第31話 芸術の国の異変(前編)

 アイリーシュ王国の西に位置する小さな国――アメリオ共和国。

 その領土に足を踏み入れてから数日。


 街道を進んでいたある時、リディーが「あっ!」と明るい声を上げた。


「見えてきましたね!」

「ああ」


 二人の視線の先には、高くそびえる巨大な岩の壁があった。

 アメリオ共和国の都――エヴァリアムスを囲む城壁だ。


「あれが芸術の国かー。楽しみだなぁ!」


 アメリオ共和国はその国名よりも、芸術の国と称されることのほうが多い。

 理由は単純、音楽・文学・美術といった芸術関連が盛んであるためだ。

 花の国――カナドアン王国と同様に観光地として人気があり、日夜多くの観光客で賑わっている。


 リディーは以前からこの国に来ることを楽しみにしていた。

 その時がようやく訪れたからか、リディーは笑みを浮かべて左右に身体を揺らしている。

 見るからに上機嫌だ。


「そうだな。俺も楽しみだ」


 前にルキウス、ゼティアと訪れた時は芸術のげの字もなかった。

 皆、魔族に怯え、芸術どころではなくなってしまったからだろう。


 だが、その魔族はもういない。

 きっと今は本来の賑やかさを取り戻しており、至るところで演奏したり、絵を描いたりしていることだろう。


 その光景を見るのが楽しみで、リディーと同様にベンゼルも胸をわくわくさせていた。



 ☆



 数時間後。

 エヴァリアムスの南門に到着したベンゼル達は「ん?」と声を上げた。


「門番さん、いませんね」

「ああ」


 答えながら辺りを見回してみるも、やはり門番は見当たらない。


 まあ、交代のタイミングや用を足しにいったとかで一時的に外しているだけだろう。

 そう考えたベンゼルはリディーと話しながら、門番が戻ってくるのを待つことにした。



 それから一時間ほどが経った。

 未だ門番は戻ってこず、さすがのベンゼルも痺れを切らす。


「仕方ない。こうなったら勝手に入らせてもらおう」

「えっ? い、いいんですか?」

「よくはないな。だが、まあ大統領に事情を話せば許してもらえるだろう。さあ、いくぞ」


 手綱を動かし、シュライザーを発進させる。

 やがて門をくぐると、エヴァリアムスの街並みが視界に広がった。


 さすが芸術の国だけあって、独創的な造形の建物が立ち並んでいる。

 色彩も豊かで、見ているだけで楽しい気分にさせてもらえた。

 その光景にベンゼルとリディーは明るい表情を浮かべる。


 だが、それも束の間。

 二人は途端に笑みをなくした。


 道を行き交う歩行者。客を呼び込む店員。道端で芸を披露する芸術家。芸を眺める観光客。

 そこにいるべき人々の姿が全くないことに気付いたのだ。


「ルゼフさん……」


 何とも不気味なその様に、リディーが不安そうに見上げてくる。


「……ひとまず大統領府へ行ってみよう」


 大統領の選挙や就任式など何らかの理由によって、全国民が大統領府に集められているのかもしれない。

 正直それは考えにくいが、他の可能性は思い浮かばなかった。



 ☆



 ベンゼル達はエヴァリアムスの中央にある大統領府の前までやってきた。

 多くの人が集まっているのなら多少はガヤガヤとしているはずだが、何も聞こえてこない。


 ベンゼルは入り口の前でシュライザーに待つよう指示を出すと、リディーと共に大統領府へ足を踏み入れた。


「……誰もいないですね」

「ああ……」


 中にもやはり人々の姿はない。


 一体何がどうなっているのか。

 全く見当がつかず、途方に暮れるベンゼル達。


 その後も呆然と立ち尽くしている中、


「……ん?」


 ふとリディーが何かに気付いたかのような声を出す。


「どうした?」

「今、何か聞こえたような……」


 リディーが自分の両耳に手をかざす。

 それを見て、試しにベンゼルも耳を澄ませると、ほどなくして微かに人の声が聞こえてきた。

 二人は顔を見合わせて頷くと、声の出所まで急ぐ。


 やがて大きな両開きの扉に辿り着いた。

 中から数名の話し声が聞こえる。

 ベンゼルは「よし」と呟くと、勢いよく扉を押し開けた。


 視界に入ったのは、鎧を着た数十名の男女。


「ふぅ」


 ようやく確認できた人の姿に、ベンゼルはほっと胸を撫で下ろす。

 そうして何十もの視線を浴びながら広々とした部屋の中に入ると――


「な、何者だ、貴様ら!? 誰の許可を得て入ってきた!?」


 一人の若い男が血相を変えて剣を向けてきた。

 ひと呼吸おいて、他の兵士も抜剣し臨戦態勢に入る。


 事情はどうあれ、国の最重要機関に無断で入ったのだ。

 とがめられても仕方がなく、ベンゼルは深々と頭を下げた。


「申し訳ありません。人の姿がどこにも見当たらなかったため、ここに集まっているかもしれないと考え、勝手に入らせて頂きました。私はベンゼル・アルディランと申します。そしてこちらの女性はリディー・スプモーニア。勇者ルキウスの妹です」


 リディーが慌てた様子でぺこりと頭を下げる。

 すると、「ベンゼルってもしかして!」「勇者ルキウスの妹……」と場が一気にざわつき始めた。


 それから数分が経ったところで。

 兵士達は整列すると、こちらに向かって一斉に片膝を突いた。

 その先頭、ひときわ立派な鎧を着た老齢の男性が話し出す。


「私は大将を任されている者です。お二方が来られることは大統領閣下かっかからお聞きしておりました。だというのに気付けず、大変に失礼な真似を。どうかご無礼をお許しください」


