第25話 二等魔術教本
アイリーシュ王国の領土に足を踏み入れてから数日。
ベンゼルとリディーはアイリーシュ王国の第二の都市――ターラモアに辿り着いた。
中に入ると、リディーが感嘆の声を上げながら辺りを見回す。
「これがアイリーシュ王国! やっぱりハーヴィーン王国やカナドアン王国とは全然違いますね!」
建材に木や石が多く用いられていたハーヴィーン王国およびカナドアン王国とは異なり、ここアイリーシュ王国では主にレンガが使われている。
それもあって街は鮮やかな色に彩られており、花の国――カナドアン王国とはまた違った美しさが広がっていた。
「そうだな。よし、それじゃあまずは馬宿を探すぞ。早くシュライザーを休ませてやりたいからな」
「あっ、はい!」
手続きを済ませ、シュライザーを預かってもらった二人は馬宿を後にした。
それから街をぶらぶらと観光していたところ、リディーが「あっ!」と嬉しそうに声を上げて突然走り出す。
その背中をゆっくりと追い、立ち止まったリディーの視線の先を見てみると、そこにあったのは大きな本屋。
「ルゼフさん、ちょっと寄っていってもいいですか?」
「ああ、もちろん。ちょうど俺も新しい小説がほしいと思っていたところだ」
「よかった! じゃあ入りましょう!」
一緒に広々とした店内を見て回ることしばし。
「こ、これは……!」
珍しい本でも見つけたのか、リディーが驚きの表情を浮かべながら一冊の本を手に取った。
「ん? ……おお、二等魔術教本か。当たり前のように本屋に並べられているとは、さすがは魔法国家だな」
魔法は威力や発動の難易度から、四等から特等まで五段階の等級に分類されている。
そのうち、二等に分類される魔法の発動方法について書かれたのが、この二等魔術教本だ。
ハーヴィーン王国では魔法による事故や犯罪を防ぐため、殺傷力が高い二等魔法からは学校の授業で教えておらず、当然本屋にも二等の魔術教本は置かれていない。
二等魔法以上を学べるのは軍に入った時だけだ。
その証拠にリディーが使えるのも、簡単な攻撃魔法である三等魔法まで。
ちなみに少量の水を出したり、点火させたりといった生活に役立つ魔法は四等に分類される。
そんな二等魔法の教本が公然と本屋で売られているのは、魔法の研究が進み、それに伴って魔法を用いた事故や犯罪の対策も講じられている魔法国家ならではの特徴だと言えるだろう。
「あ、あの、ルゼフさんっ!」
リディーが上目遣いで見つめてくる。
その表情にベンゼルは彼女の気持ちを理解した。
きっとリディーはその二等魔術教本がほしいのだ。
二等魔法を使えるようになれば今よりずっと強くなることができ、いざという時に大切な人を守れる可能性が高くなるから。
「フッ、遠慮する必要はない。ほら、これで買ってこい」
言いつつベンゼルは巾着袋を差し出す。
すると、リディーはぱぁっと顔を明るくさせる。
「わぁ、ありがとうございます! じゃあ、買ってきますね! えーっと、お値段は……」
本が置かれていた棚に視線を落とすと、リディーは笑みを浮かべたまま硬直した。
首を傾げながらベンゼルも値札を見てみると、その瞬間、目を見開いた。
(こ、こんなにするのか……)
二等魔術教本は思っていた以上に高かった。
これを買えばすっからかんになり、食料や物資が買えなくなってしまう。
リディーも手持ちの額は知っているので、とてもじゃないが購入できないと考えたのだろう。
先ほどとは一転、シュンとした顔で本を棚に戻した。
そんな彼女を見てベンゼルは少し考えた末、思い立った。
このターラモアで依頼を引き受けるつもりはなかったが、予定を変更するか、と。
「よし。今から依頼仲介所に行こう。その報酬でそれを買えばいい」
「……えっ? いや、私のためにわざわざそんなこと――」
ベンゼルは手を伸ばして、リディーの話を遮る。
