協力をお願いするべきなのだ。


 なのにもかかわらず、ベンゼルが断固としてリディーの申し出を断ったのは、彼女を危険な目に遭わせたくなかったからに過ぎない。


 彼女の両親から大切な娘を預かっている立場として。

 そして、かけがえのない仲間として。


「ありがとうございます。私のことを大切に思ってくれて」

「……当たり前だ。お前は大切な仲間なのだから」

「そうですか。なら、その仲間からのお願いです。私もルゼフさんと一緒に戦わせてください」


 リディーはまたしても同行を願い出た。

『仲間からのお願い』という言葉に一瞬揺らぐも、それでもベンゼルの答えは変わらない。


 だが、それを口にする前にベンゼルは確認することにした。


「……なぜお前はそんなにも戦いたいんだ?」

「この街の皆さんを守りたいからです」


 それはそうだろうなとベンゼルは思う。

 リディーは兄に似て、優しい性格の持ち主だからだ。


「なら俺に任せればいいだけだろう。なぜかたくなにお前が戦おうとする?」


 そう問うと、リディーは言葉を詰まらせた。

 言おうかどうか悩んでいるようだ。


 しばらくして、決心がついたのかリディーが口を開く。


「……ルゼフさんが心配だからです」


 予想外の言葉にベンゼルは目を瞬いた。


「心配?」

「はい。ルゼフさん、前に私がミュー・レッドグリズリーの強さを聞いた時、言ってましたよね。『一対一ならルキウスでも苦戦するレベルだ。俺一人だったらまず勝てないだろうな』って」

「……ああ」


 あれは確か、ルキウスとの口論について話した後だ。

 リディーに『ミュー・レッドグリズリーは強いって言いますけど、具体的にどれくらい強いんですか?』と聞かれ、ベンゼルは笑いながらそう答えた。


「そんな強敵にルゼフさん達はたった五人で挑む。もちろん、それで勝てる見込みなのはわかってます。『四人貸してくれ』って言ったのはルゼフさんですから。……でも、たったそれだけの人数で何事もなく、無傷で帰ってこられるなんてそんなはずはない。一番前で戦うルゼフさんは特に……」


 リディーが顔を曇らせる。

 最悪の未来を思い浮かべたのだろう。


 しかし、ほどなくしてリディーは表情を引き締めた。


「だからっ! そんなことにならないように私がルゼフさんを守りたいんです!」

「……しかし――」

「私もルゼフさんのことが大切なんです! だからお願いします! 私も一緒に戦わせてください!」

「…………」


 リディーは自分のことを大切だと言ってくれた。

 そう思ってくれているのなら、もしも自分が命を落としたらその時、リディーは無理にでもついていかなかったことを一生後悔し続けるだろう。

 そんな思いは絶対にさせたくない。


 だからといって連れていけば、リディーの身に万が一のことが起こりかねない。


 どちらを選んでも、リディーを苦しませる可能性がある。


(どうすればいいんだ……)


 ベンゼルは頭を悩ませた。



 沈黙が流れることしばらく、ようやくベンゼルは決断した。


「……約束してくれ。少しでも危ないと思ったら、自分一人だけでも逃げることを」


 リディーを置いていって自分が死ぬ可能性と、リディーを連れていって彼女が命を落とす可能性。

 後者のほうが圧倒的に可能性が低い。

 だからベンゼルはリディーを連れていくことに決めた。


 最悪の場合、貸してもらった四人の兵士を見捨ててでも、リディーを守ることを心に決めて。


「はい、約束します」

「……乗れ」


 ベンゼルは御者台に向けて顎をしゃくった。

 すると、リディーはぱぁっと顔を明るくさせ、急いで御者台にあがる。


 それを見たベンゼルは大きく溜め息を吐くと、ひと呼吸おいて自分もリディーに続いた。

 そしてベンゼルとリディーは四人の兵士と共に出発した。

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