 その謝罪の言葉に「こちらこそ」と返すと、少しして兵士達は立ち上がった。

 これでようやく話が聞ける。


「大将。一つお聞きしたいのですが」

「民のことですね。でしたら彼らは、この大統領府から少し西にあるシェルターに避難してもらっています。大統領閣下もそちらです」


 それを聞いて、だから街に人影がなかったのかとベンゼルは納得する。

 しかし、なぜ避難しているのか、その理由がわからない。


 そこで事情を尋ねると、大将は顔を険しくさせた。


「……数日前、北西の森でミュー・レッドグリズリーが三体確認されまして。その三体が今、こちらに向かって進行中であることがわかったのです」

「えっ!? そ、それってまるで」


 リディーが驚いた顔で見上げてくる。

 前に話した、ターラモアでルキウスと口論に至った時と状況が似ているからだろう。

 もっとも、その時よりも状況はかなり悪いが。


 ベンゼルは「そうだな」とリディーに頷くと、大将に視線を戻す。


「ミュー・レッドグリズリーはいつ頃ここに?」

「早ければ明日の朝、遅くとも昼頃には到達すると思われます。その前に撃退すべく、ちょうど作戦会議をしていたところでして」

「なるほど。それで兵力は?」

「……お恥ずかしながら、ミュー・レッドグリズリーと戦えるほどとなると、ここにいる八十四名だけです」

「八十四名ですか」


 できる限り死者を出すことなくミュー・レッドグリズリーを倒すには、一体当たり大体四十名ほどはほしい。

 今回は三体現れたということで、百二十名は必要になる計算だ。


 ところが、エヴァリアムスの兵力は八十四名。

 一体当たり二十八名で挑まなければならず、よくてギリギリ勝てるかどうか。

 運よく勝てても、少なくとも半数以上は命を落とす。


 そのことを理解しているからだろう、ここにいる兵士達は皆暗い顔をしている。


 そんな中、ベンゼルだけは平然としていた。

 顎に手を当て、少し考えてから口を開く。


「大将。恐らくですが、今、二十八名の隊を三つ組まれていますよね?」

「はい、その通りです」

「そうですか。では、それを四十名の隊を二つに組み直して頂けますか? 残りの四名は私にお貸しください」


 ベンゼルの申し出に大将は目を瞬いた。

 ややあって、顔をハッとさせると恐る恐る様子をうかがうように聞いてくる。


「……もしや、お力をお貸し頂けるのですか?」

「ええ、もちろん。私が一体引き受けますので、残りの二体をお願いします」


 そう言うと、あちこちから「おおっ!」と歓喜の声が上がった。


「ベンゼル様、本当にありがとうございます! お言葉に甘え、隊を編成し直して参ります!」


 大将は大きく頭を下げると、部屋の中央に移動して兵士達を集めた。

 先ほどまでとは打って変わって、皆明るい表情を浮かべている。


 それを確認したベンゼルは、隣に立っているリディーに顔を向けた。

 すると彼女もこちらを向き、胸の前で両拳を握った。

 

「よーし! 私も精いっぱい頑張ります!」

「ん? 頑張るって?」

「もちろん戦いを、ですよ! あ、ルゼフさん。ミュー・レッドグリズリーと戦う時の注意点とかありますか?」


 リディーが首を傾げてくる。

 その様子にベンゼルは目を丸くした。


「何を言っている。お前は留守番に決まっているだろう」

「……へっ?」


 今度はリディーがきょとんとする。

 少しの間をおいて、目を見開いて詰め寄ってきた。


「ルゼフさんこそ何を言っているんですか! 私も一緒に戦います!」

「ダメだ」

「ど、どうしてですか!?」

「危険すぎるからだ。ミュー・レッドグリズリーは、これまでお前が戦ってきたモンスターとは訳が違う」

「そんなことわかってます! だからといって、ただ安全な場所で待っているだけだなんてできません! 私には戦える力があるんですから!」


 リディーが珍しく反発してくる。

 その表情からは『絶対に同行する』という確固かっこたる意思を感じられた。


 だが、それはベンゼルも同じ。


「すまないが、今回ばかりは何を言おうがダメだ。お前は他の人達と一緒にシェルターで待っていてくれ」

「嫌です!」

「……なあ、リディー。頼むから俺の言うことを――」

「ぜぇ~ったいに嫌です!! 私も戦います!」


 リディーはベンゼルの言葉を遮って、なおも主張を押し通してきた。

 言っても聞かないリディーの態度に、ついにベンゼルも限界を迎えてしまい――


「いい加減にしろ! ダメなものはダメだ!」


 初めてリディーに向かって声を荒らげた。

 そんなベンゼルに怯むことなく、リディーはキッと睨みつけてくる。


「何でですか! 私が弱いからですか!? でもこの間、私のこと『一人前の戦士』だって言ってくれましたよね!?」

「ああ、言った! だが、それとこれとは話が別だ!」

「別ってなんですか!」


 その後も周りからの視線に構わず、言い争いを続けることしばらく。

 リディーが突然大きく溜め息を吐いた。


「ルゼフさんは、どうしても私を邪魔者扱いしたいんですね」

「そうは言っていない。だが、何と思われようが構わん。とにかく、お前は連れていかない」

「……そうですか。なら私にも考えがあります――」

「あっ、おい!」


 制止を無視して、リディーは走って部屋から出ていってしまった。


(……まったく)


 リディーにも困ったものだ。

 そうベンゼルが思っていると、大将が申し訳なさそうな顔で近づいてきた。


「……ベンゼル様、隊の再編が終わりました。どうぞ、こちらへ」

「はい」


 大将に連れられ、ベンゼルは部屋の中央まで歩く。

 そして自分に同行してもらう四名の兵士を紹介してもらうと、そのまま作戦会議に参加した。

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