「これは俺のためでもあるんだ。お前が今より強くなってくれるなら、俺も安心できるからな。だからお前が気にする必要はない」
これも本心だが、わざわざ依頼を引き受けてまで教本を買ってやろうとしているのには他にも二つの理由がある。
一つ目はこれまで稽古を頑張ってきたリディーへの褒美として。
そして二つ目は親友の妹であり、且つ今では大事な仲間であるリディーのために何かしてやりたいとずっと思っていたからだ。
ただ、それを伝えるとリディーは却って遠慮してしまう。
だからベンゼルは口には出さず、あくまで自分のためだと言い張ったのだ。
それが功を奏したようでリディーは頬を緩める。
「そ、そうですか? ……なら、お願いします!」
「ああ。じゃあ行こう」
通行人に場所を聞き、レンガで舗装された道を歩くこと数十分。
二人は依頼仲介所に到着した。
中に入り、さっそく依頼をチェックしようとしたところ、掲示板の前に若い男が二人立っている。
先客のようだ。
依頼の取り合いを防ぐため、こういう時は先客が決まり終わるまで待つよう依頼仲介所の規則で決められている。
それ故、ベンゼル達は彼らの後ろに並び大人しく待っていると、男達の会話が聞こえてきた。
「おっ、見ろよ。これ良くね? 引っ越しの手伝いにしちゃあ破格の額だぜ」
「おお、ほんとだ……って、ダメだこりゃ。条件のところ見てみろ。馬と馬車を持っている方のみって書いてある」
「ん? うわ、ほんとだ。そりゃ道理で高い訳だ」
「しゃあねえ、今日は休みにすっか」
「だな」
会話を終えると男達はこちらに振り返り、そのまま依頼仲介所を出ていった。
それを確認した二人は、すぐさま彼らが見ていた依頼書に目を向ける。
先ほど聞こえてきた通り、依頼の内容は引っ越しの手伝い。報酬もかなりの額だ。
これだけあれば二等魔術教本を買ってもお釣りがくる。
男達は馬車を持っていないがために渋々諦めたようだが、自分達には立派な馬車があり、それを引く最高の馬がいる。
ベンゼルとリディーは顔を見合わせると、同時に大きく頷いた。
☆
「ここですね!」
「ああ」
ベンゼルは答えつつ、二階建てで赤い屋根の家の前でシュライザーを停止させた。
御者台から飛び降りて扉をノックすると、ほどなくして出てきたのは温和な雰囲気を持った老夫婦。
「おや、あなた方は?」
「初めまして。私はルゼフ、彼女はリディーと申します。依頼仲介所に出されていた依頼を見て参りました」
「そうでしたか! それで馬と馬車のほうは……?」
「はい、こちらに」
ベンゼルは一歩下がって、扉の脇に立っているシュライザーを手で指し示す。
依頼仲介所で手続きを終えた後、馬宿に戻り『力を貸してほしい』と頼んだところ、思っていた通りシュライザーは快く応じてくれた。
本当に頼りになる馬だ。
「おお、これはなんと立派な! 助かります。家具を運ぶのにどうしても馬車が必要だったもので」
「そうですよね。さて、それでどうしましょう。もう始めさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「ええ、お願いします。では、どうぞ中へ」
主人に連れられ、ベンゼルとリディーは家に入る。
リビングに着くと、リディーが安堵の息を吐いた。
荷造り中ということもあってか少し散らかってはいるが、虫が出そうな不潔感は全くなかったからだろう。
「申し訳ありませんが、家具のほうをお願いしてもよろしいでしょうか? この歳になると家具を持ち上げるのも一苦労で……」
「もちろんです。お任せください」
「ありがとうございます。それでは私は細々とした荷物を纏めていますので、リビングの家具が積み終わったら声を掛けてください」
「承知しました」
「了解です!」
二人が返事をすると、主人はリビングから出ていった。
それを確認したベンゼルは、四人掛けの大きなテーブルの端に立つ。
「よし、じゃあ始めるか。まずはこのテーブルからいくぞ」
「はいっ!」
反対側にリディーが立つと、二人はタイミングを合わせてテーブルを持ち上げた。
そこそこの重量だが、華奢な身体に反してリディーは余裕そうだ。
これも日々の稽古の賜物だろう。
「フッ」
思わぬところでリディーの成長を改めて実感し、ベンゼルは笑みをこぼす。
弟子が成長していく様は、やはり師にとっては嬉しいものなのだ。
☆
額に汗して引っ越し作業を続けること数十分。
ベンゼル達はリビングに続いて、寝室の家具も馬車に積み終えた。
「ご主人。寝室が終わりました」
「そうですか、ご苦労様です。それで家具は全部なので、次はその家具を新居のほうに運んでもらえますか?」
「ん? 二階はよろしいのですか?」
「はい。家具は嫁入り道具として娘が持っていきましたので」
「嫁入り道具ってことは娘さん、ご結婚されたんですね!」
リディーがそう言うと、主人は頬を緩める。
「ええ、つい先日」
「おおっ、おめでとうございます!」
「ありがとうございます。一時はどうなることかと思いましたが、何とか無事に」
「えっ? 何かあったんですか?」
「……本当はもっと早く結婚する予定だったんです。でもちょうどその時に空が闇に覆われて……」
「なるほど。結婚どころではなくなってしまったと」
ベンゼルの言葉に主人はコクリと頷く。
確かに当時は魔族の出現によって世界は絶望に包まれており、結婚なんてのんきなことを言っていられる状況ではなかった。
「でも、勇者ルキウス様とゼティア様。そしてベンゼル様とフィリンナ様が魔族を倒してくれたおかげで再び平和が訪れて。だからこうして娘は晴れて結婚することができたんです。本当に彼らには感謝のしようもありません」
主人は胸の前で手を組み、目を閉じる。
それを見たベンゼルとリディーは顔を見合わせると、同時に微笑んだ。
☆
数時間後。
新居への荷下ろしを済ませ、引っ越し作業を終えたベンゼル達は依頼仲介所に戻った。
報酬を受け取ると、その足で本屋に向かう。
「これください!」
「二等魔術教本ね。仮に魔力が足りなくて発動できなかったとしても、返品は受け付けられないけど大丈夫かい?」
店員の言葉を受け、ベンゼルは大切なことを失念していたことに気付く。
いくら魔法の発動方法がわかったからといって、そのために必要な魔力が足りなければ二等魔法は行使できない。
リディーは即座に魔法を発動できるクイックスペラーではあるが、だからといって魔力量が多いと決まった訳ではないのだ。
もしもその魔力がなければ、この買い物は無駄になってしまう。
別に金銭が無駄になる分には全く問題ないが、リディーのことだし『せっかく買ってもらったのに……』と申し訳なさを感じてしまうだろう。
「はい、大丈夫です!」
ベンゼルが不安を抱き始めた直後、リディーは堂々と言い切った。
その後、会計を終えた二人は店を出る。
「なあ、リディー。聞くのをすっかりと忘れていたが、二等魔法を使えるだけの魔力がお前にあるのか?」
「あっ、はい! 小さい頃に村の学校で測定してもらったんですけど、私、他の人よりも少しだけ魔力量が多いみたいで。『二等魔法くらいなら行使できるだろう』って」
どうやら杞憂だったようで、ベンゼルはほっと胸を撫で下ろす。
「そうか。ならよかった」
「はい! あっ、ルゼフさん。これありがとうございました! これからうんとお勉強しますね!」
「ああ、頑張れ」
かくして二等魔術教本を手に入れたベンゼル達は宿に戻った。
そして食事と風呂を済ませると、ふかふかのベッドに横になり、一日を終えた。
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